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私の目の前の天安門事件 ――――― by hideおじさん

☆ 私の目の前の天安門事件(1) ―――――――――― 2005/06/03
1989年4月の北京はまだ寒かった。学生時代に訪れて以来、2度目の北京
だったが、すっかり都会の雰囲気に変わっていて驚かされた。 首都とはいえ
どこか田舎臭さを隠せなかったあの頃と比べると、国も人も自信がついてきた
ように感じられた。

社命で北京へ長期出張中だった私が、あの、世界を揺るがし、その後日中問題
に発展するきっかけとなった事件を目の当たりすることになろうとは想像だに
していなかった。

―― 4月中旬、10年ぶりの中国に、心躍らせて向かった。

胡燿邦元総書記が亡くなった後だけに、不穏な動きがあるようだとは言われて
いたが、外務省からは特段の注意もなく、極々平穏に仕事が進むものと思って
いた。

上司の付添いということもあり、お上りさん気分の私は、天安門広場にほど近
いホテルをとり、ホッと一息つき、これからの約3ヶ月に渡る中国生活をどの
ように過ごそうかとワクワクしていた。ーーガイドブックをペラペラめくって
今日は何を食べようか、明日は何処へ行こうかなどと、極めてのんびりとした
気持ちでいたものだった。

まずは初日ということもあり、北京といえば「北京ダック」だろうということ
で、上司と、当時駐在していた同僚と3人で、有名レストランで夕食をとるこ
とになった。学生時代の貧乏旅行の時に、トウモロコシをくれた天安門広場の
屋台の親爺はいるだろうか?とか、当時も賑やかだった王府井はどうなってい
るだろうか、などとタクシーの窓を流れる景色を見ながら思い出していた。

しかし、どうも街の雰囲気が何か昔と違う、、、賑やかにもなったし、綺麗に
もなった。しかし、説明はしにくいが、何かピンと糸が張っているような微妙
な緊張感が流れているのである。そのことを同僚に問うと「最近学生のデモの
ようなものがあって、政府もちょっと緊張しているみたいだよ」と説明してく
れた。その時は「そんなものか」程度で、緊迫感とは程遠い気持ちであった。

とある有名レストランで、初めての本場北京ダックに舌鼓を打ち、大満足して
いたところ、「あれ!?」と声を掛けて来た日本人がいた。「おー!お前か」
と回りの中国人が振り返るほど大きな声を出してしまった私だったが、大学を
卒業して以来の友人とバッタリ会った事で、懐かしさが先に立ち、マナーなど
どこかへ飛んでしまっていた。

彼は大学を卒業後某有名新聞社に就職し、ゴルバチョフの訪中による中ソ首脳
会談の取材で一足先に中国に来ているということだった。彼は大学在学中から
中国にはまり、留学までして中国語をマスターした奴だったから、中国で仕事
をするというのは、まさに水を得た魚という感じで生き生きとしていた。

そんな彼と、数十日後に、群集に紛れて逃げ惑うことになるとは、運命という
のは分らない、、、。

それからは、休日になるとその友人と遊び回る日々が続いたが、4月末頃にな
ると、学生を中心としたデモが大々的に行なわれるようになって、それまでの
旅行者気分が一気に冷めてきた。

友人に「何か雰囲気が違うように感じるんだが」と聞くと、「学生たちが民主
化を求めて天安門広場に集まっている」ということだった。 仕事先でも何か
落ち着きがないように感じたのはこのせいかと思ったが、友人は続けて「その
デモの人数が半端じゃないんだよ」と言ったことで、何となく雰囲気の違うこ
とが理解出来た。

友人が「ちょっと行って見るか?」という誘いで、夕方天安門広場へ向かうと
1ヶ所にこれだけの人間が集まっているのは生れて初めて見るというぐらいの
凄い人数が集まっていた。しかし、デモというぐらいだから威勢が良く、昔の
日本の学生運動のようなアジ演説が飛び交っているものとばかり想像していた
のだが、屋台が出ていたり、学生とおぼしき連中が談笑しているのが目に映っ
た程度だった。

外国メディアと見られた私と友人は、ほどなく学生・市民に囲まれた。

よく見ると、欧米のメディアとおぼしき連中も学生たちに囲まれていた。私は
中国語が分らないので、ただ側に立っていただけだったが、要は現政府の腐敗
や経済状態に対する不満をぶつけていたのである。

欧米のメディアにはTVカメラもあったせいであろう、学生たちは憑かれたよ
うにカメラに向かって何か叫んでいた。しかし友人は小首を傾げながら「なん
かまとまりがないように思わないか?」と話しかけてくる。

確かに、元気は良いのだが、それぞれ小集団に固まって同じようなことを言っ
ているだけなように見えるのだった。ただ、その場の勢いで暴走をし始めたら
怖いなとは感じられた。群集心理というか、自分たちの熱気が熱気を生んで、
取り返しのつかないことにならなければいいがと他人事ながら心配していた。

友人は「おい、革命ってのは案外こんなことから始まるのかもしれんぞ」と、
冗談とも本気ともつかないことを言っていたが、不謹慎ながら私も、少しそん
なことを考えていた。

それに、判官贔屓ではないが、学生・市民が盛り上がっているのを見ていると
その昔「安田講堂の攻防戦」をテレビで見ていたときと同じように、訳もなく
学生を応援したくなる気分になった。権力に立ち向かう学生・市民という構図
は、勧善懲悪の芝居のように日本人好みなのかもしれない。

現在のように比較的自由にニュースを得たり情報が早くなかった当時は、駐在
員同士の横の連絡や、在中メディアからの口コミニュースだけが頼りだった。

ホテルでテレビをつけても、決まりきったものしか放映していないし、だいた
い中国語が分らない私には、外で見る景色と、テレビに映し出される平和的な
映像は、全く別の世界のようでつまらない限りだった。

天安門広場の学生運動の輪が、だんだんと大きくなってきているようで、少々
ドキドキしていたのだが、結局一時的なもので、そのうち静かになるだろうと
も思っていた。中国のマスコミも、大騒ぎしているようには全然思えなかった
し、ホテルと仕事場を行き来しているだけの身には、他人事としか感じられな
かった。

                        = この稿つづく =
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┃┃ お便りで頂きました感想。
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┌──────────「ミカの赤い服さん」

hideおじさん、こんにちは。

まさに、嵐の前の静けさですね。私も、一応ニュースでこの後のことは知って
いますが、目の前で体験なさった方のお話は貴重だと思います。
犠牲者の方には気の毒ですが、これからの生の目撃談に期待しています。

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┌──────────「hideおじさんから」

同じ日、同じ時を過ごした仲間はまだいるのですが、いろいろ事情があり書け
ない部分もあります。本来なら一介のサラリーマンがこんな大きな事件の現場
に行くことなど懲罰ものであり、ホテルからも出られる状態ではなかったので
す。
しかし、多くの方々の好意によってこのような現場に立ち会えたことは、現代
中国を知る上で貴重な経験になったと思っています。一方、こんな怖い思いは
二度とゴメンというのも本音です。

あの時、民主化を叫んで熱く燃えていた中国の若者が、今は愛国無罪と叫びな
がら反日に熱くなっていると思うと、全く別の国になってしまったような気も
しています。

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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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