日本のお姉さんのアジア! ――― by 日本のお姉さん
☆ 撫順戦犯管理所で起きたこと ―――――――――― 2006/10/30

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┃┃ お便りで頂きましたご意見。
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┌──────────「なでしこさん」

―― 日本のお姉さんの、「撫順戦犯管理所で起きたこと」に対する反論

私は、お姉さんに対してとても腹が立ちました。以下の文章を自分のメルマガ
に載せます。「地球が変だぞー!」 
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『アジアの街角から』というメルマガで、私は今Oさんと‘ケンカ’をしてい
ます。

1950〜1956に、撫順[ぶじゅん]戦犯管理所に日本人戦犯1千名以上が
収容されていたことに関して私は「感謝すべきだ」と言い、Oさんは「感謝な
どとんでもない!」と言われるのです。

Oさんが反論なさる時に参考にされたのは「あれそれこれ博覧会」というHP
です。(筆者のお名前は分かりません) それと、当時日本人戦犯であった国友
俊太郎氏の「撫順戦犯管理所の体験」という本の中からも引用されています。
(国友俊太郎氏は、現在は「中国帰還者連絡会」のメンバーでいらっしゃる)

「1」はOさんの文章の最初の部分です。

1.収監されて4年間、高いレンガ塀と鉄格子によって隔離された刑務所の中
で「監獄の不平」と「処刑の不安」を覚えながらも、彼らには、味はともかく
腹いっぱいの食事や音楽会を催すなどの自由を与えられた。管理所当局はこれ
も「政府と党の政策」であると説明している。

「2」「3」はOさんの最後の部分です。

2.1956年6月
このようにして元日本兵は、戦後10年以上の間拘束され、すっかり心も頭も
共産主義に挿げ替えられて日本に帰国することになった。彼らは「再び日本軍
国主義の復活を許してはならない」、「日本は満州を侵略した悪い国だ」とい
う見解に基き、帰国後も日本国民と中国人民との友好関係のために貢献するこ
とを生きがいとして、老体にムチ打って日本人に中国共産党と同じ見解を述べ
ているのである。それが彼らの平和運動なのである。

3.そうした洗脳の被害に幸運にも会わずに済んだ日本人は、中国共産党の洗
脳がどのようなものだったか実態を知り、日本と国民党が戦争に至ったいきさ
つを学んで、日本だけが悪いのではなく、国民党も共産党もともに戦争犯罪を
犯しているんだという事実をきちんと理解してもらいたい。

「1」の、「味はともかく腹いっぱいの食事」の部分は、国友氏の「食事は初
期はあまり良いものではなかったが腹一杯を保障し、いくらでも追加要求に応
じ、時には新しく炊いて補充した」の箇所からでしょう。

国友氏は続いて、「だが、戦犯は、痺れ、麻痺症状が出始めたので、中国側は
直ちに医師を派遣し、診断し、運動時間を増やした。看護婦は毎日健康状態を
聞き薬を配った。食事は、肉・魚・野菜は豊かになった」(この部分、要約)と
書かれています。

Oさんは、「味はともかく腹いっぱいの食事や音楽会を催すなどの自由を与え
られた」ことは、共産党の下心があって許されたことで、感謝すべきでない!
と主張されているように私には受け取れました。

「2」について
国友氏は、このように変わるには「打撃」があったと書かれています。

―― 第一の打撃
勾留の初期においては「監禁への不平」「処刑の不安」が渦巻いていた。
高いレンガ塀と鉄格子によって隔離された生活を余儀なくされたこと。

―― 第二の打撃
何故俺たちだけが戦犯に問われなければならないのか? 何万、何十万の日本
人が(戦争に)参加したのに。だが、これに対して、各人が多かれ少なかれ身に
覚えがあるから、それなりに胸が痛む。

―― 第三の打撃
戦犯が撫順管理所に収容されて間もなく朝鮮戦争が始まった。日本人戦犯たち
は、日本はアメリカ軍の強大な軍事力に負けたのだ、と思っていた。アメリカ
が中共をやっつけて、我々を解放してくれれば、との期待もあった。だが、僅
か半年後に朝鮮戦争は停戦に持ち込まれて終ってしまった。

