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祖父の朝鮮・満州懐旧談録 ――――― by hideおじさん
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| ☆ 朝鮮編「強制連行と帰国事業(2)」―――――――― 2005/04/22
―― さて帰国事業を考えてみますと、
ふたつの段階に分けて考えなければなりません。昭和20年8月からの「計画
送還」と、昭和34年から始まった、よく知られている「帰国事業」です。
旧厚生省の記録で見ると、終戦の直後から、内地にいた朝鮮人の祖国への帰還
希望が多くなり、日本への引揚者を乗せてきた船に乗り込んで韓国へ帰った者
が相当な数に上りましたが、それでも帰りきれない朝鮮人が大騒ぎし、厚生省
の関係部門に陳情や抗議が行なわれたと記録されています。
終戦直後ということで、政府もなかなか手が回らず、混乱を招いたことは残念
ですが、9月になると、占領軍の指導の下に、日本政府は鉄道・船舶など輸送
手段を確保し、責任を持って在日朝鮮人を帰国させることになりました。
この年の12月には、米軍の上陸用舟艇も貸し出され、彼らの帰国を助けるこ
とになりました。――これが「計画送還」と呼ばれるもので、日本政府の責任
と経費で朝鮮人、中国人等を帰還させることになったのです。
この場合は、帰国希望者は関係局に登録をし、希望日に帰還させるよう市町村
別に輸送計画まで立てて、希望者の漏れがないよう徹底すると共に、この機会
を逃したら後は自己責任になりますということまで通達しています。
しかし、最初は順調に進んだ計画送還も、昭和21年になると急激に帰国希望
者が減少するという現象が起こりました。これについてGHQより再三注意を
受けたらしいのですが、当初180万人程度の帰還を計画していたのに、50
万人(60万人ともいわれる)程は、帰国の登録までしておきながら結局帰りま
せんでした。
「このチャンスを逃したら自腹で帰ることになるんですよ。それに」
「自由に往き来ができるようになるまで暫くは帰れなくなるんですよ」
ーーと言われていたのにも関わらず帰らなかったのです。
現在、在日の人々は「帰国する為のお金と手段がなかった人が日本に残った」
という言い方をしますが、GHQに促されたという面はあっても、日本政府と
しては帰国費用と手段は用意していたのです。
また、「帰国する際に、財産の持ち出し制限があり不承不承日本に留まった」
という言い方もされます。―――これは残念ながら事実ですが、当時、日本の
経済はGHQの統制下にあり、戦後インフレの調整などで、計画経済下にあり
ましたので、預貯金を自由に出来なかったということも考えに入れなければな
りません。
特に在日の人だけをということではなく、日本人も同じく預貯金を凍結され、
自由に引き出すことができず、挙句にはインフレ調整でお金の価値が激減して
しまう目に遭っていますので、帰国する在日朝鮮人の財産だけを制限した訳で
はないのです。
では、上記の要因も含めて何故50万人以上もの人々が帰国をやめてしまった
のでしょうか?―――ここで注意しなければならないのは、在日期間が永い人
ほど残った人が多かったという事実です。
これは、
既に生活基盤が日本にでき上がっていて、且つ祖国との関係も希薄になってし
まっていて....今更帰国しても、親類縁者もなく財産もない状態なのに、急に
「帰りなさい」と言われても難しかったからでしょう。
ーーこうした状態の人々が、現在の在日韓国・朝鮮人の基数だと思われます。
一旦は帰国しようと思い立ちながら、上のような理由で無理だった人々もいた
でしょうが、やはり最も大きな要因となったのは、――昭和20年から21年
にかけて、朝鮮半島で社会不安が広がったこと、自然災害や病気の蔓延、労働
ストライキも頻発して、急激に経済状態が悪化していたことが、さらに大きく
影響していたのだろうと思われます。
ーー帰っても今以上の良い生活ができるとは思えないと判断したのでしょう。
昭和21年3月の米ソ協定によって、北朝鮮への帰国も始まる訳ですが、ここ
でもまた、登録の2割以下しか実際に帰国しなかったということも、この朝鮮
半島内での社会不安に大きな原因があったと考えられます。――実際、その後
すぐ朝鮮戦争が始まる訳ですから、当時の彼ら残留者の判断は間違いなかった
といえると思います。
ーーとにかく、非常に多くの在日の人々が、自分の意志で日本に残ったことは
