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祖父の朝鮮・満州懐旧談録 ――――― by hideおじさん
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| ☆ 朝鮮..祖父の悔惜譚(5) ―――――――――――― 2005/08/12
創氏改名、また朝鮮語授業の選択科目化について、どう取り扱うかは学校単位
の判断に任されていました。ある学校では「学校方針」として創氏改名を進め
るところもあり、また別の学校では「各家庭に任せる」としてタッチしなかっ
たところもあったそうです。
朝鮮語授業についても同様で、選択科目として残そうとした学校もあり、一方
では授業そのものを廃止した学校もあったのです。当時、小学校の校長という
のは、内地人だけでなく朝鮮人校長も非常に多かったことを忘れてはなりませ
ん。
「校長先生みんなが創氏改名に反対し、朝鮮語選択科目化に反対したのではな
い」と祖父が語っていたところをみると、逆にこれを支持した内地人・朝鮮人
校長もいたということでしょう。
また「校内での朝鮮語会話禁止」という決りを作った学校もあったそうです。
日本語教育の徹底という意味もあったのでしょうが、誤解して頂きたくないの
は決して「朝鮮語否定」ということではなかったということです。
ですから、日常生活では朝鮮語が普通に使われていましたし、終戦になった後
「朝鮮語が話せない朝鮮人はいなかった」という事実からも「言葉を奪った」
という言い方は正確ではないと思います。
朝鮮語の新聞とか、京城放送というラジオ局においても朝鮮語番組はたくさん
あり、アナウンサーに朝鮮人も多かったということからも「言葉を奪った」と
いうには無理があると思います。
事実、総督府より「日本語教育の徹底」という指示はあったけれども、一方で
「朝鮮語否定と捉えかねない方針は極力これを慎むべし」という通達も出して
いたとのことです。
実際、私の母は朝鮮の国民学校を出ておりますが、その通信簿を見せてもらっ
たところ、確かに「朝鮮語」という科目が載っておりました。 ちなみに成績
は「乙」となっていましたが、朝鮮語禁止などいうのは全くの事実誤認といえ
ます。
このような誤認が生まれた理由は、校内での朝鮮語会話禁止とした学校があっ
たこと、一般家庭で「国語(日本語)常用の家」などという看板を立てさせたと
ころもあったことなど、目立つところで日本語常用を奨励したことが、朝鮮語
廃止運動だと曲解されたからではないか?というのが祖父の意見でした。
朝鮮語を話すと警察に捕まったなどという話は全くのデタラメであり、内地人
に対し侮蔑言葉を投げたことで警察沙汰になったという話からの作り話だろう
と言っていました。
祖父の「わしは毎日朝鮮語を話していたが、一度も捕まったことはない」とい
うことでも誤解だと分ると思います。ーーー内地人が朝鮮語を話しても問題な
くて、朝鮮人が朝鮮語を話したら捕まるなどというのは、常識で考えてもおか
しな話です。
また、亡くなった母も、創氏改名の後でも近所の仲の良い友達は朝鮮名で呼び
合っていたし、何の咎めを受けた覚えもないと話していました。
しかし、「やれ」と言ったり「控えろ」と言ったり、ここでも総督府の態度が
ファジーだったのは否めません。当時、反対派がいたり賛成派がいたりという
複雑な政情が色濃く反映しているのではないかと想像します。
これらの「柔軟性の欠如と曖昧さ」が、朝鮮人に誤解と不信感を与えたのでは
ないでしょうか。しかし、太平洋戦争が厳しい時期の日本政府・朝鮮総督府の
政策のみを非難するのは誤っていると思います。
朝鮮人にとっては不愉快な政策もあったかもしれません。しかし「教育」とい
う観点から見ると、多くの朝鮮人が教育を受けられる道を作ったのは朝鮮総督
府であり、36年間の教育政策全体から検証することが「正しい歴史認識」に
繋がるのではないでしょうか。
いま振り返ってみると、祖父は「朝鮮を擁護」する話が多かったように思いま
す。―――といってもただやみくもに擁護していたわけではなく、当時の状況
を踏まえて「心配り」が充分とはいえないのではなかったかという反省を含ん
でいました。
祖父は自分らが行なったことについては頑として「正しかった」と言っており
ました。 充分とは言えないものの、四民平等の教育を進めたことは、終戦後
も韓国の教育制度の基礎になったのです。
なにより、(今になって)植民地といわれますが、識字率高く、文盲率が極端に
低かった植民地(?)は、この韓国と台湾を除いて世界中で他にはにはないので
