┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━┓ |
┃ ┃ ┃ |
![]()
心が元気になる話 ――――――――― by hideおじさん
![]()
|
☆ ほてい葵に篭められたもの ―――――――――――― 2008/10/13
ベトナム独立運動というのは、正直知る機会がないといっても過言ではないの
ではないだろうか。ーーー歴史の教科書に載っていた記憶もほとんどない。
「ほてい葵」に込めたベトナム人の気持を考えると、少々申し訳なく思ってし
まう。
そもそも、ベトナム人が独立を意識するようになったのは「日露戦争」がきっ
かけだった。進歩的文化人やサヨクの方々は、「日露戦争」が日本の侵略国家
への一歩だったと断じるが、申し訳ないけれど「そんな見方で大丈夫か?」と
真剣に心配してしまう。
ーーー「日露戦争」勝利のインパクトはアジアだけではない。
中近東のイスラム諸国も「日本と手を組め!」と盛り上がったし、エジプトの
新聞では「白人支配から脱却する戦いに日本の協力を仰ごう!」と真面目に論
じていた。
オスマン・トルコが、10回以上も戦ってただの一度も勝てなかったロシアに
日本が勝利したのだから、その衝撃はただならないものだった。
あまり知られていないが、意外なところでは、最近の研究でアメリカの黒人開
放運動も、「日露戦争」の影響で活発化したことが明らかになっている。
「黒人は白人のくびきを断ち切る戦いに、日本をリーダー据え、アジア諸国と
共闘すべき!」という「ブラック・パシフィック」構想というのがあったそう
だ。
かの過激活動家「マルコムX」は、「軍隊に入って戦いたい。但し、入りたい
軍隊は日本陸軍だけだ」という発言など、日本のインパクトはアメリカ社会で
も大きなものだったことを表している。
〜〜〜閑話休題
ベトナム人に日本留学を進めたのが、孫文を凌ぐといわれる思想家「梁啓超」
である。
彼は「康有為」と同様、科挙の試験にも合格するような秀才であり、日清戦争
の下関条約に大反対した人物としても有名である。
しかし、的確に日本の実力を理解していたと言えよう。
民主主義など、日本で作られた「漢字語」を中国に紹介した人物としても有名
だが、ベトナム王子「クオンデ」を日本に留学させたのが梁啓超である。
ハイ・ボイ・チャウなど、短期間で300人以上のベトナム人が日本に渡って
きたが、福沢諭吉、大隈重信、宮崎滔天、徳富蘇峰など数々の著名人との仲を
取り持ったりもしている。
ーーーしかしその「日露戦争」の影響で、ベトナム独立運動家たちは日本を追
われることにもなったというのは皮肉である――――。
日露戦争後の講和を取り持ったのが、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト
だが、彼は日本の為に講和の仲介を買って出たのではない。まるで「助け舟」
を出したかのように言われるが、事実は全く違う。
これ以上日本が領土的にも経済的にも増大することを惧れ、さらにアジア進出
への障害にならないよう、「現状維持」に抑えるため講和を取り持ったのであ
る。
ルーズベルトの日本嫌いは有名で、「日本人の脳は白人より2000年遅れて
いる」などと言ったという記録もある。「戦争債」を依頼してもあっさり断っ
た国が、単に友好や善意のために日本の味方をしようなどと思うはずがない。
アメリカはここで日本に恩を売り、アジア=満州)に進出するきっかけを作り
たかったのである。
この目論見は、英・仏・露からも反対されたことによって挫折したが、このこ
とがアメリカのさらに日本危機を煽り、日英同盟破棄、黄渦論の高まりと続い
ていくことになる。
結局日本は、借金を払う為にフランスへ3億フランの借款を願い出た。
その見返りに仏印の不穏分子を追放しろということになったのである。
それでも日本の心ある人たちは、ベトナム運動家を庇護し、無事海外への逃亡
を助けたりした。
特に新宿中村屋(今もあるお菓子屋)は、ベトナム王子「クオンデ」を匿い、そ
の後、かの松岡洋右によって古河鉱業の支店に匿われていた。発覚すれば借款
がパーになるどころか、国交断絶のリスクがあったにも係らず、にである。
一方で日本政府は、外務省を通じて王子「クオンデ」の動静を探り、仏との協
定に従い不穏分子として引渡しを考えるが、結局見つけられずウヤムヤになっ
ている。
フランスは、上海租界で活動していた大韓帝国の「上海臨時政府」の朝鮮人を
「不逞鮮人」として引き渡す。また、その動静を逐次日本に報告する。日本も
「ベトナム人の行動を報告する」との協定であったが、報告はなされていても
実質的な行動はとっとは言いがたく、先に述べたようにウヤムヤとなった。
表向きには日本は、ベトナムの独立運動に反対する立場をとっていたが、ベト
ナム人の日本での講演活動などを考えると「見て見ぬふり」していたように思
えてならない。
これらの日本人有志のサポートがあった為、その後日本の「仏印進駐」の際、
案内役として先頭に立ってくれたのがベトナム人の‥‥その人たちだったので
ある。
「ほてい葵」には、ささやかな感謝の気持が含まれていることも忘れてはなら
ない――――。
最後に、あるベトナム人の言葉を紹介したい。
┌--------
フランスは、豪奢な監獄とギロチンを残してくれた。日本は、独立という夢を
残してくれた。
└--------
= この稿おわり =
この記事は、メールマガジン「縄文塾通信」2008年10月20日発行第345号に転載して頂きました。とても
真面目で面白い、素晴らしい無料マガジンです。購読される場合はここをクリックして下さい。(←新しいウインドウで開きます)
┌──────────「縄文塾通信中村忠之主幹のコメント」
世界中で、自国の歴史を「悪」だと決めつけて教育する、或いはそのためには目障りなものを隠蔽してしまうという国が、日本
以外にあるだろうか。hideおじさんは、『ベトナム人が独立を意識するようになったのは「日露戦争」がきっかけだった。進歩
的文化人やサヨクの方々は、「日露戦争」が日本の侵略国家への一歩だったと断じるが、申し訳ないけれど「そんな見方で大丈
夫か?」と真剣に心配してしまう』と書いている。
なにも、有頂天になったり、これ見よがしな行動をとる必要はないが、事実は厳粛に受止めなければならない。
不都合な教育のせいもあって、今の日本の有り様はまことに心許ない。ここで示された事実を、ぜひ日本の教科書に反映して貰
いたいものだ。
|
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
|