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祖父の朝鮮・満州懐旧談録 ――――― by hideおじさん

☆ 朝鮮編(4) ――――――――――――――――――― 2005/03/25
―― 話が前後しますが、

戦争中期まで、朝鮮では、朝鮮人は「普通学校」、日本人は「尋常小学校」と
区別されていました。日本人児童は基本的に内地と同じ教科書を使い、朝鮮人
は総督府が作った教科書を使っていたそうです。日本語能力に差があった訳で
すから、最初から一緒の学校で教えることが無理だったこともあります。

普通学校で使われる教科書は、朝鮮人が違和感を持たないよう、挿絵を朝鮮風
にしたり、歴史では朝鮮史や修身(道徳)の教科書で、有名な朝鮮人を取り上げ
たりと、児童が親しみを覚えるように気を使ったそうです。
また銘記されるべき点は、総督府よりの教育方針として「その土地土地の生活
習慣、文化を重んじ、それに沿った指導を行なうこと」と決められていたそう
です。ーー決して「日本」を押し付けるなということです。

京城神社の宮司は朝鮮人だったそうですし、そこには、日本の天照大神と明治
天皇と、そして朝鮮の神様も祭られていたとのことでした。事実、朝鮮のお祭
りも昔と同様に行なわれていましたから、朝鮮の文化を踏みにじった覚えはな
いと話していました。

集団参拝ということが強制ととられたのかもしれないが、日本人の子供だって
好きで行っていたわけではないだろうし、キリスト教の子は神社の前で待って
いたそうですから「強制」というのはおかしな話です。

当時の朝鮮総督府の基本的な考えは、日本政府の思惑とは違って、あくまでも
「朝鮮の自主独立」寄りだった点でしょう。総督府と日本政府とは、事ある毎
に対立することも多く、中には「お前は朝鮮人になったのか!」と怒鳴られた
人もいたそうです。
日韓併合とはいいながら、日本は日本(内地は内地)、朝鮮は朝鮮(半島は半島)
という意識が普通であり、「同じ日本」という意識とは少し違っていたようで
す。同じく日本人が統治していながら、日本内地と微妙に異なった意識の相違
が、戦後の日本に対する態度に影響したのかもしれません。

祖父らのような考え方は、当時の朝鮮においても少数派だったかもしれません
が、こと教育現場においては「日本と同じ」とは考えていなかったようです。
教育が進めば当然民族意識というものも高まるのが当然で、そのアイデンティ
ティーの高揚を、教育の成果と真摯に受けとめる教育現場と、「朝鮮人は朝鮮
人」と捉えていた日本政府とのズレが、後に大きな問題へと変わっていったの
かも・・・。

―― その頃、朝鮮において問題になってきたのは世代間のズレです。

併合後20年30年と経ってくると、子供や青年は問題なく日本語を理解出来
るようになってきましたが、その父母、祖父母は日本語が不得手であり、日常
は朝鮮語が主体である家庭でも、子供の話す言葉があまり分らないといった世
代間ギャップが生まれてきたそうです。

また、同じく子供といっても、初等教育しか受けられない家庭も多く(これは
日本内地でも同様でしたが)まだ日本語が上手ではない子供もいたそうです。
朝鮮人の子供の中でも、日本語ができる者は不得手な子供に対して優越意識を
持ちだしてきたーーというマイナス面も現れてきていたそうです。

―― これは私の想像ですが、

戦争激化と共に皇民化政策が推進されてきましたが、日本語一辺倒になったの
は、これら教育での問題も何らかの影響があったのかもしれません。日本であ
りながら日本語が不得手な人がいるということは、戦争遂行上問題が多いとい
う面もあったのではないでしょうか。

一方、増加する人口と労働賃金格差は厳然として存在しており、内鮮一体とは
いいながら、「一体」ではあっても「一緒」ではないという相反する現実は、
朝鮮人の中に、ある種の「オリ」として積み重なっていったのではないかと考
えられます。また、人口増加に伴う労働人口の増加は、そのはけ口を日本内地
に求めるようになり、大量の日本への人口流出現象が現れました。

しかし、先にお話ししたように「日本語が不得手」な人が就業できる職業とい
うのは限られ、当然人々が敬遠するような仕事に従事するほうへと流れるのが
自然と考えられます。内地人は「安価な労働力」としか見ていなかったとすれ
ば、過酷な労働条件・賃金格差・差別意識等々、日本人でありながら日本人と
「一緒」ではないんだという複雑な意識が、戦後の韓国人の在りかたに影を落
としたのかもしれません。

一方、そうではなかったという意見もあります。

確かに朝鮮総督府の通達として「労働条件・給与等、内地人と半島人の差別を
してはいけない」となっていましたし、手に技術を持っている人は内地人以上
の給料を貰っていた人も多かったそうです。

