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我が半生と、そして祖父の足跡と ― by hideおじさん

☆ 青年は荒野を目指した?(2) ―――――――――― 2005/09/02
―― 中国・北京

初めての国際線、初めての外国に胸を膨らませ、最初に降り立ったのが中国・
北京でした。今では近代的な空港になっていますが、当時は滑走路脇にはワラ
の掘っ建て小屋があり、人気も無く閑散としたみすぼらしい空港でした。

回りを見ると、軍服を着た人とか人民服姿の人がいて「お!やっぱり中国だ」
などと感心して見ていました。

大きなリュックを背負っている小汚い日本人がよっぽど珍しかったのでしょう
か?ーー空港を出た途端、いろんな人が私の周りを取り囲み質問攻め(多分)。

北京語など全く分らない私は、日本人独特の愛想笑いでその場をしのぎ、北京
市内へ向かいました。しかし何処へ行っても中国人民に取り囲まれ「こりゃ、
えらいとこに来てしまったものだ」と思ったものです。

でも彼らの目には怒りや憎悪は感じられず、ただ単に日本人に対する興味だっ
たと思います。なんとなく「わざわざ日本から来たのか?」「よう来たな」な
んて雰囲気でした。「小日本」とか悪口を言われていたのかもしれませんが、
言葉が全くわからない私には、彼らの言葉をポジティブなものとひとり喜んで
いました。

人民広場ではトウモロコシ屋のおっちゃんが、トウモロコシを一本ただでくれ
たり、身振り手振りで「家で飯を食っていけ」みたいなお母さんがいたり、想
像していた共産国の中国とは全く違うのに少々戸惑いもありました。

「中国、なんか良いとこじゃん」ってのが第一印象でした。

言葉が分らない私には、中国人の話はみんな好意的なものと、甚だ勝手に解釈
していましたが、しかし、これが無残に裏切られ、現実を知らされるまでには
そう時間は掛かりませんでした......。

当時の中国には、ヨーロッパでは当たり前のツーリストインフォーメーション
などなく、ましてユースホステルなどという気の利いた宿があるわけもなく、
やっと見つけ出したのが「ドミトリー」風の木賃宿。 これがまた、素晴らし
く不潔で、素晴らしく騒々しいところでした。

学校の教室みたいな部屋に2段ベッドがいくつかあり、空いているところに勝
手に寝るのですが、ふと見ると、初めは「白」だったと思えるセピア色のシー
ツ、世界地図を描いたようなシミだらけの枕カバー、多少の汚さには無頓着の
私にも、「こりゃキツイなぁ」って感じでした。

しばし佇んでいる私を見つけた同室のイギリス人の青年が、「寝袋使ったほう
がいいよ」とアドバイスをくれ、それ以来何かとお互い助け合い、奇しくも彼
と私の「日英同盟」が始まりました。

ホッとしたのもつかの間、「ドヤ・ドヤ・ドヤ」と私達の部屋に「公安」とお
ぼしき強面の人々が入ってきました。当時外国人といったら「○○大飯店」に
泊まるのが普通であり、こんなドミトリーみたいな安宿に泊まるのは、犯罪者
が国を逃れ隠れているとみられても仕方ないということらしいです。

確かに、素っ裸で歩き回っているオランダ人、隅でコソコソ何やら相談してい
る中国人っぽい集団、ーーー確かに怪しいっていえば怪しいです。海外脱出2
日目にして、中国公安のお世話になるなどとは思ってもいませんでした。

やはり、日本の友人に「アメリカに行こうゼ」といわれたのを素直に聞いてい
れば良かったと、20歳にして異国の地に身を沈めることになりそうな自分を
ののしりました。

しかし、我も日本男児!

同じアジアの人間「話せば分る!」と身振り手振りで説明すれば理解してくれ
るはずと意気込んではみたものの、「アイ・アム・ジャパニーズ!」と言って
も「我日本人!」と書いても問答無用、悲しくも私とイギリス人の友人らは、
古ぼけたパトカー(?)に乗せられ、公安事務所とおぼしきところへしょっぴか
れてしまいました。

片言の日本語を話せる係官から「中国へは何をしにきた?」と聞かれ、「観光
に来た」と5ヶ国語辞典を引くつもりが動転していたのでしょう、ーーー思わ
ず「歓迎光臨」の文字を指差してしまい

