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心が元気になる話 ――――――――― by hideおじさん
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☆ 南の空の英雄(4)―知られざる日本人の功績 ―――― 2008/06/23
= 熊本県菊池神社歴史館参考 =
かつてオーストラリアで「お母さん」と言えば、この女性を指すとまでいわれ
た日本人女性がいる。その名は、松尾まつ枝。ーーー彼女は偉人でも英雄でも
ない、一人の海軍軍人の母である。
昭和17年5月31日、密かにシドニー湾に突入した特殊潜航艇があった。
松尾大尉と都竹軍曹の2名は奇襲に成功、彼らを含め3艇はオーストラリアを
震撼させることになる。
その代償に見合う戦果かどうかは別として、時の豪州海軍は松尾らの勇気を称
え、海軍葬を執り行った。ーーー当然「何故敵国の軍人を海軍葬にするのか」
との非難の声があがった。
しかし、責任者であるムアヘッド・グールド少将のラジオ放送が、オーストラ
リア国民に大きな感銘を与えた。
┌--------
私は敵国軍人を海軍葬の礼を以って弔うことに反対する諸君に聞きたい。勇敢
な軍人に対して名誉ある儀礼をつくすことが、何故いけないのか。勇気は一民
族の私有物でもなければ、伝統でもない。
これら日本の海軍軍人によって示された勇気は、誰も認めるべきであり、一様
に讃えるべきものである。(後略)
└--------
大東亜戦争真っ只中であっても、日本軍人の発揮した武士道精神を讃えるその
心、オーストラリアの騎士道精神が共鳴した証左である。
戦後、キャンベラにある戦争記念館(豪州の靖国ともいわれる場所)には、自国
の将兵と同等の扱いで松尾らの潜航艇が展示されている。そこにはこう記され
ている。
「この勇気を見よ」
昭和43年、「勇者の母来る」と大々的に報道された人こそ「松尾まつ枝」で
ある。
シドニー中心部にあるオーストラリア軍の英霊に対して、長い間黙祷を捧げた
まつ枝に感動した市民は割れるような拍手を送り「なんという健気な母親だ」
と涙したという。
息子が眠る記念館を訪れ、彼が最後まで身につけていた「千人針」を手にとっ
た時、まつ枝は肩を震わせた――――。まつ枝を優しく抱きしめる館長からも
嗚咽が漏れてきた。いつしか報道カメラマンたちのシャッターを切る音が途絶
えた。
その姿に多くのオーストラリア人が感銘を受けたのである。時のオーストラリ
ア首相であるゴードンは、まつ枝にこう述べた。
┌--------
あなたのお子さんは、我々オーストラリア国民に真の勇気とは何であるか、真
の愛国心とは何であるかを身を以って示してくださった。心からお礼申し上げ
ます。
└--------
まつ枝は、勇敢な息子の母であって特別な日本人ではない。しかし次の言葉が
オーストラリア人の心に響いた。
┌--------
日本では、国に忠義をつくすことが本当の親孝行になるのです。私の子供は大
きな孝行をしてくれました。少しも寂しいとは思いません。心から満足してお
ります。
└--------
故郷である自国を大切に思う人々には、彼女の言葉が響いたのであろう。
自国を愛せぬ人間に他国を愛せるはずがない、私はそう思っている。
まつ枝の旅は、オーストラリアでは全国的な称賛と感動で迎えられたが、日本
ではほとんど無視された。戦争賛美だからだそうだ。
あるテレビ局の取材で「何を言われても結構ですが、最後は『戦争は嫌だ』で
結んでください」との依頼を受けたまつ枝は、
「戦争が好きな者はおりません。しかし外国から無理難題を言われればやらな
ければならない場合もあります」と、テレビ局の依頼を断った。ーーー後に彼
女は、「戦争が嫌だというだけで日本が護れましょうか」ともらしたという。
戦争で最愛の息子を亡くした母だからこそ言える言葉かもしれない。
まつ枝は、母としてこんな歌を残している。
「靖国の 社[やしろ]に友と睦むとも 折々かへれ 母が夢路に」
切ないほど子を思う母の気持が溢れている。
しかし、友と睦む靖国をただただ批判する日本人に、まつ枝の気持が理解でき
るのだろうか――――。
= この稿おわり =
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┗━┛ ◇ 本当に心が元気になるいい話! ------------------------ 59人 (72%)
◇ 知らなかった..初めて知った -------------------------- 19人 (23%)
◇ 日本人を美化し過ぎじゃないか ------------------------ 4人 ( 5%)
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┃ ┃ お寄せいただきましたご意見や感想。
