アウンサン・スーチー氏の軟禁が延ばされた、というニュースが流れた。
これで何年になるのだろうか? ミャンマー民主化運動のヒロインでありシン
ボルである彼女の動静は、これからも気になるところである。
イギリスの代弁者じゃないかという批判もあるし、兄妹のなかには彼女の政治
運動に批判的な人もいる。ただ、一時期日本に留学していた彼女だからこその
信念というものもあるのかもしれない。
それはともかく、今回は彼女ではなく、ミャンマーという国のことである。
私は「ビルマ」と言われたほうがピンとくるのだが、この国が親日であるとい
うことはあまり知られていない。反日マスメディアの「テレビ朝日」の情報番
組でさえ「ミャンマーは親日なんです」なんて言っていたぐらいだから間違い
ないであろう。
この話を聞いて、みなさんは変だとは思わないだろうか?
今の歴史教育では、日本は東南アジアへも侵略し、列強に代わって植民地にし
ようとしたとなっている。ビルマも例外ではない。
だから、ある日本の首相は東南アジアへ訪問した際に、謝罪を行ったのではな
かったのか。
私は、侵略して故郷を蹂躙し、植民地にしようとしていた国を好きにはなれな
い。それが普通の国民感情というものではないだろうか? 韓国や中国とまで
いわないが「反日」になるのが普通だと思う。
にもかかわらず、ミャンマーは「親日」なんだそうだ。よっぽど心が広い国民
なのだろうか。
でも、日本の前にいたイギリスには根深い反発があるのはなぜだろう。
普通に考えれば、親日になったのならその理由が必ずあるはずである。それで
なければ植民地にしようと画策していた国を好きになるはずがない。反日にな
る理由がいくらでもあるというのに。
軍事政権以前、ビルマの高官は「日本人より日本を愛する国」と自国を称した
と言われるが、よっぽどのことがなければこんな発言などありえない。
そこで出てくるのが、先のスーチー氏の父、オン・サン[アウンサン]将軍であ
る。彼は確かにミャンマー独立のカリスマであり、国民的ヒーローである。
だからこそ、彼を父にもつスーチー氏に、軍事政権も下手なことができないで
いるのかもしれない。
さて、イギリスの植民地だったミャンマーが歓喜で震えた日。
それは、同じアジアの小国日本が、ロシアを破った日である。
日露戦争の勝利が、この国にも「Change」を起こしたのである。
これを期に、ビルマの高僧「オッタマ僧正」は、イギリスの弾圧を避けて日本
に亡命した。ーーーその高僧の薫陶を受けたひとりが、ビルマ建国の父「アウ
ンサン将軍」なのである。
それだけではなく、イギリスから大弾圧を受けて捕らえられていた、独立派の
青年たちを救い出し、ビルマ独立の為に戦う訓練をしたのが日本だった。
鈴木敬司陸軍大佐をトップに、そしてアウンサンをリーダーに、後に「独立と
建国の英雄」として仰がれる「ビルマ30人志士」からなるビルマ独立義勇軍
は、ビルマ民衆から歓喜と涙で迎えられ、たった3ヶ月でイギリスを駆逐する
こととなる。
日本軍の軍政後の1943年、外相に就任したウー・ヌーは次のように演説し
た。
┌--------
歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民
衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例を、ひとつぐらい見る
べきだ。
そして日本は、人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけら
れているかに見える。
└--------
時すでに斜陽著しい日本を前に、米英に宣戦布告していたビルマも、内部から
如何にすべきか動揺が起こっていた。ーーー日本の敗戦によってまたイギリス
の植民地になることをおそれたアウンサンらは日本に反旗を翻したが、
同じビルマ30人志士の中には、「日本を裏切ることはできない」と袂を分か
つ人もいたし、ミン・オンという青年にいたっては、日本を裏切ることは恩義
に欠けるとして自決を選んだ。
アウンサン自身も「身を裂くより辛い選択」と言っていたぐらいだったから、
ビルマの日本への思いの深さが感じられる。
日本敗戦、ーーーしかしもうそこには、昔のビルマはなかった。
戻ってきたイギリス軍に立ち向い、勝利を得たのはやはり日本が育てた「ビル
マ30人志士」を中心とした義勇軍だったのである。
日本を裏切れない、と一度はアウンサンと袂を分かったりしたバー・モウは、
後に首相となり「ビルマの夜明け」という著書の中でこう語っている。
┌--------
外国人による搾取は上層から下層まで、あらゆる方面で暴虐さを加えていた。
巨大イギリス企業は上等の部分をすべて独占し、インド人と中国人の商人たち
がそれに続いて中級の部分をほとんど手に入れてしまっていた。
そして、それを変えたのは日本だった。
└--------
この著書は、イギリスでも翻訳され出版されたが、「ロンドンタイムス図書週
報」1968年5月23日号では、この本について次のように紹介している。