す。終戦後、連合国の思惑に翻弄されながら、しかしどこの植民地よりもいち
早く「独立」を果たし得たのは「韓国」なのです。(北朝鮮もありますが)
これは、独立を果せるだけの「下地」が既に出来あがっていたという証左では
ないでしょうか。ーーー所謂「七奪」が本当にあったのならば、いくら優秀な
大韓民族であろうと、これほど早く独立を果すことができたとは思えないので
す。
ですから、私は朝鮮や台湾を、単なる「植民地」という言葉で表現してよいも
のか、大いに疑問を持っています。
―― 最後に、祖父はこんなことも話していました。
「何処かで何かを見落としてしまったのかもしれない」
第2の故郷と思っていた朝鮮だけに、祖父の複雑な思いと悔しさがこの言葉に
凝縮しているように思えます。―――日韓併合から今年で100年になります
が、祖父の話を振りかえってみると、単純に日本が「良い」とか「悪い」とか
いう歴史の判断は正確ではないと思います。
人間のやることですから、互に間違いもあり、誤解もあったのでしょう。それ
をもって日本だけを非難し謝罪を求めることは簡単です。しかしそれで、韓国
も日本の進歩的文化人も、100%満足出来るのでしょうか。
一時的には溜飲を下げられるかもしれませんが、日韓協力という将来にとって
それが良い方法とは思えません。一方的に「非」を認める、認めさせるという
のは、極論すればどちらかが上で、どちらかが下という新しい「差別」を生む
ことに繋がるのではないかと感じます。
それは、決して健全な国と国との関係とはいえないと思います。 永遠に謝罪
を続けることを日本に求めるということ、過去に対する日本の発言を一切認め
ないということであれば、ーーーそれこそ、日本が昔、朝鮮で犯したとされる
「言論封殺」という「愚」を、現在において日本に強いるということになるの
ではないでしょうか。
お互いの言い分を受け入れた上で、日韓双方共に反省すべき点を反省し、もし
そこに良いものがあれば、現在にそれを生かす工夫をすることがーーー歴史に
学ぶということだと思うのです。
= この稿おわり =
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┃ ┃ アンケートコメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「yoさん」
最終回の最後の3行に全ての解決策が凝縮しましたね。
平凡で長い道のりです。hideおじさんありがとう。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
お互い素直に向き合うこと、簡単なようで一番難しいことかもしれませんね。
ただ、隣国同士が何時までもいがみ合っていては、安全保障の面からも経済的
な面からも良いわけがありません。
日韓が、恩讐を越えてというまでには、まだまだ長い道のりでしょうが、自分
らの子供には「憎しみ」や「反省」だけの教育は避けなければならないと思い
ます。
└──────────
┌──────────「lonsome carboyさん」
お疲れ様でした。朝鮮半島関連の話はタッチーでしょうが、真実は実体験に係
わった人にのみしか判らないので貴重な読み物でした。新聞・テレビはもちろ
ん、教科書を含めて、様々な言論への見えない圧力がある昨今、ネットの影響
力は益々増す事でしょう。ーーー有難う御座いました。
さて、前回のコメント欄で「ミカの赤い服」さんが井筒監督の名前を出してい
ましたが、井筒監督といえば、金正日が拉致を認めた後でも「拉致など無い。
全部フィクションだ」と言っているそうですね。
一説では、同監督が過去に撮影中の映画で、無理なスタントにより若手の俳優
が死んでしまい映画の製作が中止になり莫大な借金を背負い込んだ。それを某
氏(組織?)が肩代わりし、その後は彼らの言いなりになっている、という悪い
話も聞きます。
ネットや週刊誌上でのガセ話かもしれませんが、先日、テレビのインタビュー
番組で彼を見ましたが、やはり言動が何というか、いろいろと符号する面が。
ーーーテレビ・映画を含めて、メディアを席巻している勢力の力を感じます。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
長い間お付合い頂きありがとうございました。
祖父の場合、公の場で朝鮮時代のことを話すことはありませんでしたが、それ
でも、総督府の役人だったことが知れると、周りから疎まれる雰囲気がありま
した。
