日本のお姉さんのアジア! ―――― by 日本のお姉さん
☆ 過去に学んで今に活かそう!シナ(china) の情報戦  2006/09/04

昔のことを学ぶのは、なぜ大切なのだろう。ーーー昔の世界情勢は、2006
年の今とは全く違う。今は、白人がアフリカ人や黄色人種の住む土地を植民地
にしてはならないし、人間を奴隷にしてはいけない、、そんな時代になった。

昔は世界中が帝国主義であり、弱い国は植民地にされた。日本も世界の強国に
習って帝国主義となり、白人に負けない国になろうと頑張った。

頑張らなければ日本という国は今頃どこかの国の植民地にされていただろう。

過去を遡り、疑問を持って歴史を見直してみると、日本の弱点が見えてくる。
過去を学ぶということは、自国の弱点を発見し、今に活かして弱い部分を強化
するために大切なことだと思う。

アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、支那 (china)が作ったニセ
文書を信じた。その時、彼は「日本、葬らざるべからず」と覚悟をしたという
ことだ。
マッカーサーは、戦後、日本を裁くという強い目的を持って日本にはいった。

最初アメリカは、支那のニセ文書を元にして東京裁判を始めた。日本人も殆ど
知らないそのニセ文書は、漢文と英文のもの(だけ)が支那と欧米にばらまかれ
た。

日本語で読んだ人は一人もいないその文書の名は「田中上奏文」。

昭和2年6月に開かれた「東方会議」の2年後にばらまかれた怪文書だ。当時
の田中義一首相が天皇陛下に上奏した文書という体裁で、内容は「日本が満州
蒙古を押さえて支那を奪い、さらに世界を征服する」という方針を田中義一首
相が天皇陛下に上奏した、ということになっている。

世界征服のためには、まず支那を、支那を征服するためには満州、モンゴルを
征服しなければならない。明治天皇がそういう意志を持っていましたからね、
という内容だ。
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注:東方会議)田中義一内閣が山東出兵(第1次)後の対中国政策を確立するた
めに開いた会議。1927年(昭和2)6月27日〜7月7日まで外務大臣官邸
で開催。田中首相兼外相・森恪外務政務次官・吉田茂奉天総領事・芳沢謙吉駐
奉公使・武藤関東軍司令官・畑陸軍次官・大角海軍次官らが出席。

会議終了後『対支政策綱領』が発表され、中国における日本の権益を守るため
には出兵も辞さぬ“現地保護政策”、満蒙については個々の権益を守るだけで
なく、日本が同地域の治安維持にあたり、中国本土より切り離して独立の政権
下におく“満蒙分離政策”を強調。いわゆる「田中メモランダム」が会議の結
論とされて中国側の排日運動を激化させた。
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アメリカは当初「田中上奏文」を元にして日本を裁こうとしたのだ。その罪状
は「1928年から1945年まで、A級戦犯の28人が共同謀議し、一貫し
て満州・中国・東南アジア・太平洋・インド洋などの地域を侵略、支配すべく
陰謀を企て、実行した」という、日本人も驚く立派なものだった。

日本は、支那のニセ情報を信じたアメリカによって裁かれたのだ。

田中上奏文は、1927年7月に天皇に上奏されたということになっていたの
で、日本の世界征服の陰謀は1928年1月1日からということになった。

最近、田中上奏文という怪文書は、ソ連で共産党コミンテルンによって作成さ
れたということが分かった。―――ニセ文書である証拠は5つあるが、

一番ハッキリ分かるのは、大正11年(1922年)2月に既に死んでしまって
いる山県有朋が「同年11月下旬の9ヶ国条約打開策のための会議に出席」と
いう部分だ。長州閥の田中が、自分の親分の山県が死んだことを知らないはず
がない。既に死んでしまっている親分が会議に参加したと書いてある。

当時日本は、そんな馬鹿げた怪文書などどうでもいい。そんなことはウソだと
すぐ分かることだからと考えた。しかし日本は、「死んだはずの山県が会議に
出ていることになっている。ニセ文書だ」と声をあげることをしなかった。

だから、ルーズベルト大統領はそれを信じたのだ。

当時の支那は、このニセ文書を徹底的に反日の資料として利用した。そして欧
米人は、日本を世界征服を企む不届きな国と信じこみ、その観念を元にアメリ
カは東京裁判を開いたのだ。ニセ文書をばらまいた支那と同じだけ多くの否定
資料を世界に流さなかった日本の怠慢と大らかさを大いに反省したいものだ。

