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日本のお姉さんのアジア! ―――― by 日本のお姉さん
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☆ 東条由布子さんの短い言葉から ――――――――― 2006/08/14
テレビで、東条英機のお孫さんの東条由布子さんが、短い言葉で祖父を責める
日本人を批判しておられる様子を観た。うろ覚えなのだが、大体以下のような
ことを言っておられた。
「祖父は、戦争の責任を全部負って死にました。あの戦争は、日本が自衛のた
めに行ったもので、アメリカが言うように世界征服をもくろんだために始めた
戦争ではありません。
どこの国にも、自分の国を自衛する自衛権はあります。自衛のために戦って死
んだ人々に対して、同じ日本人が、彼らを罪人だと言って責めるのは許せませ
ん」
また、天皇がA級戦犯とされた人々を合祀してから靖国神社に行くのをやめた
という言葉を書き留めたとされる内容のメモについては、
「陛下は『東条の家族は元気に暮らしていますか?』と、いつも気にかけてい
てくださり、毎年一度も欠かさずに付け届けを届けてくださいました。メモを
記録した人が、陛下のお気持ちを的確に表したとはわたしは信じません」
と語っておられた。短い言葉だったが、言いたいことが良く伝わってきた。
日本人は、第二次世界大戦を、日本がアジアを侵略するための戦争だったと信
じている。だから、日本の首相がアジアの国へ行くと必ず過去の過ちを謝る。
ところが、過去にインドネシアやマレーシアでは、日本が頑張って西洋と戦っ
てくれたから、アジアは彼らの植民地状態から開放され、独立できたのですよ
と言われる事もあった。ーーー当時のアジアは、西洋列強からケーキのように
切り分けられ、植民地にされている時代だった。
日本は、第一次世界大戦後に獲得した利権を守ろうとしたが、西洋列強も同じ
ことをしていたのだった。
東条由布子さんが印象に残ったので、東条英機 述、東条由布子 編になる本を
買って読んでみた。
天皇に責任なし 責任は我に在り「大東亜戦争の真実 東条英機宣誓供述書」
1400円:ワック 終戦後、洋洋社から出版されGHQ発禁本第一号となる
http://www.book-ace.co.jp/book/item/dait0922.htm
東条英機が、東京裁判の法廷で読み上げた供述書を本にしたものだった。東条
由布子さんが古本屋で東京裁判について書かれたものを探していた時に、たま
たま、重ねてあった本の間に薄っぺらい本が少し飛び出していたので、引っ張
り出してみたら発禁処分にされた祖父の供述書だったのだそうだ。
日本がいくら戦争を避けようとしても、アメリカとイギリスは既に日本を潰す
気分に満ちており、戦争の準備を始めていたとも書かれていた。一般の日本人
ではなく、当時の内閣総理大臣だった東条英機が、小マメに手帳に記録してい
たことを元に書かれているので、日本が戦争に至った経緯がよく分かる本だっ
た。
後から、戦争についていろいろ反省してみるのは大事かもしれないが、当時の
状況は、西洋がアジアを植民地にするのが当たり前の時代だったし、アジア人
に対する人種差別は、今よりずっとあからさまで酷かったと思われる。それを
考えて読まなければならない。
フランス領インドシナに、フランスを説得して日本軍を派遣したのは、重慶の
国民政府に、フランス領インドシナからどんどん武器が流れ込んでいたからで
ある。
シナは、日本が満州に入ってきてからの満州の急激な発展ぶりを見て、国民党
政府や軍閥らがその利権を奪取しようと、満州でシナ兵による日本人に対する
数々のテロが起こった。日本国民は、そんなに満州の治安が悪化しているのに
日本政府が何も行動を起こさず、ひたすら耐えているのを見て苛立っていた。
当時の日本国民は、野蛮なシナを懲らしめて満州を切り離すことを要求してい
たし、朝日新聞などのメディアは、戦争を煽る記事をどんどん掲載していたそ
うだ。
そういう過去は忘れて、戦争に負ければ軍のトップに全てを押し付け、罪人呼
ばわりするのも、民衆とは、状況が変わればいくらでも主義主張を変えて自己
の保身を図るものだからなのか。
以下、「ウィキペディアフリー百科事典」の第二次世界大戦に至るまでの状況
について書かれた部分を資料として添えます。
┌──────────「ここから」
日本(大日本帝国)は、1905年に日露戦争に勝利したものの、莫大な戦費の
負担を背負った。その上、対ロシア講和条約であるポーツマス条約において、
満州南部の鉄道及び領地の租借権や大韓帝国に対する排他的指導権などを獲得
したものの、戦争賠償金を取得することができなかったために財政状況は悪化
した。
しかし、第一次世界大戦の勃発により、ヨーロッパへや、ヨーロッパから工業
製品を輸入していた国への輸出が増大したことで戦争特需状態となり、高い経
済成長をみた。