いったい「中国人民解放軍」とはどんな軍隊なのか?「中国共産党とはなんな
のか?」の疑問が広がっていった。

―― 第四の打撃
目の前で肉親をむごたらしく殺された人々、家を焼かれ、食糧・衣服を奪いつ
くされた人々、勝手な疑いをかけられ死ぬほどの拷問を受けた人々…
ーーー俺たちのやったことは、まさに「鬼の行為」ではなかったのか。

―― 第五の打撃
日本軍がこの戦犯管理所を作った当時は、貧しい暖房施設が作られてはいたが
燃料の石炭は殆ど与えられなかった。紙さえも与えられなかったから、便所に
入っても服の一部を裂いて幾度も使用しなければならなかった。

それが、日本人戦犯が入ると、医療施設、浴場、理髪所、暖房設備が新たに完
備された。日本人戦犯が痺れや麻痺を訴えてからは、戦犯に対する食事は非常
に良くなった。管理所職員の食事は粗末なままであったのに。

戦犯が怒鳴り声を上げても、監視員が怒ったり殴ったことは一度もなかった。
処遇が全く逆なのだ。どうしてここまで出来るのか?今までの戦犯たちの常識
では考えられないことであった。
これが第五の打撃であり、大変痛いものであり、恥ずかしささえ覚えた。

第一、二、三、四、五と連続的に打撃を受けた戦犯たちは、次第に、

「俺はどんな人間なのか」
「俺がこの人たちにしたことは、どんな意味があったのか」
「俺たちの今までの考え方や価値観は本当に正しかったのか?」
「あの戦争は本当に聖戦だったのだろうか?」
「中国共産党とは何なのか?」、「人民とは何か?」

すべてが巨大であり、重い疑問であったが、戦犯たちがそれからの一日一日を
過ごすためには、どうしても解決しなくてはならない問題であり、一人一人が
自分の力で突き崩さねばならない大きな壁であった。

これが第六の壁であった。

管理当局は、このような時期に、戦犯たちに「学習をし、お互いに討論しなさ
い」と呼びかけた。筆記用具が渡され、中国共産党の歴史、矛盾論、実践論、
資本論、政治経済学、新聞「あかはた」… これらは次々に回覧された。

初期には、食っては寝るだけの生活では面白く無いので、マージャンや花札、
囲碁、将棋など遊び呆けていた戦犯たちも、時が過ぎ、個人個人の中に多くの
疑問が生まれ、それを解決しなければ明日を考えることが出来なくなった時、
本を読むことは’楽しみ’に変った。

仕事は与えられていなかったから、時間は十分にあった。皇国史観、武士道、
愛国心、資本主義と労働者、民族の開放と独立、弁証論と唯物論…新しい知識
の発見であった。自分の無知と盲目に情けない思いを禁じえなかった。

これが第七の打撃である。しかしそれは‘喜び’でもあった。

管理所当局は更に、戦犯たちに「生産労働」「学習委員会」活動を許可した。

瓦を生産したり、スポーツや合唱、演劇等、大掛かりな「文化祭」が行われる
ようになった。図書資料による学習と相まって、「創作活動」が行われた。

「創作活動」とは、「被害者の立場に立って、自己の罪行を客観的に記録する
こと」である。戦犯たちは生活が充実し、毎日が「忙しい」と思うようになっ
ていた。

この時点で、さらに大きな「打撃」(決定的な打撃)がやってきた。

検察官による罪状の取調べである。戦犯として管理されたからには、いつかは
裁かれる日が来るのだが。

検察官による尋問が開始されると管理所当局は、戦犯全員に対し各人毎に戦争
期間中に犯した罪状について供述書を作成するように命じた。

「自白するものには軽く、逆らい拒むものには重く臨む」
「罪行は事実のみを正確に記述し、拡大や縮小、虚偽の供述は許されない」
と。

しかし、戦犯の中には、ごまかそうとする者もいた。初年兵の中には、書く内
容が無いと思う者もいた。古参兵は、軍隊の通常の規則にも違反するような破
廉恥な行為を書くことが出来なかった。高官たちは、どのように書けば自分の
立場を理解してもらえるのかと、ためらうばかりであった。

