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私見時事論談 ―――――――――――― by hideおじさん

☆ 神道と靖国(1) ――――――――――――――――― 2007/09/14
また夏が来ました。先の参院選の結果から、安倍総理が靖国神社を参拝するこ
とはないだろうと思っていましたら、なんと首相をはじめ全大臣が参拝を見送
るということで驚き呆れましたが、

ただ一人高市早苗大臣が参拝されたことで僅かに救われたように感じました。
――――靖国神社が、何か政治の駆け引きのように扱われていることに、日本
人として悲しい思いでいっぱいです。

いつになったら、だれもが静かに参拝出来る日が来るのか、遺族のひとりとし
て気にかかっています。難しい論争を抜きにして、遺族や関係者が気兼ねなく
普通の神社のように参拝させてもらいたい、というのが本稿でみなさんにご理
解頂きたいところです。
 
毎年、終戦記念日に靖国神社の前で怒鳴り散らかす右翼、何かに憑りつかれた
ように靖国批判を叫ぶ人たちに、私は怒りよりも悲しさを感じてしまいます。

他人に靖国参拝を強制するような右翼は論外としても、戦争賛美とか戦争の象
徴だとか批判する人たちは、いったいどれだけ靖国神社、そして日本の文化の
ひとつである「神道」について知っているのだろうかと思ってしまいます。

靖国問題はこのメルマガでも何度か取り上げられ、私も以前投稿させて頂きま
した。しかしこの問題は難しく、日本の文化、そして靖国の成り立ち、所管の
問題等々、複雑に絡み合っているところがなかなか理解しにくいのかもしれま
せん。

改めて神道から掘り起こし、靖国神社について考えてみたいと思います。

ーーーただ、詳しく説明するほど知識がありませんので、概略ということでご
了承願います。

大社・神社の多くは、その成り立ちが神話に基づき作られていることが多いと
いわれますが、これは天皇家を中心とする律令国家成立の過程で、政治的理由
の為後で作られたとする説が有力です。

本来、神社は古来から信仰されていた土着の神(国津神)を祀ったもので、縄文
時代以来の土着信仰は、祭祀行事に名残を残していることが多いといわれてい
ます。(諏訪大社の御柱祭など)

また、八百万[やおよろず]の神と称されているように、日本では、森羅万象、
自然にあるもの全てに「神」が宿っていると考えられていましたが、日本人の
自然に対する畏敬の念と、その祭司を司る天皇家が結びついて、「神道」とい
う世界にも稀な「宗教」を創り出してきたと私は考えています。

一般的に「神道」というと「神社」を連想しますが、神道には、大きく分けて
4種類あります。我々が普通口にする「神道」は「神社神道」と呼ばれるもの
で、その他に「皇室神道」「民間神道」(その土地の守り神等々を祀ったもの)
そして「教派神道」(天理教や金光教等13種類あるといわれる)があります。

「神道」の名の由来は中国の易経などに見られます。日本の神道とは意味合い
が違うようですが、母系社会に通じることから、古代日本の社会とも重なり合
うということで「神道」という名称があてられたともいわれています。

日本で初めて神道という言葉が現れたのは「日本書紀」であり、日本固有の信
仰を表したものといわれています。この日本書紀も、渡来人(中国人)が執筆し
たという説もあり、中国人が日本固有の信仰に対して神道という名前をつけた
のではないかともいわれています。

その神道も、仏教の影響を受けたり、儒教の影響を受けたりと非常にフレキシ
ブルなものです。このフレキシブルなところが、宗教に限らず日本独特の感性
といえるかもしれません。唯一、キリスト教・仏教・イスラム教のように「カ
リスマ」性をもった人物を信仰するものではないというのが特徴です。

勿論、皇室神道は天皇の祖先を祀っているものですが、特定の天皇を祀るとい
うことではなく、先祖を祀るという点では、我々のいう神道と基本的には同じ
ものといえるかもしれません。

一方で、以前 OJIN さんの発言にもありましたが、「神道」を単純に「宗教」
という枠にはめてしまってよいのだろうか?という疑問もあります。個人的に
は「信仰」と「宗教」は、厳密にはイコールとはいえないと思うのです。

確かに宗教は信仰の対象ではありますが、信仰の対象は「宗教」に限られるも
のではありません。そう考えるのは日本人独特の感性ではないか、と思うので
す。日本各地にある○○信仰(出雲信仰など)というものは、神道に近いもので
もあり、土着宗教みたいなものでもあり、何でも「神さん」と思うのは日本人
の特徴かもしれません。

一般的な「宗教」の定義を見ると、
「教義があること」
「教団があること」
「戒律があること」
「年中行事や儀礼などの儀式があること」
「特徴となるシンボルがあること」
とあります。

