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心が元気になる話 ――――――――― by hideおじさん

☆ 最初の無償技術供与―知られざる日本人の功績 ――― 2008/05/23
ーーー奥井清澄、明星食品の社長である。

彼の真摯な思いが戦後初の韓国への無償技術供与に繋がったことを知る人は少
ない。

時は1963年、当時未だ朝鮮戦争の傷跡が残る韓国では、深刻な食糧不足が
おとずれていた。街では、残り物で作った韓国粥を求めて列を成す人が溢れて
いた。

ーーーその姿を見つめていた一人の男がいた。「全仲潤」である。

韓国第一生命の社長である全は、腹をすかせて列を作る人々を見て、「安くて
美味いものを食わせてやりたい」ーーーそう思った。

当時ふんだんにあるものといったら、国連が援助してくれた小麦だけだった。
しかし、日本と同じくパン食になじんでいなかった韓国では、この小麦の有効
利用が進んでいなかった。

そこに全は目をつけたのである。

「これで美味いものを作りたい」

全は、保険会社の社長という座を捨て、三養食品を立ち上げ食品業界へ飛び込
むこととなる。

そのとき彼の目に留まったのが、発明まもない日本のインスタントラーメンで
あった。ーーーすぐさま日本へ飛び、日清食品を初めラーメンメーカーへ技術
提供を願い出たのである。

ところが、高度な技術であるインスタントラーメンの製造を、やすやすと教え
てくれる会社などありはしなかった。

ーーーそして全が、最後に訪れたのが明星食品だった。

韓国の窮状を訴え、協力を願い出た全仲潤に、奥井はひと言、

「日本は朝鮮戦争の特需で立ち直りました。その恩返しに協力しましょう」

社内からの轟々たる非難をよそに、奥井は格安で製造機器を渡し、技術者まで
つけて韓国に派遣したのである。ところが、

麺の製造技術は提供したが、スープ作りはメーカーごとの秘密のレシピである
為提供できなかった。全は試行錯誤するも、ことごとく失敗する――――。

思い余って奥井のもとへ向かうが、彼とて安易に社内秘を教えるわけにはいか
ない。

失意の中、韓国へ帰ろうとする全のところに、明星食品の技術者が駆け込んで
きた。

「社長からです」と言って渡されたのが一冊のノートである。

帰りの飛行機の中、そのノートを広げて全は驚いた。ラーメンの命というべき
スープのレシピが、こと細かく記載されていたのだ。

全は思わずそのノートを胸に押し抱き、涙したという――――。

その後、インスタントラーメンは韓国の国民食のひとつとなり、屋台でも食べ
ることができるが、そのラーメン一杯には、奥井と全、という二人の男の熱い
思いが込められていたことを知る人は少ない――――。

戦前日本の朝鮮統治を、単に侵略、掠奪と言う者、はたまた掠奪するために太
らせただけと断罪する日本人は多いが、朝鮮をこよなく愛していた日本人がい
たことを知る日本人は少ない。

歴史の表舞台には出てこないが、多くの日本人と朝鮮人の交流の中で「歴史」
が作られてきたことも、戦後世代の私たちが伝えていかなければならないこと
ではないのだろうか。

                        = この稿おわり =
この記事は、メールマガジン「縄文塾通信」2008年5月25日発行第312号に転載して頂きました。 とても真面目で面白い、素晴らしい無料マガジンです。購読される場合はここをクリックして下さい。(←新しいウインドウで開きます)
┌──────────「縄文塾通信中村忠之主幹のコメント」
コリアの特異性は、「かつて日本から得たものは全くなかった」、そればかりか「日本で生まれた(という)ものの多くは コリアで生まれたものだった」という話がまことしやかに語られ且つ信じられてきた国柄である。「日本のすべてが悪」と も言いながら、日本抜きでは生きられないところに、この国の「恨[ハン]」が一層募るのだ。
言いたくはないが、京城大学のハード/ソフト・鉄道設備・インフラの多く等は日本統治時代の遺産ではないのか。
この記事は、メルマガ「国際派日本人の情報ファイル」2008年7月25日発行第1467号に転載していただきました。とても有益な素晴らしい無料 マガジンです。
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┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ お寄せいただきましたご意見や感想。 ┗━┛
┌──────────「歯軋りゴマメさん」 5/23付の、hideおじさんの「〜日本の功績」を読んで思い出したことがあ りますのじゃ。えらい古い話で、うろ覚えで申し訳ないのじゃが、 秀吉の第一次朝鮮征伐?の折、日本に帰らずに彼の地、----多分旧百済の南部 地域----に居残った武将がおったそうじゃ。 で、そのおサムライはそこで軍事指導を行い、第二次征伐の際、日本軍撃退に 大いに貢献したそうじゃ。件のお侍は、現地の娘さんを娶って帰化したのじゃ ろかのう、その後もいろいろと地域のために尽くしたらしく、 亡くなった後碑が建てられ、代々その子孫が護ってきているそうじゃ。えゝ話 じゃなかですか。 太平洋戦争の折も、日本敗戦後インドネシアに居残って、彼の地の独立戦争に 参加した日本兵がおり、現地の人達から感謝されとったという話も聞いとりま す。 発展途上国で、日本の昔ながらの井戸掘り技術を指導したり、家畜の病気の治 癒や予防に奔走したり、環境破壊防止に現地の人達と共に取り組んだり、地味 ながら日本の功績も中々のものが種々あるのじゃから、 こうした話をもっと広く知らせるべきじゃなかろかのう。お仕着せの道徳心や 愛国心を授業で押し付けるより、よほど効果的だと思うがどうじゃろか。
└────────── ┌──────────「hideおじさん」
歴史に上らない人たちの中にも私たちが見習わなければならない日本人がいた はずです。彼らは「偉人」になりたくて活動していたわけではないでしょう。 単純にその地を愛したからこその行動だったと思います。 私たち自身が子供たちに伝えるべきこと、それは、歴史に埋もれた中にこそ本 当の意味での友好と愛国心を教えてくれる人々がいることを知ることではない でしょうか。彼らの行動こそが私たちが心にとどめておくべきだと思います。 少しずつですが、そんな日本人を採り上げていきたいと思っています。
└────────── ┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
歯軋りゴマメさん! OJIN はいま、日本の食料自給率問題と、中国の「海外の 借地での穀物栽培、海外農場の建設」プランに負けておられるか!と、インド ネシアスマトラ島に、リタイア日本人達で大農場を!という原稿を書いている ところでございます。 日本としても安閑と手を拱いているわけではないでしょうが、外国も着々と次 の布石を打ちはじめています。 そういう日本の親父達の努力する姿を、刻々と日本国内に伝えることができれ ば、歯軋りゴマメさんが仰いますように「お仕着せの道徳心や愛国心を授業で 押し付けるより」も遥かに効果的な青少年教育にもなるのではないか、 そんなふうに思うのでございます。 キムキム@ジャワ島さん!その節にはご協力のほどを、ヨロシクお願いいたし ます! └──────────
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┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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