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私の目の前の天安門事件 ――――― by hideおじさん

☆ 私の目の前の天安門事件(3) ―――――――――― 2005/06/24
取敢えず、通常業務には支障がないだろうと言われていたが、身の安全を含め
て一時帰国を勧める指示も出され、私自身も帰国を考え始めた。しかし、折角
ここまで来て仕事も中途半端で逃げ出すようでは仕事先の人の不信感を募らせ
るのではないかと思い、上司には残りたい旨お願いした。

上司からは、残ったとしても仕事にならないだろうから経費の無駄使いだとも
言われたが、なんとかお願いして北京に残ることにした。実際、提携している
日系企業からも「え〜帰るの?」と少々嫌味交じりに言われていたので会社の
面子的にも良かったと思っていた。

しかし、それで私は何か自由にして良いという免罪符でも得た気持ちになった
のか、興味本位でこの天安門広場での成り行きを見に出かけるようになった。

実際には、戒厳令以降、天安門広場への立ち入りは禁止されていたので、広場
で何が起こっていたのかは想像するしかなかったが、学生・市民が戒厳令への
抗議で100万人規模のデモを行なっているというニュースが入って来た。

いくら広い天安門広場とはいいいながら、100万人という人間がどのような
状態で集まっているのかは想像しにくいと思うが、人の熱気で陽炎が立つよう
な状況であった。博物館側からこの様子を友人と見ていたのだが、誰かが何か
を叫んでいるのに合わせて、100万人規模の、歓声ともつかないどよめきが
地響きのように「ウォーー!」と伝わってくる。

腹の底から突き動かされる声というか、周りにいた海外メディアの中には、涙
を流してこの様子を見ている連中もいた。正直私も、出来ることならあの輪の
中に入りたい気持ちにもなった。

ーー友人は「中国が変わるぞ」とつぶやき「歴史に立ち会えるなんて」と震え
る手でシャッターを押していた。確かにあの時、あの場所にいた誰もが「中国
は変わる」と思ったし「歴史は動いている」と感じていたはずである。

―― 5月も押し迫った頃になると、

ホテルの部屋にいても学生・市民の歓声が聞こえ、広場だけでなく近辺の道路
でも夜遅くまで歓声があがるようになっていた。心配だったのは、趙紫陽氏と
李鵬氏の動向だった。

あの、デモ隊への説得に当たったという話を聞いて以来、彼らの音信が途絶え
たというのである。友人は「あの、デモ隊への説得が彼ら最後の手だったよう
だ」「彼らが失脚したとなると相当ヤバイことになるな」と言っていた。

北京にいた我々は、外からのニュースというのが全く聞こえてこない状況で、
何がどう動いているのかさっぱりつかめなかった。唯一、プレスセンターのよ
うになっているホテルのロビーでの話だけが現状をつかむ手段であった。

我々のホテルにも毎日のように各国大使館の人間が訪れて現状確認を行なって
いたし、掲示板にはいろいろな連絡事項が張り出されていた。それをかいつま
んで読むことだけがニュースみたいなものであった。

不思議なのは、日本のメディアは、あれだけ学生に期待される言葉を掛けられ
ながらも、冷静であったように思う。逆に、欧米のメディアは変にハシャイで
いるように見えた。ーーーうがった見方かもしれないが、何か学生たちを煽っ
ているようにも思えた。

リップサービスというか、学生たちにインタビューしているのを度々見たが、
聞いている本人が興奮して、彼らの言い分に対して安請け合いしているように
思えた。
一方、日本のメディアはというと、私の感じでは学生・市民側というより政府
側の動向に注目していたように思える。

何故なら、私がずっと抱いていた不安であるが、学生・市民側の誰がリーダー
なのかということである。こういった運動には、カリスマのようなリーダーが
現れて民衆をまとめていくというのが歴史上一般的だと思うのだが、誰がイニ
シアチブをとっているのかさっぱり分らない状況では、日本のメディアも確認
の取りようがなかったのではないかと思う。

下手な報道は後々問題を起こすのでは?という暗黙の了解のようなものが日本
のメディアにはあったのではないかと思う。

事実、本来ならばリーダーたるべき趙紫陽総書記がさっぱり顔を見せなくなっ
たし、政府筋からは「デモは速やかに解決される」とだけコメントが出される
だけであったので、事がどのように進むのか判断が出来なかった。

まして5月の末には、広場防衛司令部が発足したなどというニュースが流れて
いただけに、冷静にみれば中国政府の「強硬手段もやむなし」というメッセー
ジにみえるはずであった。

しかし、欧米メディアは「広場に自由の女神が現れた」とか興奮して話し、今
にも中国が民主化されるような話しが盛り上がっていた。

ーー日本のメディアと欧米メディアの相反する雰囲気の中、
ーーそして、あの日がやってきた。

                        = この稿つづく =
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