日本のお姉さんのアジア! ―――― by 日本のお姉さん
☆ 消えた満州人―支那の陰謀 ――――――――――― 2006/09/11

支那の言い伝えに「ひとつの民族を消したかったらその歴史を消せ」というの
があるそうだ――――。

話は日露戦争の前になるが、ロシアという国は昔から満州や朝鮮半島に食指を
動かし常に支配下におこうと狙っていた――――。

日本が清国と戦って、清国から朝鮮を独立させたとき、当時は戦争に負けたら
負けた国は必ず勝った国に領土を割譲することになっていたので、日本も清国
から領土を割譲してもらうことになった。

1898年(明治28年)、日清戦争の講和条約である下関条約で、日本は清国
から遼東半島(今の遼寧省)、台湾、澎湖諸島を永久割譲されることになった。

ところが、ロシア、フランス、ドイツの三国が干渉してきて、日本は遼東半島
を受け取ってはならないと言いがかりをつけ、艦隊をくりだしてきた。ロシア
はウラジオストックに5万の軍隊を集結させた。日本はしかたなく遼東半島を
諦めた。
それ以降、ロシアやドイツ、フランスは次々と清国に利権を求めて入り込み、
鉄道の敷設権やら鉱山発掘権やらを得て、あちこちの港も租借しだした。

三国干渉の3年後には、ロシアはちゃっかりと旅順と大連を租借し手に入れて
しまった。ロシアはそれまで、朝鮮王朝にちょっかいを出していた。せっかく
朝鮮は清国の属国から独立できたのに、今度はロシアを頼って日本を敵対視す
るようになった。ロシアは、満州を租借すると一旦は朝鮮から手を引いたが、
1900年になってまた朝鮮半島に踏み込んできた。

義和団という支那の武術家集団が、1899年(明治32年)に山東省で蜂起し
1900年6月(明治33年)には、北京で公使館のある区域が義和団に占拠さ
れた。その時、公使館にいた25人の日本軍人がよく戦ったので、その時たま
たま一番年上だったので隊長になったイギリス軍人が日本を高く評価した。

ーーーそれが、日英同盟の結ばれる端緒となった。

北京の公使館を助けるために遣わされた列強の連合軍は北京に入っけれど、し
ばらくして引き上げた。が、ロシア軍はちっとも戦わず戦死者ゼロだったのだ
が、そのまま満州に居座ってしまった。すでに遼東半島にはロシアの艦隊が、
軍港となった旅順にいる。

日本としては、ロシアは脅威だった。1902年、日英同盟が締結されたけれ
どもロシアは朝鮮に南下しようとした。日本は最終提案をロシアに示したが、
3週間待っても何の回答もないので、1904年(明治37年)、ロシアに国交
断絶を伝え、3日後にロシア艦隊を攻撃した。

この時イギリスの世論は、日本に好意的だったそうだ。当時の日本にいるイギ
リス人は、イギリスは日本に代理戦争をやらせていると言ったそうだ。

アメリカや西洋各国は、貧しい朝鮮半島を発展させるため日本が朝鮮を併合す
るのがよろしいと言った。朝鮮の最大の党も日本と合邦したがっていた。それ
でも日本は乗り気ではなかったのだが、朝鮮人テロリストに併合に反対してい
た伊藤博文が暗殺されたため、反対する中心人物がいなくなって、朝鮮は日本
に併合されることになった。

そして日露戦争で日本が勝ったので、日本はロシアから満州をとり返し、清国
に返してあげた。清国は喜んで、それ以来科挙の制度を止めて日本に留学生を
どんどん送り込んでくるようになった。留学生が帰国したら、科挙でいえばこ
れぐらいの地位だろうという基準で彼らを公職に迎えた。

日本は満州に利権を得て、鉄道を敷設し、産業を興し、繁栄の基礎を全て日本
から持ち出した資金で築き、関東軍によって治安を保ちながら平和裡に繁栄さ
せていった。日露戦争後、日本が利権を得た満州は、日本主導の下に発展して
いった。

辛亥革命以降、支那ではいくつも革命政権が交代し、また、地方ごとに軍閥が
割拠して休みなく争乱が繰り返されていた。

清は、自分たちの故郷である満州に支那人が移住することを永い間許さなかっ
たし、支那人も万里の長城の向うは支那ではないと知っていたが、清末になっ
てその規制が緩められたため、争乱が続く支那を嫌って続々と満州に移住しだ
した。1911年の辛亥革命の頃に1800万だった満州の人口は、1931
年の満州事変の時には3000万人にもなっていた。