当局は再度強く要求した。「もっとよく学習し、認識を高めなさい」と。

戦犯対は同じ部隊、同じ職場にいた者たち同士でグループを作り、討論し、悩
みを聞き、意見を出し合った。(これが「罪認学習」、「罪認運動」である)

「罪認学習」は8ヶ月に及び、正しく罪を認めた者を歓迎し、「このような者
の前途には光明がある」と評価を与えた。一人現れればそれは大きな刺激とな
り、次々と自己の罪行を公表する者が出てきた。

供述を終えた戦犯たちは大いに疲れた。後は中国政府の処遇に任せるだけであ
る。多くの戦犯はどんな処罰が下ろうと素直に受け容れることが出来ると思っ
た。
このようにして戦犯たちは6年をかけて、鬼→人間へと変えられたのだった。

いや、Oさんによれば、

「心も頭も共産主義にすげかえられ」たのだ。「中国共産党の洗脳がどのよう
なものだったか、実態を知り、日本だけが悪いのではなく、国民党も共産党も
共に戦争犯罪を犯しているんだという事実をきちんと理解してもらいたい」と
いうことになるのであります。

「あれそれこれ博物館」さんはHPで、(1950)「いよいよ後日彼ら自身に
「鬼から人間に戻った」と言わしめる洗脳が始まったわけである」と書いてお
られる。

この主張とOさんの主張は全く同じであると思うので、Oさんは「あれそれ」
さんから強く影響を受けたのか?

周恩来は、日本人は「心情に訴えられたら弱い」ということを見抜いていて、
罪を自覚させてその上で釈放してやれば、そういうことをされれば、日本人は
中国に歯向かえなくなる。「日中友好を願って」の言葉の裏にはそういう打算
もあったのでしょう。

国家主席として、ただの哀れみとか、そんなもんだけで腹いっぱい食わせます
か?!中国人は、粟だのコウリャンだの食べていたんですよ。(戦犯は白米)

Oさんのように、撫順戦犯管理所で行なわれたことに対して全く感謝の気持ち
をもたない、そんな日本人がいたとは、ここまで確信を持って強く言われると
は。ーーー周恩来も計算違いでしたね。

Oさんは、引用している「あれそれこれ博覧会」からは「引用ここから」「引
用ここまで」と分かりやすいのだが、「撫順戦犯管理所の体験」からの引用に
ついては「自分の文章を書くにあたっては「中国帰還者連絡会」国友俊太郎氏
の「撫順戦犯管理所の体験」を部分的に援用させていただきました」と断って
おられる。

しかし読んでみれば、殆どが「撫順戦犯管理所の体験」からの引用なのだ。ど
こが「撫順戦犯管理所の体験」からの引用なのか、読み手には全然分からない
のだ。「Oさんの文章」というのは「2」と「3」ぐらいのものであろう。

こういう引用の仕方が許されるのか?「撫順戦犯管理所の体験」と同じ文章、
言葉の場合には「」を付けるのが礼儀なのではないだろうか。

このようなやり方は姑息だと私は思う。こういうやり方に私はものすごく腹が
立つ!(戦犯を覚醒させた、あるいは洗脳したことは罪である、と断じるべき
なのかもしれない。それはさて置いといて)

Oさんがこのようなやり方をするわけは、又、Oさんの文章を編集者が載せて
おられる理由は、私がボーとしているからだ。スピードがのろいからそれに腹
が立つんだろう。実際私には誰からもOさんたちのような反応が返ってくる。
Oさんや編集者さんが「正しい」のだ。だけど私は、「そういうやり方をする
のは止めて!」ということを言いたかったからこのメルマガに載せたのだ。

これからも私はケンカを売ります!

