┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  サイトマップ!(^O^)  ━┓



心が元気になる話 ――――――――― by hideおじさん

☆ 緑の革命(2)〜世界の農を拓いた日本人 ―――――― 2008/07/07
= 農業共済新聞参照 =

明治44(1911)年、台湾の地を踏んだひとりの男がいた「磯 永吉」であ
る。ーーーその後、約50年に渡って同僚の「末永 仁[めぐむ]」と共に台湾
総督府農事試験場で台湾農業発展に取り組むことになる。

ーーー現在、台湾を含む東南アジア地域でのジャポニカ米のルーツが、20代
の日本の若者二人の手によることを知っている日本人は少ない。

もともと台湾で栽培されていた米はインディカ系で、当時日本にも輸出されて
いたが、内地人の口に合わず、価格も三等米の更に半額という悲惨なものだっ
た。

といって、内地の稲を持っていっても気候の違いで出穂が早く実にならない。

さらには、ジャポニカ種とインディカ種との交配は、当時至難というより不可
能とさえ考えられていた。

「台湾農民に生きる道を」と、その不可能に挑戦したのが若き日の磯と末永で
あった。

台湾の在来種は、約1200種あるといわれたのだが、彼らはその1200種
全ての特性調査から始めたのだった。ーーー毎日朝から日が落ちるまで田んぼ
に出かけ、ひとつひとつ丁寧に観察を続けていたといわれる。

その結果、ジャポニカとインディカの栽培上の違いを明らかにし、ジャポニカ
栽培の突破口を見つけた。しかし、あくまで突破口で、さらに膨大な数の交配
を重ね、繰り返していかなければ本当の成功とはいえない――――。

彼らの研究の中で日の目を見た在来種「低脚烏尖[デージェウジェン]」「台中
在来1号」などは、その後、交配親として世界の多収品種の育成に貢献するこ
とになる。

気の遠くなるような作業の中から、彼らが育成した品種は260を越えるとい
う。

そして、研究を始めて10年、多くの困難を乗り越えて世に生まれたのが「嘉
南2号」、そして後に「蓬莱米」と呼ばれ、いまだに台湾で食されている「台
中65号」である。

ーーー台湾総督府は、大正11年、蓬莱米の栽培を通達した。

最初は抵抗があったものの、収量で2割、農家収益では3割のアップに繋がる
とあって、広く栽培されるようになる。

大正10年の台湾米生産量は75万トンだったが、蓬莱米普及後の昭和13年
には147万トンと、20年弱で倍増、さらに特筆すべきは、単収がそれまで
の150Kgから230Kgと急増したことである。

これにより、台湾米は日本に輸出され、台湾財政を賄う大きな柱となるのであ
る。

日本の台湾統治時代、一時期を除いて黒字経営であったというのも、磯と末永
の努力に負うものが多い。そしてその黒字により、台湾のインフラ整備、公衆
衛生の改善が計られることになり、まさにその名の通り「蓬莱」の島となった
のである。

磯をはじめとする台湾総督府農事試験場の研究者たちは、米だけでなくサトウ
キビ、サツマイモ、小麦などの農作物、さらに、ブタや鶏などの家畜の品種研
究も手がけており、これらの研究成果は、台湾のみならず、広く東南アジアの
農業に貢献したのである。

終戦後、中華民国政府に請われ、磯は農業顧問として台湾に残り、台湾の農業
発展につくしたのである。

昭和32年帰国の際には、異例ともいえる最高勲章が磯に授与され、終生毎年
20俵の台湾米を年金代わりに送ることでその労を謝したのである。

2002年、台湾で発行された「影響台湾50人」(台湾に影響を与えた50
人)という書籍には、12名の日本人と共に彼の名が記されている――――。

稲塚権次郎の小麦による「緑の革命」を遡ること40年前、台湾において別の
「緑の革命」を起こしていた若い日本人がいたことを、私たちは忘れてはなら
ない。

                        = この稿おわり =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ 読後アンケートの結果。 ┗━┛
◇ 本当に心が元気になるいい話! ------------------------ 41人 (59%) ◇ 知らなかった..初めて知った -------------------------- 27人 (39%) ◇ こういう日本人もいただろうよ ------------------------ 2人 ( 3%)
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ お寄せいただきましたご意見や感想。 ┗━┛
┌──────────「ミカの赤い服さん」 hideおじさん、こんにちは。「知らなかった初めて知った」に投票しました。 前回と全く同じですが、こんな偉業をした方のことを初めて知りました。日本 だけでなく、稲作をする外国の人々のために尽力した人なのに、知られていな いなんて勿体ないですね。
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
毎回コメントを頂きまして、本当にありがとうございます。 磯らのような仕事を今の日本人はできるのでしょうか? もし私に「やれ」と 言われたとしても、正直自信がありません。あの時代、命令ではなく自ら困難 に挑戦した日本人が多くいたこと、それは誇りに思ってよいのではないでしょ うか。 ご紹介したように、台湾では「影響与えた人」と、それなりに評価しているの に、日本では評価どころか名前も知らない。「戦前日本は悪いことをした」と いう現代の教育では、いつまでたっても彼らの努力が日の目を見ることはない のかもしれません――――。 「汗を流し真面目に働くこと」その大切さを今の子供たちにも伝えなければ、 明日の日本は寂しいものになってしまうかもしれません。 余談ですが、彼ら台湾総督府の農事試験場での成果は、その後まとめられて、 東南アジア諸国の農業の教科書とされていったのです。 └──────────
本当にそうだこのとおり!‥‥と思われた方!「誰でもできる!1人1日1回の愛国活 動」は、ここをクリックして頂くことからはじまります!ーーークリックして頂くと票数がアップして、この問題を多くの 人々に知らせる事ができます!
    
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
心が元気になる話の目次に戻ります





SEO [PR] お金 ギフト  冷え対策 わけあり商品 動画無料レンタルサーバー ブログ SEO