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私見時事論談 ―――――――――――― by hideおじさん

☆ けんさんの「罵是愛:ODAについて」を斬る ――― 2008/03/14
――「罵是愛:ODAについて」

けんさんとタカヤンさんの論は、双方納得できる部分があります。タカヤンさ
んの投稿の中には、不適切と思われる表現もありましたが、タカヤンさんの言
いたいことは理解できます。

私は、対中国へのODAについて、日本人の多くは「感謝」してもらいたくて
中国を批判しているのではないと思います。また、「金を貸しているのだから
恩を感じろ」といっているのでもありません。

勿論中国だって、お金を借りているからといって卑屈になる必要は全くありま
せん。私たちの大切な税金を投入して、それで日中の友好、相互理解が深まる
のであれば、それは意味のあることですし、それでさらに双方が経済的利益を
享受できるのであれば、有効な使い方といえます。

しかし、相互理解の上で成り立つODAであるわけですから、イデオロギーの
違いとは関係なく相手を理解することは当然のことでしょう。にもかかわらず
表向きの中国の態度が、「日本の風習・文化を理解しない」、それ以上に、領
土問題を含めて日本の意向を全く無視する、自分の都合だけを押し付けてくる

これに対して「不合理だ」と異を唱えているのです。

けんさんの仰るように、ODAがあるからといって、それに対して感謝するこ
とを求めることは必要ないことでしょう。国と国は主従関係ではありませんか
ら、当然といえば当然です。しかし中国の、日本のODAに対する答が「評価
する」ーーーこれはいったいどういった意味なのでしょうか。

まるで日本は主従関係の従であり、その行いを評価しているとでもいいたげな
表現は、到底日本人が納得出来るものではありません。ましてや、

世界各国の協力に対して「評価する」という表現を使っているならともかく、
日本に対してだけ「評価する」というのでは、日本は暗に「従」だといわんば
かりです。

世界中で、相手に対して「礼」を言う国民は少数派でしょう。しかし国際関係
でいうのであれば、「一定の謝意」を表明することは当たり前の「マナー」で
す。中国では、礼は言うものではないのかもしれませんが、国際的には非礼で
あって良い理由にはなりません。

そこは、中国が勘違いしているといわざるを得ません。

「日中の友好のためになれば」まさにその通りですが、中国は本音で日本と友
好関係を築きたいと思っているのでしょうか? その疑念が日本国民の中にあ
るのです。中国の言う「友好」とはなんでしょうか?

例として挙げられておりましたが、南京事件について「東京裁判の不完全な統
計によると、という枕詞[まくらことば]が付く」とのお話でしたが、では何故
「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」の入り口に「VICTIMS 300000」と堂々
と書かれているのでしょう。

私が見学したときのパンフレットには「東京裁判の不完全な統計によると」な
どという言葉は見当たりません。

それに続いて「中国共産党の成果は素直に認めるべきです」とのお話ですが、
何を素直に認めるべきなのでしょうか? 毛沢東も周恩来も言わなかったこと
を、何故今「素直に認める」必要があるのでしょうか。

私が、中国での少ない仕事の中で理解できたことは、いつも「言い訳」と「強
弁」だということです。都合が悪くなると「言い訳」「良く見てみろ、こう書
いてあるじゃないか」、不完全な統計というのも、後だしジャンケンのような
後からの付け足したものと思えてなりません。

これでは「素直に認めるべき」と言われても無理です。中国と仕事をして相手
の言うことを素直に認めたら仕事になりません。これは常識で、政治において
も同様でしょう。

「60年前」とはいいますが、30年前初めて中国へ行った時、大変貧乏な生
活だったけれども人民にはピュアさと優しさがあったように思います。「日本
人が忘れかけていたものが中国にはまだある」と思ったものです。