└──────────
 
┌──────────「日本のお姉さんから」

私には、元日本兵を長い期間中国に拘束し「共産主義を信じねば罰を下す」と
脅して、共産主義者になるための必要な読み物を怒濤のように読ませ、10年
以上に渡ってアメとムチで考え方や感じ方を変えさせてしまった共産党は恐ろ
しいと思うし、戦争が終われば日本人を速やかに帰還させることを謳ったポツ
ダム宣言の主旨に明らかに反することから、毛沢東と周恩来は明らかに間違っ
ていたと断言したい。

問題がある元日本人兵がいたなら、そのケアは日本政府の仕事である。何も外
国が元日本兵をケアする必要は無い。どんな罪状を被せられるのか、いつ日本
に帰れるのかと不安におののく元日本兵に対して、共産主義者にならねば自己
批判をしたことにならぬ、もっと支那の調査団の調べた内容に近づけて自己批
判文を書けと、何年もかけて何度も執拗に迫ったしつこさには、驚き呆れる。

もし、自分がそんな立場にあったら、早く帰国したいという願いも加わって積
極的に共産主義者になると言うかもしれない。ようするに支那は、日本兵を共
産主義者に仕立て上げてから日本に返したのだ。

周恩来は、元日本兵を、名前は一見教育機関のようだが、自由を拘束する「監
獄」に長年の間引き留め、日本において支那に有利な活動をさせるスパイとす
るために洗脳し、彼らの活動や、日本の中にいる反日活動家たちによって日本
人を自虐史観に浸らせ、支那が精神的優位に立つことに成功している。

----日本人自身も、自虐夷的史観を持つことを望んだのだと思う。そう思って
アジアに経済的な援助を行うことが良いことだと考えていたからだ。

支那が核ミサイルを200発持っていても、台湾や日本の主要都市に狙いを定
めるミサイルを毎年何百と増強させていても、毎年2割も軍事費を増加させ、
自衛というより戦争の準備の相をなしていても、何とも思わないでいること自
体が、日本人全体が洗脳されているという証拠だと思う。

日本がいくら支那に特別な援助を行っても、支那政府はそれを国民に伝えず、
逆に、日本は謝っていないとか、戦後の賠償が済んでいないなどと国民に教え
込み、国民に日本を憎むように勧めてきたという事実が。反日デモによって明
るみに出たので、日本国民はその仕打ちに驚いているところだ。

日本人捕虜に対する外国の長年に渡る洗脳事業を、元日本兵に対する「教育」
と受け取って「ありがたがる」ことは間違いである。

└──────────
┌───────「普通の日本人さん」男性@六十代@会社員@その他海外

“なでしこ”という人は、日本人ではないと思う。50歳代とまだ若いのに、
こんなに中国サイドにたってものを言う人は珍しい。父親についてちょっと書
いているが、相当ひどい父親だったのだろう。

こんな馬鹿な女と論争したって仕方ないし、時間の無駄だ。読んでる我々だっ
て気分が悪くなる。前から読んでいたわけでないので、この人が何故こんなに
撫順戦犯管理所、ハルピン、呼蘭などについて詳しいのですか?

まるで自分で見てきたような書き方ではないですか。50代ならまだ生まれて
いないじゃないですか。とにかくこんな馬鹿とのやりとりは止めなさい。ばか
ばかしい。

それに、この人の文章は何かおかしい。表現がちょっと日本人ではないような
気がする。男なのか女なのか…。もしかしたら母親が中国人?或いは日本に帰
化した人?

└──────────
 
┌──────────「日本のお姉さんから」

なでしこさんが、何故こんなに撫順戦犯管理所、ハルピン、呼蘭などについて
詳しいのか分かりませんが、中国帰国組のお父様が、ものすごく恐い人だった
らしいので、お父様も撫順戦犯管理所で中共党に教育(実は洗脳)されて大人し
くなったら良かったのにな〜、という願いがあってそのことに興味を持ったの
ではないでしょうか。

ーーー「戦争の鬼をケアしてから日本に返してくださった」などと、完全に勘
違いされているようです。ケアどころか、共産主義者にならねば日本に返さな
いとばかりに脅しに脅して供述書を書かせて自己総括させ、すっかり中国大好
き人間にしてから日本に返してくれたのです。迷惑な話です。捕虜虐待です。

洗脳された帰国者は「中帰連」という団体を作って、日本は中国に対して賠償
が終わっていないとか、中国人個人に賠償金を払うべきだとか、日本軍は細菌
兵器を使ったとか、三光作戦をやったとか、―――自分が見てもいない事すら
も信じ込んで宣伝しています。