日本は、満州人の国として満州を管理しているつもりだったし、満州人も独立
したがっていた。みんなが満州を支那軍閥から解放させたがっていた。支那人
に暴行を受けたり殺されていた当時の日本人も、満州の治安を維持するために
は満州の支那軍閥を追い出すしかないと考えて軍を支持していた。

支那は満州の利権を奪おうと日本人の土地取得妨害や排日教育を行った。学校
で排日教育、軍隊で排日宣伝を行った。排日唱歌、排日軍歌、排日スローガン
を町や村に浸透させ、排日教材には「日本は侵略を好む民族」だとか「支那の
領土である朝鮮、琉球を奪った」というウソを堂々と書いていた。

支那人は日本人を襲撃するようになり、昭和2年31件、3年37件、4年7
7件、5年95件など、在満州朝鮮族日本人殺害事件やテロを加えると、合計
300件もの凶悪事件が次々と発生した。

昭和6年には、日本の軍人が攫われ、秘密裏に殺害される事件も起きた。支那
政府はウソをつき続け、「日本人のゴロツキが日本の軍人を殺した」と宣伝し
た。9月18日に至って、支那はようやく日本軍人の殺害事実を認めた。

これがきっかけで、この夜に柳条構事件が起こった。日本の一軍人がマッチの
火をすったのだ。満鉄線路を爆破し、日本軍(関東軍)がそれを理由に支那軍を
攻撃した。

1932年(昭和7年)に満州国が誕生したが、満州人は遼寧省、吉林省、東省
特別区、熱河省、[さんずい+兆]南でそれぞれ独立を宣言した。満州人も支那
や支那軍閥には辟易していたのだ――――。

支那は、清朝の故郷満州も支那の領土だと主張した。支那は国際連盟に訴え、
イギリスのリットン卿を団長とする調査団が派遣されたが、満州は、日露戦争
でロシアからとり返した日本が、清国に返してあげたという特殊な場所であり
日本はその代償として南満州鉄道と遼東半島の租借権を得ただけなのである。

当時は、西洋諸国も租借地を持っていたので、日本が支那を侵略しているとい
う観念はなかったのだ。リットンは「満州を支那の一部として、支那の自治州
にしてはどうか」という案を出したが、満州は満州族の国である。

満州人は支那人とは違う民族だ。リットン卿は、支那にはエンペラーはいない
と言っている。清朝のエンペラーはいるが、チャイナのエンペラーはいない。

ヌルハチが建国し、息子が清と称し、支那全土をも支配した。清国は満州族の
王朝だ。支那人は征服された民族に過ぎない。そして時代は移り支那人に独立
運動を起こされ、満州人は支那から追い出されて故郷の満州に戻ったのだが、

支那が言い出した「日本が支那(満州)を侵略した!」という詭弁が国際社会で
まかりとおってしまった。ーーーというのが歴史の真実だ。

満州人は元々満州語を話していた。けれど現在では、支那によって土地を奪わ
れ、ほとんどが蒙古、ウイグル、チベットに大量に移住させられた。満州人は
消えてしまい、満州語を話す者もいなくなった・・・・

ひとつの民族を消すには、民族の歴史を消せばよいという言葉は本当だ。

支那人のインターネットの書込みを日本語に訳してくれているサイトがあるが
現在の支那人が「中国にも朝鮮人がいるんだね」などと書いている。「中国に
朝鮮人がいる」のではない! 支那が清の土地を奪って満州人を消しただけな
のだ!

同じような感覚で、支那人はモンゴルを奪い、ウイグルやチベットを奪い、そ
こに住む人々を支那化すると共に、漢民族を大量に送り込んでその地域の人口
比率を覆し、支那の意志が、あたかもその地域の住民の意志であるかのように
してしまう。

今では、チベット人もチベット語を話すことができないのだそうだ。

支那は、自分たちの侵略の歴史には何食わぬ顔をしながら、日本を侵略者とし
て今でもうるさく騒ぎ立てている。同じような感覚で、台湾や琉球(今の沖縄)
も支那のものだと騒ぎだしている。

そういう事実を知らずに、西洋人は日本を侵略者扱いにして戦争になるように
もっていったのだが、そこにはアメリカやソ連が支那の利権を欲しがったとい
う事実も深く関わっている。

強い西洋の国がアジアを分け獲るのが当たり前だった昔の話だが、日本の歴史
も支那に作りかえられていないか気をつけたほうがいい。日本人が歴史の事実
を学ばず、自分の国のことを支那を侵略した悪い国だと思い込み、それを恥じ
て支那の要求どうりに動くなら、日本人もまたいつか失われた民族となろう。

