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祖父の朝鮮・満州懐旧談録 ――――― by hideおじさん

☆ 満州編(3) ―――――――――――――――――― 2005/05/20
しかし、開拓が進み地元の人たちとも交流が深まってくると、日本人はそんな
ことをしないということが知れ渡るようになり、日本人を騙った山賊・盗賊は
満州人や中国人であったり、朝鮮人であることが分っていったそうです。

今でこそ「抗日パルチザン」などと英雄視する国がありますが、真面目に抗日
運動をする者は、やはりそれなりにしっかりしていたようですが、だいたいは
「強盗」となんら変わらないものであったそうです。ーーそれも「ゲリラ戦」
の一手段といわれるかもしれませんが、どう贔屓目にみても、私利私欲で動い
ているようにしか思えません。

祖父は学校普及に向け、満州の僻地廻りをしていましたが、とにかく春・夏の
虫の凄さには辟易したそうです。特に畑の近くでは、口も開けていられないほ
どで、病気にならないほうがおかしいような状況だったと言っていました。

そんな中で、虫に刺されながら一所懸命耕作に励んでいる開拓団の人たちを見
て、日本人の勤勉さを実感させられたそうです。

冬は冬で、家屋の中であっても凍死してしまうぐらい寒くなることも珍しくな
く、実際、朝起きてみると、布団の口元のあたりが凍っていてバリバリになっ
ていたなどという、信じられないようなことも普通だったそうです。
ーーーそんな開拓団の人々が、さらに不幸のどん底に落とされるとは思いもし
なかったのでしょう。

祖父は、田舎廻りをしていた関係もあったのでしょうが、太平洋戦争が始まっ
ていても、それが難しい局面になってきているなどとは夢にも思わなかったそ
うです。
何となく怪しい、、と感じるようになってきたのは昭和19年頃であり、出張
の時、汽車の乗客の中に兵隊がやたら多くなってきていることや、満鉄の人か
ら「どうもヤバイらしい」という話を聞かされてからだそうです。

祖父は、結核を患ったことがあり、また、ド近眼だったこともあって、兵役を
免れていたそうですが、周囲の知り合いたちがどんどん兵隊に取られていくの
を目の当たりにすると、自分もそろそろか、と腹を括ったそうです。

―― 昭和19年の秋になると、

それまでは徴兵のなかった朝鮮でも、徴兵制度が執られるようになり、労働者
として日本内地へ送られる人間も出てきたということを聞き、もうこれは先が
見えたと考えるようになったと話していました。

そして、未だ満州の生活に馴染めずにいた家族らを、取敢えず内地の実家に戻
すことを考えたそうです。 内地に戻ることのほうが危ないということも聞い
ていたそうですが、そこは父の勘というか、外地にいるよりは親兄弟や親戚の
いる内地のほうが安心出来ると思ったそうです。

これが結果的には幸いした訳で、祖父の判断がなかったら、今の私が存在して
いるかどうか分りません。

祖父と同じように、満鉄の人の中にも、家族だけを朝鮮まで下げたり、内地に
戻す人もいたようですが、開拓団として満州に来られた人たちには、そんな話
は全くされなかったようです。実際に祖父も、どうも状況が危ないから日本に
戻れとも言えなかったし、現実的に言えるような状況ではなかったのですから
仕方なかったのでしょう。

まして、既に満州の地に根付いている人たちを見ると、それまでの彼らの努力
を捨ててまでどうにかしろとは到底言えなかったということです。では内地に
戻って彼らの生業をどうするのか、そこまで責任を持った答えも出来なかった
訳ですから、隔靴掻痒の感は否めなかったのではないでしょうか。

―― 昭和20年になり、

益々雰囲気が変わってきたことは肌で感じるようになったようです。

内地では労働者不足と言われておりながら、どうも朝鮮から日本へ行く船もな
くなってきたようだという噂も流れ、関東軍自体も落ち着きがない感じに見え
たそうです。

3月になると「東京がえらいことになったらしい」という話しが流れてきて、
いよいよ危なくなったと思ったそうですが、満州の田舎を見ると、戦争などと
いう雰囲気は感じられず、日々真面目に働く日本人の姿だけが、いやに眩しく
映ったと言っておりました。

5月に入ると「ソ連の動きがおかしい」という噂が頻繁に流れていたそうです
が、まさか不可侵条約を結んでいるソ連がと思う一方、ソ連ならやりかねんと
いう気持ちもあったそうです。

事実、街の雰囲気自体、言葉では説明が難しいほどなんとなく重苦しい空気が
流れていたように感じたようです。「何かおかしい」と思いつつも、1官吏と
しては、目の前の仕事に取り組むよりほかなく、ハルピンで暫く過ごしている
ところに、あの8月を迎えた訳です。