日本は、支那には戦闘では常に勝っていたが、情報戦に負けたのだ。

蒋介石は、南京事件でも、新聞記者の秘密工作員に給料を払い、支那に有利な
宣伝記事を書かせた。蒋介石はいくらでもウソの情報を流した。

―― 済南事件

1928年、山東省の済南に入った国民党の北伐軍が、日本人居留民を襲って
惨殺や略奪を行った事件を「北伐妨害のため日本軍が日本人を殺した」と宣伝
し、その事件の始まった5月3日を国恥記念日として排日に利用した。

支那は、日本が「日支両軍の接触を容易にし、衝突を引き起こす為の謀略だっ
た」という文書を作って支那の歴史の資料にした。

また済南で、日本軍が一般人の服装をした支那の便衣兵から拳銃射撃を受けた
とき、日本軍が便衣兵全員を射殺したのだが、その時たまたま国民党の外交官
も巻き添えになった。
それを、「日本軍が外交官を射殺した」という宣伝を展開し、反日感情を煽る
材料にしたりもした。

この事件の実際は、北伐軍が済南に入った際、北伐軍が以前、南京で外国人を
襲った事実があったので、日本軍は日本人居留者を護るために守備地区を設け
たところ、蒋介石が「われわれが責任をもって護るから撤退してくれ」と言っ
てきた。

日本軍がそれを信じ撤退すると、1928年5月3日、北伐軍は日本人を襲撃
しだした。男10名、女2名が北伐軍に殺され、5日に9体の惨殺された死体
が発見され、その後3体発見。

暴行されたりレイプされた女性32名以上、略奪された家136軒。被害人員
約400名、被害見積額35万円9000円。(当時のお金では相当な額)
殺され方は、手足を縛り、手斧で顔面をたたき割る。女性はすべて陰部に棒を
さされ、焼かれて白骨化し、白足袋でようやく日本女性だと分かるものなど、
「酸鼻のきわみ」だったそうだ。

支那兵は、一般人の服装をした便衣兵だった。兵隊の格好をせずに一般人に紛
れて戦闘を行う行為はハーグ陸戦規定に違反している。そういう一般服を着て
武器を持って戦うのは、国際法ではゲリラである。ゲリラでも日本兵が応戦す
れば、日本軍が悪であると支那は宣伝した。

―― 南京事件

その後、日本軍が南京に入ったときは、支那兵は日本軍の軍服を着て日本軍に
紛れ込んだ。草履を肩から吊していないので支那兵だと分かったのだそうだ。

上海方面からの戦闘に敗れ南京に逃げ込んだ支那兵は、軍服を脱ぎ捨て、一般
市民の衣服を奪って着、市民中に紛れ込んで、陰から日本兵に発砲してきた。

なので日本軍は、オドオドしているガッシリ系の男を選んで拘束した。中には
南京の町民が混じってしまったが、その場合は「あの人は近所の○さんだ」と
嘆願に来るので、そういう場合は良民の券を発行して解放したそうだ。

憲兵が到着する以前に、日本軍の先発隊が約2万の支那兵を市民の中から選び
出して殺害した。そうしなければ逆にやられてしまうのだ。南京城の門の前の
トーチカには、支那兵が足を鎖でくくられて入れられていたそうだ。

先発隊は食糧の補給も間に合わず、民家から奪うしかなかったし、一部の者が
レイプなどの暴行をはたらき、後で軍法会議にかけられた。

捕虜を捕らえても与える食糧も無く、日本軍自体の食糧も無かった。空の列車
の車両に収容したりしたが、結局どうすることもできず、筏に乗せて河に流し
たり、順番に走らせて銃撃し川に流したりした。その合計が数えると2万人と
なる。

ところが支那側は、支那人が女性を殺す方法や、匪賊が人を殺す方法で日本軍
が南京で大虐殺を行ったと宣伝した。当時の南京には25万人の市民がいた。
外国人も証言している。しかし、支那は30万人殺されたとウソを宣伝した。

支那は、日本女性が支那人に殺された写真や、朝日新聞に掲載された通常の写
真や、当時支那人が売っていたポルノ写真や、支那人がニセの日本兵に化けた
合成写真で作ったものなどを、いわゆる「南京大虐殺」の証拠写真とした。

写真の中の影の向きがめちゃくちゃだったり、服装が日本軍のものではなかっ
たりなどの稚拙な合成写真を多用し証拠とした。日本軍が南京に入ったのは冬
なのに夏の写真ばかりあるのも不自然だ。とにかく、写真の横に日本軍がひど
いことをしたとキャプションをつければ証拠写真になったのだ。

実際、そんな大変な混乱の中で写真を撮る者などいなかっただろうし、南京市
内に設けられた安全区には外国人もたくさんいた。彼らと共に25万人の残留
市民がいたのである。