それが今の中国に感じられないのが極めて残念でなりません。

タカヤンさんも仰っておりましたが、日清戦争の賠償金とODAの比較はよく
例えられますが、全く意味を成さないものです。

賠償金とODAとは全く性質の異なるものです。それを比較してODAはどう
だという説明は、まるで日清戦争で日本が清国から不法にお金を強奪したよう
な捉え方をしてしまう危険性を包含しています。

言わずもがなですが、「賠償金」というのは、当時、敗戦国から戦勝国に対し
て行われたものであり「国際法上の正当性」を有していたものです。「昔、俺
から大金をもらったくせに、今1万円ぐらい借りたからといって偉そうなこと
言うな」といっているのと同様です。

そうした主張は、個人間では許されることであっても、企業間ではありえない
ことです。まして国家間においては、このようなことを言い出すと関係が成り
立ちません。ヨーロッパなど、ポエニ戦争の時代から遡って賠償を取った・取
られたというようなものです。

お金をことを言い出したらキリがないですが、日清戦争で得た賠償金は2億両
[テール]、その後三国干渉があり、遼東半島を返却したことによる追加、及び
利子を含めて、最終的に約3億両になったといわれています。

ここで必ず出てくるのが「現在のお金に換算」という表現ですが、よく聞かれ
るのが「財政収入から計算して現在の価値では150兆円」というものです。
ーーーしかし、現在の価値なら150兆円だから、中国へのODAは多くない
とか少ないというのもおかしな話です。

単なるイメージとしての比較であればともかく、参考にしかならない数字で現
実の金額の大小を判断するのは間違いです。あくまで「現在の価値で」とする
なら、

1両[テール]=銀37.3g
2008年3月現在「銀10g=約677円」=「1両=約2525円」

賠償金3億両ということは、¥2525X3億=7575億円=現在の価格に
すると、たった「7575億円」の賠償金だったということになります。

また、物価指数からみた価格価値でみるなら、日銀で紹介されている平均物価
上昇指数1.09から算出すると、日清戦争当時の物価と現在とではだいたい
1万倍、ものによっては6万倍の差があります。

1万倍違うとすると、3億両=当時の日本円で4億円)は、現在の4兆円であ
り、6万倍違うとすると24兆円です。

このように、何を規準にするかで金額が大きく変わってきます。

150兆円というのが何を規準にして算出されたものか分かりませんが、比較
するものによってどのようにも解釈できる数字を元に、ODAの金額がどうの
というのは「中国へのODA金額はたいした金額ではない」という詭弁にしか
過ぎません。

まして、「昔、中国から大金をせしめているのだから、日本のODA金額など
ものの数ではない」というのであれば、それはもう、ほとんど暴言でしょう。

第2次世界大戦敗戦後、日本は在外資産の全てを「準賠償」という形で当該国
へ放棄してきました。その額は、当時の金額で3795億円で、この63%=
2390億円)が中国に渡されています。

それこそ今のお金にしても莫大な金額です。中国は賠償を放棄したといいます
が、準賠償というかたちで物理的なモノを得ているのです。「日清戦争では賠
償金をもらったが大東亜戦争では払っているだろ」という言い方もできます。

こんな「賠償金を払ったとか大金だったとか」そんなことを問題にすべきでは
ありません。「昔は昔、今は今」とケジメをつけて考えなければ、ダラダラと
どっちつかずの関係になり、両国のためになるとは思えません。

お互い、ケジメをつけるために「友好条約」を締結したのですから、割り切る
ところは割り切らないといけません。

何の説明で「世界銀行」を例にあげたのか理解できませんが、日本は1952
年から1965年まで世界銀行から融資を受け、黒四ダム建設、東海道新幹線
建設、その他製鉄所などの建設に使ってきました。

これは別に中国から借りたものではありませんし、1990年に全てを返済し
ています。借りたものは返したという当たり前の話です。昔日本が借りたから
「中国にお金を貸すのは当たり前」「中国にお金を貸さなければならない」と
いうロジックにはならないでしょう。