だが、第一次世界大戦が終結しまもなくヨーロッパ経済が平穏を取り戻すと、
戦勝国であり、同じく国土に直接的な被害を受けなかったアメリカと同様に、
戦争特需による好景気を謳歌していた日本の経済は不況となった。
さらにシベリア出兵における日本の積極的な軍事行動により、東アジアに利権
を持っていた列強諸国を中心に、その領土拡大の野心が疑われる。シベリア出
兵による膨大な出費と、1923年に起きた関東大震災がそれに追い討ちをか
けることとなって、日本の経済状態がさらに悪化するとともに、政情が次第に
不安定なものとなって行き、
1930年代前半頃より、政治テロや五・一五事件、二・二六事件などの陸海
軍の将校によるクーデター未遂事件が度々発生するようになる。
五・一五事件で、護憲運動の旗頭ともいえる犬養毅首相が暗殺され、二・二六
事件でも高橋是清大蔵大臣などの政党人が暗殺された結果、日露戦争後に、大
正デモクラシーと呼ばれるような政党政治及び議会制民主主義が根付き始めて
いたにも拘[かかわ]らず、急速に軍部が実権を握ってゆくことになる。
一方で、第一次世界大戦の勃発という、東アジア地域でのヨーロッパの列強勢
力の影響力行使の空白期間は、国内の経済的危機状態を近隣諸国への進出によ
り打破しようとしていた日本にとっては非常に有利に働くこととなる。
第一次世界大戦の戦勝国であった日本による、敗戦国であるドイツの、中国大
陸や南太平洋諸島における植民地の獲得と、中華民国への21ヶ条要求などは
この時期であるからこそできたことであり、特に中華民国に対する強硬な姿勢
は、中国大陸における抗日運動の火種となった。
この頃より日本軍(関東軍)は、地元の軍閥である張作霖とも友好関係を築いて
いたが、張作霖が中国共産党へ接近し始めると、それに反発する関東軍は19
28年に張作霖爆殺事件を起こした。
なお、日露戦争の結果ロシアが有していた旅順や大連の租借権と長春―旅順間
の鉄道及び支線や付属設備の権利・財産を日本が獲得している。
1906年に、日本は国策会社である南満州鉄道を設立し、これ以降、日本は
中国大陸の北部(満州)における権益を急速に固めることになる。その後日本は
1931年に勃発した満州事変などの、それまでの軍事行動の結果として、中
国大陸北部を中心とする土地をさらに占領し、1932年には元首として清朝
の愛新覚羅溥儀を執政(後に1934年に皇帝に即位する)とした満州国を建国
していた。
しかしながら、これらの日本の行動に抗議する中華民国は国際連盟に提訴し、
国際連盟はイギリスのヴィクター・リットン卿を団長とするリットン調査団を
派遣する。
当時、蒋介石率いる中華民国は度重なる内戦により治安が悪く、緩衝材として
の満州国の必要性があることから、リットンは日本の満州における特殊権益は
認めたが、満州事変は正当防衛には当たらず、形だけでも満州を中華民国に返
すように報告書に記した。
その後、1933年2月に行われた国際連盟特別総会において、リットン報告
書(対日勧告案)が採決され、賛成42、反対1(日本)、棄権1(シャム)の賛成
多数で可決された。可決の直後、松岡洋右日本全権は「このような勧告は受け
入れることが出来ず、もはや日本政府は国際連盟と協力する努力の限界に達し
た」と表明し、その場を退席した。松岡は帰国後国民の盛大な歓迎を受けた。
その後日本は国際連盟を離脱し、1936年には日独防共協定をドイツとの間
に結ぶなど、イギリスやアメリカなどと対決する姿勢を鮮明にしてゆく。
この様な日中の対立を背景に、1937年には盧溝橋事件を契機として日中戦
争が勃発した。その後、内戦状態にあった中国国民党と中国共産党は、日本に
対抗する為の抗日民族統一戦線である国共合作(第二次国共合作)を構築する。
その後日中戦争が激化した結果、日本政府は1940年(皇紀2600年)に東
京で国際博覧会と同時に開催される予定だった夏季オリンピック、東京オリン
ピックの開催権を、1938年7月15日の閣議決定により返上するなど、国
民総動員で臨戦体制を固めてゆく。
1939年9月には、日独伊三国軍事同盟を結んでいた友邦のドイツがポーラ
ンドへ侵攻し、直ちにフランスやイギリスがドイツに宣戦布告し交戦状態に入
り、その後1940年にはドイツ軍がフランス全土を占領した。
これに伴い日本軍はフランス領インドシナへ進駐したものの、これにアメリカ
やイギリス、さらに本国をドイツに占領されたオランダなどが反発し、これら
の国々と日本の関係は日に日に険悪さを増していった。
この様な状況下で、日中戦争の開戦以降、日本軍と戦っていた中国国民党の指
導者である蒋介石総統と、その妻である宋美齢によるロビー活動を受けたアメ
リカは、
1940年頃より、蒋介石と親しく親中派として有名なルーズベルト大統領の
公認の下、
「アメリカ合衆国義勇軍(フライングタイガース)」などの名目で、中華民国軍
に最新のアメリカ製戦闘機やアメリカ軍の戦闘機パイロット(一時的に軍を退
