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心が元気になる話 ――――――――― by hideおじさん

☆ 世界の農を拓いた日本人(番外編) ――――――――― 2008/09/29
稲塚権次郎 以前紹介した小麦「農林10号」で有名な農学者である。

ーーー戦前、彼が中国と深く係っていたことを知る日本人は少ない。

昭和13年(1938年)、権次郎は北京にある「華北産業科学研究所」に赴任
した。この研究所は、外務省の文化事業部が昭和11年に設立したもので、農
林畜産業の研究機関である。所謂「農業試験場」と同様の施設と考えられる。

元々は「義和団事件」の賠償金の「還元」という意味合いで設けられたもので
あるが、列強の要求した「賠償金」は、当時の清の国家収入を全く無視した莫
大な金額で、諸外国から批判が起こったことで、

「還元」という形で、その賠償金を元にして文化事業機関、学術機関、その他
研究機関などを設立したことによる。現在でも残っているのはアメリカが創設
した「清華大学」が有名である。

日本も、同じく「還元」ということでこの研究所を創立したのだが、他に日本
が行ったものとして、中国留学生への補助が上げられる。現代まで引き継がれ
たものとして、北京人文科学研究所、上海自然科学研究所などがある。

日本政府は、広く華北の産業発展を目指すために、この「賠償金」を利用し最
初に農業部を設置し、食料増産、農民の福利のために研究を行った。人員は日
本から集め、その数は東大、北大、九大などトップクラスの研究者約320人
にものぼった。

その中心にいたのが稲塚権次郎だったのである。

華北は、洪水、旱魃、イナゴ被害などなど、厳しい自然環境の中で農民は塗炭
の苦しみにあえぎながら原始的な農業を営んできた。

権次郎は、彼らの主食のひとつである小麦の品種改良に取り組み、多くの在来
種を収集し、優良な種類を選別、純系にして9つの奨励品種を作り上げること
に成功する。

ひとくちに品種改良というが、全て手作業で何千何万という小麦を調べ、選別
していくということがどれほどのことか想像できない。まして戦時中で、資材
や人材の不足、そしてゲリラなどの抵抗もあった中での作業である。

そして権次郎らは、その品種を増殖し、華北農民に無償で配布していったので
ある。華北の厳しい環境の中でスクスクと育つ小麦、その中を渡って来る風の
匂いに農民たちの顔はほころんだ。

そして、終戦。

権次郎らの研究施設は、そのデータと共に全て中国側に接収されることになっ
た。その際、沈宗瀚博士(金陵大学)はこう言ったと伝えられる。

「非常にいいものを作ってもらった。私も方々歩いたけれど、こんな立派な試
験場は見たことがない。本当にありがとう。もしあなた方が許すのなら、長く
ここに残って農民のためにこの仕事を継続してもらいたい」

この言葉通り、権次郎はその後2年間、中国に留まり研究、そして後進の指導
にあたった。

権次郎はいつもこう呟いていた。「農民のために」

ーーー権次郎の小麦は、今も中国の大地でたなびいている。

                        = この稿おわり =
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