┌--------
ビルマを長い植民地支配から解放した者は誰か。
それはイギリスでは、1948年、アトリー首相の労働党内閣だということに
なっている。しかし、バー・モウ博士は、この本の中で全く別の歴史と事実を
紹介し、ーーー日本が第二次世界大戦で果たした役割を公平に評価している。
└--------
として、
序文の一部を引用した。それは、
┌--------
真実のビルマの独立宣言は、1948年の1月4日ではなく、1943年8月
1日に行われたのであって、
真のビルマ解放者は、アトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本
帝国政府であった。
└--------
「ミャンマーの歴史はこれだ」と、ロンドンタイムスは言っている。
日本がかつて植民地にしようとした国ミャンマー。この国の軍隊は今でもこと
あるたびに「軍艦マーチ」を演奏し、歩兵の本領とか愛馬進軍歌という日本の
軍歌を演奏している。
ーーー日本の教科書は、やはりどこかおかしいーーー
= この稿おわり =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃
┃ 読後感アンケートの結果。
┗━┛ ◇ おーー!心が元気になるぞ! -------------------------- 57人 (73%)
◇ おれも日本人だ!頑張るぞ! -------------------------- 20人 (26%)
◇ いいとこ取りした話だろう ---------------------------- 1人 ( 1%)
◇ 侵略は侵略だ!反省すべし! -------------------------- 0人 ( 0%)
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃
┃ お寄せいただきましたご意見や感想。
┗━┛ ┌──────────「茶々丸さん」
アウンサン・スーチー氏が欧米寄りだという意見を最近耳にしました。あり得
る事だとは思いますが、この目でミャンマーに行って確かめたくなりました。
ただ、言葉の問題と、何処へどのように行くべきか全く分かりません。言葉は
別にして、これから調べてみます。 OJIN さん、ミャンマー探検ツアーの企画
はありませんか。
どなたかミャンマーに詳しい方はおられませんか〜。って、すぐ楽なほうへ流
れます。(^^;
ここマレーシアにも、ミャンマーからの出稼ぎ労働者が大勢います。勿論レベ
ルの高い者から低い者まで種々雑多です。工場のラインに入ってまともに仕事
のできる者から、何べんもミスを繰り返す者まで。
基本的な教育を受けておれば、まともに仕事ができたであろうにと思います。
日本国内とは別の意味で“教育の貧困”なのだろうと推測します。別にミャン
マーのことを悪く言うつもりではありません。
マレーシアでも、「ノープロブレム(No problem)」とか「アイノウ(I know)」が
有名です。問題があるのに、問題なし。理解できていないのに解かっている。
ーーーしかし、この15年で随分と減ってきたように感じます。
またまた、話が飛びます。ミャンマーの大学を出て、マレーシアでマッサージ
師をしている20代の男性がいました。ミャンマーでは仕事がないといってお
りました。どうも正規の就労ではなさそうでした。ーーーあまり詳しくは語り
ませんでした。
hideおじさんのお話を伺って、どうしてもミャンマーへ行きたくなりました。
今年は無理かも。来年には行きます、多分。
有益なお話を、有難うございました。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
日本からは、不定期ながらもミャンマーへのツアーが出てますが、マレーシア
ではどうかは判りません。
現在の軍事政権下、自然災害の国際援助を断ったりと、中々内情がうかがい知
れませんが、一度行くとまた行きたくなる国だと聞いたことがあります。
読者の中に、ミャンマーについて詳しい方がいらっしゃったら、是非お話を伺
いたいものです。
└──────────
▼
┌──────────「原亨さん」
茶々丸さん、
┌--------
アウンサン・スーチー氏が欧米寄りだという意見を最近耳にしました。あり得
る事だとは思いますが、この目でミャンマーに行って確かめたくなりました。
└--------
ミャンマーには2回行きました。年内、または来年初頭にも行く予定です。
最初に行く時に厳重に注意がありました。「アウンサン・スー・チー氏の話は
絶対にしてはならない。相手に迷惑がかかる」ーーー当然私にも迷惑がかかる
ことはありうるでしょう。
それで、延べ1ヶ月ほどの滞在期間中、一切彼女の話はしませんでした。日本
人同士でも。したがって、
彼女のことを調べにミャンマーへ行こうというのは、大変無謀な企画のように
私には思えます。ーーーむしろ、国外のほうが情報が集めやすいのでは?
