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心が元気になる話 ――――――――― by hideおじさん

☆ 大甲の聖人 ――――――――――――――――――― 2009/05/18
台湾の台中市の北西にある「大甲」という街のはずれに、一人の日本人の墓が
ある。戦後長らく草の中に埋もれ、その存在さえ忘れられていたが、近年整備
され、今では訪れる人が後を絶たないという。

台湾領有から1年後の1896年(明治29年)に熊本から渡り、その後26年
間に渡って台湾の初等教育に人生を掛けた男の墓である。

教員見習い(昔でいうところの「代用教員」)の志賀哲太郎がその人である。

大甲の公学校(台湾人子弟の為の小学校)に赴任するも、当時の台湾では、父兄
らも教育の大切さや学校の貴さを全く理解してもらえなかった。

志賀は、自分で生徒を勧誘して回り、親兄弟にこれからの時代には「教育」が
欠かせないことを心を尽くして説いて回った。登校を怠る生徒がいれば、わざ
わざその家まで訪ねて出席するよう諭した。

その結果、大甲の公学校生徒の成績は抜群で、この学校出身者から多くの優秀
な人材が輩出した。時の台湾総督府、さらに内地の文部省も彼の業績に目を見
張ったという。

志賀の教育の特徴は、知育・体育は二の次にし、「徳育」を重んじたことであ
る。単なる「知識」ではなく、人生において何が大切かを、台湾の子供たちに
繰り返し教えたという。

それは「三つの宝」と呼ばれ、1つ「慈悲」2つ「倹約」3つ「出しゃばらな
いこと」であった。

そして何より、志賀自身が常に台湾人の目線で生徒と接していたことが大きく
影響していたのである。台湾人、日本人ということは関係なく「自主独立の精
神」を傷つけず常に子供たちの味方であった志賀の姿勢が台湾人の多くに受け
入れられたのである。

それが時には、「台湾人と仲が良すぎる」と密告され「民族運動を扇動してい
る」と罷免されることもあったという。

しかし志賀は、台湾人の立場になってこそ初めて皇民化の実を挙げる日本教師
の義務であると信じて、その姿勢を変える事はなかった。

彼の教育に対する姿勢は、次第に多くの人に知られることとなり、台湾総督府
からも度々昇官の打診があったが、常に申し出を断り続け、一介の教師のまま
60歳の生涯を閉じた。