「ロスケが攻めてきた!」という同僚の話で、飛び上がるほど驚いた祖父は、
文教部の上司に連絡を取ったのですが、電話も繋がらず、何をどうしていいの
か分らなかったそうです。

まず最初に考えたのは、どのようにして近隣に点在している開拓団村へ連絡を
したらよいのか、ということだったようです。

祖父らは、直ちに軍へ向かったそうですが、全く相手にされなかったようで、
「役人が口出しするな」と怒鳴られる始末でした。「何とか手分けして連絡だ
けでも」と考えたようですが、何しろ、守ってくれるはずの軍隊がアテになる
ような状況ではないのですから、丸腰の役人では、出来ることも限られていま
した。

                        = この稿つづく =
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┌──────────「ミカの赤い服さん」

hideおじさん、こんにちは。
「知らなかった。そうだったのか〜」に投票しました。

◆前回の『那珂邦和さん』のコメントを拝読して:
貴兄のお祖父さまから聞かれた話と、貴兄のコメントをはっきり区分けること
には賛成します。また、貴兄が御自身の価値観でコメントをつけられることは
良いことだと思います。

◆日曜日の『hajimeさん』の記事と同じように、貴兄のお祖父さまのお話は、
貴重だと思います。「個人の見聞なので、全体を見ていない」としても、それ
は当たり前です。様々の方の生の声から真実が見えてくる、と私は思います。

◆「開拓地に虫が多い」というお祖父さまのお話を伺って:
シベリアのツンドラのような湿地帯だから、虫が多かったのでしょうか?
北海道の釧路湿原は泥炭地で、虫が多いそうですね。

◆マンガ『狼の星座』は、全4巻が講談社のコミック文庫として発行されてい
ます。書店のマンガ文庫のコーナーにあると思います。

ーー大変だと思いますが、これからも連載を続けてくださいね。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

「狼の星座」買いました!通勤電車で見ていたところ私と同世代の人から「ど
こで売ってました?」と聞かれました。懐かしさからか同じように興味を持っ
ている人がいることに少し嬉しく思いました。

今回初めての連載で、いろいろ読み苦しい点は多々あるかと思いますが、お付
合い頂き有り難く思います。確かに祖父個人が見たものは極々一部のことであ
ろうと思います。
ーーですから「そうとはいえない」というご意見ももっともなことでしょう。

実際に満州で生きた方、当時をいろいろ勉強されている方々からたくさんの声
を聞くことで、真実が見えてくると私も思っています。そこから私の知らない
祖父が少しでも見出せれば、祖父が私に伝えたかったことが理解出来るのでは
ないかと思っています。

◆「開拓地に虫」の話ですが、子供の頃、近所の畑を祖父と歩いていたときに
ふと漏らした話です。ーー北海道の田舎は、普通に歩いているとトンボがぶつ
かってきたり、笑うと口に入るほど虫が多かったのです。

私が嫌がっている姿を見て、祖父が「満州では口も開けていられないほど虫が
多かった」と話していました。大袈裟だと思いますが「虫の音で寝られないこ
ともあった」ということですから相当なものだったのでしょうね。

そんな環境でも日本人は生きていたのです。そんな苦労をしていた日本人のこ
とを、私たちはほとんど知らずに育ってきました。でも、彼らが一生懸命生き
てきたからこそ、今の私たちがあることを忘れてはいけないと思っています。

北海道では、冬が近くなると「雪虫」が飛び交います。米粒ぐらいの大きさの
ハエのような虫ですが、背中に真っ白い綿のようなものがついているのです。
この虫が飛び始めると雪が近いと北海道の人は思っていました。(今では見な
いようですが)
祖父はこの虫を見て「満州でも飛んでいたな」と言っていました。

祖父は案外ロマンチストだったので、他人の良いところだけ見ていたのかもし
れませんね。

└──────────
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┃┃ お便りで頂きました感想。
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┌──────────「十八子松戸さん」

こんにちは。「祖父の朝鮮・満州懐旧談録」の愛読者である十八子松戸です。

開拓団の日本人は普通の生活者です。国に呼びかけられ寒い満州大地にやって
きました労働者です。この事自体は彼らにとって何の非もありませんでした・

悪いのは当時の日本政府でした。
中国の許可無しで、土足で他人の家に踏み込んできました。

ですので、
{祖父は「自分は良いことをした」とはひと言も申しておりません。}は事実
だと思いますが、しかし私に言わせると、大いに「良いことをした」をしまし
たと言ってほしいです。

60年前の戦争自体は間違っていたとしても、一般人の日本人達は社会常識、
人間道徳を守って生きていましたことは事実ではありませんか。
戦争が間違ったら、この国にやってきた全ての人を否定するとはあまり短絡的
な判断だと思います。