└──────────
┌──────────「Hal さん」
hideおじさん、“私は、侵略して故郷を蹂躙し、植民地にしようとしていた国
を好きにはなれない。それが普通の国民感情というものではないだろうか?
韓国や中国とまでいわないが「反日」になるのが普通だと思う”ですよね。
それが、上記2国を除くアジアの国々が、なぜか揃って日本を尊敬し、日本人
に兄のような親しみを持っていてくれているんですよ。
≪ WEB熱線 第1218号 ≫で竹下さんが言われた“突き詰めれば「白人対有色人
種の戦い」”に、ベトナム戦争の終結をまって“戦後、アジア・アフリカ・オ
セアニアの植民地が次々と独立していった訳で、少なくとも日本は「戦争には
負けたが理念では勝った」”んですよね。
このところ、どこかのおじさんのスローガンを繰り返していますが、『地球は
一つ、人類は皆兄弟』のために、日本人と先の大戦は大きな役割を果たしたわ
けです。
“日本は日本人だけの国ではない”のお兄さんも、地球と人類の進化のために
さらに一歩進んで、日本国の枠を取り払い、125代続いた皇統も精算して、
『宇宙は一つ、生類は皆兄弟』に向けて、偉大なる一歩を踏み出したのかもし
れませんよ。
折からの恐慌で貨幣制度が崩れ、お金のいらない社会へ向かって進化するとい
うご託宣もあることですし。ーーー日本が、日本人が、人類の進化に大きな貢
献をする今度の選挙結果が楽しみですね。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
Hal さん、いつもありがとうございます。
極々普通に考えて、他人の家に土足で上がり込んで悪さをしようとした人間を
たとえそれが未遂だったとしても信用できませんし、好意的なことを言えるは
ずがないと思うのです。
でも、私たちの今の教育では「とんでもないことをした」とだけしか教えられ
ていません。彼らの好意的な発言は、全て無視している状況です。果たしてこ
れで、いわれるような反省や謝罪というものができるのかと思うのです。
このミャンマーのことを「例外だ」と簡単に切り捨てる人がおりますが、果た
してそれでいいのでしょうか? 何ゆえ例外が生まれたのかも考えるべきでは
ないでしょうか。それが歴史に真摯に向き合うことなのでは?と思ってます。
日本にも責任があるというのならば、何がどう良くて何がどう悪かったのかを
明確にして、さらに、彼らが今日本に望むことを受け止め協力していくことが
日本が取るべき責任というものなのではないでしょうか。
いつまでも欧米という戦勝国の言いなりになって、謝罪を繰り返すだけでは、
未だに脱亜入欧から抜け出せず、アジア軽視と捉えられても仕方ないかもしれ
ません。
中韓を除くアジア諸国が怒っているとするならば、それは戦争ではなくて、今
の日本の態度にあるのではないかと思っています。
└──────────
┌──────────「大陸流浪人さん」
┌--------
日本の教科書は、やはりどこかおかしい
└--------
確固たる信念の元に贖罪するならまだしも、何の信念もなく贖罪する日本は、
やはりどこかおかしい。
└──────────
┌──────────「ana5さん」
信念で歴史解釈が変化するのも変ですね。歴史は現在の人間社会の来歴と、で
きれば将来を占う学問だと思います。
このような過去の出来事のせいで現在の日本はこうなった、そこに善悪、利害
持ち込むと変だと思います。個人集団で利害や価値観は違いますから、教科書
は歴史の考え方や方法を教える、それだけで良い。
後は、その方法論を個人が利用すればよい、そう思いますね。
追記:「作る会」などの主張は変ですね。教科書は歴史の考え方をより有効に
学生に教えられるかを問題にすべきなのだと思うからです。彼らの価値観を教