祖父は意に介さなかったようですが、本当はくやしかったのではないかと思い
ます。自分らが骨身を削ってやってきたことが、犯罪のように思われたらやり
きれなかったのではないでしょうか。
祖父だけでなく、満州においても朝鮮においても、民の為と働いていた人はた
くさんいたと思います。そんな日本人を無視して、歴史に向き合えるのか甚だ
疑問です。戦前の日本は何でも悪い、という視点だけで歴史を振り返るのは誤
りだと私は思っています。
井筒監督の件、真偽のほどは分かりませんが、憲法を改正して子供を戦争に行
かせない云々という本に名前を連ねていました。その本のコメントにしても、
テレビでのコメントにしても、何か判で押したような話は、綺麗事過ぎて説得
力に欠けます。ーーとにかく楽しい映画を作って下さいとだけ言いたいです。
└──────────
┌──────────「バックスバニーさん」
hideおじさんのこの話を毎回楽しみにしていました。ごくろうさまでした。
私の舅も朝鮮半島で生まれ育ちましたが(終戦のとき財産をみんな置いて帰国
したらしいのですが)、こういう話をしてくれません。慰安婦のニュースなど
が出ると「バカらしい!(そんな事実はなかったという感じで)」というだけで
す。
ーーーこうして文章にして読ませてくださったことに感謝します。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
コメントありがとうございました。
祖父も、ほとんどの財産を朝鮮と満州に残したまま帰国したそうですが、「手
荷物といったら一升瓶の水だけだった」と笑っていたことがありました。本文
では書きませんでしたが、帰国まで南朝鮮で過ごした時期も大変だったようで
す。
なけなしのお金で食糧を買い食い繋ぐ状態だったのですが、日本人キャンプに
押し入り金目の物を奪っていく連中、炊出しの鍋の中に石や砂を投げ込んで行
く連中、それに抵抗する日本人を袋叩きする連中、それを笑って見ている米国
兵、ーーー悔しくて悔しくて仕方なかったとも話していました。
日本兵は絶対そんなことをしなかったのに、乱暴・狼藉をヘラヘラ笑って見て
いるような米国兵に負けたというのが信じられなかったそうです。
そんなこともあったので、お舅さんも、話をするのも悔しいという気持ちでは
なかったのではなかろうかと思います。
└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」
hideoおじさん、こんにちは。 本当にお疲れ様でした。
――他所では聞けない本当に貴重なお話を、ありがとうございました。
できれば、貴方の連載記事を、また拝読したいです。
――『lonsome carboy』さんが井筒監督のことをコメントなさっておられます
が、映画『パッチギ!』を観ていて「舞台になった時代のせいかもしれないけ
れども、視点がかなり左がかっているなぁ」とは感じていました。
しかし「拉致など無い」と井筒監督が主張なさったとは知りませんでした。
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┌──────────「hideおじさんから」
約半年お付合い頂きありがとうございました。当時の日本人がどのように生き
ていたか、少しでもご理解頂けたらありがたいと思います。
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┃ ┃ 追加のコメント。
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┌──────────「hideおじさん」
昨日(14日)靖国神社を参拝してきました。
日曜日ということもあるのでしょうが、たくさんの参拝者に驚かされました。
今年の特徴はというと、若い親子連れやカップルが多かったことでしょうか。
昨今の中国・韓国の反日で、図らずも靖国神社の知名度が上がったからかもし
れません。ーーー日本の若者に、改めて「靖国神社ってなんだ」と思わせてく
れた中国・韓国に感謝しなければなりませんね。
ところで、韓国人のグループや、広東語を話しているグループが、笑いながら
ビデオを撮っていた姿も印象的でした。ーーー大げさにしているのは大人だけ
で、案外、若い人たちはもっと先を見ているのかもしれませんね。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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