┗━┛ ┌──────────「PACKMANさん」
知らなかったに入れました。
このような話は、当事者、聞く人、時代などで受け取り方はそれぞれ異なるも
のです。新聞、TVなどのマスコミは、このような点に注意が不足しています
ね。
その点、ブログは書く人の立場がはっきりしているので分かりやすいと思いま
す。この記事には感動しました。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
コメント頂戴しありがとうございました。
仰る通り、時代によって受け取り方も変っていくでしょうし、またそこから学
ぶものも違ってくるのかもしれません。しかし、当の本人が伝えたいことを、
私たちの今の価値観に無理に合わせてしまっては、伝わるものも伝わらないよ
うな気がします。
冷静にみれば、無謀な作戦で若い命が失われたということかもしれません。し
かし、彼らの死でオーストラリアの日本を見る目が変ったということも否めま
せん。
キリスト教では、「自己犠牲」というのは崇高な行為と見られるところからも
特攻と同じく、自らの命を掛けることに対して、ある種の気高さを感じとった
のかもしれません。
長年白人優位の社会であったオーストラリアが、いち早く日本人を同等と認め
たこと、それに日本人の若者が少なからず影響を与えた、というのもあながち
言い過ぎとは思えません。
余談ですが、オーストラリアが何故松尾大尉らを海軍葬にしたのか、勿論松尾
らの勇気に対するものですが、こんな逸話が残っております。
----昔の、シンガポールの教科書に載っていたそうです。
┌--------
マレー半島で英国軍が敗走する中、唯一といっていいほど激戦となり、日本軍
に多大な犠牲者が出た戦いがありました。その相手というのがオーストラリア
軍でした。
戦闘終了後、日本軍はオーストラリア兵の勇気に敬意を表し、亡くなった2百
名の兵士の墓をつくり、そこに大きな十字架を建てたそうです。そこにはこう
書かれていました。
「私たちの勇敢な敵 オーストラリア兵のために」
└--------
このような日本軍の行為があったから、オーストラリアも勇敢な兵士に対して
礼をつくしたのではないかとも言われています。
こんな「相手を敬う心」こそ、現代の私たちが彼らから学ぶべきことなのでは
ないでしょうか。
└──────────
┌──────────「suさん」
「私の子供は大きな孝行をしてくれました。少しも寂しいとは思いません」
「・・・折々かへれ 母が夢路に」
‥‥‥ セツナイ ‥‥‥
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
本当に切ない思いにかられます。武人の母とはいえ、子を持つ親の気持は何時
の時代でも同じではないでしょうか。
松尾まつ枝さんは、歌人としても有名な方だったようで、亡くした子供に対し
てこんな歌も残しています。
愛艇を 撫でつつ想う 呉の宿 名残おしみし かの夜のこと
オーストラリア戦争記念館に飾られていた小型潜水艦に触れたときを歌った詩
で、戦いに行く息子と呉で過ごした最後の夜を思い出したそうです。
そして、息子が最後まで身に着けていた千人針の布が保管されていることを聞
いたとき歌った詩が、
吾子[あこ]の香[か]の 移りし布の しのばれて 温めずやと待ちにしものを
出撃前夜、26歳のわが子を抱いて寝た時の思いが去来してどうすることもで
きませんでした。 一度でよいから「吾子の香の移りし布」を抱きしめて寝て
みたいと思いました。
君がため 散れと育てし 花なれど 嵐のあとの 庭さびしけれ
まつ枝さんはごく普通の母親です。子を失って、悲しくない母はいないでしょ
う。辛くて寂しくて、そして無念で胸が張り裂けんばかりだったと思います。
その気持ちが上の歌に良く表れていると思います。
それでも彼女は、息子が沈むシドニー湾に向かってこう語りかけたそうです。
「母は、心からあなたを褒めてあげます。よくやってくれました」
私たちは、戦争で亡くなった方々を単純に「戦争の犠牲者」と表現してしまい
ます。悲劇であり、二度と繰り返してはならないといいます。確かにその通り
です。
しかし、それだけでいいのだろうか?と私は思ってしまうのです。
この母のように「よくやってくれました」と言葉を添えてあげることが、亡く
なった方が本当に欲しかった言葉だったのではないでしょうか。
└──────────
┌──────────「まいさちさん」
当たり前のことだと思うんですけどねえ…。
└──────────
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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