える為のものではない。
歴史認識は個人のものです。国家や集団のものではないと思います。歴史教育
は、歴史認識を個人が生み出す為のもので、教科書は教育的視点で史実を選び
学生に提示できれば良い。
例えば「作る会」のような集団が日本で生まれた理由を、歴史的な事実から生
徒が推測できるような教科書が最高でしょうね。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
ana5さん、いつもコメントありがとうございます。
今回は意見が違うかなと思っておりますが、ご主旨は良く判ります。勿論、個
人個人で捉える歴史もあるでしょうが、国家として考えた場合、今のような歴
史教育というか、教科書的な教育も必要だと思います。
ただ、右左というような両極端過ぎるものや、事実を捻じ曲げるようなものは
いけないでしょう。淡々とした事実の積み重ねの上で、個人個人が自分なりの
歴史観を持てるようなのが理想なのかもしれないと私も思っております。
「つくる会」のお話がありましたが、あの会の良し悪しは別として、教科書だ
けを考えた場合、世間で騒ぐほど日本を美化しているようにも思えませんし、
正直どこが悪いのか判らないというのが感想です。
何故そう思うかというと、私が中学・高校の頃=昭和40年代の教科書、山川
出版などと比べると、つくる会の教科書のほうが大人しいと思います。
あらためて古ぼけた高校の教科書を引っ張り出して読みましたが、強制連行も
ないし、従軍慰安婦などもない、南京事件とはあるけれど「大虐殺」という言
葉もありません。
日教組の先生ですら「植民地ではこういう話もありました」と功罪をハッキリ
してくれてました。今のような、ストイックに話す人はいませんでしたね。
強いて今の教科書との違いを言えば、「ソ連万歳」という話のほうが多かった
と思います。コルフォーズ・ソフォーズ最高!、5ヵ年計画大成功!
ーーーそれを熱く語る先生を思い出します。
ana5さんのお話からずれてしまいましたらごめんなさい。ちょっと学生時代を
思い出してしまいました。
└──────────
▼
┌──────────「ana5さん」
確かに私とhideおじさんの考え方の違いだと思います。
私は、学校の歴史教育は歴史教育であるべき、であると思っています。国家政
府の歴史観は、正史と呼ぶことにしています。正史は倫理社会の部門で議論す
べき問題でしょう。歴史と正史は区別しないといけないと思っています。
不幸なことに、韓国や中国には歴史教育はないようです。その証拠に、政権が
変われば歴史の記述が変わります。歴史問題は正史問題と呼ぶべきでしょう。
正史は政治情勢や時代により変化します。歴史の共通認識の上で正史の議論は
成立する、そう思います。
┌--------
ana5さんのお話からずれてしまいましたらごめんなさい。
ちょっと学生時代を思い出してしまいました。
└--------
いえいえ、大変面白いですよ。私の高校時代には、日教組万歳と石原莞爾万歳
の両方に学びました。面白かったですね〜
└──────────
┌──────────「tenyoufoodさん」
hideおじさんはおかしい。ビルマの特殊な例をアジアや日本全体に当てはめて
論じるのは、やはりおかしいとしか言いようがない。ここのビルマの例はあく
までビルマのこの例でしかない。
そうでなければ、他のアジアの国々から反発されるのは、日本ではなくビルマ
なのだ。
このような、赤ん坊向けの修辞<レトリック>で、ギャーギャー騒ぐのは赤ん
坊だけだ。
└──────────
▼
┌──────────「nnanami2さん」
┌--------
tenyoufoodさん曰く、赤ん坊向けの<レトリック>?
