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私見時事論談 ―――――――――――― by hideおじさん

☆ 憲法改正は必要!(2) ―――――――――――――― 2007/11/02
随分前の記事になりますが、みやさんの投稿を読ませて頂いていろいろ考えさ
せられました。
「ちょっと見過ごすことができないと」
「軍事力で解決できることは何もない」

その内容をつきつめれば、「戦争は嫌だ」ということに集約されるのでは、と
勝手に理解していますが、私個人としては、ご意見は尊重されるべきだと思い
ますし、頭から否定するものではないとも思います。

しかし、私はアプローチとして全く別の意見を持っています。

繰り返しになりますが、「戦争は嫌だ」というのは、極々普通のお考えだと思
います。まして子を持つ親であれば、至極当然のお気持と理解いたします。こ
れはなにも現代の母親だけでなく、戦前の親も、言葉には出さなくとも本音は
同じだったと思います。

世間はどうあれ、自分の子供だけは戦争に行かせたくない、と思ったでしょう
し、生きて還ってきて欲しいと祈っていたのではないかと思います。今も昔も
親の子供を思う気持に変わりはないと思います。

また、「戦争したくない」「戦争に行かせたくない」というのは、ごく一部の
「暴力」を肯定的に捉えている人たちを除けば、日本の場合、ハト・タカ関係
なく共通している願いだと思います。

このメルマガの読者にしても投稿者にしても、表現や言葉は違っていても「暴
力」には否定的でしょうし、「戦争は避けなければならないもの」ということ
では一致していると思います。ただ、「平和」に行きつくまでのアプローチや
考え方が異なっているだけではないでしょうか。

理想を大切に国際平和への道を考えるのか、現実に則した形で平和への道を探
るか、ーーーの違いだけのように感じます。

憲法改正反対派は、よく、自分と考え方・アプローチの方法が異なると、他方
を「好戦的」とか「タカ派」と断じる傾向が見受けられますが、正直いかがな
ものかと思います。また、自分たちと同じ考え方の人だけを「ハト派」と称す
るのも、少々驕りのように感じます。

少なくともこのメルマガの投稿者のご意見には「戦争肯定」というものはない
ように思います。現在の中国・韓国の状況について批判的な意見もありますが
それをもって「好戦的」とか「タカ派」とするのは誤りでしょう。

もしも中国・韓国の考えに合わせることが「正」だとするならば、現在のアメ
リカの意向に右往左往する日本は、相手を中国・韓国に変えるだけであり「自
主性」というものがなく、基本的にはどちらも同じなのではないでしょうか。

どちらであっても結局は他人任せの無責任国家ということになります。特に中
国の意向を尊重することが「平和」に通じるかの如くに称える論は、まるで社
会主義が「平和主義」だといわんばかりのようにも思えてなりません。

どこの国にもハトもタカもおりますが、考え方が違うからこそお互いに意見を
交換し、その時代時代に則して、国がいかに自主性を保ち続けられるのか、ど
のようにして国民を守っていくか、を真剣に考えています。ーーーそして現実
に合わせた形で憲法も変化させていくわけです。

振り返って、日本のハト・タカ双方とも、お互いにこの討議したか、となると
甚だ疑問です。互いに自分の主張を述べ相手を非難するだけで、根本的な問題
を先送りにしてきただけのように思えます。

「国」というのは「何時いかなる時でも、国土・国民・財産を守る」義務があ
ります。そして「国の義務」ということは「国民の義務」ということでもある
のです。他の誰かが護ってくれるのではなく、私たち自身が守っていかなけれ
ばならないものであるはずです。

だからこそ、誰かに言われて何かをするのではなく、自分たちの判断で自分た
ちの道を決めよう、というのが私の考えです。その為には他人任せにしていた
ものを自分でやることも必要です。まして、若い人たちが自ら、これからの日
本のありかたを考える上でも、双方の意見交換は非常に大切なことだと思いま
す。

国民の義務を果す上で、「戦争放棄」という途も当然選択肢のひとつでしょう
し、「自衛権の明確化」も、避けては通れない論点のひとつでしょう。

憲法というのはその国にだけに効力のあるもので、冷たい言い方をすれば、諸
外国からすれば余所様の憲法など関係ない、ともいえるのです。ですから日本
だけがいくら「戦争放棄」と憲法で唱えても、それで戦争に巻き込まれないと
いう保証はなにもありません。

さらに、憲法というのは、その国の国権の及ぶ範囲で有効なのであり、外国に
住む日本人には及ぼすことができません。対外的には「国際法」というルール
を遵守するというのが一般的なのですが、その万国共通のルールさえ無視する
国が日本の周りには存在しています。

「日本を攻めて何の利益があるか」「どの国が日本を攻めてくるのか」という
意見もあることは承知していますが、今現在はないからといって、未来永劫何
もないという保証はありません。