強いアメリカや西洋諸国が、アジアやアフリカを力で征服し、利権を得るのは
普通のことだった。日本は、日本から資金を持ち出して、朝鮮や満州を繁栄さ
せた。西洋の宗主国のように植民地の人々には教育も受けさせず、プランテー
ション化して貧しいままにおいておくという政策を採らなかった。

アメリカや西洋諸国は、アジア人である日本人がアメリカや西洋と肩を並べて
堂々としている姿が気にいらなかったのだろうか――――。

イギリスとの同盟関係を、アメリカなどの工作で解消させられ、日本の立場が
弱くなったところへ、恐ろしく高い関税で貿易を一気に止められ貧しくなり、
資源も簡単には手に入らない状態だった。排日運動でアメリカにも移民できな
くなった。

日本が生き延びるには満州しかない!貧乏人は満州へ行くしかない!と満州人
と組んで独立はしたけれど、支那との情報戦に負けて国際社会の同意が得られ
ない。国際連盟を蹴っ飛ばして孤独になったので、後に負け組となるドイツや
イタリアと組んで、ますますニッチもサッチもいかなくなった――――。

インドネシアの石油の確保と、インドシナから重慶に送られるアメリカとイギ
リスの援助兵器の流れを止めようと、仏印の宗主国フランスに断ってインドシ
ナに進駐したら、アメリカには石油を止められ、オランダにもインドネシアの
石油は売らないと言われた。
注)仏印:旧フランス領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)。

そんな時期に、アメリカやイギリスがアジアで戦争の準備を開始する。そして
ハル・ノートで、満州、支那からすべての軍と警察を撤収しろと要求される。
(ハル・ノートの影の作成者はソ連が送り込んだスパイだった)

わずかに備蓄されていた石油は、支那軍との戦闘でどんどん消費されている。
北に進むのか、南の資源を確保するのか、陸軍や海軍が悩んでいるところに、
アメリカが戦争を決意している状況が丸見えとなったので、僅かな石油の備蓄
が尽きる前に一気にアメリカを叩く作戦に出ることにした。それが破れかぶれ
の太平洋戦争だった――――。

そういう過去を勉強せず、支那がどんどん押し付けてくる支那式の歴史に日本
人が染められるようなら、歴史を亡くした民族としてこの世から消えていくこ
とになるだろう。

支那がアメリカ人を利用してアメリカで出した本「レイプ オブ ナンキン」
や、映画を鵜呑みにしてはいけない。支那人の「東京裁判」という映画なども
正確な日本の歴史を知らずに接触すると、日本人でも反日になるだろう。その
ために支那は考えて活動を行っているのだ。

支那に作られた日本の歴史に惑わされないためにも、日本人が真実を勉強する
ことが必要だ。キーポイントは「満州人と支那人」だ。侵略なのか侵略でない
のか、支那人の意見を聞かず、当時の外国人が書いた物を読むのがお勧めだ。

西洋が、弱い国を植民地にするのが当たり前だった時代に、日本が行ったこと
は侵略でも植民地化でもない。日本と同じように満州を繁栄させようとしたけ
れど、満州の利権を狙う支那やソ連やアメリカなどに阻まれて潰されたのだ。

アメリカ人のマッカーサーも、アメリカに帰国してから
「日本は自衛のために戦ったのだ」と証言している。

失敗したから卑屈になるのではなく、どうしたら日本の国際的な立場がより良
くなるかを考えて行動すればよいのだ。そして、支那人の根拠の無い情報活動
(ウソとも言う)に負けないよう、しっかり事実を学ばなければならないのだ。

                        = この稿おわり =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
▽
この記事を書くにあたって以下の資料を参考にしました。

※ 1500年の真実:日本とシナ 渡辺昇一著 PHP研究所

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┃┃ メールマガジン読後感アンケート結果。
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◇ そうだそうだ!このとおり! (^○^) ------------------- 96人  (78%)
◇ 民族の歴史を消せばよい、なるほどな〜..(゜.゜) ------- 17人  (14%)
◇ 侵略を認めないでこういう暴論を..(-_-) --------------- 10人  ( 8%)

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┃┃ お便りで頂きましたご意見。
┗━┛
┌──────────「tetsuoさん」

北海道に住むようになって25年になりますが、アイヌの人たちでもアイヌ語
を自分の言葉として話せる人はもう本当に少ない。一部の長老のような人だけ
です。
こういう状態になってやっと「昔、強制的に奪った土地を返還します」と北海
道庁が提起したところ、アイヌの人たちが、返還反対の裁判を起こしました。

数ヶ月前、札幌地裁での裁判の様子がテレビニュースでありました。まだ結審
してはいないのではないかと思いますが、定かではありません。一般人には分
かりにくい裁判です。ーーー有用な土地には、個人や法人の所有者がついてし
まっているわけです。「役に立たないところだけ?公用地として残っている土
地を返還します」ということなのでしょうか?

