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祖父の朝鮮・満州懐旧談録 ――――― by hideおじさん
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| ☆ 朝鮮編(3) ――――――――――――――――――― 2005/03/18
―― さて、日韓併合当時の朝鮮を見ると、
一応学校制度というものはあったそうですが、ほとんど画餅に等しく、制度そ
のものを根本から手直しすることと、「教育」を行なうことへの理解を求める
ことから始めなければならなかったそうです。
しかし、両班(文班・武班を合わせて両班という)と呼ばれる官僚が「旧体制」
の姿勢を崩さず、総督府側から提案した教育制度は真っ向から反対される目に
遭ってしまいました。――当初、総督府の了解のもとに、一応大韓帝国の了承
を得るというのが建前になっていましたが、このような状態では何一つ前へ進
むことが出来なかったため強行策を採用したことが、今日の「反日感情の遠因
になっているのかもしれん」と祖父は言っていました。
何故、彼らが日本の提唱する教育制度に反対したのかといいいますと、
1−既に大韓帝国としての教育制度がある。
2−漢語が公用語となっている以上、訓民正音(ハングル)などという文字は
必要ない。
3−教育は各階層(出身身分)毎に行なうべきであり、下賎と一緒に学ぶという
などは言語道断。
4−そもそも、日本から指示される筋合いではない。
この4つが大きな原因だったそうです。
日本が、いち早く列強の仲間入りを果たせたのは、「教育」が充実していたか
らだという自負があった総督府役人は、彼らの反対を無視した形で半ば強制的
に教育制度の確立と学校の充実を推し進めていったそうです。
しかし、学校を作ったのはいいが、生徒が集まってこないという現実に見舞わ
れ、日本政府から随分叱責されたそうです。何故かというと、
・下賎といわれる農民らは、まともな教育を受けたこともなく、一家の稼ぎ手
を「遊ばせる=学校へ行かせる」のは出来ないと考えた事。
・当時は、地主の了解を得なければ好き勝手が出来なかった事。
・はっきりとした階級差別があったこの当時、学校のように各階層が一堂に集
うことなど考えられなかった事。
などが原因ではなかったのかと言われています。近代の風を受けたことがない
朝鮮では、その何たるかを理解することが難しかったのでしょう。
また、「変化」に対して庶民自体が臆病になっていたであろうことも想像でき
ます。――そんな時代の朝鮮に飛び込んでいった祖父ですが、まず「差別」の
問題が大きいと感じたそうです。
当時の朝鮮は、階級制度、所謂「アンシャンレジーム」が非常にハッキリして
いた訳で、日本の江戸時代の「士農工商」などとは比べものにならないぐらい
階級差別が厳しかったそうです。
貧民ならまだしも、農奴的な階級も多く、朝鮮人自身の差別意識を払拭させる
ことが大変だったと言っていました。出身地方(○○道といわれている)による
差別があったり、日本人では考えられませんけれど、苗字による差別もあった
そうです。ーー苗字により出自が分り、差別の対象となったということです。
ただ、そもそも苗字を持っている人のほうが少ないぐらいだったと言っていま
したので、その複雑な差別意識を取り除くことは、ある意味彼らの文化・歴史
を否定することにも繋がり、苦労が絶えなかったとよく話していました。
とにかく階級差別の問題が大きいと考えた祖父らは、他の総督府部門でもこれ
が障害になっていると考えられていた為、両班らの特権を撤廃し、表向き四民
平等にさせるよう心を砕いたということです。
その他、検地を行ない、正確な地図を作成すると共に、両班が抱えていた膨大
な隠し田を摘発し、ある程度を小作に分け与えることにより自立を促していき
ました。これらが現在7奪のひとつに挙げられているのはご承知の通りです。
しかしこれは、既得権者である両班にとっては到底受け入れられないものであ
り、それこそ生存権を脅かされるものと捉えられたようです。ですから、表・
裏にわたっての反対行動があり、総督府は相当手を焼いたということです。
歴史の本では「たいした反対はなかった」と説明されているものが多いようで
すが、チマチマとした抵抗は暫く続いたそうです。
―― 次に問題となったのは「お金」です。
祖父は、「朝鮮にはとにかく金が無かった」と言い、毎年のように上司と上京
してはお役所を回り、追加予算を引き出すことに奔走したと言っていました。
詳しい数字は忘れてしまいましたが、台湾以上に予算を組んでもらったにも関
らず、毎年のように赤字で、役人の給料も遅延したこともあったそうです。
ーー結局、日本統治の間、ごく一時期を除いて黒字になったことはなかったと
いうのは間違いではないように思えます。
日本が朝鮮を搾取していたというのなら、この事実はどのように説明できるの
でしょうか。また、終戦当時の人口が、併合前の朝鮮人口の約2倍になってい
たという驚異的な伸びは、「日本統治時代は、極貧の生活を強いられてきた」
という韓国の言い分とは矛盾するものではないでしょうか。
ーー何故なら、人口増加は食料の充実と安定的な生活の上で成り立つものであ
