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心が元気になる話 ――――――――― by hideおじさん

☆ ベトナムの歴史に残る日本人たち(1) ――――――― 2009/02/09
ベトナムも、日本の仏印進駐によって蹂躙され侵略されたとされている。しか
し、ーーー現在ベトナムに駐在している日本人は、単純に反日とか嫌日という
ような感情や雰囲気を感じたことはない言う。

さらに、共産党一党独裁体制であるにも関わらず、中国や韓国のような、反日
運動が起こったり「歴史認識」が取りざたされることもない。

これは南国特有の大らかさからくるものかもしれないが、この国に深く関わっ
てきた日本人たちの存在がそうさせているといったら、言い過ぎだろうか。

ーーーフランスのベトナム支配は過酷を極めていた。

ベトナム人は、自らを「ベトナム」と呼ぶことを禁止され「安南人」としか呼
ばれなかった。「ベトナム」という言葉は、イコール「独立運動」と同義語と
され、口にすることすら許されなかったのである。

さらに、無許可で二人以上集まると反仏容疑で逮捕されもした。通りを裸足で
歩くと警察がやってきて処罰される、ということも珍しくなかった。

「フランス人が近寄ってきたら、震えて話もできなかった」そう当時のベトナ
ム人は語る――――。

無法な法がまかり通り、人を人と見ない人種偏見に満ちていたのが植民地ベト
ナムの現実だった――――。

そんな時代に、ベトナム人の独立勢力と密かに通じていた日本人たちがいる。

印度支那産業の重役「山根道一」と軍属・特務機関員・商社員という多彩な経
歴を持つ「西川捨三郎」らだった。

彼らは、仏印進駐の斥候としての役割を担っていたのだが、チャン・チュン・
ラップという将軍の率いる「復国同盟軍」をサポートし、日本軍の仏印進駐が
スムーズに進むよう働きかけていたのだった。

チャン・チュン・ラップは、山根や西川の協力の下、ベトナム人を近代的兵士
として育て上げ、ーーーさらに戦後は、彼らの中から抗仏戦争のリーダーとし
て活躍する者や、ベトナム戦争のときには、数々の殊勲をあげる人材が生まれ
ていったのである。

ラップ将軍は日本の進駐に合わせ反仏武装決起を計画し、3千人の兵力を持っ
て立ち上がった。

それまで、口を聞くことすら憚られたフランス人、ひたすら恐怖を覚えていた
フランス人、が、同じ肌の色をした日本軍に戸惑い逃げ惑っていた。

チャン・チュン・ラップらは、その白人の姿に感動と興奮を覚え「自分たちに
もできる!」と心を大きく揺さぶられていったのである。

日本では「仏印の平和進駐」とされてきたが、実情は、日本への猜疑心からフ
ランス軍から攻撃を受け、事実上「武力進駐」になったといってよいだろう。
し かし、この行動がフランスからの独立を目指す勢力に大いに勇気を与えたの
である。

ただ残念ながら、

当時の仏ビシー政権はあくまで友邦であり、援蒋ルート遮断の要地、さらには
仏印資源の確保という意味からも、ビシー政権とは友好関係であらねばならず

ーーー結局、独立を目指す勢力を見殺しにするしかなかったという。

それでも、チャン・チュン・ラップらは「残念ですが、自分たちにもできると
いう自信が湧いただけでも十分です」と語ったという――――。

日本軍主力が上海へ去って行くのと同時に、仏印軍は大々的に「復国同盟軍」
に弾圧を加え、ラップ将軍も捕らえられ銃殺された――――。

彼は最後の言葉として「もし私に昔の同志たち=山根や西川)がいたら、決し
て捕えられることはなかっただろう!」と言い残したという。ーーーその言葉
を耳にした日本兵の多くは、無念さに心を痛めたのである。

表向きは助けることなどできなかった日本軍だが、逃げてきた「復国同盟軍」
の兵士を匿ったり、見て見ぬ振りをして逃したりしていた。

一時期同志として戦った仲間である「復国同盟軍」に対し、その悲劇的な運命
に大いに同情を寄せ、フランスの横暴に強く憤りを感じたのである。

後に、日本兵の多くはベトナム独立運動家への協力を惜しまず、敗戦後現地に
残り独立闘争支援に挺身していったのである――――。

一説によると、インドネシア独立戦争より多くの日本兵がベトナムに残留し、
彼らと共に独立闘争に関わったとされる。

ベトナム独立の歴史の中に日本人がいたことを、

ーーーベトナム人は忘れてはいない――――。

                        = この稿おわり =
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┌──────────「河内越南さん」 5年半ベトナムに駐在した経験から、日本、日本人への印象は良かった。先輩 の方々の「おこない」の結果と思う。 日本が負け、仏による再植民地化からの独立戦争でも、現地に残った日本兵の 方々が、ベトナム民兵を一から訓練した功績は高く評価されていた。 残念ながら、その後社会主義の道を選んだベトナムでは、残留日本兵の方々も またベトナム人との間に生を受けた人たちも「新ベトナム人」として区別され 相当苦労されたと聞いた。 南ベトナムの人民解放軍(ベトコンゲリラ)の戦術は、旧日本軍の戦術そのもの らしい。ベトコンで活躍した叔父さんがいる会社の従業員に「君の叔父さんは 共産主義者かい」と聞いたら「共産主義者ではない、ホーチミンの軍隊に協力 しただけだ」と言い切った。 グローバリゼーションの時代は国境を越えた経済活動となり得ないが「地球」 に足を付けた活動とは何かを考えるに参考とすべきは、我々の先輩の方々の生 の活動をもっと知るべきと思う。それを「歴史に学ぶ」ことと思っている。
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
貴重なコメントありがとうございました。 経過はどうあれ、結果的にベトナムの独立に多くの日本人が関わっていたこと それが今でもベトナム人の記憶に残っていることは私たちも覚えておきたいこ とだと思っております。 現在、ベトナムと日本の交流は経済的にも非常に重要になってきております。 だからこそ、戦前から続く日本とベトナムの交流を知っておくべきではないで しょうか。 そこから、若い世代が作り上げる未来が生まれてくると信じております。 └──────────
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