一歩引いて、譬え開拓団が、現地人とトラブルがあった場合に軍の勢力を頼り
にして苛めることをすれば別ですが。ですから開拓団にも、悪い人もいれば良
い人もいる、また良い人は多数だと私は思います。

ただ、
那珂邦和さんの感想文も一理があるような気がします。これはhideおじさんに
とっては一つ新鮮味として受け取られると良いではありませんか。
お書きになっている文章に、いつもよしよしと合わせてくれて刺激なしのまま
なら、文章自体もおもしろくなくなりかねません。
ですから、
那珂邦和さんのような鋭い見方と率直な指摘は、ここで沢山現われると良いで
すね。その上にhideおじさんのご文章も、ますます充実していくと私は期待し
ています。(偉そうに言ってしまいました)

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

十八子松戸さん、コメント大変嬉しく思います。

私が大学生だった頃、祖父に「泥棒がよその家に無理やり入りこんで、整理整
頓してやったのだから良いことをしたというのは詭弁だ!」とくって掛かった
ことがありました。これに対して、「物事を一面からだけ捉えるな」と祖父に
諭されたことが改めて思い出されます。

ですから、みなさまからのコメントは、私にとっても非常に勉強になりますし
良い刺激にもなっています。那珂邦和さんのご指摘は的を得ていますし、率直
なご意見はあり難いものでございます。このような感想をたくさんの方々から
頂ければ、祖父が語らなかった満州をもっと知ることが出来るのではないかと
期待しています。

満州拓殖公社におられた人の話でも、当時決して誉められる行為ではなかった
ということもありました。一方、祖父の話にもありましたが、満州開拓団の人
の話として、「騙された」という話も良く聞いたそうです。

昭和初期の日本では、農村不況により女の子を売ったり、口減らしが行なわれ
たりと、社会情勢も不安定になっていました。――その延長線上に軍部の台頭
があったり、2・26事件があったりしたわけですが、国家的な口減らしの為
に満州へ送られた農民も多かったのではないかと想像します。

政府より、半ば強制的に地方自治体に「満州へ送る人員を確保せよ」との指示
がありましたし、それに逆らうと自治体への補助金を減らすという脅しもあっ
たと聞きます。

ある人は「開拓団とはいえ、国防を担う一面も持たされていた」と言いますし
「開拓で得られるものを期待していたわけではない」ともいわれています。
詳しい事情を知らないのは開拓団の人ばかり、、といえるかもしれません。

ですから当時の開拓団の多くは、不毛の地を目の前にして「騙された」と感じ
たのではないかと思います。これらの人たちを単純に土地を奪取した「悪者」
とはいえないというのが私の考えであり、彼らもまた被害者ではなかろうかと
思っています。

いろいろな言い訳があるにせよ、やはり当時の、こと満州開拓についての日本
政府の方針は身勝手だったといえるでしょう。

しかし一方では、日本の海外投資のほとんどが満州帝國に注ぎ込まれていたこ
とも事実であり、それによって満州が近代化され、多くの工業が発展したこと
も見落としてはならない一面だと思います。結局は日本のためだと言えるかも
しれませんが、後々の中国発展に少なからず影響があったことは故毛沢東主席
も話されていたことです。

満州に居た日本人と満州人の全てがいがみ合っていたのであれば、戦後取り残
された日本人は伝え聞く以上の悲惨なことになっていたかもしれません。しか
し、日本人を助けた満州人の話も良く聞きますし、日本人の子供と知りながら
も大切に育ててくれた満州人もいたわけです。

当初はイザコザもあったかもしれません、また満州の風習として子供を大切に
するということもあったのでしょう。また、「大地の子」にあるように「人買
い」に売られたこともあったのかもしれません。

しかし、人間としてお互い認め合う気持ちもあったからこそ、日本人を助けた
のであろうと思っています。祖父はそんなごく普通の人たちの交流を目の当た
りにして、「摩擦」があるとは思っていなかったのではないかというのが私の
想像です。

私個人としては祖父を誇りに思っていますし、祖父は良いことをしていたと言
いたいです。ーーーしかし、祖父は昔の人間なのでしょうか、「私は良いこと
をしてきた」とは言いませんでした。

日本人独特のものなのかもしれませんが、女性にもてた話以外は自分のことを
自慢しない人でした。だからこそ、孫である私がこんな生き方をした日本人も
いたことを皆さんに知ってもらいたいというのが本稿の主旨になっています。

二つの国を見てきた十八子松戸さんならではのお話しもあるかと思いますが、
機会がありましたら、今後いろいろお教え頂ければ幸いです。

└──────────
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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