「そんな土地だけ返してもらって、固定資産税をとられるならかえって迷惑で
いらない。それより、過去のアイヌの生活基盤を奪って不便なところを押し付
けたことを認めて謝罪してくれ!」ということなのでしょう。

こちらに来てから驚いたのは、アイヌ人を管理する為の「旧土人保護法」とい
う名の法律が今だにあったことです。さすがにこれは廃止になるようですが。

└──────────
 
┌──────────「日本のお姉さんから」

昔はアイヌ人も「シサム」「シャモ」(どちらもアイヌ語の和人=大和民族)に
同化するようにといわれ、積極的に和人に協力していたそうです。戦争前、ア
イヌに興味を持っていろいろ研究していた宣教師がいたそうです。

戦争の前には、アイヌ人は積極的に満州に行けと勧められたので、かなりの人
が移動したそうです。中には、和人とのハーフの幼い子供が、日本軍のスパイ
になるため特訓させられ使い捨てにされたとか。

アイヌは和人と結婚したり、和人がもち込んだ結核菌にやられて死んだりして
消えていったそうです。ブラジルのジャングルの奥地の原住民と同じですね。
外の人に触れると病気で死ぬそうです。

今では、アイヌ人は和人と混ざってしまった。そのほうが便利だったのでしょ
う。アイヌであるほうが便利ならいいけど、多分、「旧土人保護法」では全然
良いことがなかったのでしょう。

逆に、厚く保護された昔の差別階級の人々は、保護されて税金も払わず、市役
所は脅せばなんでもしてくれるから、相変わらず「差別階級」のままおいしい
思いをしています。逆に一般人が差別されているありさまです。差別をなくす
には、特別扱いせず、能力次第でしたい仕事につける日本にするしかないです
ね。

満州の満州人は、もともと人数が少なかったし、支那人を働かせて自分たちは
アガリで生活するという貴族的な生活をしていたので滅亡しました。満州はロ
シアに占領されていたので、ロシア人より支那人を増やそうと支那人の移住を
許したのです。それが後で満州を支那人に盗られることに繋がった。

満州は満州人(女真族のヌルハチ)の故郷なので、戻る場所として大事にとって
おいた場所です。義和団の事件の後、ロシアに居座られて、満州へ行くにはロ
シアの許可を取らねば行けなくなった。

それを、日本がロシアから取り返して、清に返して清からお借りしていた形に
なっていたのですが、返さずにいたら良かったのかもしれない。清は陰でロシ
アと話をつけていて、一緒に日本と戦おうといっていたのだから。

満州人は、北京に出てきてずいぶん経ったので、満州語を忘れてきていた。今
の支那服にスリットがはいっているには、その下にズボンを履くため。ズボン
を履いて馬に乗るのが簡単なようにスリットが入っているのです。

今の北京語は満州人の影響が入っていて、南のほうの言葉より発音が単純化さ
れているそうです。南は八声。北京語は四声。満州人が発音しやすいような発
音になったわけです。

昔にも一度、満州人が大量に東トルキスタンへ送られたことがあるので、新彊
ウイグル自治区の北のイリにある錫伯[シボ]というところでは、まだ満州文字
を使っているそうです。この人たちは故宮にある「档案[ダンアン]」が読める
そうです。20年前に2万人いましたが、今では何人いるかしりません。

満州人は纏足[てんそく]をしなかったのですが、ハイヒールのようなくつを履
いて纏足っぽくみせたそうです。

中国東北部は、満州人が自分達に何かあったときに逃げ込む領地として支那人
を入れないようにし、長いあいだ省も作らなかった。清が滅びる4年前の19
07年に、やっと奉天、吉林、黒龍河の3省を設けたのです。そこには将軍を
おいて、本部とは違う軍政をひいた。260年間、満州人によって特別に区別
されていた場所なのです。

当時のアメリカ人もドイツ人も、東北が特別な場所だと知っていたし、万里の
長城の向こうは支那の土地ではないのは支那人も知っていた。でも満州に住み
だすと、満州も支那の土地だと言い出しました。たくさん住んだ者が勝つとい
う考えです。

「清を倒して漢民族の国民国家を作ろうという革命を始めたなら、本来漢民族
ではない周辺の民族は別の国をつくればいい。そういう切り捨てをやって初め
て革命だろう」と、言った人がいる。