役し個人としての資格で参戦)を派遣し、
中華民国軍の訓練教官、及び軍事アドバイザーとして派遣されたアメリカ陸軍
航空隊の将校クレア・リー・シェンノートの指揮下で、日本軍との戦いを開始
する準備を行っていた。
また、1940年10月には、すでに軍部が完全に主導権を握った日本におい
て、軍部の圧力を受けた近衛文麿らの指導の元で、国民の統制や強大な政治体
制を目的とした大政翼賛会が結成され、全ての政党は解体されこれに吸収され
た。これを以って日露戦争後に日本に根付きかけた政党政治及び議会制民主主
義体制は、ここに完全に崩壊した。
なお、この後1941年に、近衛は第3次近衛内閣の陸軍大臣である東条英機
によって首相の座を追われ、その後継首相には東条が就任することになる。
この様な状況下にあった日本が、日中戦争がすでに膠着状態に陥っていたにも
拘らず、新たにイギリス、アメリカ、オランダ、オーストラリアなどの連合国
との開戦に至ったのは以下のような経緯がある。
A.日本は、アメリカの後援を受ける中華民国との停戦交渉に失敗し、対中国
戦争の泥沼にはまっており、国際的にも孤立化していた。そのために日中戦争
を打開しようと(帝国陸軍が主になって)ドイツ、イタリアと1940年9月に
日独伊三国軍事同盟を結んだが、このことにより、世界を二分することとなっ
た。
B.1940年のドイツ軍のフランス全土の占領と、日独伊三国軍事同盟に伴
う日本のフランス領インドシナ進駐などに対抗して、1941年7月以降にア
メリカとイギリス、オランダが、鉄や石油などの輸出の禁止や日本資産の凍結
を行い(ABCD包囲網)、追い詰められた日本の指導層は、石油などの資源を
求めて東南アジアにあるイギリス、アメリカ、オランダなどの植民地の獲得を
通じて、国家の活路を見出そうとした。
C.その後の1941年の独ソ戦の開戦とその一時的な電撃的な大戦果に幻惑
され、ソビエト連邦の敗北も近いと考えた日本海軍が、対イギリス、アメリカ
戦争の計画を練り上げたこと。
なお、これに先立ちドイツは、日本に対して東方での対ソ戦を行うよう強く働
きかけるものの、日本は1941年4月に、ソビエト連邦との間に日ソ中立条
約を結んでいた上、上記のような理由で南方の資源の確保に比重を置いていた
こともあり、最終的に対ソ参戦計画を破棄していた。
D.これらの事案が重なった上でも、アメリカとの戦争を回避しようと交渉を
重ねていたが、1941年11月27日に、アメリカから満州国の運営からの
撤退を含む日本の中国大陸からの撤退などを条件としたハル・ノートが日本政
府に手渡され、これを事実上の日米交渉の決裂と日本政府がみなした。
└──────────「ここまで」
┌──────────「植田一信レポートより抜粋引用」
大東亜戦争は、日本が西洋列強の植民地主義に対峙した自衛の戦いであったに
は違いないけれども、日本軍の行動には間違いもあった。
第一に、中国大陸におけるシナ人を理解する力が不足していた。シナ人の反日
テロばかりを問題にして、いかに野蛮なシナ人を押さえ込むかという点ばかり
に目が行き、彼らの領土保全と経済発展への願望を軽く扱った。またシナ人の
アメリカを使った情報戦の効果を軽く見た。
第二に、欧州におけるファシストグループと民主勢力との間の争いにおいて、
民主勢力がやぶれると状勢判断を下した。
第三に、アメリカの政治、外交政策の方向について判断を誤った。
アメリカの国内では、排日移民法に象徴されるように、日本を「敵」とみなし
シナを助けようとする人々の心情が主流としてあり、日米交渉を最初から悪意
ある無意味な交渉にしていたことに気が付かなかった。
当時の、国際環境の悪さと国内世論が、外交の選択の幅を狭めていた。
当時の日本では、満州でのシナ人のテロを抑えるべく満州を切り離すことを国
民が望んだのだった。その結果国際連盟の承認を得る事ができず、脱退した。
日本には外交面で数々の失敗があった。
軍部の独走があった時に、日本国内の世論に押されて軍の指導部、外交当局、
政党政治はそれを抑えられなかった。一度軍部が独走しだすと、一般人の要望
は無視される。
東条英機が内閣総理大臣になった時期には、日本はもう世界戦争に至る道をひ
た走るしか、道は無かったと思われる。
└──────────「植田一信レポートより抜粋引用ここまで」
http://blog.goo.ne.jp/hiroharikun
起きてしまった事を、細かく検証し直してみても仕方がないかもしれないが、
とにかく今は、アジアは植民地にされてはいない。日本は過去を参考にして、
世界の状況を正確に読みつつ、情報もコントロールして日本を存続させていく
よう努力するしかない。
間違いは間違いだと、アメリカや中国にも堂々と意見を言える普通の国になる
よう、そろそろ精神面でも敗戦国意識から抜け出すべきではないか。
= この稿おわり =
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