―― また、

1927年、蒋介石の国民革命軍は南京で領事館、学校、企業などを襲った。

支那の数百人の一般人も略奪に荷担した。日本の領事館は床板・便器・空瓶ま
で略奪された。各国の外交官7名が死亡、2人が行方不明。この事件ではソ連
の指導を受けたコミンテルンが紛れて暴動を指揮していた。

しかし支那の教科書には、革命を破壊するために南京を占領した北伐軍に対し
て各国軍が砲撃を加え、支那人が2000人死んだと書いている。その時日本
は無関係だったのに、日本も砲撃したということになっている。

実際の支那人の死者は12人、負傷者は20人である。支那人の暴徒が大使館
を襲って略奪したことにはひと言も触れていない。

現代でも、このようにたくさんのウソが支那の歴史として広く信じられ、反日
の根拠になっている。

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日本は支那の情報戦を甘くみたのだ。支那が騒いだ以上に日本は騒ぐべきだし
ニセ文書を出されたら、その倍ぐらいの文書でそれを否定するべきだった。

現在だって、間違った史実に基づく映画を作られたら大声で否定し、非難し、
ウソを正すべく戦わなければ、それが真実と信じられてしまうのである。

田中上奏文を「あんな稚拙なニセ文書、誰が信じるものか。神経質に騒ぐこと
はないよ」と思って放っておくから、そのニセ文章を根拠にされてアメリカか
ら東京裁判をされたのだ。

支那(china) が、日本を不当に貶める映画を作れば、声を大にしてそれを否定
し、世界中に支那のウソを糾弾する文書を倍以上出さなければ、今後も同じ方
法で日本は悪者にされるのだ。

情報戦には神経質過ぎるぐらいの気持ちで対処しなければならない。西洋人は
ニセ文章やニセの写真でも簡単に騙される。日本人はおおらか過ぎる。日本の
「言わなくても外国は分かってくれる」という考えは世界には通用しない。

支那が変な映画を作ったら、日本は神経質過ぎるぐらいにピリピリして激しく
怒らなければならない。支那では、ウソでも声を大きくはりあげて不特定多数
の人に信じてもらえればケンカに勝つのだ。

支那のウソに、これからも負け続けるわけにはいかない。日本が何もしなくて
も、支那は世界に向けてどんどん日本を悪く宣伝している。

それが、2006年の今も起こっている現実なのだ。

                        = この稿おわり =
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この記事を書くにあたって以下の資料を参考にしました。

※ 南京事件「証拠写真」を検証する――合成、演出、ひそかな転載、キャプ
ション改竄。証拠として通用する写真は一枚もなかった――より。
東中野修道、小林進、福永慎次郎著 草思社

※ 1500年の真実:日本とシナ 渡辺昇一著 PHP研究所

※ いわゆるA級戦犯 小林よしのり著 幻冬社

※ 南京戦「閉ざされた記憶を尋ねて」元兵士102人の証言 松岡環著
企画:日中平和研究会 社会評論社(死者が35万人と支那側の意見丸飲み)

※ 日中戦争の悲劇――写真で綴る中国からの証言――
編著 馬振[牛へんに買の上に士] 陳中丹 林慧敏 柳原書店
(上記の本「南京事件「証拠写真」を検証する」に出ている捏造が証明された
 写真が満載)