るからです。
―― それでも、
朝鮮の人々に近代的なシステムを理解させ、なんとか体裁は整ってきたものの
相変わらず学校に集まる生徒は増えず、台湾と比較されては苦々しい思いをし
ていたそうです。
なんとか生徒を集めるために、小作等貧困層に手当金を渡したり、学校の先生
自らが登校を呼びかけて廻り、家に出向いてはそこで文字を教えたりという草
の根教育も行なわれたそうです。
ーー祖父は、当時の先生の努力に「本当に頭が下がる」と言っていました。
ーーまた、その時代が一番やりがいもあり楽しかったとも言っていました。
現在は「日本人は文字も奪った」とか言われているようですが、祖父が赴任し
た当時は文盲がまだまだ多く、最初から日本語を教えるなどということは不可
能であり、まず「朝鮮語」を教えることから始めなければならなかったそうで
す。
先ず、あまり日の目を見ていなかった訓民正音(所謂ハングル語)を復活させ、
地方地方によって言葉が違っていたのを、ソウルで使われていた言葉を「標準
語」とし、これを普及させることにしました。
そんな中で完成したのが今韓国史上初といわれている「朝鮮語辞典」です。
ーーこれが、朝鮮総督府の指導で作られたことはあまり知られていません。
韓国人自身の手で作られたことになっていますので、「じいちゃんらが作った
もんじゃない」と言ったところ、「誰が作ったのかは重要じゃない。みんなの
為になったのだからそれでいい」と反論(?)されてしまいました。
ーー明治の人というか・・・ともかく偏屈な人でした。
何より、先生自身も朝鮮語が分らなければ授業など出来るはずもなく、日本人
教師に対する朝鮮語教育が大変だったといいます。授業ができるまでの能力が
必要となるわけですから、生半可なことではなかったでしょう。
ーー当時の先生方の意気込みを思い知らされます。
今の検定制度のようなものがあって、先生は先ずこの検定試験を受け、朝鮮語
の実力によって赴任先が決まったり、給料も違ったそうです。そんな先生方で
すが、「平民の文字(ハングル)など使えるか」という反対などもあったものの
草の根教育、そして貧乏な子らには、先生自ら弁当を作って配ったり、家に呼
んでご飯をご馳走したりしたそうです。
勿論、朝鮮人先生も育ってきており、お互いに切磋琢磨の状態で教育も加速度
がついて順調に進むようになり、教育現場の人達の努力もあり子供自ら学校へ
行きたいというようになって、やっと学校らしい状況になったと言っていまし
た。
祖父が「今でも忘れられない」と言っていたのは、それまで満足に文字も読め
なかった子供達が一生懸命勉強していた姿だそうです。特に、夜になると街燈
の下で、兄弟が小さなテーブルを出して勉強している姿を見て、祖父は自分た
ちがやってきたことは正しかったと思ったそうです。
また、当時の子供達の優秀さも挙げられなければなりません。貪欲ともいえる
勉強意欲は、決して日本人に負けていなかったそうです。
その後の日本語教育においても、彼らの向上心は目を見張らせるものがあり、
「日本人以上に日本人らしかった」と感じたそうです。
――不思議なことに、両班といわれる上層階級出身の子供より、貧乏な子供ほ
ど良く勉強していたように感じたとも言っていました。
最初は朝鮮語を主体とした教育であり、「日語読本」という教科書で日本語を
教えていたようです。朝鮮語が主で、日本語が従ということです。その後「国
語」として日本語教育が主となっていったということです。――最終的には、
みんなが日本語を理解出来るようになってきたので、学校を区別する必要も無
くなり「国民学校」に統一し、日本語主体の授業で朝鮮語は選択科目となった
そうです。
ただ、決して朝鮮語使用を禁止した訳でもなく、普通の家庭では朝鮮語を話し
ていましたし、朝鮮語の本も多数出版されていたそうです。事実朝鮮総督府か
ら「朝鮮語禁止」の条例は出されていません。
= この稿つづく =
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┃ ┃ メールマガジン読後感アンケート結果。
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◇ このとおりだったのだろう ---------------------------- 54人 (64%)
◇ こうじゃなかったのでは? ---------------------------- 4人 ( 5%)
◇ どちらともいえない ---------------------------------- 1人 ( 1%)
◇ 知らなかった。そうだったのか〜 ---------------------- 25人 (30%)
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┃ ┃ アンケートコメントボードに頂きました感想。
┗━┛
┌──────────「Gさん」
ーー非常にきめこまかい、貴重な証言だと思います。
「神は細部に宿りたもう」とはまさにこのことでありましょう。実に些細な、
日常の諸事を逐一記録してこそ、歴史の真実の解明に繋がるのだと思います。
頭が下がります。
なんらかのかたちで、もっと多くの人々に知っていただく手段はないでしょう
か?
