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私見時事論談 ―――――――――――― by hideおじさん

☆ 創氏改名の一考察(下) ―――――――――――――― 2009/09/23
ーーーちょっと視点を変えてみます。

そもそも朝鮮人の「姓」は、李氏朝鮮王朝時代にシナから導入されたシナ人式
が始まりであると言われております。ここで姓を賜ることができたのは、元々
身分の高い者に限られており、姓があるということは上流階級であると意味し
朝鮮内では大きなステータスになっただろうと思われます。

このシナ式「姓」の導入こそが、その後の「朝鮮の身分社会を確固たるものに
した」と元ソウル大学鈴木満夫招轄教授などは指摘しています。そもそもシナ
式の姓では身分の差が判るものではありません。あくまで姓はみな平等です。

ところが朝鮮の場合は、「姓」を取り入れたことで身分の高貴さが判明すると
いうことに繋がりました。シナ式姓があるもの=両班、ないもの=非両班と分
けられ、そこで身分が確定するというものです。 

さらに出身地などで身分の高低が細分化され、それが地域格差を生み、同じ姓
であっても上下があるという独特のレジームが出来上がりました。現在の韓国
でも、「○○道」出身者は良い会社に就職できないとか、地域差別が歴然とし
て残っています。

さらに今でも「本貫」を非常に重要視していますから「創氏」となると誰でも
「氏=苗字」があることになり朝鮮式身分制度が根本から崩れてしまいます。

今後、みんな日本でいう「苗字=氏」にされてしまうと、相手が何処の出身で
どのような身分の人間か判らなくなってしまいます。今まで農奴であった者も
苗字があるわけですから、他の人からは出目が全く判らなくなります。

さらに、儒教の基本でもある「同姓娶らず」も当然崩れることになると考えて
も不思議ではありません。あの朝鮮通信使が日本に来た際に、同姓でも結婚す
るというのは「禽獣の如き」と表現した事態が朝鮮でも起こるとなると、相当
な反発が生まれたと思います。

見た目は苗字は違っていても、本貫は同じということが可能性として有りうる
わけですから、歴史的制度の破壊と映ったとしても否定できないように思いま
す。

このような状況の中で、総督府が「あくまで氏というのは家を表すもので、本
貫を変えろといっているのではない」といっても、見た目が変る以上そうそう
納得できるものではなかっただろうし、既存の特権階級からすれば、受け入れ
難い屈辱と捉えられたのかもしれません。

日本の「家」という感覚と、朝鮮の「本貫」という認識が全く異なっているこ
との重要性を、日本側がちゃんと認識していたかどうか非常に怪しいと思われ
ます。

ただ、朝鮮人が初対面で自己紹介するとき、必ず口にせねばならぬ姓と本貫。

その瞬間に、双方の貴賎・上下が決まってしまうという残酷さ、今でも悪口で
「あいつは常民[サンノム]」という身分関係の根深さを理解しないと何故「創
氏改名」などというものが行われたか理解できないのではないかと思います。

私たち日本人は、「北海道の佐藤です」「福岡の山本です」といったところで
身分の良し悪しなど全く判りませんが、韓国ではそれが一目瞭然で判るところ
が身分社会の複雑なところでしょう。

あの金日成が「主席の本貫はどこですか?」と聞かれ、暫く考えた後に「朝鮮
金氏だ」とはぐらかしたというぐらい厳しいものがあります。

通用名として日本人風の名字(苗字)を用い、ついでに日本人風な名前を附けて
おけば、もう身分差別の苦しみはない、一種の“平等世界”になると考えた朝
鮮人がいたとしても不思議ではないと思うのです。

さらに、日本では10世紀には農奴(奴婢)は消滅したとされていますが、朝鮮
では日本統治まで農奴制度が歴然として残っていました。

殖産銀行頭取であった有賀光豊など、朝鮮農業の発展に大きな足跡を残した人
物も、朝鮮発展の阻害になっているのが身分制度だとして、身分社会の打破を
訴えていました。

確かに日本(内地)の思惑もあったでしょう、利益も考えたでしょう、簡単には
消えない日本人からの差別もあったかもしれません。しかし、何より流動的な
労働力の確保がなければ「朝鮮の産業発展はない」それを打破するには、身分
制度(農奴)の撤廃が重要だったのだ、という点も見逃すことはできないのでは
ないかと思います。

それを考えると、ある程度のプレッシャーの中で、所謂「創氏改名」が進めら
れたことは、単に間違いとは言い切れないように思えるのです。

創氏改名を提唱し、実施した南次郎大将は、朝鮮人にはいたって評判の良い朝
鮮総督だったと言われています。「内鮮一体」は彼の信念であり、創氏改名は
彼の善意の表現、総督府自慢の政策だったと語っているところからも、「良か
れ」と思ってやっただろうことは推測できます。