たしかです。
一方、いったん帰国したにも関わらず、再び日本へ渡ってくる人々も増えてき
ていました。ーー所謂「戦後密入国者」といわれる人たちですが、これは不法
入国になりますから強制送還の対象になります。
しかし、
こうして運良く日本に戻って来られた人々が、後々大きな苦労を背負うことに
なるわけですが、だからといってこの場合は、自分の都合で行ったり戻ったり
した訳ですから弁護の余地はありません。
当時の日本人は貧乏のどん底に置かれており、比較論として在日の人のほうが
優越だったということも、帰国しなかった、或いは戻ってきた一因として考え
られるかもしれません。―――事実、この時期、商売で成功した在日の人々も
少なくはありませんでした。
しかし、その優越を感じていられた期間は非常に短く、社会が落ち着いていく
につれて、在日の人々の境涯は再び変転していきます。――1947年の外国
人登録令、選挙法改正という一連の動きの中で、難しい選択を迫られることに
なります。
外国人登録令というのは、在日半島人(終戦前までは日本国籍)が、日本人のま
までいるのか、それとも外国人になる(韓国国籍を選ぶ)のかを決めなさいとい
うもので、決して在日の人々全部に外国人登録を「強制」したわけではありま
せんでしたが、ただこの時期に、「戦後密入国者」の問題があったり、一方で
はGHQの指導もあり、「ハッキリ白黒」をつけなければならなくなったとい
う事情がありました。
当時の国際法・国際慣例の「(韓国に)正当に樹立された政府の存在が認められ
るまで国籍は変わらない」という観点から、この時期に在日半島人を日本国籍
から切り離すのは国際法違反であるという意見もありました。
大韓民国の正式な建国宣言は1948年(昭和25年)ですから、「正当に樹立
された政府」がこの時期にあったのかどうかが問題になりますが、何をもって
正当に樹立された政府とするのかは非常にファジーなものがあります。
1947年当時、建国宣言こそしてはいないものの、米国に後押しされた韓国
政府が既にできあがっていた事実をとらえて、「いや、政府はあったではない
か」という意見もあります。――また、1947年は新日本国憲法が発布され
た年であり、いろいろな法律が変わったり、新たに制定されたりした時期でも
ありました。
ともあれ、そこで韓国国籍のほうを選んた人々にとっては、自らの意思で日本
に残ったとはいっても、日本人(という扱い)だったのが、急に外国人扱いをさ
れるようになり、今まで受けてきた日本国民としての恩恵が受けられなくなっ
てしまたということで、彼らの心中[しんちゅう]が複雑な葛藤に揺れたであろ
う事は想像に難くありません。
戦前と同等の権利のない時期が1982年の難民条約批准まで続くことになる
訳です。こうして、終戦直後から1982年まで、在日朝鮮人は、日本に帰化
する以外では、一般の会社に就職することも困難を極めました。また、運良く
就職できたとしても何かしらのハンディがつきまといました。
さらに、会社勤めが出来なければ、また日本人でなければ、厚生年金も共済年
金も貰えないという現実は、この1982年になって国民年金への加入が認め
られるまで続くのです。―――それまで、年金とは別に生活保護という手段は
ありましたが、金額は微々たるものであり、満足な生活を営むレベルとはほど
遠いものでした。
―― 話を帰国事業に戻します。
朝鮮より日本のほうが生活が良いと判断して日本に残った人々も、やがて時間
が経つにつれて、やはり母国へ帰りたいと希望する人が増えてきました。
ーー日本赤十字社に、座り込み抗議やデモなどが頻発するようになるのはこの
頃からです。
そして、その動きに応じて出てきたのが「帰国事業」です。
――終戦直後は波打ったように帰国を希望したのにも関わらず、僅か半年ほど
で急激に希望者が減少した理由を、今回は、私なりに考察してみました。
= この稿つづく =
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┌──────────「坂道さん」
中国の反日行動について思います。中国に対する日本のODAは、1979年
から始まり、今年で累計3兆5千億を超えたそうです。国際協力銀行の資金援
助を含めると7兆円を超える金額と報道されています。
これが中国のインフラ整備に寄与したことは、中国国民にはほとんど知らされ
ていません。これまでの日本の支援は何の意味もなかったのでしょうか?