└--------
同じ批判するにしても、言い過ぎにも程度というものがある筈だが・・・・
≪赤ん坊向け≫とは、恐れ入りますよ。ましてや、≪赤ん坊向けレトリックで
ギャーギャー騒ぐのは、赤ん坊だけだ≫というにいたっては批評の域を100
%逸脱しておりませんか。
小生は、hideおじさんの記事を読んだのは初めてなので、この方を弁護する必
要は全くない、とお断わりした上でコメントしている者ですがね。
もちろん『赤ん坊』にこのような概念が認識ができるわけはない、というより
も、そもそも赤ん坊が記事を読めるわけがないのだ。この方の言いたい文意は
『赤ん坊的な大人』向けのレトリックで騒ぐな!と言いたかったのでしょう。
筋から言えば、せいぜい、たかだか『子供だましのレトリックで』というべき
ではないかとは思うのだが。
一応敬意を表して、この方の6028件のコメント----ブログは書かれておら
れなかった----にもざっと目を通した上で、小生はこの方にコメントさせてい
ただいています。
小生は、地道に数十年間医者をしてきた人間で、学生時代から、我考える故に
我あり、の言葉で知られるルネ・デカルトの『方法序説』とか、我疑う故に我
あり、の言葉で知られるパスカルを信奉していた、どちらかといえば何事にも
批判的な性格のほうが目立つ、非「付和雷同」的人間です。
こうした、小生のような批判的な人間からみても、今回のhideおじさんのビル
マの記事を見ましても、決して『赤ん坊向けレトリックでギャーギャー騒いで
いる』とは到底思えませんでした。
それどころか逆に、史実と客観性に軸趨を置いて書かれた記事であって、非常
に感銘著しいものがあったと思っております。
もとより批判はご自由です。しかしながらその文体で、相手をいたずらに侮蔑
する表現については 出来得る限り冷静に留意していただきたいものです。
└──────────
▼
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
tenyoufoodさん、異論・対論・反論は結構ですが、表現に配慮して、ライター
さんや他の読者が納得できるような書き方をしていただけるよう希望します。
└──────────
▼
┌──────────「tenyoufoodさん」
ーーーあまりにも「日本は良い子論」だと思ったまでですよ。
日本がビルマへ侵攻したのは、インドから中国南西部へと通じる援蒋ルートを
破壊する為なのであって、決してビルマ独立支援の為ではなかったのを棚に上
げている。
日本が東南アジアへ侵攻したのは、英蘭仏からの民族独立支援が目的だったの
ではない。日本が英蘭仏に置き換わって、後に日本が敗戦で撤退した後が、
一時的に独立でもない植民地でもない混乱した空白地帯になったことが、東南
アジア諸国の独立に結びついたのは事実だけど、「親日ノスタルジー」で歴史
を眼くらましするのは如何なものかと思う次第です。
ビルマが1943年8月1日を独立記念日にする裏返しに当たる、韓国が日本
の韓国併合は江華島事件に遡ると言っているのを思い出しました。
誰しも、「より昔」「より古くから」という気持に変わりはないのだなぁ〜、
と思いました。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
nnanami2さん、私より先に話して頂いてありがとうございました。
ーーーお手を煩わせてしまったようで恐縮しております。
今後とも主旨に沿ったご意見、ご批判を賜れれば幸いです。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
tenyoufoodさん、なかなか厳しいお言葉を頂戴しました。
なにを以って例外とされたのか判りかねますが、たとえビルマが例外であって
も、その例外すら認めようとしない、公にもしないこともおかしいのではない
でしょうか。
ーーー私は、ビルマは例外かというと、そうは思っておりません。
幸いにも仕事の関係で、タイ、ベトナム、インドネシア、マレーシアなど東南
アジア諸国の多くの方々からお話を聞く機会がありました。
シンガポールの華僑の方からは、戦時中のことで厳しい批判を頂いたこともあ
ります。しかし一方で、「日本のおかげで」というお話も大変多く聞かせて頂
いております。中には「何故日本は謝罪するのか?その意味が判らない」とい