ただこの政策は、日本内地においても、在朝鮮日本人においても評判は芳しく
なく、「南(次郎)は祖先が朝鮮人だから」という陰口を叩かれたり、元小野田
セメント社長の安藤豊録は「いわば安藤をフランクリンにするようなことだか
ら自然に運ぶはずがない」と、先輩の南総督に直接進言したとあります。

何より、在朝鮮日本人にとって、創氏改名は何の得にもなりませんし、悪くい
えばそれまで朝鮮人に対して持っていた優越感すら損なわれると考えたのでは
ないかと思われます。だからこそ日本人には評判が良くなかったと言えるので
しょう。

さらに国会においては、「日本の姓氏を紊乱し、国体の原理を破壊する」とま
で口撃する人もいたし、「朝鮮姓を堂々と名乗る朝鮮人こそ、真に頼もしい朝
鮮人だ」といった発言もあったそうです。

こんな在朝鮮日本人や内地の反対意見をよそに「皇民化政策」の元に創氏改名
が強力に推し進められたとするなら、朝鮮総督府のやり方は身勝手だという謗
[そし]りを免れないような気がします。

日本でも朝鮮でも反対されていたとするなら、何故創氏改名などしたのか疑問
です。ただ、先に言ったように、南総督の朝鮮人における評判は悪くなかった
というところから考えると、朝鮮の民衆は南の信念・善意に積極的に反応した
結果が約80%という創氏改名率になったのではないかとも考えられます。

強制とは言われるが、例えば朴一族が創氏すると、それに連なる家族の「氏」
がいっきにでき上がることにもなる可能性があるわけです。これを考えると、
短期間で驚異的に創氏改名率が上がったのは、何も強制だからとは言い切れな
いのではないかと思います。

ある程度地元からの理解や賛同がなければ、これほどまでに創氏改名が進むこ
とはなかったのではないでしょうか。

このように見てくると、私が思うに創氏改名というものは「日本人と朝鮮人」
という見方ではなく、「朝鮮人VS朝鮮人」=「両班VS非両班」という古来
からの身分差別からの脱却というものがあったからこその政策であり、

80%の率というのも、この制度に共感があったからではないだろうかと思い
ます。それを裏付けるように、もともと両班で名家と言われていた朝鮮人に、
創氏も改名もしない人がいた、というのも頷けるような気がしてなりません。

身分が高い者がわざわざ変える必要がないわけですから。所謂「アンシャンレ
ジームの打破」を朝鮮人から出されており、彼らからの要望も存在していたか
らこそ、日本国内からの反対の声をよそに進められていったのではなかろうか

ーーーそういった一面があったと思います。

一方、同じ創氏改名(実際は改姓名)があった台湾は、この政策にすこぶる冷静
で、むしろ冷淡だったと言われています。官職に就いた台湾人が、お義理によ
うに少数だけ改姓名しただけだったというのは、姓による身分差別がなかった
という面から見ると理解できるような気がするのです。

台湾と朝鮮では、創氏改名の方策が異なってはいましたけれど、そもそも苗字
(姓)による身分差別がない「シナ式姓」を持っている台湾人には、特別変える
必要性がありません。

必要性がなかったから進まなかったであろうし、台湾総督府も本腰を入れて取
り組まなかったという見方も成り立つのではないでしょうか。

日本人からの差別の存在もいわれますが、酷い差別があるなら、何故改姓名す
る人が少なかったのか、台湾総督府と朝鮮総督府が取ったシステムの違いだけ
では理解できません。

同じ強制があったと言われ、さらに朝鮮と同じように皇民化政策もあり、徴用
・徴兵も考えられていた台湾をみると、一方は80%、一方は規準が厳しく2
%にも満たなかった(終戦直前には20%という説もある)という事実は、強
制というだけでは説明しきれないと思うのです。

特に、日本政府がこのような差があることをそのままにしておくことが理解で
きません。やはり何かしらの「共感」が存在しなければ、これほどの差となっ
て現れないと考えることができるのではないでしょうか。

しかし、朝鮮においては、理由はどうあれ「創氏改名」は、けっして愉快なも
のではなかったのでしょう。朝鮮独自の歴史背景なりというものを良く理解せ
ず、単純に日本名にすれば解決すると考えた政策は正しかったのか、という疑
問はあります。

誤解があったにせよ、その誤解を解く努力が不足していたとしたら、現在の批
判も理解せねばならないと思います。ただ「奪った」というそれだけで考えて
しまうと、当時の朝鮮社会がどうであったかというのが浮かび上がってこない
ように思えます。