ーー日本人の一人として情けない気持ちになります。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
現在の反日行動については複雑というより寂しい気持ちで一杯です。坂道さん
のおっしゃるように、戦後、日本が中国に対して行なってきたことを全て中国
国民に伝えた上で、このような暴力を交えた反日デモが行なわれたのであれば
「残念だ」と思えますが、中途半端な情報で中国の若者たちがあのような行動
に向かってしまったのであれば、中国政府に責任の一端があるといわざるを得
ません。
まして、テレビでデモ報道を見ていると、過激なのはごく一部であり、その他
大勢は笑いながらデモに参加している姿を見ると、単なる「反日行動」とは異
なった意味合いが含まれているのでは?と疑問を持ってしまいます。
私が遭遇した第2次天安門事件での学生たちは、今回のデモの学生とは、全く
雰囲気も目の輝きも違っていました。一部過激な行動を取った学生らもいまし
たが、素人目にも「大義名分」は見てとれました。だからこそ欧米のマスコミ
も、学生らを応援する雰囲気があったのです。
ーー日本で学生運動が華やかだった頃、私はまだ中学生程度でありましたけれ
ども、どこかに「学生」たちを応援する雰囲気がありました。韓国での民主化
運動でもそうです。
しかし今回のデモは、日本の学生運動韓国での民主化運動のような「ピュア」
な面が見られないのです。もちろん学生運動には「暴力」もあった訳で「正」
とする気持ちはサラサラありませんし、当時の日本の学生運動を美化するつも
りもありません。
ーーしかし、
少なくとも私は、学生運動の根幹にあったものは「純真な気持ち」だった、と
思うのです。ところが、今回の中国での反日デモは、誰かが学生らの「純真な
気持ち」を利用した「デモ」ーーーーという疑念を拭い切れません、、、。
私は「デモ」そのものを否定するつもりはありません。中国には中国のお家の
事情があるでしょうし、「反日」を国是としているのであれば、それはそれと
しましょう。ーーしかし、だからといって他人の物を壊しておきながら「お前
が悪いからだ」というのは....呆れて開いた口がふさがりません。
対国内アピールだとしても、「それはそれ」「これはこれ」だと思います。そ
れを国際的な場で発言するなどというのは、良く言えば「故錦涛さんの苦慮が
忍ばれる」、しかし悪く言うならばば、「お里が知れる」といえるでしょう。
欧米の新聞も、珍しくこの反日デモを大きく取り上げています。ということは
欧米も中国の態度を訝しがっているという証左でありましょう。特にワシント
ンポスト紙においては、当初「日本批判」論調であったのが、「歴史を改ざん
しているのは中国である」というように変化してきています。
英国のインデペンデント紙でも「デモが起こることは日本にも責任がある」と
しながら、「阿片を持ちこむ為に起こした我が国の戦争には不平を言わない」
と皮肉りながら、、、「チベット侵攻や、毛沢東の犯した罪は一切教えていな
い」と....日中双方をたしなめています。
ニューヨークタイムスでは「最近、日本は自己主張を始めており、東アジアで
孤立する」と批判的論調が続いていますが、フランスのル・モンド紙は「若者
にとって、反日主義が不満表明の唯一の手段になったため、政府はそれを利用
するという危険な道に踏み入っている」「中国政府は、市場経済への移行に伴
う国内の政治的・社会的な緊張の制御に苦労している」と分析しています。
一方、批判の先鋒はドイツのフランクフルターアルゲマイネ紙で、日本に対し
「痛みを伴う過去の清算から逃れ、一度も自ら戦犯を訴追したことがない」
「戦後60年たち、自身を加害者というより敗戦国とだけ認識している。過去
の克服には全く取り組んでいない」と指摘しています。
これを受けてイスラエルのハアレツ紙は「自分だけが良い子になっている」と
戦争犯罪を全て「ナチスドイツ」のせいにし、自分らも被害者としているのは
如何なものか?ーーと釘をさしています。
このように日本に好意的論調、批判的論調さまざまですが、これほど「反日」