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この記事は元NHK政治部記者、渡部亮次郎氏のメルマガ「頂門の一針」第559号に転載していただきました。  渡部亮次郎氏のプロフィール
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ メールマガジン読後感アンケート結果。 ┗━┛ ◇ そうだそうだ!このとおり! (^○^) ------------------- 91人 (88%) ◇ 次期首相は期待できるんじゃないか..(゜.゜) ----------- 6人 ( 6%) ◇ そんなにムキになることないんじゃないの..(-_-) ------- 7人 ( 7%) ┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ コメントボードに頂きましたご意見や感想。 ┗━┛ ┌──────────「ゆきさん」 裁判において「証拠」とは、法廷で明らかにできるのが「証拠」だそうです。 どんな有利な証拠でも、法廷に持ち込まなければ証拠にはなりません。裁判官 も判っているだろう、は通用しません。 日本語で、日本人同士の裁判でも、事実、証拠に基づく反論が必要です。まし て、言語、習慣、文化が異なっていれば、言わなくても判るだろう、はあり得 ません。 └────────── ┌──────────「日本のお姉さんから」 支那のウソの怪文書を軽く考えて、反論もしなかった日本政府の失敗ですね。 東京裁判は、初め支那の怪文書を元にして進められましたが、途中でアメリカ はその文書が支那のデッチ上げだと気が付いて急に使わなくなったそうです。 とにかく日本は、証拠もなく非難されたら文句を言わなければなりません。そ うじゃないとそのまま信じられてしまい、未来の日本人が酷い目に遭います。 今でも日本を悪くいう本や映画に、日本政府はあまり反応していないような気 がします。「レイプ オブ ナンキン」の本の内容に文句を言わなかったから こんどはスピルバーグに映画化されてしまいました。もちろん支那が資金を出 していると思います。 支那は9月1日から「東京審判」という映画を作って、国民に見せています。 間違った内容なら文句を言わねばなりません。 多くの人が南京で30万人虐殺されたと信じてしまいます。当事者たちの証言 では2万人未満です。それでも多いですが、日本軍に降伏もせず軍服を脱いで 一般市民に紛れて陰から攻撃するなら、匪賊と同じということです。 市民に紛れたから市民に犠牲が出たのだし、軍服も着ないで、攻撃する意志を もって武器を携行している者が、見つけ次第殺されたとしても当然で、これを 虐殺とは言わないでしょう。 └────────── ┌──────────「yamato44さん」 中国の歴史認識は誤っている。日中国交回復時、南京事件は問題なかった。後 に問題になってくる。靖国問題も初めはなんでもなくて、後から問題となって きた。 反日日本人が中国にご注進に及び、中国も一旦聞いたら口に出さなくてはなら なくなり、引っ込みがつかなくなるゆえに泥沼化しますね。マスコミ及び左派 文化人は責任を取らなくてはいけないと思うね。 本当のところをよく勉強すれば解る筈、なぜその資料を読まないか。反対の為 の反対で騒いでるように思える。現在の姿は、左派の人たちが言っていたのと は反対の世の中ですよ。もし、左派の人たちの言う通りだったらどんなになっ ていたかと思うとゾッとするね。 └────────── ┌──────────「日本のお姉さんから」 日中友好が始まったばかりの時は、戦争は過去のことで、今の日本人は何もし ていなし、過去を忘れて現代をしっかり生きないと何も進まないということで 共産党は日本に何も言わなかったのです。 2004年から、急に険悪な雰囲気になってきて日本人はびっくりですよ! 本当は、1980年代ぐらいからずっと共産党は国民に反日教育を刷り込んで いたんですよね、、間違った歴史の本でね。 共産党は日本の教科書に文句を言う資格など無い。満州は支那人の国ではない のに、いつのまにか日本が侵略したことになっている。本当は、支那が清国の 土地まで欲しがっただけなんだけどね。 その路線で「我々は清朝の支配化にはあったが、支那とは関係ない」と支那に 統合されるのを何度も何度も断ったチベットに人民解放軍を侵攻させて、無理 矢理支那に組み込んでしまった。‥こういうのを侵略っていうんじゃないの? └────────── ┌──────────「虹口さん」 いつも勉強させていただいています。 さて、NHKの「その時歴史が動いた」はご覧になりますか? 今「シリーズ 日本独立、その光と影 〜吉田茂とサンフランシスコ講和条約〜」の前編が8 月30日に放送され、9月6日に後編が放送されます。 国家の戦略は、状況により変化するものです。現在、世界有数の経済力を背景 に国際社会で発言のできる日本と、敗戦後、占領下にあった我が国の状況は、 明らかに違うのです。なぜ東京裁判を受け入れたのか。コミンテルンの作成し た陰謀文書になぜ異を唱えなかったのか。 そんなことを持ち出して状況を混乱させるよりも、「寛大な講和」を勝ち取る という最優先の目的のためにすべてを犠牲にする。これは立派な戦略であり、 外交であったとは思われませんか。 └────────── ┌──────────「日本のお姉さんから」 ┌-------- 「寛大な講和」を勝ち取るという最優先の目的のためにすべてを犠牲にする。 これは、立派な戦略であり、外交であったとは、思われませんか。 └-------- と、あるけど、日本はあの時、天皇をアメリカ、その他に殺されそうになって いたし、軍隊は解散していたからどうしようもなかったんですよ。 東條英機は天皇の命を救うために、自分には日本を敗戦に導いた責任が日本に 対してはあるが、国際的には日本は国際法に照らしてはなんの違反もしておら ず、全て防衛のための戦争であった、と何度も反論しています。とにかく戦争 に負けたら、何をされてもおとなしくしているしかない。 天皇の命が危ないという時期だったので、おとなしくするしかない。以前朝鮮 で日本の政治家を暗殺したテロリストがいたが、日本がマッカーサーを殺した ら、日本は確実にアメリカの州にされたでしょう。 当時の日本人は、テロを起こしたらどうなるか知っていたから「絶対テロを起 こすな」と自戒しあって頑張っていたそうです。だからおとなしくアメリカに されるがままになっていたのです。 └────────── ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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