歴史というのは、多角的に見なければ見えてこないものがあるということが、
この「創氏改名」によく表されているのではないでしょうか。

                        = この稿おわり =
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◇ この意見に賛成 -------------------------------------- 38人 (75%) ◇ どちらかというと賛成 -------------------------------- 7人 (14%) ◇ どちらともいえない ---------------------------------- 6人 (12%) ◇ どちらかというと反対 -------------------------------- 0人 ( 0%) ◇ この意見に反対 -------------------------------------- 0人 ( 0%)
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ お寄せいただきましたご意見や感想。 ┗━┛
┌──────────「権兵さん」 hideおじさんの記事について、概ね正確です。1点ほど小生の意見です。 80パーセント以上の創氏がなされた、とのことですが、これは下部機関が創 氏に狂奔したからだと思います。だれも姓など変えたくないと思うものです。 日本も、江戸時代までは「姓」は武士階級や名望家しか認められず、一般庶民 は何々村の次郎吉や、町では魚屋の磯吉とかでした。 ただ日本では家制度のために受け入れられました。やはり各国の制度は尊重す べきものだと思います。
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
権兵さん、拙稿にコメント頂戴しておきながら反論のようで恐縮ですが、権兵 さんのお考えだと、多くの矛盾の説明にはならないと思います。 私は、歴史においては、自分の意見と異なることを妄言とか曲解という言葉で 片付けるべきものではないと思っています。立場が変れば見方も変ります。そ の良い例が「創氏改名」であろうと考え今回投稿させて頂きました。 私の祖父の話では、小学校で、「○○さんは創氏しました」というような話を 先生がしていたという話をしたことがあります。子供たちにはプレッシャーと 感じたことは容易に想像できますが、総督府としてはこのような行為はやめる よう通達したといいます。 こういった行為は、地元住民に誤解を招くことであったでしょうし、後に「強 制」というふうに解釈されても致し方ないものであったかもしれません。 ただ、下部機関が狂奔したからという話については、その下部機関のスタッフ は朝鮮人がほとんどだったということを考えると、いくら上部からの命令とは 雖も共感できるものがなければ一生懸命やれないでしょう。 他の事例についてはサボタージュなどあったともいわれていますが、何故「創 氏改名」だけ狂奔したのか? 最初数%だったものが、3ヶ月から半年で80 %まで急激に進んだのが「狂奔したから」では説明できないのではないでしょ うか。 在朝鮮日本人には甚だ不人気だった政策を、日本人が先頭だって推進したこと もおかしな話です。警察も反対、軍隊も反対、でも創氏改名は「狂奔した」な どいうのは矛盾した話です。 朝鮮において、全人口の一割にも満たない日本人の言うことを、唯々諾々と受 け入れた朝鮮人というのは、植民地人として非常に優等生になってしまいます し、別な見方をすれば、強制されたから創氏改名したなどというのは、朝鮮人 を非常にバカにした解釈になりかねないのではないでしょうか。 さらに、台湾では何故下部機関はこの命令遂行に狂奔しなかったのか?「狂奔 した」というなら、何故朝鮮だけ狂奔したのか?ーーーそう考えていくと、単 なる「名前を奪った」などという話では多く疑問に対して説明できません。 ーーー創氏改名も命令に反抗せず受け入れた。ーーー何万人もの従軍慰安婦も 何十万という(北朝鮮は800万人)という強制連行も、暴動にならずに受け入 れ た朝鮮人は、そうとう物分りのよい国民ということになります。 しかし、あれだけプライドの高い朝鮮人が、たいした反抗もせずにいたという のは常識的に考えられないことです。 そう考えていくと、朝鮮の人たちの中に、この創氏改名をポジティブに受け入 れようとする下地があったからこそ、と考えるのが自然ではなかろうかと思い ます。 朝鮮でもともと「姓」を持っていたのは、王族と両班だけで、全人口の10% から20%とも言われています。それが、李朝末期になると両班の資格売買が 行われ(偽物も多くあった)全体の9割にのぼる両班がいたといいますから、と ても正常な姿ではなかったでしょう。 両班というのはご存知の通り、基本的に生産活動はいたしません。例えば日本 の侍階級が、全人口の9割を占めていたら、どんな社会経済であろうか想像で きようかと思います。 残り1割が農奴を含む生産階級ですから、近代化を目指す上で、この身分制度 が大きな足枷になっていたことは容易に想像できます。総督府としては、この アンシャンレジームを破壊して、新たに労働人口を生み出す政策としての「創 氏改名」はあっただろうと思います。 台湾では、朝鮮のような階級制度がなかったし、労働人口の不足がいわれてい ないことから、創氏改名も表面的なことで終わったと考えられるのではないで しょうか。 ただ、「もし」と敢て言うならば、創氏改名以外に何か方策がなかったのか? もう少し誤解を生まないで時間を掛けてやれなかったのか?等々考えるべきこ とは多いかと思います。 余談ではありますが、「日本も江戸時代までは【姓】は武士階級や名望家しか 認められず」とありますが、これは現在では否定されています。室町時代から 農民、町民の多くは「姓」を持っていたというのが、今の常識です。 明治時代になり、近代的国家基盤を整備する上で、正式に苗字を登録、公的利 用することが認められたのであり、元々苗字を持つことが認められていなかっ た訳ではありません。
└────────── ┌──────────「権兵さん」70代@男性@関東
江戸時代まで庶民は苗字がなかったについて、小生の投稿を一部訂正いたしま す。苗字は各家庭ともありました。ただ「公に名乗ることは禁止されていた」 └──────────
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┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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