教育改革に対する両班の抵抗と根強い階級差別、姓をもたぬ下層階級の存在、
文盲率の異常な高さ、我が国主導の訓民正音普及と教育の普及、等々。近代史
に興味ある者のあいだでは、すでに知られたことでしょうが、やはり肉声の力
は単なる知識を遥かに凌駕するものと思います。
確かに、明治生まれの先人方の「偏屈」さ、潔さ、懐の深さには、感服するも
のではありますが、相手は我が日本人の心根を共有しない方々です。
細かな事実を地道に積み重ね、雑音をものともせず、とにかく眼前に突きつけ
る以外、術は無いのだろうと思います。
今後も心より楽しみにしております。
両親ともに外地出身の一市井人より
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
一市井人さま、コメントありがとうございました。
併合時代の朝鮮において教育改革に取り組んだ祖父ら多くの人たちの努力は、
あまり記録に残っていません。祖父が、何かしらの形で記録を残しておいてく
れたらと残念でなりませんが、形では残っていなくとも、子として、孫として
語り継ぐべきものはこれからも大切にしたいと思っています。
祖父以外にも、損得無しに朝鮮を愛し努力した人たちも多いはずです。また、
日本人と共に心血を注いだ朝鮮人も多いと思います。そのような人たちを葬り
去ることが韓国の将来の為になるとは思えません。
人間社会において、全てが「善」ということがありえないよに、全てが「悪」
ということもありえないと思います。併合時代においても必ず「善」と「悪」
があったはずです。
一方だけを見て全てを判断することが、なんのプラスにもならないことは自明
の理です。それが歴史に学ぶということではないでしょうか。――しかし今の
韓国の頑迷さをみると、併合当時は相当苦労しただろうことと容易に想像出来
ます。
└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」
hideおじさん、こんにちは。「このとおりだったのだろう」に投票しました。
◆こんな話を小室直樹さんの本で読んだ記憶があります。
「大東亜戦争前に、日本の海外領の中で経営が黒字になったのは台湾だけだっ
た。もしも、朝鮮半島が日本と合邦されたままだったら、日本の国が破産して
いただろう。」――今回の記事を拝見して、なるほどと納得しました。
◆李氏朝鮮は清朝の朝貢国だったので、支配階層が使う公用語は漢語で漢字を
使ったというのは納得できます。でも、庶民が使っていた朝鮮語は方言ばかり
で標準語がなく、ハングル文字も普及していなかったとは驚きました。
教育関係者はさぞご苦労なさったでしょう。
◆戦争中に日本人の行ったことについて、悪いことは悪く、正しいことは正し
く、中国大陸や朝鮮半島も評価して欲しいです。そうでないと、私たち日本人
のご先祖が浮かばれません。
◆3月18日の夜のニュースで「日本・島根県の1都市が『竹島の日』を制定
したことに対抗して、韓国・馬山市が『対馬の日』を制定した」そうです。
韓国の学生が対馬に上陸して、韓国の国花のムクゲを植えていると聞いたこと
はあります。この植樹は、まさか今回の伏線だったのでしょうか?