う方もいらっしゃいました。
そんな方々から直接お話を聞くことによって、日本が単純に東南アジア諸国を
蹂躙し、英米に代わって植民地にしようということだけでは理解できない歴史
もあったと感じています。
私は、戦前日本が全てにおいて無謬だとは思っておりません。大いに批判され
ることもあったでしょう。しかし、感謝されることもあったならそれを認め、
現代でも活かす方法を考えるべきなのではないでしょうか。
功罪両方を教えてこそ、歴史教育というものだと思います。
最後に、私たちは子供の喧嘩をしている訳ではありません。
ここでは私個人の意見を述べさせてもらっていますが、それを強要している訳
ではありません。私の考えに共感できないこともあると思いますけれど、それ
はtenyoufoodさんの感想ですから、とやかく言うものではありません。
しかし、少なくとも私たちは大人なのですから、議論であれ感想であれ、最低
限のマナーを守っての話ではありませんか。
└──────────
┌──────────「日本ユ偽フ協会さん」
「日本人より日本を愛する国」ーーー日本が侵略して多大な迷惑をかけた国。
「平和教育」を受けた戦後生まれの自分達の常識で考えておかしいですよね。
嘘か誠か、オバマ大統領も子供の頃は、今もって教育勅語を暗誦する国で生ま
れ育ち「修身」の教えを学んだとか。
今年も毎度の終戦記念のTVで、カンボジアロケをして現地のお年寄りの話を
聞いてました。「また『戦争は悲惨だ』『日本は侵略した』『悪かった』『二
度とこんなことしないように』のマンネリかよ」と思いきや、
『フランスの悪口?!日本は随分マシだった、日本兵にタマゴを持っていくと
生のまま飲んでいたので驚いた。最悪なのはポルポトで勝手に人を殺していっ
た』
いままでの放送とちょっと違いました。
中共なら、ヤラセでも外国人にそう言わせて、プロパガンダに使いまくるので
しょうが、「自虐史観」と揶揄された放送を流し続けるTV局が、そんなこと
天地が逆さになってもやるはずありません。だって中共の不利益ですから(笑)
戦後60年で大政左翼賛会を支えてきた連中も、寄る年波には勝てずに事実を
隠し切れずにボロボロこぼれ落ちてるのでしょうか。
それにしても「日本は日本人のものじゃない」時代遅れで鬱陶しいですね。
ポスターの宇宙人顔とか。パッと見で「死体メイク?」って思いました。
およそ福を呼び込むポスターとしては貼れません、死霊を呼び込みそうですか
ら。〜〜〜総理のポスターは魔よけに使えそう。(笑)
ところで「ビルマ」と「ミャンマー」は、どちらを国民は気に入っているので
しょう?
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
私のような50代の人間では、学校で「日本は東南アジアを含めアジアを侵略
した」という、今のような教育を受けた記憶がありません。勿論、戦後教育で
すから、ネガティブな記述であっただろうことは容易に理解できますが、どち
らにしても日本批判一辺倒の教科書ではなかったように思います。
社会人となって多くのアジアの人たちと触れ、彼らの話を聞くと、日本への批
判はほとんどありません。なかにはリップサービス的なものもあったかもしれ
ません。しかし、侵略して植民地にしようとした国が日本を好意的に見てくれ
るなど、普通は考えられないと思うのです。
「それでも」というのなら、彼らは非常に心の広い国民であるとも言えますし
悪く言えば、強いものに巻かれろ的な卑屈な国民と言えるかもしれません。
その後が悪過ぎたので、日本の悪事が相対的に薄れたとも言う人がいるかもし
れません。しかし、そうではないことは、多くの会議での発言などでうかがう
ことができます。
彼らは、日本以上に、先の戦争の意義やその是非を冷静に判断しているのでは
ないでしょうか。彼らとて、日本の行動全てに免罪符を与えている訳ではない
でしょう。だからこそ、ことあるたびに日本のリーダーシップを唱えているの
だと思います。
アジアに対して反省があるのなら、彼らの望むアジアの構築に力を貸すことが
日本がすべき責任の取り方ではないでしょうか。「日本は悪かった」だけでは
こうは考えられないと思うのです。
新しい首相も「友愛」を信条としているのなら、彼らの言葉にも耳を傾けるべ
きでしょう。
┌--------
「ビルマ」と「ミャンマー」は、どちらを国民は気に入っているのでしょう?