が欧米で取り上げられることは非常に珍しいことです。じぃ〜っと中国政府の
対応を欧米は見ているということでしょう。
それが、AA会議で、苦虫を噛み潰したような顔で小泉首相に向き合っていた
胡錦涛氏の表情に凝縮されているのではないでしょうか。
ともかく、理由はどうあれ、他人のものを壊しておいて「ゴメン」のひと言も
言えないような人間が尊敬されないのは万国共通ではないでしょうか。その上
で、「ところで小泉よ、靖国はどうすんねん」というのなら話の順序は分りま
す。ーーーまして地方政府を通して、まるでコソコソ被害保証をするなどとい
うのは、恥ずかしくないのか?ーーと言いたくなります。
ーー現中国政府の今の対応は、どうも、
「天に唾している」ように思えて仕方がありません。
└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」
hideおじさん、こんにちは。「知らなかった。そうだったのか〜」に投票しま
した。
◆今回の記事の内容は、初めて知りました。「国籍を選択する自由」と「朝鮮
半島へ戻る手段」を日本政府がキチンと与えていたのならば、在日半島人の方
たちは自由意志で残ったと判断するしかないですね。
あとは、日本国籍と朝鮮半島国籍、それぞれのメリットとデメリットの説明が
キチンと日本政府から為されたのかが、気になります。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
毎々感想をありがとうございます。
終戦直後の計画送還は、日本が自主的に行なったというより、GHQに促され
て行なったといってもいいかと思います。徴用・徴兵ということで日本に来た
わけですから、責任を持って送り返すのは当然のことでしょう。
しかし、当時日本はそこまで考える余裕がないほど打ちのめされていましたの
で、何事も後手後手に回ってしまい、在日半島人に対してキチンとした説明を
行なったとはいえない状況でありました。
また、このゴタゴタで、彼らに対する給料の未払い等の不手際があったことは
遺憾です。
これは非常に残念なことですが、ここでの対応が中途半端だったことが、後の
帰還事業に影を落とすことになります。今号の記事にもありますが、日本政府
としては結局「厄介払い」したいという意図が見え隠れするようになります。
私は、計画送還の際、徴用・徴兵で日本にいた半島人に対して「ご苦労掛けま
した」というひと言でもあったら、また別の歴史になったかもしれないと思っ
ています。いまさら言っても仕方ないことかもしれませんが、「気持ち」とし
て「協力ありがとう」の言葉を疎かにしてしまったことは反省したいと思いま
す。
一方、冷静に見て、「計画送還」において多くの在日半島人が日本に残ったと
いう事実は単に「強制連行」という言葉で片付けて良いものとは思えません。
何故異国となった日本に残ったのか?その理由を把握しなければ戦後の韓国の
歴史も語れないはずです。しかし、残念ながらこのようなことがあったことも
韓国では知らされていません。
また、後の日韓基本条約締結の際に、当時の韓国政府よりも「苦労を掛けたの
は韓国政府のいたらぬせいだ」とまで言っているのです。これも韓国では知ら
されておりません。
私は何も「賠償したから感謝しろ」とは言いません。 ただ歴史をいつまでも
政治の道具に使い、韓国国民に知らせることを疎かにして日本批判を繰り返す
ことはフェアじゃないだろうと言いたいのです。
先週韓国に仕事で行って参りました。幸いにも先方から「韓日協力していかな
ければお互いのプラスにはならない」ということを言っておりましたが、この
ように思っている人たちが多いのも事実です。ですから「韓国はけしからん」
とか「日本は妄言を吐く」などという単なる感情で物事を判断することだけは
厳に諌めなければならないと思います。
まず、「お互いの意見を聞く」
これがビジネスにおいても普段の生活においても基本であるはずです。それが
できない状況では「日韓友好」もうわべだけのものとしかいえませんね。
└──────────