◆元寇のときに、朝鮮半島の人たちも兵士として、壱岐・対馬を蹂躙したこと
を忘れたのでしょうか?また、昔から現在まで、対馬には多数の日本人が住ん
でいることを、韓国の人は知らないのか?そう思うと、本当にあきれました。
韓国の人たちは、本当に何を考えているのでしょう。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
ミカの赤い服さん、明治の日本も同じように言葉の統一化を図りました。東京
の言葉を標準語として一般に広めたわけですけれど、同じようなことを朝鮮で
も行ったということです。
何故このようなことを行ったかというと、共用語を定めることによって国内で
の意思疎通を円滑に行うことが主たる目的であったそうです。確かに方言ばか
りでは教育の場においても大変不便なことであったでしょう。国の近代化にお
いて、体系的に言葉を統一することは非常に重要であったのです。
中国においても「普通語」とか「漢語」というように、共用語を定めて統一を
計ったというのも一つの例でしょう。
ただ、当時、ハングル文字が全く普及していなかったということではなく、限
定的な使われ方しかされてなかったそうです。
17世紀には、ハングル文字による小説もあったということですが、一般国民
への浸透度合いはまだまだであり、総督府がハングルを公用文字とすることで
広まっていきました。このハングル文字の普及の一環として「朝鮮日報」とい
う新聞の発刊もありました。(現在の朝鮮日報の元になったものですが、現在
韓国では別物であるという立場です)
祖父らが、最初何で朝鮮語を学んだのかというと、「フランス人やイギリス人
が作った字典だった」言っておりまた。祖父の学生時代には、朝鮮に体系だっ
た「辞書」が無く、結局一番頼りになったのは、朝鮮総督府が作った対訳付の
「朝鮮字典」というものだったそうです。
その後、朝鮮語の研究が進み、総督府が進める形で、朝鮮人博士を著者とした
「朝鮮語辞典」に連なる訳です。
祖父がいたところは、学務局というところで教育全般は勿論、朝鮮史の研究、
史跡・歴史的書物の発掘・整理等々、当時朝鮮では顧みられていなかった部分
にも手を加えたようです。
一方、殖産局というところに勤めていた祖父の友人は、総督府が作った水産研
究所で、朝鮮においての魚分布、朝鮮海域の科学的分析、近代漁法の推進等々
に努力したそうです。
これらも、今では「搾取する為の手段」とひと言で片づけられているのは重ね
重ね残念です。
竹島問題については個人的にひと言もふた言もあるのでが、ここはグッと我慢
して別な見方をすると、――韓国では長年、「反日」と「反共」というのが国
のよりどころでしが、冷戦終了後、北朝鮮の情報も解放されてきて「親北」と
いう空気とともに「反共」が薄れてくるという現象が出てきています。
ーー結局「反日」だけがことさら強調される結果となったわけです。
一方、韓国国内を見ると、IMF管理下において、リストラ、あらゆる合理化
が進められ、構造調整計画が進められました。これが韓国国民に多大な負担を
強いた訳です。――市場経済体制への不信感というのが「親北」という雰囲気
を醸し出したのではないかと思います。
さらに、廬武鉉大統領のような、左翼民族主義政権の誕生とともに「反日」に
歯止めがきかなくなったということも言えるでしょう。 表面上の韓国経済は
良好のように見えますが、新たな破綻状況が見え隠れしています。
就職難、給与格差、日本では想像出来ないほどの「勝ち組」「負け組」の二極
化への「鬱憤」のはけ口として「反日」があり「竹島」が格好の標的になった
と思います。――「反日」とすれば何でも許されるというのは、もはや正常な
状態ではないでしょう。まして「対馬」については、反論する気も起こらない
ぐらいバカバカしいですね。
最後に、韓国の友人の顔を立ててひと言、
ーー韓国内にも「冷静」な人はたくさんいます。
└──────────
┌──────────「本間純さん」
つい先日まで従事していたラオスでの教育事情は、ここに書かれている朝鮮の
当時と類似していると思い読ませていただきました。
しかし不幸ながら、このような「正しい歴史」には聞く耳を持たない周辺国に
日本は囲まれています。よく比較されるドイツは、民主国家に囲まれているわ
けですが、つまるところは、彼らの民主化が進展しなければ、相互理解などは
一切期待できない。
我等の祖先のためにも、島根県のように発言すべきは発言し、後は静観、何も
期待はしない、といったスタンスしかとれないように思います。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
本間さん ラオスでのお仕事ご苦労さまでした。
昔の朝鮮においても、本間さんのような外国の方が苦労して教育に立ち向かっ
たのだと思います。子供たちに、世の中にはいろいろな考えがあるということ