今では、世界銀行の最大の資金供与国は日本であり、その他に日本社会開発基
金を設けており、これにも莫大な資金を供与しています。一方、アジア開発銀
行においても最大のスポンサーは日本であり、歴代頭取も日本人が勤めていま
すが、この銀行から最大の恩恵を受けているのは中国です。

貧しい時代、日本は確かに世界からお金を借りました。しかしそれを全額返済
し、現在は貸す側となって発展途上国の発展に寄与しています。お金を借りた
ことに対して、日本は十分責任を果たしているのです。

ですから、借りたことを持ち出して中国への融資の是非を問うても何の生産性
もありません。ちなみにこの銀行融資は、中国へのODAの換算には入ってお
りません。

2007年11月を以って、対中国へのODA「有償資金援助」は中止されま
したが、無償資金援助と技術供与は今まで通りとなっています。問題なのは、
見た目のODA金額は減るものの、アジア開発銀行から中国へ、今まで以上の
融資が行われることになっており、結局中国への資金供与は何等変わりはない
ということです。

融資のルートが変わるだけで、国民の目が届きにくい銀行経由で融資される。
日本国民を欺く行為としかいいようがありません。べつに中国に貸すなという
のではありません、国民の税金が使われる以上、国民に分かるようにつまびら
かにしていただきたい。

ホームページの端っこに記載するのではなく、融資金がどのように使われたの
か、それを明確にしなければなりません。

日本のODAは、欧米から「ひも付き」と批判されます。

日本の中に、この利権を貪[むさぼ]る輩がいることは大いに批判されるべきで
すが、一方で、当事国から感謝されている面を忘れてはなりません。「日本は
金は出すけど、日本の企業が仕事を請負い、結局利益は日本が持っていく」と
批判されます。

確かにそういった面はあります。しかし日本は、ODA先に単純にお金を渡す
だけでなく、仕事の仕方も教えている=技術の供与)ということがあるのを忘
れてはなりません。

「欧米は、腹を空かしている人に食べ物を与えてくれたが、採り方は教えてく
れなかった。しかし日本は、食べ物はくれなかったが採り方を教えてくれた。
どちらが良かったか今になって分かった」

この言葉に代表されるように、欧米は、南米・アフリカに直接お金を渡したが
時の為政者の懐を増やすだけで、その国民が恩恵を受けることは少なかった。
日本が関わった東南アジアのODAと、欧米のアフリカへの援助をみると、ど
ちらがその国民のためになったか良く理解できます。

どちらが経済的に発展したかは、いうまでもないでしょう。

日本のODAは、1950年のタイ国への援助からスタートしたと言われてい
ます。最初は戦後賠償・補償という意味合いが強かったのですが、ただそれだ
けではなく、日本の技術も付与し、現地の人間に教え、自立できるように考え
ていたことは評価されるべきです。

ある意味、将来自分のライバルとなるかもしれない国を作ったともいえるので
す。現在の中国に対しても同様です。お金だけでなく、あらゆる分野での技術
協力という名前の「技術供与」、日本の職人、エンジニアが汗水たらして磨い
てきた技術を、現代中国に伝えている。

お金には代えられない「モノ」も渡している、そういうことを中国に理解して
もらいたいのです。「もらうのが当たり前」とするなら、それは「乞食根性」
といわざるを得ません。「情けないぞ!中国」といいたくなります。 

「歴史認識=謝罪ではない。ただ認識して謝罪の気持が生まれることを妨げる
必要はない」

まさにその通りで大いに賛同します。ただ、「認識して謝罪の気持が生まれな
いこと」を妨げる必要もありません。

中国の歴史認識と日本のそれとは大きく異なります。私は中国は歴史認識では
なく「歴史利用」だと思っています。利用するためのものが歴史なのかもしれ
ません。そこには、日本人が考えるような科学的な根拠も論理性も必要ないよ
うに思えます。