「日本は戦争放棄している国だから誰も攻めてこない」というのは我々の都合
だけであって、他国からすれば「非現実的」と思われるのが関の山でしょう。
実際には紛争にまではならなくとも、領海侵犯・拉致問題等々、1歩誤れば、
というような状況も少なくないのです。

表沙汰にはなっていませんが、日本海における領海侵犯まがいの事件は数限り
なくあります。有事の際にはどのようにすれば良いのかということを、近隣の
国々は検討しているのです。日本だけが「戦争放棄があるから何も起こらない
し、何もしなくてよい」とはなりません。

「だから友好が大切なのだ」という考え方も分りますが、将来に渡ってその関
係が続くという保証は何もありません。過去には、不可侵条約が有効であるに
も係らず平然と破って攻撃してきた国もありました。

そしてその国の社会体制を、いまだに意義あるものと考えている日本人もいま
す。友好を破った国のシンパが「戦争反対」「憲法改悪反対」などと叫ぶのは
ブラックジョーク?ーーーにもならないでしょう。

明治維新前後から、日本と米国は「不平等条約」を結んでいたとはいえ、友好
関係が長く続いていました。しかし、お互いの国益の衝突から戦争という方向
へ進んでしまいました。

ですから、遠い将来、また米国と事を構えることになるかもしれませんし、中
国・韓国とも、まさかのことがあるかもしれません。それは誰にも分らないこ
とです。

「ならば、何か起こったらその時に考えれば良い」という意見もありますが、
これもまた無責任極まりない考えでありましょう。国(国益)を守るということ
は、一朝一夕で成るものではありません。長い時間と費用を掛けていかなけれ
ばならないものです。ーーー何か起ったとき誰かに全て守ってもらうのであれ
ば、日本は日本である必要がなくなります。

戦前と現在とでは、国際環境も異なれば、戦争・紛争そのものの形も変化して
きています。また、海外に在住する日本人の数は戦前とは比較になりません。
日本国内では意識できないかもしれませんが、これらの海外在留日本人をどの
ように守るか、救うかという議論などほとんど為されていません。

嫌でも何でも、日本人が紛争に巻き込まれることがあるのです。湾岸戦争の際
に、クウェートに駐在していた日本人が、他の外国人と一緒にイラクの捕虜に
なったことがありましたが、日本は憲法の規定に縛られて、自らの手で救い出
すことができませんでした――――。

結局どうしたかというと、フランスに頼んで、航空機を出してもらい助けても
らったのです。ーーーお金を出してよその国に自国民を助けてもらったという
ことで、世界中の笑い者になったことを知る日本人は多くありません。

ある国で紛争が起こった場合、現状では自衛隊の飛行機で日本人を救出するこ
とも、避難させることもできません。----07年現在、限定的には可能となっ
ているが----。

日本周辺で事が起こった場合でも、在日米軍とどのように連携するか、空港な
どをどのように使用するか、などはほとんど議論されていませんし、法も整備
されていない、といっても過言ではないでしょう。

いくら掲げている憲法の理念が崇高であってたとしても、現実的に日本国民を
守れない憲法では、無きに等しいといえるのではないでしょうか。現実はきれ
い事ではなく、また、世界がパワーバランスの上に成り立っている以上、戦争
放棄という理念は理念として大切にし、一方、現実に則した形での国家の対応
方策を考えておくことも必要ではないでしょうか。

みやさんが、前にお話しされておりました「憲法とは元々為政者の行動を規制
するものです」というのは、近代憲法解釈としては全くその通りです。憲法は
国の仕組やお役所などの成り立ちについて定めたルールといってもよく、

18世紀後半の市民革命以降の解釈として、国やお役所、お役人が権利を振り
まわして国民の権利を奪わないようにする為につくられたルールといえます。

難しくいえば、「およそ国家の組織・構造に関する法を意味するが、近代的な
意味での憲法は、より狭く権利の保証と権力の分立によって、国家権力を制限
しようとするルールである」ということになります。しかし、為政者が好き勝
手をしないように、という一方、国民もまた好き勝手に権利を振りまわしても
良い、という解釈にはなりません。

また、国家の組織・構造に関する法というのは、言葉を変えれば「国体」とい
えるでしょう。これは、軍国主義や天皇崇拝という意味ではなく「国の体質」
「国の性格」という言葉に置き換えてよいかもしれません。

時代が移り変われば、国民の意識も変わり、権利や国の権力という中身も変化
していきます。人間が歳をとれば体質が変わるように、国も変化します。また
周りの環境によっても変化することは当然のことです。

以上のことから、時代に則した現実的な形で為政者をコントロールし、国民の
権利を守っていく憲法改正は、あってしかるべきだと私は考えます。本稿冒頭
でも申しましたが、

憲法の為に日本国民があるのではなく、日本国民の為に憲法がある、というの
が当たり前の姿ではないのでしょうか。

                        = この稿おわり =
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