「おんのりゃぁ!なめとんのか!ワレ!!」というような感じで激怒され、慌
ててソーリーの連発。ーーーその時私の頭をよぎったのは、満州の果てで強制
労働をしている自分の姿でした。

「嗚呼大地の子」

確かに当時は、文化大革命が過ぎ去って間もなくのころでありましたし、また
日中友好条約も締結されて間もない頃であり、苦労して「正規」ビザを取った
とはいえ、不法入国と勘ぐられても仕方ない状況ではありました。

だいたい個人申請で中国への観光ビザが下りたこと自体不思議です。私はVI
Pでもないですし.....。

怯える自分と比べ、別室から聞こえてくる英国人の彼の堂々した声には驚きま
した。中国語で言われているのも何のその、英語で「これは不当だ!直ちに大
使館の人間を寄越すよう依頼する」「とにかく英語の分る人間をよこせ!」と
大きな声を出しているには感嘆しました。
ーーーそれにくらべ「ソーリー」としか言えない自分が情けなくなりました。

先方も、言葉が通じなければどうしようもないと分ったのでしょう、暫くして
英国大使館の人と、日本の外務省北京事務所の人がやってきてくれました。
なんとか無実が証明され、無罪放免となったのですが、外務省の人にはきつく
お説教を受けえらいへこみました。

しかし、良く考えれば、私は何にも悪いことをしていませんし、誰にも迷惑を
掛けていないのにこの対応なないでしょう。今もって私たちが公安に連れてい
かれた理由は分りません。

外務省の人は、「怪しいと思ったんじゃない」と冗談ぽく言ってましたが、確
かに、空港で宿泊ホテルを適当に書いたのが悪かったのかなぁと思ってます。

後で聞いたところによると、あの怪しい中国人連中は前から目をつけられてい
たそうで、同室だった我々も同じ穴のムジナと思われたのだそうです。

こんなひ弱なムジナもいないでしょうが「ん〜んこれが共産党の国か」と無理
に納得し、外務省の人のご好意で、ちゃんとしたホテルを紹介してもらうこと
になりました。

あのドミトリーに荷物を取りに一端戻ると、同じように戻ってきた日英同盟の
相手が何やらえらい剣幕で怒っておりました。「どうした?」と聞くと

「リュックが無い。誰か盗まれた!」と大騒ぎ。−−−ドミトリー中を探し回
ったのですが出てくるわけも無く、
「来るんじゃなかった」とぼやくことしきり・・・・。

                        = この稿つづく =
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┌──────────「ミカの赤い服さん」

hideおじさん、こんにちは。 「ますます楽しみ」に投票しました。

※普通のパック海外旅行では体験できない出来事ですね。
ハラハラドキドキしながら拝読しました。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

あまり堅苦しいのではなく、面白可笑しい話にしたいと思っています。

脳天気な私が、あまり健全とは思えない理由で海外へ飛び出した経験ですが、
多少笑って読んで頂ければ幸いです。 不定期ではありますが「アジアのお茶
紀行」とか「インドで托鉢」「不眠のネパール」「イスラエルで百姓一揆?」
「アフガニスタンにロンドン?」というような内容で進めたいと思っています
ので今後ともご感想お願い致します。

└──────────
┌──────────「goodsyunさん」

「当時の中国には」「当時は滑走路脇にワラ小屋があり」

当時とは何時の事? 19○○年の中国とか、20年前の中国とか、読む者に
分かるように書いて欲しい。時代の分からない当時の中国、面白そうです。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

第一回目に「昭和50年代初頭」とありますので、繰り返しとなると読みづら
いかと思い「当時」という言い方をさせていただきました。ただ、ご指摘のよ
うに、回が変わると単に「当時」と書かれると時代が曖昧になってしまいます
ね。次回作においては充分留意致したいと思います。

私は北海道の田舎の高校を出、2浪の末東京の大学入学を果し、そして2年生
の晩秋昭和53年11月に初めて中国を訪れました。裕福な日本人の私からす
れば粗末な服装の人たち、色彩の無い町並みは違和感がありながらも、どこか
懐かしさも感じました。

好奇心旺盛な人たち、赤いほっぺたの女の子、彼らの笑いには人懐っこさがあ
り日本人の私よりも幸せそうに笑っていたのを覚えています。そのような人た
ちに触れた時、「ああ俺もアジアの人間なんだな」と感じ入ったものです。