┌──────────「Aruiさん」
この問題については、全く知らないことばかりです。
私が子供であったためにreal timeでは自分で学習する機会はなかっ
た。大人になった頃には、系統立てて教えてもらえる機会がなかった。
初めて聞く話ばかりですが、説得力あります。
きっとこうだったんだろうと思います。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
コメント頂戴しありがとうございました。
帰国事業の問題は、終戦当時から日韓政府の思惑や諸事情により、複雑さを呈
していました。私がこの問題に興味を持ったのは、祖父と在日韓国人の友人の
影響が大きかったと思っています。
特に友人は、一度韓国へ帰国したのですが、差別と虐めとによって再び日本に
戻ってきたという経緯がありました。所謂「強制連行」された同胞であれば、
その苦労を労い、暖かく迎え入れてしかるべきだと思うのですが、実際はその
反対であったということも多かったのです。ーーそれで、「何故そんなことが
あるのか?」というのが勉強してみようと思った動機でした。
友人のお父様、お爺様にいろいろと伺ったのですが、非常に答えに苦しんでお
りましたが、「少なくとも私たちは、強制で日本に来たわけではない」と話さ
れていました。そこで紹介されたのが、在日本大韓民国青年会中央本部発行の
「アボジ聞かせてあの日のことを−我々の歴史を取り戻す運動報告書:198
8年刊」という一冊の本でした。
そこに、日本に渡ってきた理由としてあげられているのは:
(1)徴兵・徴用 13.3%
(2)経済的理由 39.6%
(3)結婚・親族との同居 17.3%
(4)留学 9.5%
(5)その他 20.2%
(6)不明 0.2%
となっています。
このアンケートは、千人以上の直接面談によって取られた結果ですから非常に
信用に足るデータであると思います。まして日本人ではなく、在日韓国人の手
によって作成されたものですから「事実」と言って間違いないでしょう。
ここで「強制連行」とされるものが「徴兵・徴用」とされるのであれば、終戦
後200万人の半島人がいたということから、単純に計算してみると約27万
人が「強制」とされる数字になります。ーーここでも韓国政府・北朝鮮政府の
言い分と大きく食い違ってきます。
その他の20.2%をも「強制連行」としてみても、合計約67万人であり、
同じく韓国・北朝鮮の数字とは掛け離れております。
勿論「徴兵・徴用」を「強制」と単純に捉えるのは事実誤認となりますから、
27万人を鵜のみには出来ません。
しかし、そうであったとしても多くの人は「自由意志」で来日した、残ったと
言えるでしょう。ちなみに在日韓国人が苦労して作成したこの本は、韓国では
一顧だにされていません。
一方、日韓戦後処理の一環である「日韓基本条約」締結への動きは昭和21年
から始まりますが、実際の動きは「竹島」でも度々名前の出てくる「李承晩」
大統領の時代からスタートします。
ここで李承晩政府は、「在日韓国人の法的地位」を日本に求めてきます。
なるほど在日韓国人に対して「法的に保護して下さい」という言い分は「もっ
とも」と思えますが、「強制連行」された同胞であれば「責任を持って帰国さ
せるべし」というのが当たり前の話だと思うのです。
それをしなかった韓国政府は、間接的に「強制連行」を否定しているように思
えます。ソ連に抑留された日本人に対して、日本政府は「早く返せ」と言って
いますが、「法的に保護してくれ」などということは言っておりません。
強制的にソ連に連れて行かれた訳ですから、「早く帰国させろ」ということが
国としての普通の態度だと思うのですがいかがでしょう?
結局、韓国政府の対応を、在日韓国人は「棄民政策」だと非常に失望し、その
結果が北朝鮮への「帰国事業」に連なっていくわけです。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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