過酷な労働条件は内地人とて同じで、最終的に内地人は戦争にとられてしまっ
たので、朝鮮人が労働の主役となったので、朝鮮人だけ苦労があったと間違っ
た理解をされてしまったのではないかという意見もあります。

ただ、内地で働く為には定められた一定の条件を満たしておらなければならず
それを満たさない者は内地に行けなかったといいます。が、それでも日本への
渡航熱は冷めず、不法に渡ってくる半島人は非常に多かったそうですが、そう
した者たちがいろいろ苦労したであろうことは想像に難くありません。

―― ここでちょっと横道に逸れますが、

祖父が面白いことを言っておりました。「内鮮一体」「八紘一宇」など、今で
はよく耳にする言葉ですが、祖父が朝鮮にいた頃には聞かなかった言葉だった
というのです。ーー勿論、言葉自体は知っていたし、内鮮一体という言葉がよ
く使われていたことも知っています。
それより「一視同仁」という言葉のほうが身近だったと言っていました。 

祖父の不勉強ということも考えられますが、祖父が朝鮮を去り満州にいた時代
になってから盛んに叫ばれた標語らしいのです。「お役人が、てめぇの都合に
合わせてもっともらしいことを言ったにすぎん」とは言ってましたが、戦前は
ずっとこうしたスローガンが叫ばれていたと思っていた私には驚きでした。

大東亜共栄圏という国策に従って、これらの標語も出てきたようです。祖父に
よると、昭和13年までは..確か教科書にもそんな記述はなかったはずだし、
教育方針にもそんな事は決められておらんかったと言っていました。

これが、本当なのか嘘なのか、私には分りませんが、ご存知の方がいらっしゃ
いましたらお教え頂きたいところです。

祖父によると、朝鮮にいるときには感じなかったけれど、内地に戻ると「朝鮮
人は」という侮蔑意識を感じたそうです。確かに、最初に祖父ら朝鮮に渡った
日本人には差別意識がなかったかというとそうではなく、時間の観念や衛生に
対する意識等々、全く日本人の観念とは違っていたので「不憫な人々」という
目で見ていたのは事実だそうです。

私も子供の頃「朝鮮人は不潔だ」とか、「悪いことをする人」という意識があ
りました。ーー戦前の、日本内地での朝鮮人を見る目はもっと過酷だったのか
もしれません。
私の想像で申し訳ありませんが、そういった意識を、少なくとも私は持ってい
たこと、また祖父が感じていたことは事実であり、反省すべき点であると思っ
ています。ーー当時の内地にいた日本人も、朝鮮人に対し「優越意識がなかっ
た」「日本人と同じと思っていた」とは言いきれないのではないでしょうか。

――祖父は、このような矛盾を感じながらも、約20年に及ぶ朝鮮での生活を
離れ、生まれて間もない満州帝国へと赴任することとなったのです。

祖父は懐かしそうに朝鮮時代の事を語っておりましたが、当然綺麗事だけでは
なく、朝鮮人にとって明らかに不合理と思われる政策もあったと言っていまし
た。ーー同じ日本人であるとしながら、内地への渡航が制限されていたことな
どもその一例でしょう。 

ただ、却って日本人のほうに不条理なことが多かったのでは、とも言っていま
した。ーー例えば、食料が配給制度になった頃、日本人へのお米の配給は年々
減ってきたのに、朝鮮人への配給量は終始変化がなかったそうで、余ったもの
がよく市場で売られていたそうです。

またこれは祖父の時代ではありませんが、併合後の10年間、朝鮮人は税金を
免除されていたということです。経済活動に伴う税金は別だということでした
が、日本(内地)人の中には「俺も朝鮮(半島)人だったら良かったのに」という
冗談も聞かれたと言っていましたから、私たちが聞く「朝鮮総督府時代」とい
うイメージとは大分異なります。

こんな、当時の世界情勢、世界の論理、歴史的事実を客観的に眺める時、私は
朝鮮人の「感情」は「感情」として理解できるものの、それでも「日本は良い
ことをした」と思っています。――韓国人は「日本のせいで発展が遅れた」と
言いますが、それは詭弁としか感じられません。

当時朝鮮に渡った日本人は、個人の利益の為だけに行動していた訳ではなく、
それこそ朝鮮を故郷とし、骨を埋めるつもりで働いていた人々も多かったとい
う事実を見逃してはならないと思います。
例えそれが「結局日本のためだろう」と言われても、彼らから感じられるもの
は「個」ではなく「公」『パブリシティー』なのですから。ーーなにより朝鮮
人自身の理解や協力がなければ、あれほどの近代化も為し得なかった筈です。