現在の中国は、表向きには非常に豊かになったかもしれませんが、私としては
初めて行った時の中国のほうが好きです。

└──────────
┌──────────「大原敬一さん」

私は、中国については戦前からのイメージとしてそんなに悪くは思っていませ
んでしたが、最近の共産中国は大嫌いになりました。こんな御粗末な国は無い
と思ってます。中共軍の為に戦死した仲間もいるんです。

ーーー因みに私は大正12年生まれのインテリじじいです。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

私は中国そのものは嫌いでもありません。生まれて初めての海外旅行先を中国
としたのも「三国志」や山水画で見た「桂林」のイメージのせいもあります。
一方で、「アメリカのようなチャラチャラしたところなんか」という天邪鬼な
意識もありました。

何より、高校で学んだ世界史、中国史に興味があったことの影響が大きかった
と思います。中国以外で、教科書の「中国史」にこれほどページを割いている
国は日本以外にはないように思います。それほど日本にとって中国の影響は大
であるといえるでしょう。

しかし、戦後生まれた「中共」は、ことごとく私の「中国」イメージを壊した
といえます。無論私個人の感情ですから甚だ勝手だと思いますが、悠久の大地
に「正義」を掲げて走り回る英雄たちというイメージと、現在の中華人民共和
国とは重なりません。

中国の尺度が「正」という考えは、どう贔屓目に見ても賛成出来ません。それ
に対して右往左往する現在の日本もお粗末ではないかと思っています。

大東亜戦争で亡くなられた方々に対して、今の日本人は胸を張れるかというと
甚だ疑問でもあります。大原さまのようなご苦労された方々の話しを真摯に耳
を傾けることも必要と私は思っています。もし機会がありましたらいろいろと
お話しをお聞かせ頂ければあり難く存じます。

└──────────
┌──────────「横浜の人さん」

hideおじさん 大変な経験をされて今では良い思い出でしょう。
入国時の宿泊が、申請と違っていたからではないですか。

私も、入国時錦江飯店と申請、しかし友人(中国人)宅へ宿泊。近所のおばさん
に密告されるか(‥‥共産主義が頭に‥‥)いつもビクビク。ーーー困るのが、
人民元に両替時、宿泊名を書けと言ってくる。そんな時はまだ決まっていない
と言って切り抜けている。

今年はタイに1ヶ月滞在して、バイクを運転中検問に遭いヘルメットを被らな
いからと罰金を払えと。タイは4人乗り、小学生が乗っているし、ノーヘルな
どあたりまえの国。ーーーたまたまその時にかぎり、私もノーヘルで運転中捕
まってしまった。

罰金400バーツを告げられ、タイ人皆ノーヘルと言うと、警察官が見てみろ
と、、検問通るライダー見ると皆被っている。タイ人に騙された気分になり、
罰金を支払う。レシートを請求するとないとくれない。

もしかしてタイ名物ニセ警官かと強気に出たが、警察署で支払ってもよいとい
うから信用した、、悔しかったが今ではよい思い出と残っている 旅とはアク
シデントがないと残らない。ーーーまだ平和な旅なんでしょうね。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

私が生まれて初めて海外に出た時は、平和日本をそのまま引きずって、夜の街
でも下町でも、トラブルに遭うことなど考えもしませんでした。今から考える
と「平和ボケ日本人」を絵に描いたような人間だったなと今更ながらに恐ろし
くなります。

ーー「ラオスに行こうゼ」と、安易にタイ国境まで行って「アホか!」と叱ら
れたこと。ーールーマニアの国境駅で「イェ〜い!」と写真を撮っていたら、
国境警備隊(?)みたいな人に銃口を向けられたこと。ーーインドの汽車で靴を
脱いで寝ていたら..次の朝なくなっていて、くしくも托鉢僧みたいになったこ
と。
ーーー怖いことですが今では楽しい思い出のひとつになっています。

悔しい思いも、人種差別の怒りも経験しましたが、それ以上にその国々の人の
心に触れられて楽しかったのも事実です。

日本にいると「日本」を感じることはありませんが、海外では、嫌でも「日本
人」であることを認識されられます。その中で感じたことは「日本人は信用さ
れているな」ということです。

この「信用」は一朝一夕で培われたものではなく、戦前・戦後を通して外国で
活躍された日本人のおかげかもしれません。ーーーちなみに、中国と国境を接
している国のほうが、より日本人を信用してくれているといえるかもしれませ
ん。(嫌味かな?)

└──────────
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