└--------
基本的にはどちらも同じ意味だったと思います。日本は今の軍事政権を認めて
いるので、彼らが言っているところの「ミャンマー」を使いますが、イギリス
などは、自分たちが使っていた「ビルマ」と今でもいってます。
EUの多くは併記している場合が多いというのを聞いたことがあります。産経
新聞の記事によると、若い世代は「ミャンマー」という言い方をしているとあ
りました。
└──────────
┌──────────「もとはしさん」40代@男性@会社員@甲信越
ありがとうございます。私の思い、、大東亜戦争、、この戦いはアジアの自尊
を守った戦いでありました。
その証拠はアジア各国の声をきけば分かります。
┌--------「ククリックド・プラモード(タイ国元首相)」
日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産し
て母体を損ったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア
の諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは、身を殺して仁をなした、日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭し
て重大決意をされた日である。ーーー我々はこの日を忘れてはならない。
└--------「十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において」
┌--------「バ・モウ(ビルマ元首相の独立宣言より)」
約五十年前、ビルマは、三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり。
英国側は、アジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさ
らに、その伝統的陰謀、賄賂、及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器を
使用せり。
ビルマ人は徐々に搾取され、時の進むに従い、総ての国民的実質、莫大なる物
質的資源、機会、文化、言語、さらに、遂にはその生活様式までも失い、
愛国者は挺身的精神を以って、鎮圧、入獄、流謫、拷問、及びしばしば死その
ものを甘受して突進して来れり。これらの英雄は、ビルマの生存のため苦難を
受け、遂には斃れたり。
ビルマ人は、アジアを結合せしめ、アジアを救う指導者を待望しつつありしが
遂にこれを大日本帝国に発見せり。
ビルマ人は、このビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を、永久に
記録せんことを希望するものなり。
└--------「一問に百答 日下公人 PHP研究所」
┌--------「グラバイ・デサイ(インド弁護士会会長・法学博士)」
このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦
の勝負の如きは、必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に、優秀な貴国国民
においておやである。
私は、日本が、十年以内に、アジアの大国として再び復興繁栄する事を確信す
る。
インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの
独立は日本のお陰で三十年早まった。
これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ、東南アジア諸
民族すべて共通である。インド四億の国民は、深くこれを銘記している。
インド国民は、日本国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東
亜諸民族も同様である。
----1946年、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関
長に対する挨拶
└--------
など、アジア諸国は、日本を母とよび、日本に感謝しています。
ーーー戦没英霊230万の死は、決して無駄ではなかったのです。
これらアジアの声を聞くとき、私は涙が出ます。やはり私は日本人なのです。
悲しいのは、戦いに勝利した米英国が、日本人に誤った戦争観を植え付け、そ
れがいまだに日本人に浸透していることです。
この誤れる歴史観が正されたときにこそ、日本の戦後は終わったといえると思
います。そのときこそ、本当の意味で230万戦没英霊が報われ、真に英霊と
なれると思うのです。
是が非でも誤った自虐歴史観を正さなければなりません。そして、日本民族の
誇りを取り戻さなければなりません。
この自虐歴史観訂正運動を大きくし、育て、国会議員を動かし、真の意味での
戦後処理を済ませなければなりません。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
もとはしさん、コメントありがとうございます。
1955年のバンドン会議で、アジア・アフリカ諸国が集まりました。多くの
旧植民地国が参加した、歴史的、且つ画期的な国際会議ですが、このときにも
東南アジア諸国から、多くの「日本よ戦ってくれてありがとう」という声が出
ておりました。
アフリカ参加国からは「日露戦争」を評価する声も挙がっていたと言われてい
ます。
この会議には、中華人民共和国の代表として周恩来首相も参加しておりました
が、これら日本へのコメントについて、何等反対表明も何もしておりません。
無視して聞き流したともいえるのでしょうが、現在のように政治問題化される
ようなものではなかったといえるのではないでしょうか。
それが時代と共に変化してきたというのなら、そこには何か他の思惑が含まれ
ていると考えてよいのではないかと思えます。
先の戦争をみた場合、日本も批判されることは当然あったと思います。
それは無視できませんが、だからといって何でもかんでも謝ればそれで良いと
いうものではないでしょう。まして、あることないことまで一緒くたに謝罪し
てしまっては、その謝罪の気持すら薄らいでしまうのではと思います。
「相互理解」をいうのであれば「そう言うけれども、実はこういう考えがあっ
たのだ」「その件は遺憾だが、本来はこうしたかったのだ」というような日本
の考え方をちゃんと説明し、双方議論しなければ本当の意味での理解にはなら
ないように思います。
本当の平和を語るのであれば、「日本は悪かった」で済ませてはならないと思
います。
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