をちゃんと教えること、言いたいことはちゃんと言うことこそ、本当の国際化
ではないでしょうか。
ーー日本の教育にも欠けていると思いますが、アジアではまだまだ普通のこと
が認識出来ない国が多いのは残念です。
今回の竹島問題は、どうも韓国与党の支持率低下における危機感からすれば、
これ幸いというところではないでしょうか。日本としは、さらっと受け流すぐ
らいで良いのではないかと思いす。
島根の方には大変失礼ですが、韓国にしてみれば、日本のひとつの地方自治体
が言ったことより、日本外務省のホームページに「竹島は日本の領土」と前々
から載っていることのほうが頭に来ると思うのに、こちらは何の批判も無いと
いうのは不思議です。どこか韓国の物事の見方はズレているように思えます。
└──────────
┌──────────「あ〜さん」
私の祖父や祖母は、少なくとも強制連行で日本に来たのではなく、自分の意思
で来たと申していました。今では過去の経緯を聞く事も出来ませんが、イメー
ジ的には仰られる事に近いと思います。
よく、日韓、日中関係を兄弟に例える事がありますが、今の時点もしくは近代
においては、明らかに日本が中国や韓国、朝鮮の兄であったと私も思っていま
す。
しかし、現在の状況は弟達の勢いが凄く、領土や内政に関してまで口出しをさ
れている状況ですが、ここらで兄の威厳を見せても良いのではと考えてしまい
ますね。ーーそれとも年老いた父親になってしまったのでしょうか?
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
あ〜さん 度々コメント頂きありがとうございます。
来日された方々、それぞれ理由はあったと思います。家族の幸せを思えばこそ
故郷を離れたのではないでしょうか。昔、中国・朝鮮半島を通じて、日本はた
くさんのことを学びました。
私が韓国や中国に行った時に感じるある種の「懐かしさ」というのは、ある時
期、日本・韓国・中国とも共通する「心」を持っていたからこそ感じるもので
あり、同じ文化を共有していた歴史があるからではないかと思っています。
歴史に学ぶということは、マイナス面だけではなく、プラス面を見てこそ始ま
るものではないでしょうか。今の韓国・中国に対しても、それを期待したいで
す。
└──────────
┌──────────「lonsome carboyさん」
最近の、高麗大学名誉教授の辞任や、ソウル大学教授の謝罪や、金ヨンソプ氏
の国外追放やらを見るまでもなく、韓国は歴史を学問として捉えたり、自由な
見解をすることが憚られている。
歴史は学問として事実の探求にあるべきなのに、韓国は自分達に都合の良い事
不都合な事の選別に勤しみ、感情論に終始する。上記のような学者が論理的な
思考によって発言・執筆すればたちまち糾弾される始末。
日本の教科書に注文をつける前に、自分達こそが歴史を「歪曲・改竄」してい
るということを認識しなければならない。
辛い事実だが、敢えて正視し国民に本当の教育を施さなければいけない。
世界に出て行く韓国の若者が一様に直面するのは、自国の「国定教科書」で教
えられた歴史が世界中のそれとの間に大きな差異があることを知り驚愕すると
聞く。
韓国政府がその是正を行わないのであれば、未来永劫日韓の友好関係を築けな
いばかりではなく、将来ある韓国の若者たちをも傷つけ、恥をかかせ続けるこ
とになる。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
lonsome carboyさん コメントありがとうございまた。
ちょっと半歩退いて見ると、高麗大学の先生やソウル大学の先生が話している
ことは全くまともなのに、もう感情が先に立ってしまって周りが見えなくなっ
ているのでしょう。
私は、日韓併合で日本が行ったことについて全て正当化しようとも思わないで
すし、まして彼らに感謝して欲しいとも思っておりません。せめて、いろんな
意見を聞く耳を持って欲しいと思っています。
私がアメリカ駐在時代、ある学校に通っていたのですが、東アジア経済の授業
で先生が「日本の植民地経営は、欧米とは異なっていた」というようなことを
言った途端、クラスの韓国人が猛然と先生を非難し、涙ながらに抗議していた
ことがありました。
先生はあっけにとられて「何を言ってるのだろう」という顔でその人を見てい
ましたが、最後まで訂正はしませんでした。
結局彼は「授業をボイコットする」と言って出て行ってしまいますが、クラス
のみんなは「理解不能」と言ってました。
それ以来彼は、学校でも孤立してしまい、何とも複雑な思いをしたことがあり
ます。――彼も、現代韓国教育の犠牲者かもしれまん。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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