彼の葬儀には、卒業生や、台中の多くの人たちが駆けつけて通りを埋めたとい
う。

ーーー志賀は「大甲の聖人」と称され、今でも語り継がれている。

                        = この稿おわり =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ 読後感アンケートの結果。 ┗━┛
◇ いい話だ! ------------------------------------------ 53人 (83%) ◇ 俺も日本人だ!頑張るぞ! ---------------------------- 10人 (16%) ◇ そんなにたいしたことか? ---------------------------- 1人 ( 2%)
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ お寄せいただきましたご意見や感想。 ┗━┛
┌──────────「柴田隆さん」 一時期よく台湾へ出張していました。当時私は50代の後半でしたが、私より 年輩の台湾の人たちは、私などより遥かに日本人的なのに驚きました。 日本のように、戦後の教育にマッカーサーや日教組の影響を受けなかった為だ と思います。戦前の日本人の良いところが、純粋培養的に残ったような気がし ました。 ダムを造り灌漑用水網を整備した日本人土木技師----名前を忘れました----の 方や、本日の志賀さんのような方の大変な努力の積み上げが、そんな形で残っ ているのだと思い、自分の不徳を反省させられます。 良いお話、有難うございました。
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
柴田隆さま、私もいく度か台湾に行きましたが、その度に、どこか懐かしさを 覚え、心地よさを感じたものです。これは「元植民地だった」ということでは 理解できないものかもしれません。 ご年輩の台湾の方々が、今でも日本の良さを語ってくれることは心から感謝す べきことでしょう。その方々の為にも、これからも感謝される日本であって欲 しいものですね。 コメントにありました土木技師は「八田與一」さんですね。 さらに、台湾に地下ダムを造った「鳥居信一技師」も尊敬できる方です。 └────────── ┌──────────「尊野ジョーイさん」 思わずホロリとさせられる、いい話ですねぇ〜(;U;) 決して任官しなかったエピソードは、大学教授を目指してギラギラしている私 への戒めとしたいと思います。(。。;
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
尊野ジョーイさん、いつも本当にありがとうございます。 いやいや、尊野ジョーイさんこそ本来の姿だと思いますよ。身の回りで「出世 など気にしない」とか「地位のためじゃない」なんて言うヤツがいたら、逆に 信用できないと思われるかもしれません。 私のように窓際族になったら諦めもありますが、到底志賀先生の足元にも及び ません。 └────────── ┌──────────「あらまさん」 昔の日本には沢山いたのではないでしょうか。これを日本精神と言います。 神様から頂いた考えです。これから復活する考え方です。 ーーーその前に日本の人口が・・・・残念です。
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
あらまさん、あらためて「日本精神」とは何でしょうかね? 日本人でありながら、外国の方に教えてもらうなんて、情けなくなってしまい ます。ただ、「言うは易く行うは難し」で、今も昔もなかなかできることじゃ ないでしょうね。 ーーー恥ずかしくない日本人でありたいものです。 └────────── ┌──────────「凌雲寺さん」 Hideおじさんにお訊ねします。この話を何から得ましたか?それを知りたい。 私は台北生まれ75歳です。私の記憶では、この人は郡視学と総督府から無視 されて憤死した。ーーーたしか切腹したと聞いた。 だから台湾人にとって「聖人」なのです。在台日本人からは「不心得者」「厄 介者」とされた。当時の公学校(台湾人だけ小学校=のちの二号表)の日本人教 師というものは、一号表教師と権力=視学と総督府)に対して劣等感のカタマ リだった。 志賀氏のような骨のある人は例外中の例外だった。だから憤死した。 そこのところを誤解して、「在台日本人にとっての聖人」と扱うと、NHKの 「絆」顔負けの「捏造美談」になる。 要望したいのですが、 1.顕彰ツアーなどを組織しないでほしい。国民党の特務網は健在だ。「カミ カクシ」とかの犠牲者が出る。 2.この人は「飛虎将軍」のように道教の神様になっている。いまも台湾人の 心のなかに生きている。それで充分だ。いまさら事情を知らない当今の日本人 の「英雄」に仕立ててはならない。それは歴史の偽造だ。 また、日本人が日の丸など掲げてゾロゾロと押しかけたら不測の事態が起きる かもしれない。「志賀先生を追い詰めたのはドコのドイツだ!」と。 五十年にわたる日本の台湾統治はいいことばかりではない。 「蘇芳スパイ事件」などは、いまからでも燃えあがる危険性がある。 台湾人漁師をスパイに仕立てて二階級特進した二人の兵隊は、三十年後に消さ れた。部隊長は私の叔父だった。死ぬ直前に、私に「蘇芳には絶対に行くな」 と言い残した。 「日本は台湾人のために台湾を領有したのではない」とも言った。