―― 祖父が話していた終戦時のひとつの逸話です。

朝鮮の王族の一人が広島の陸軍にいたそうです。しかし、あの原爆投下に遭い
不幸にもお亡くなりになられました。お付の武官は、自分がその時傍について
いられなかったのが痛恨の極みと自刃したそうです。

そして、その遺体を陸軍の飛行機に乗せ、ソウルの奥様の元まで届け、朝鮮総
督府は彼の葬儀を「総督府葬」として丁重に扱ったというのです。驚くことは
その葬儀が8月15日に行なわれたことであり、それも天皇の終戦の玉音放送
を聞いた後で執り行われたという事実です。

終戦の将にその時、ポツダム宣言受諾によって朝鮮が日本ではなくなったのに
も関らず、総督府役人は勿論、軍人、財界人を含めて、大々的に葬儀が執り行
われたということに驚かされます。
ーー統治時代の朝鮮の人々の協力に感謝し、最後の最後まで「礼」を尽くした
日本人を、いったい誰が責められるというのでしょうか。

                        = この稿つづく =

お馴染み広東省深セン在のHAJIMEさん、最近多い休稿の罪滅ぼしのつもりか?
「hideおじさんへの援護射撃」として、以下の、参考資料になるURL  を
紹介してくれました。――――→ http://photo.jijisama.org/index.html

でも、ーーーこれは貴重な記録写真集ですね。

┌──────────「たろおじさん」

ーーーHAJIMEさんご紹介のHPを覗いてみて、息を呑みました。

李朝時代の朝鮮の風景写真がいろいろありますが、
・おっぱい丸出しの正装女性、
・当時の南大門や通りの商家の家々のわら屋根小屋、
・歴史地図記載の国の名称と国の属国関係記述、
・日本の併合後使用された教科書の現物写真..に見るハングル教育普及が日本
 によって行われたこと、
ーーなどなどなど。

とにかく一見されることが話の前提になりますが、小生にとっても家族にとっ
ても衝撃的な内容でした。
韓国人がこれを見ると、戦後の教育の歪曲が一瞬にして理解されてしまうこと
につながります。民族的な誇りの再構築ができるのかしら?と、考え込んでし
まいます。ーーーそれはとても深刻な問題です。

どこかで、アメリカなど海外へ留学に行った韓国の学生が、歴史教育の中でそ
のギャップに触れ、うつ病になった・・・なんて報道を目にしたこともありま
したが、ーー容易なことではありませんね。

それこそ、自分が受けてきた教育や、それに基づいて信じてきた世界観が崩壊
することになりかねません。自分や家族や先生や国家に対する全否定につなが
る?ーーー後が怖いです。

└──────────

┌──────────「たろおじさん」

HAJIMEさんご紹介のHPを覗いた衝撃で、本を買い込み読み始めました。

「朝鮮紀行(英国婦人の見た李朝末期)」
講談社文庫:イザベラ・バード著 時岡敬子訳―――です。

なにがしかは知っていると思っていた日本併合前の朝鮮の素顔が赤裸々に語ら
れておりました。――昔の写真を見たショックを上回るような衝撃的な内容の
連続でした。ーーー何も知らなかったんだ・・・と思いました。

1894年、日清戦争の直前頃の、ソウル近郊から朝鮮中央部・西海岸・東海
岸・中国・釜山・ロシアのウラジオストックからロシアと朝鮮の国境の豆満江
あたりの、自分の足で歩いた風景や旅の内容を、男以上の政治・軍事・民情描
写で記述し、写真類も助けになります。

今の北朝鮮の腐敗した統治機構が、実は李朝朝鮮の官吏のそれに全くダブルの
は驚くほど。―――腐敗した形式的な統治機構が、民衆を希望のない絶対的な
貧困に追いやったときに、恐ろしい鞭打や首枷足枷の拷問が待っているときに
ーー人間的な尊厳を奪い取られる。小作が、稼ぎを借金のカタに奪われる。

悪臭と、ひどい住宅環境の中で、怠惰と諦めに沈み込んだ、民族性と思われる
ものが形成された。

しかし、ロシアに逃れた避難民が、ロシアの庇護で開墾し、作物が自分のもの
になり、家を建て家族が大きくなる中で富農に成長すると、明るく快活で積極
的に野菜や牧畜や商業に成功する村々などの姿。

同じ民族が、環境でこんなにも変貌するものか!!!

日本人居住区や軍の地区で、日本人からの賃金で豊かになる朝鮮人の姿など、
ご先祖様もしっかり人間的に対応していたこと、、などなど。

それにしても、イギリス人というか、女子でもスゴイのがおるもんだ!!!
ーーーHAJIMEさん級かな???
負けるなHAJIME、ここにあり!!・・・って、頑張って下さいね!

└──────────

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