彼らは、戦争中はひどい事をやってきた人々です。ーーー戦争で、ボケッとし
ていたら殺されるような状況の中にいたのですから、彼らも鬼になって当たり
前の状況だったのですが、全ては日本の「A級戦犯」が仕組んだ国策に振り回
された結果なのだから、日本の首相が靖国神社に参拝するのはケシカランと考
えるようになっているのです。

当時の日本の指導者たちも、欧米列強の貿易ブロック化や植民地化から日本を
守ろうと必死だったわけで、その頃は支那大陸は欧米列強にズタズタにされて
いたわけです。そういう時代に、日本の指導者たちが必死に日本の利益を守ろ
うとしていたらアメリカと戦争になった。

国民党が日本に戦争を仕掛けてきた事は、ソ連の陰謀であり、またアメリカの
狙いだった。仏印(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)から重慶の国民党軍
に兵器などの援助物資がどんどん送り込まれた。またソ連は中共軍にどんどん
戦時物資を与えたし、日本と戦争になるように、工作員を国民党軍に紛れ込ま
せていた。

戦争にならないようにする努力を、国民党政府と日本は度々条約を結んだりし
たのだが、そうした約定は支那によって常に破られイザコザが避けられなかっ
た。自衛をしているうちにアメリカとの戦争に追い込まれていったのです。

戦後の日本は、韓国にいきなり軍事力で竹島を盗られ、ガスが出ると分かって
からは、尖閣諸島や沖縄も支那に狙われています。東シナ海のガスは、今こう
している間も支那に吸われ続けています。

それでも日本は、平和を守ろうとして黙って吸わせているし、竹島も黙って盗
られたままにしている。次には尖閣諸島を盗られないように、まともに自衛を
しないといけない。北朝鮮は核を持っているし、弾頭ミサイルもイランに売る
ほどの技術を持っています。日本は、もう今までのように気楽にかまえてはい
られないのです。

そんな中で「中帰連」は、平和をお題目のように唱えて、日本を無力なままの
普通ではない国、異常に自分の国の自衛をアメリカだけに頼る国のままにして
おこうと平和運動を行っている。ーーー日本が手ぶらなら安全だという神話を
子供や一般人に吹き込んでいます。中共党の手先となって活動しているわけで
す。

└──────────
┌──────────「yamato44さん」男性@六十代@神奈川

私は元自衛官です。昭和33年、舞鶴で入隊の教育を受けていた時期、中国よ
り最後の帰国者だと、興安丸により帰国したのを記憶しています。その時に、

帰国者は思想改造され、スパイに仕立てられているとの噂がありましたが事実
だったのですね。

└──────────
 
┌──────────「日本のお姉さんから」

それは事実です。撫順に収監された元日本兵の捕虜1千名の処置は、新中国の
「重要な国家政策」として周恩来が直接指揮をとり、管理は司法部ではなく公
安部が担当したことからみても、洗脳工作の一環です。

1千名の元日本兵の洗脳を担当したのは公安部長の羅瑞卿で、延安で多数の日
本兵捕虜を洗脳して日本軍の正面に送り出してきた思想改造を専門とする捕虜
政策のエキスパートでした。

中国共産党の思想改造がいかに凄まじかったかということは、帰国者の帰国後
の行動を見ると良く分かります。帰国者たちは「中帰連=中国帰還者連絡会の
略)」という団体を作り、日本各地で平和を語る講演会などを開いて、

日本が中国に500億ドル(日本円に換算して18兆円=1ドル360円時代)
の損害を与えたので、中国に日本国の国家予算50年分の保障をするべきだと
か、日本は「中国人の被災者」一人一人に、補償金を払うべきだと主張してい
ます。
国と国が交わした条約があるのに、後から個人に賠償を払えと言ってくる行為
は、条約そのものを無にする行為です。ヤクザが交通事故を示談したあとも、
しつこく金をせびりにくるのと同じです。それにいちいち応えて言われるまま
に金を渡していたら「示談」の意味がありません。

だいたい、18兆円なんてどこからそんな数字が出てくるのでしょうか。「中
帰連」の言い分は、そのまま中国政府のスポークスマンです。撫順で洗脳され
たそのままの事を語っているのでしょう。

└──────────
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┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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