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
凌雲寺先生、コメントを頂戴し、ありがとうございました。 私の父は昭和5年基隆で生まれました。所謂「湾生」と呼ばれる日本人です。 子供の頃から、父によく台湾の話を聞かされました。その中で「志賀先生」の 話もありました。昨年、偶然に台湾の方や台湾生まれ・育ちの方々が執筆した 「一期一会」という小冊子に出会い、あらためて志賀先生のことを知った次第 です。 志賀先生は当初、台湾人と「仲が良い」ということでスパイ呼ばわりされたり 民族運動の扇動者として迫害を受けたこともあったそうです。 しかし彼の指導の下、優秀な台湾人卒業生が多く排出したことで、総督府も無 視する訳にもいかず、彼を任官し、総督府の影響下に置こうとしたのかもしれ ません。 だから、志賀先生は頑なに任官を断ったのかもしれません。ーーー私の想像で すが...。 先生がお亡くなりになったのは、大正13年(1924年)12月29日ですが 切腹ではなく、長年の心労からくる過労によって倒れたと先の「一期一会」に 記されております。 詳しくは、桑野豊助著「志賀哲太郎伝 台湾大甲(公学校)の聖人」をご参照頂 ければと思います。----既に絶版かもしれませんが、私は国立国会図書館で読 みました。 参考までに、そこにはこう書かれておりました。 ┌-------- 官吏は凡[すべ]て、自己保身、官服に身を固めて空威張りするばかりで、台湾 人の中に融け込もうとの意欲は一かけらも有しない。先生の行動は常に台湾人 の味方であり温かった。 台湾人に対しても日本人と同一として、自主独立の精神を傷つけず、良心の命 ずるまま少しも恐れることなく教えていた。ひたすら台湾人子弟の味方として 終始した。 台湾人の味方となることは、上司や他の教師から排斥されるか、下手をすれば 警察から引張られる危険があった。しかし先生は、身を賭して台湾人の味方と なられたもので、このことが皇化の実を挙ぐる日本教師の義務だと信じられた ようである。 教え子の多くと、公学校教師中にも民族運動の熱心な挺身者が出るにおよんで ついに自決の挙にでられたもののようである。 └-------- ここには、総督府と台湾人の板ばさみになり「大正13年入水自殺した」と記 されております。諸説あるようですが自決が切腹となったのかもしれません。 私の父も教師でありました。だから志賀先生の話をしてくれたのかもしれませ んし、僻地教育に身をささげた父と志賀先生の志が、どこかダブったのかもし れません。 名誉や地位や金儲けではなく、自分が信じた道を進んだ志賀先生に共鳴します し、私の父もそうであったと思います。 私が、この「心が元気になる話」を書こうとした一番の理由は、今の日本人は 志賀先生のような日本人を全く知らないということです。凌雲寺先生の仰るよ うに、志賀先生のような方は稀だったのかもしれません。 だからこそ、今でも聖人とされる日本人を知るべきだと思うのです。何故「聖 人」と呼ばれるのか、ーーーこんなところに私たち今の日本人が忘れている何 かがあるのではないかと思います。 さらに、台湾の方々が「聖人」としている日本人を、今の日本人が全く知らな いでよいのでしょうか。ーーーそれこそ、台湾の方々の気持を理解しない行い ではないかと思います。 誤解して頂きたくないのは、台湾の方々が大切にしている「聖人」を、日本人 だけの「英雄」に祭り上げようなどという気持は寸分もありません。 国が違っても、言葉が違っても、主義主張が違っても、尊敬できる方は等しく 尊敬する、ーーー私はそうありたいと思っています。志賀先生も同様、誰の聖 人でもない、みんなの聖人であるべきです。そして、みんなが等しく尊敬すべ き人なのではないでしょうか。 私たちは「平和」を唱え、アジアの協調を掲げますが、責任ある日本の行動と はどんなものなのでしょうか。ODAなど金を出せば済む問題ではないはずで す。 だからこそ、戦前、地域に根ざして地道な努力をしていた日本人を紹介して、 今の私たちが考えなければならないことを問いかけたい、と私は思っておりま す。 歴史に埋もれた栄光なき日本人の中にこそ、今の日本が取るべき行動があるも のと私は信じております。 最後になりますが、「日本は台湾人の為に台湾を領有したのではない」とのこ と、全くその通りだと思います。どの国も、協調だとか協力だとか言いますが 利益のない国家の行動などありえません。日本も同様、慈善事業で台湾を領有 したのではないのは明らかです。 ーーー日本国としてはその通りでしょう。 しかし、志賀先生のように、台湾に骨を埋めようとした日本人がいたことは忘 れていいものではないと思います。 └──────────
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┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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