ですから、日本は中国の「歴史利用」に付き合う必要は全くありません。

ODA・銀行融資、大変結構です。お互いの国民への利益があるのであれば、
大いにすべきです。しかし現実を見て、有効に利用されているのか、日本の国
益に反することに使われていないか、そこは冷静に判断しなければならないの
ではないでしょうか。

日本は慈善団体ではないのです。ODAにしろ何にしろ、私たちの利益になる
ことを優先に考え行動すべきです。その姿勢を持たない限り、中国はいつまで
も中華思想という物差しでしか計れない国になってしまいます。

それは、中国の発展の為にもならないのではないでしょうか。

                        = この稿おわり =
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┌──────────「東間さん」 日本人として、そのとおりだと思います。 読んでいて目頭が熱くなってきたのは何なんでしょうか? 意味不明の文章ですみません、書かずにはいられませんでした。
└────────── ┌──────────「hideおじさん」
仲が悪いより良いほうがいいのは当たり前、困っている人がいれば助けましょ う、それが日本人の気持。時々「人が好過ぎる」との批判もありますが、私は こんな日本人でも嫌いにはなれません。 そんな日本人が「理不尽」と思うのは、よっぽどのことではないでしょうか。 中国は「友好」という名の下に日本を利用するという考えではないのか?とい う疑念がいつも私の気持ちの中にあるのです。仕事では中国の方は「経済と政 治は違う」と言ってくれます。しかし、価格交渉になると、たまに「中日友好 価格希望」と言ってきます。 ーーーこれは、一方的に日本に譲歩してくれと言っているのと同じ意味です。 自分の都合で「友好」持ち出してくるのか?友好というのは、そんな薄っぺら なものなのか?と日本人の私は思ってしまうのです。 確かに、中国は経済的にも工業的にも大幅に立ち遅れ、国民は貧困にあえいで いました。しかし、それは日本のせいではありません。 国共内戦、大躍進、 文化大革命というような中国の失政が招いたものです。 極論すれば、共産主義を選択したがために世界から立ち遅れてしまったともい えないでしょうか。もっと意地悪く言えば、自分のミスを日本との戦争のせい にしてくれるなともいえます。 日本のODAが、当初は戦後賠償・補償という意味合いがあったことは事実で すが、本筋はあくまで協力であって、戦争の賠償ではありません。それがいつ の間にか、中国へのODAは過去の清算、という意味合いが出てきてしまい、 そうするのが当たり前となってしまったこと、ーーーそれはおかしいと私は思 うのです。 戦後、日本は食べ物もままならないほど貧乏でした。 それでも日本人は一生懸命に働いて働いて、エコノミックアニマルと非難され ても汗水流して働きました。私たちの祖父母、父母、そして諸先輩方々、どれ だけ苦労してきたでしょう。 右翼だろうが左翼だろうが関係なく、一生懸命働いてきたのです。そして今の 地位を築いたわけです。自分が苦労した分、発展途上国が大変なことを一番良 く知っているのも日本です。だからこそ、財政赤字といわれながらも、協力で きることは協力してきたのです。 それを、中国への「ODAの金額はたいしたことない」「友好の為ならたいし た金額ではない」などと、安易に口にすることは私にはできません。いや逆に お金を出すということは中国を馬鹿にしているのかもしれません。 貧乏人に恵んでやる、助けてやるなどというのは日本の思い上がりであり、こ れほど中国を見下していることはありません。友好のためにしている、という 自己満足に浸って、本当は中国のことなど考えていないのかもしれません。 私も中国に仲の良い友人がおります。彼の頼みであればできる限り協力したい と思っていますし、現にそうしています。友人だと思うからこそ、時々苦言も 言います。 国際関係においても同様ではないでしょうか。「友好」というのであれば、日 本として、「中国よ!それは間違っている」と言うのが友人としての態度では ないでしょうか。安易に相手の言うことを聞くばかりでは、本当の意味の友好 関係を築けるとはとうてい思えません。 └──────────
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