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心が元気になる話 ――――――――― by hideおじさん

☆ ほてい葵に込めた独立 ―――――――――――――― 2008/09/08
「ほてい葵」といってもピンと来ない方が多いだろうか。別名をウォーターヒ
ヤシンスといい、薄紫の美しい花を開かせる。

日本のどこでも目にすることのある水草だが、葉っぱの下の部分がぷっくりと
膨らんでいるところが布袋さまのお腹に似ている。よく金魚鉢に入っている水
草と言ったほうが判りやすいかもしれない。

ーーーこの水草、ベトナムでは「日本の花」と呼ばれていた。

ベトナムは、ご存知の通り中国の圧力にさらされ、朝貢で命脈を保ってきた。
清が英国とのアヘン戦争に破れ衰退してホッとしたのもつかの間、今度は清仏
戦争で清の代わりにフランスが乗り込んできた。

人頭税、結婚税、葬儀税等々、思いつく限りの税金をベトナムに掛け、挙句に
アヘン専売公社を作りアヘンを売りまくった。

余談だが、イギリス、フランスなどは、しこたま麻薬で儲けたところで日本が
関わり始めると、人道的に問題と売買禁止を世界に訴えた。戦後「日本は中国
で阿片を売って戦費を稼いだ。汚い、国際信義にもとる」と非難した。

自分たちのことは何事も無かったかのように振舞っているが、目くそ鼻くそと
はこのことだ。

清にも太刀打ちできないベトナムは、清をも打ち負かす白人のフランスに楯突
けるわけもなく、自らの不幸を嘆いていた。

ところが、フランスよりも強大な大国ロシアが、自分たちと同じ肌の色をした
アジアの日本に負けたともたらされる。その武勇伝は歌謡師によってベトナム
中に広められ、民衆は興奮し、その熱情が民族運動に繋がっていく。

ベトナム維新会の代表ファン・ボイ・チャウは武力蜂起を考え武器援助を日本
に依頼するも「まず人材の育成を」と諭され、一気に日本への留学が進んだ。

大隈重信、犬養毅などから大いに影響され、ベトナム民衆と日本の意識格差に
驚愕し「ベトナム亡国史」「遊学を勧る文」などを執筆、これを読んだベトナ
ム青年が続々と日本留学に渡ってきたのだった。ーーーその中にはベトナム王
朝の王子も含まれていた。

これを「東遊運動(トンズー運動)」といい、ベトナム独立の礎になったと言わ
れている。

しかし、1909年、日仏協約によりベトナム留学生は日本を逐われることに
なるのだが、残った留学生の、生活から活動資金まで援助していたのが「浅羽
佐喜太郎」である。

苦しい生活に困り果てたファン・ボイ・チャウは恥を忍んで浅羽に無心した。
「今まで、学校の入学から何から何まで世話になって、満足に礼もできていな
いのに、更に援助のお願いは申し訳ない」との手紙に、

「今はこれだけしか無く申し訳ない」としながらも、浅羽は1700円という
大金で応えた。(当時、小学校の校長の月給が、だいたい18円)

浅羽の援助はお金だけではない。日本を逐われることになったベトナム留学生
を匿ったり、密かに脱出する手立てにも協力した。

浅羽は、ファン・ボイ・チャウが離日した次の年に43歳でこの世を去る。

亡命先で訃報を聞いたベトナム独立運動家たちは大いに悲嘆にくれたという。

大正7年、ファンらは浅羽の報恩碑を建てたいと日本に渡ってくる。少ない資
金しかなく全く足りなかったのだが、浅羽の地元の協力を得、念願の報恩碑が
建てられた。
┌--------
我らは国難(=ベトナム独立運動)のため扶桑(日本)に亡命した。公は我らの志
を憐れんで無償で援助して下さった。思うに古今に類なき義侠のお方である。

ああ、今や公はいない。蒼茫たる天を仰ぎ海をみつめて、われらの気持をどの
ように、誰に、訴えたらいいのか。ここにその情を石に刻む。

蒙空タリ古今、義ハ中外ヲ蓋ウ。公ハ施スコト天ノ如ク、我ハ受クルコト海ノ
如シ。
我ハ志イマダ成ラズ、公ハ我ヲ待タズ。悠々タル哉公ノ心ハ、ソレ、億万年。

越南光復会同人
└--------

日本に留学した多くのベトナム人の目に留まったのが「ほてい葵」である。

汚い池でもしっかりと根を張り、増えていく。そして慎ましやかに薄紫の花を
結ぶ。いつしかベトナムに持ち込まれ、人々が気づいた頃にはハノイのグラン
・ラックの水辺には「ほてい葵」が咲き乱れていたという。