でも支那人の考えは、満州というのは民族の名前で土地の名前では無いとか、
北京人とは満州人だとか、三国志でもアソコは漢族の政権があったとか、秦の
始皇帝の時代ではアソコは漢人の生活圏だとか、昔のことまで持ち出して屁理
屈を言う。始皇帝の持っていた土地は全部「チャイナ」だという考えです。

周辺民族は、支那に侵略されて勝手に「自治区」にされて、いい迷惑なわけで
す。

アメリカ人は、満州との貿易で利益を得ていたので満州が大好きで、日本に取
られるのは我慢がならなかった。アメリカは、日本を責めるわりには、南米や
太平洋の島々を次々と領土の加えてしていましたから、日本のことを何も言う
権利などなかったはず。

当時は、西洋やアメリカは、アジアを植民地にするのが当たり前な毎日だった
ということを抜きにして過去は語れません。

今の感覚でいえば、外国人が自分達が住む場所で偉そうにしていたら、頭にく
るのは当たり前でしょう。支那人は満州で増え過ぎたのです。だから満州は支
那人の土地だと支那人は思った。

外国は、他国に入って土地を借りたり、管理したりしてはいけない。また、嫌
がる別の民族の土地を取ってはならない。現地の人間を殺して追い出してはな
らない。
2006年では、当たり前のことですが、昔は世界中の国が普通にやっている
ことでした。日本は、貧しく何もない満州に金を注ぎこみ発展させました。そ
れは支那人とアメリカ人には許されない事だったのです。ソ連は、支那人の中
に入り込み、日本と支那が戦争をして疲労するように工作を続けた。アメリカ
にも、ソ連は工作員を送り込み、アメリカが日本を嫌うように仕向けた。

満州人は貴族化して、仕事はアヘンを吸うことや芸術や支那人の管理をしてア
ガリを受け取るだけだった。そして北京で支那人化して消えていった。満州も
日本人と支那人でいっぱいになった。(日本人は何百人、支那人3000万人)

日本軍が治安を守らねば、たちゆかない土地であった。

本物の満州人も、満州語も話せず、東トルキスタンやモンゴルに連れて行かれ
消えていった。最後の皇帝の溥儀の奥様はアヘン漬けだった。子供達は自殺し
たり日本に流れて消えていった。

東北には、墓や別荘などの、たくさんの清王朝が時々たずねる場所があった。
日本人は、満州は満州人の土地だと言い、支那人は支那のものだと言った。ア
メリカは支那の味方をした。日本はアメリカとの戦争に負けた。

満州人の代表は、日本と共に満州を独立させようと頑張ったが、国際連盟が派
遣したリットン調査団は「満州は日本軍に脅されて自発的に独立したのではな
い」と報告した。

満州が支那と接点を持つ限り、支那は干渉してくるし、ソ連は満州を手に入れ
ようとする。また日露戦争が起こると言って、日本は独立に固執した。日本が
何を言っても、日英同盟は切れている。国際連盟でイギリスは支那も悪いとこ
ろがあるのだと説明したが、世界は、日本が欧米のようにすることを決して許
さなかった。そんな時代だったからだ。

アメリカは満州にえらく関心があり、蒋介石率いる支那を助けようとした。蒋
介石と彼の奥様が好きだったからだし、支那に多く宣教師を送り込んでいたか
らだろう。性格のおおまかなところなど、大陸の人間どうし気が合ったのかも
知れない。

当時の日本は、とにかくアメリカに嫌われた。今でもイラクはアメリカに嫌わ
れ、大量破壊兵器もないのに攻められた。原爆を2個、落とされなかっただけ
でもイラクは日本よりマシなのだ。アメリカを嫌えというのではない。日本の
敵は支那と北朝鮮しかない。北朝鮮の核は支那の指導の元で作られたので、支
那の許し無しには北朝鮮は核ミサイルを飛ばさないと北朝鮮の元幹部は言って
いる。

アメリカは、じゃまなインディアンやスペインやメキシコ、フランス、イギリ
スを追いやった。日本もアイヌを追いやった。(インディアンのように抵抗し
なかったので殺しはしなかったが)そんなことが普通に起こっていた時代だっ
た。
支那では、今もそんなことがチベットや東トルキスタンで起こっている。支那
人が怒濤のごとく彼らの土地に押し寄せている。支那人が増えれば、満州のよ
うにどこの土地も支那だと言いかねないですね。ーーー支那人がいない昔でも
チベットも支那だといって攻めていった国ですからね。

└──────────
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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