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心が元気になる話 ――――――――― by hideおじさん
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☆ 本当に独立したいのなら学ぶのだ ――――――――― 2009/06/08
ここに一冊の本がある、表題は「知られざる懸け橋」ーーー朝鮮の教育にその
生涯を掛けた一人の日本人の話である。
枡富安左衛門、明治13年(1880年)醤油屋の息子として生まれ、大した学
歴もないごく普通の日本人だった。
明治39年(1906年)、26歳の時、日露戦争従軍を期に人生観が変り、朝
鮮における農業開発に関わることになる。
この当時の朝鮮は、末期症状の李朝王朝のもと、農民も農業も荒廃の極みにあ
り、しばしば飢饉にも襲われていた。
東学党の乱も、こんな時代背景の中に起こったものだったのだが、枡富はこの
発祥の地ともいうべき全羅北道に飛び込んでいったのである。
東学党の残党が朝鮮人地主を襲うという事件が頻繁に起こっている中、枡富は
日本の農業技術を活かせる土地を探して回った。農民からは「無謀」と言われ
もしたが、この全羅北道に約4万坪もの土地を購入して、農業経営の第一歩を
踏み出したのである。
頑なに近代化を拒んできた当時の朝鮮は、農業とて同様、前近代的であり、運
を天に任せた零細なものであった。
枡富は、当時進められていた水利組合の結成にも尽力し、農業用水の確保、ま
たこの水流を利用しての小規模発電にも成功している。ーーーこの土地の住民
に電灯というものをもたらしたことは画期的なことであった。
さらに、近隣の日本人農場主や朝鮮人農民と協同で、付近の山々の植林にも力
を入れている。これによって、水利の確保は勿論、自然災害の軽減にも成果が
あった。
枡富が特に力を入れたのは、悲惨な生活を送っていた小作人たちの救済であっ
た。日本の農業技術を紹介し、畑作の改良、肥料の調整、二毛作、間作など、
やせ細っていた土地の改良し、単一あたりの収穫量が飛躍的に向上することに
なる。
これによって小作人たちにも余裕が生まれ、なにより、生き甲斐が生まれたこ
とは枡富を喜ばせた。
ここまでは、いわばよくある話なのかもしれない。
しかし、枡富の話はここからである。
クリスチャンであった妻の影響で、キリスト教に帰依した彼は、事業を友人に
任せ、大正元年(1912年)神戸の神学校に入学する。
彼のみでなく、優秀な3人の朝鮮人に奨学金を出し、自分と同じ学校に入れた
り、多くの朝鮮人を日本やソウルの大学や神学校に入れたりしている。
枡富が神学校に入学した当時、朝鮮では約370万人もの就学年齢に達する児
童がいたが、寺子屋みたいなものを含めても、全体の5%ほどしか教育を受け
ていなかった。
この現状に、信仰と学問の大切さを教えるべく自らは神学校に入学し、さらに
農場の近くに子供向けの「私立興徳学堂」を設立したのだった。
他の朝鮮でも同じように、最初は地元には受け入れられなかった。学問の大切
さなどなかなか理解し難いものだったこともあるが、経済的な理由が大きかっ
たのであろう。
そこで彼は、入学児童全員に教科書、筆記具など全て無料で提供し、さらに、
授業料までも無料にした。最初非常に少なかった児童も、枡富の教育への情熱
なによりその充実した教育内容を知るに及んで、多くの児童が学堂に通うこと
になった。
そのうち、朝鮮人奨学生だった3人も教員として加わり、寝食を惜しんで教育
内容の充実に知恵を絞ったのである。
彼らの努力により、大正8年(1916年)学校法人としての認可を受け「私立
吾山普通学校」としてスタートすることになる。これは、他の地域より早く普
通学校が設けられたことを意味し、地域住民の誇りとなり、他からは非常に羨
ましがられたという。
第一次大戦後に起こる不況により、学校閉鎖の危機があったが、地元住民の働
きにより「高敞高等普通学校」として新たにスタートすることができたことも
枡富がいかに地域に貢献していたかを表すものではないだろうか。
ちなみに、この学校の開校に際し、時の朝鮮総督「斉藤実」も列席している。
枡富の口癖は「本当に独立を望むなら学ぶのだ」であり、朝鮮の人々の独立へ
の思いに共感し、自分の力で発展できるような教育に心を砕いた。驚くべきこ
とに、抗日運動や独立運動で退学させられた生徒を積極的に受け入れ、勉学の
場を提供したのであった。
しかし、戦後の韓国における反日教育の中で枡富は忘れ去られ、さらにはこの
学校の校長となった鄭成沢氏のように、その学校の歴史を生徒に伝えたが故に
親日教育者として学校を去らなければならない、という不幸もあった。
ところが、平成6年、鄭成沢氏をはじめ枡富の学校の出身者が中心となって、
枡富の叙勲運動を始めたのである。その申請書にはこのように記されている。
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枡富氏は日本人であっても、我が富安を愛し、この地に開花の種をまき、我が
高敞を切り開いた恩人である。このような人物を、日本人だからといってこの
まま埋めておくには大変惜しい。
よしんば、昔彼が建てた教会や教室が今視界から消え失せていたとしても、我
らが日々の生業に追われるあまり過ぎし日を忘れ、思い出すこともないという
ことでは、
その過去に生き、今日の我らのために貢献し、犠牲となった人物に対し、望ま
しくない。
枡富氏は、韓国を心の底から愛し、我々同胞を愛した先覚者である。
└--------
そして彼らの運動により枡富安左衛門には「国民勲章牡丹章」が授与された。
今でも反日の韓国ではあるが、「良いものは良い」と認める人たちがいる。
確かにこれは非常にまれなケースであるが、私たち日本人は、日本の為に尽く
した外国人を素直に認める度量が備わっているかというと、正直自信がない。
枡富安左衛門叙勲のニュースは、日本では全く報じられなかったが、同じ時期
「良いこともした」と発言した閣僚の批判ニュースは踊っていた。
何より、自分たち日本人の功績すら認めようとしない者たちがいる現状では、
本当の友好は遠い夢なのかもしれない。
= この稿おわり =
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