これからすると、日本の「神道」と当てはまりそうなものと、そうではないも
のに分かれます。ですから OJIN さんが仰ったように、単純に「宗教」という
枠で捉えるには少々無理があるように感じます。

この神道(国家神道)を法律的に「宗教」と定めたのは、戦後GHQの「神道指
令」です。それまで大日本帝国憲法においては、「国家神道」は宗教とされて
いませんでした。帝国憲法においても「信仰の自由」は曲りなりにも定められ
ていましたが、国家神道は別として、当時の内務省神社局が取りまとめをし、
陸海軍の所管であったことが特徴といえます。

その他の「宗教団体」には国家が直接関係することはありませんでした。但し
軍国主義色が強くなっていた時代において、宗教団体も警察などの監視下にお
かれていたということもあり、左翼系の集団はとみに弾圧されたともいわれて
います。

宗教関連で有名な事件が、昭和7年、当時の上智大学生の靖国神社参拝拒否事
件です。今でも時々、戦前の宗教弾圧の代名詞のようにいわれることがありま
すが、内容は少し複雑です。

敬虔なカトリック教徒である上智大学生が、軍事教練の配属将校から靖国参拝
を強要され、他の宗教儀式には参加できないと拒否したものです。事件を受け
て、東京大司教だったシャンボン氏が、時の鳩山文部大臣に「靖国神社参拝は
愛国心と忠誠を表すものか、宗教的儀式を表すものか」と問い合せしました。
 
一神教であるキリスト教カトリック教徒にしてみれば、至極当然の疑問であり
拒否であったでしょう。鳩山文部大臣は、「靖国参拝(敬礼)は教育上の問題で
あって、宗教的意義を有さない。あくまで愛国心と忠誠を表すもの」という回
答で一件落着し、その後は宗教に関係なく靖国参拝は宗教儀式を伴うものでは
ないとされてきました。

この結果は、カトリックの総本山バチカンでも追認されました。それは戦後、
1951年に出されたバチカンの新しい指針が確認しています。
┌--------
戦没者への敬意は宗教儀礼ではなく、国民儀礼とみなされてきた。日本政府は
明確に言明してきたし、この数世紀間に儀式の意味は変化した。だから靖国参
拝は許可され、教皇特使ドハーティ枢機卿は(昭和12年に)参拝したのだ。
└--------

では、戦前の日本人は大社や神社に対して「宗教」という捉え方をしていたの
でしょうか?

上記の鳩山文部大臣の回答を見ても、一般的な日本人は宗教的な意味合いで神
社を理解していたとは思えません。私個人として神社というと、「宗教」とか
「宗教法人」という感覚を持てないのと同じように、戦前の人々も神社を「宗
教」とは捉えていなかったと思うのです。

神社はあくまで生活空間のひとつであり、年に一度のお祭りの場所であったり
子供時代の遊び場であったり、天災などの際の避難場所であったりという、生
活の中に根ざしたごく普通にあるもの、という感覚ではなかったのではないか
と思うのです。だからこそ、神社の参拝は宗教的なものとしてではなく、慣習
に基づく儀礼とされたのではないかと思うのです。

確かに、現在、法律的には靖国神社も、国家神道の総本山といわれる伊勢神宮
も「宗教法人」ではありますが、これを「宗教施設」と理解している日本人は
どれだけいるのでしょうか?

みなさんも、頭では「宗教」と分かっていても、気持ちとしてはすっきりしな
いのではないでしょうか。この微妙な感覚というのが、諸外国には理解できな
いものなのかもしれません。

神道を敢えて「宗教」という枠で捉えても、「経典が無い宗教」「宗教戦争を
一度もしたことがない宗教」ということをみると、「神道」というのは一種独
特のもの、大げさにいえば日本の文化のひとつと考えられるのではないでしょ
うか。(注:近代において教義論争はありました)

それを戦後すぐにGHQが、戦争を肯定する象徴として「靖国神社」を槍玉に
挙げ、取り壊しにかかったり、多くの宣教師を日本に送り込みキリスト教徒を
増やそうとしたり、今上天皇が皇太子だった時に、敬虔なクリスチャンの家庭
教師をつけたり、なんとかして「神道」を消し去る努力をしました。

しかし、結果は「神道」がなくなることはありませんでした。それだけ日本国
民の中に染み付いた文化であり、生活に根付くものだったからだと思います。
 
                        = この稿つづく =
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この記事は、メールマガジン「縄文塾通信」2007年9月17日発行号に転載して頂きました。とても真面目で面白い、素晴らしい無料 マガジンです。購読申込みページはここをクリックして下さい。(←別のウインドウで開きます)
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