その花に、ベトナム人は自らを照らし合わせ、いつしか「日本の花」と呼び、
夢と期待を寄せたのだった――――。

ベトナムの地に根を張った「日本の花」は、戦後、数々の試練を乗り越え「独
立」という花を咲かせている。ーーーここにも歴史に埋もれた日本人がいた。

                        = この稿おわり =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ お寄せいただきましたご意見や感想。 ┗━┛
┌──────────「ana5さん」 このような事は多いですね、歴史的に再評価すべきでしょう。 西洋諸国の植民地政策と異なった思想で占領政策を採った、 従来の軍国主義云々でない世界史評価が欲しいですね。
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
アジア諸国の独立運動家、亡命者など、日本の庇護を受けた人は非常に多いと 聞きます。戦前のアジアで唯一の完全独立国であり、列強の一員「日本」は、 アジアのリーダーだったと言ってよいのではないでしょうか。 そして、日本人の中にも「公の為」と彼らをサポートする人も多かったので はないでしょうか。 やれ「侵略の一環だった」とか、「利用するためだった」とか言われますが、 当時の個人個人の協力や援助を考えると、単純に「侵略」というような考えは できないと思います。 しかし、現在は、このような視点は全くといっていいほど欠落しております。 「歴史に学べ」というのならば、いろいろな観点から見なければ、自分たち自 身の歴史を評価できないのではないでしょうか。 「日本は悪かった」だけでは何の進展にもならないと思うのですが...。 せめて市井の日本人が、歴史に埋もれた功労者を知っておくのも無駄ではない と思います。 └────────── ┌──────────「kunimamoruさん」 いいお話ですね。 終戦前まではこのような“美談”も多かったろうと思います。しかし戦後日本 人の価値観も変わり、戦後政策もあって、そういった話は隅に追いやられ抹殺 されてきました。 このような話は、国政や行政に携わる方々にも、もっともっと聞いて欲しいも のですね。自らを貶めるような価値観に引き摺られることなく。
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
戦後、価値観は大きく変ったのでしょうが、残すべき日本的価値観というのも あるのでは?と私は思っています。何でもかんでも欧米が良いわけではありま せんし、日本の価値観で世界に寄与できることもあるんじゃないでしょうか。 それこそ仰るように、国政や行政に携わる人は特に考えてもらいたいですね。 「良いことは良い」今も昔も変らないと思うのですが....。 └────────── ┌──────────「jaramuさん」 いや〜いい話ですね。 しかしそれに似た様な事は現在でも行なわれているのではないのでしょうか。 例えば先日アフガンで誘拐され、殺されてしまった青年などは、村人達に慕わ れていたようですし、その他にも人に尽くしたくて命を賭して貢献している人 達が多くいるようです。 しかし乍ら、右側に強く傾く人達の中には、そのような人達をサヨクとして切 り捨てる人達がおりますが、全く残念でなりません。
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
いつもコメントありがとうございます。 現在でも、いろいろな形で途上国や紛争地域に赴いて地元住民の為に汗を流し ている日本人は多いです。また、日本国内からもチャイルド・スポンサーなど で貧困国の子供たちを金銭的にバックアップしている方もおります。 戦前で、「義侠」といいながらも結局は彼らを食い物にしたという輩もいたと いいますし、現在のNGOの中にも、人権といいながら、右翼に限らず一般の 人からも首を傾げられるような怪しげな活動をしている団体も多くあります。 一方で、アフリカの砂漠に行って井戸を掘っている右翼の連中もいます。 アフガニスタンで亡くなった伊藤さんの思想がどうなのか知りませんが、彼を 含め大変な場所に赴いている日本人の行動は、右とか左とか政治思想に関係な く、純粋に復興の手伝いをしたいという気持なのではないかと思います。 彼らの行動は「言うは易く行うは難し」で、なかなかできるものではありませ ん。右翼だとか左翼だとか、戦前・戦後というような色眼鏡で見るのではなく 素直に「良いことは良い」と素直に認め、頭を下げたいです。 └────────── ┌──────────「morineko1908さん」 良い話でした。ホテイアオイの話初めてでした。これから水辺であの水草を見 る度に思い出すでしょう。「日本の花」なんて・・ 「美談」と一括りにすると胡散臭く感じる人も多いと思いますが、良い話なら 信じればいいかと思っています。 世界中の子供達に美談を教えまくって洗脳したら、20年後に少し楽しい事も 起こるかも。人間コロコロ変わりますから。 性善説も性悪説も信じませんね。性無説主張!(^^)
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
そこら辺にある水草を愛でて「日本の花」と名づけるところなど、ベトナム人 の風情というか、感性には親しみを覚えます。 日本人の協力に恩義を感じ、「モノ」で返すのではなく、こんな些細な心遣い に、もしかしたら当時の日本人は魅かれたのかもしれません。 比較するのは間違っているかもしれませんが、孫文、蒋介石、周恩来、等々、 近代中国の歴史を飾った多くの中国人に寄せた日本人の協力は莫大なものでし た。しかしその後をみると、どうしても虚しさを感じてしまいます。 「良い話」をしても、受け入れてくれる国もあれば、違う国もあるのかな? しかし、語り継ぐことによって人は変わってくれるかもしれませんね。 └──────────
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┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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