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祖父の朝鮮・満州懐旧談録 ――――― by hideおじさん
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| ☆ 朝鮮編(2) ――――――――――――――――――― 2005/03/11
何故、当時の日本が朝鮮を併合することになったのか、満州帝国を興すことに
なったのか、日本サイドではなく、韓国・中国国民が、当時自分達が置かれて
いた状況を冷静に考えてみると、単純に日本を批判することで全てが解決する
ものではないということが見えてくると思います。
今の韓国には、この、事実の積み重ねという考えが全く抜けているところに大
きな問題があると思います。自国の将来のためにも、客観的に歴史を振り返る
ことは決して無駄ではないと思うのですが、今の韓国人にはどうも無理のよう
です。
祖父が亡くなる前に「どこにも悪いヤツはいるけれど、わしの知っている限り
普通の日本人は誰にも後ろ指を差されることはしとらん」と言っていました。
「お金が絡めば、それに目がくらんで不法なことをする輩もいた。それは日本
人だけでなく、朝鮮人、中国人も同じであった」ということもよく言っていま
した。
確かに、現在日本で犯罪を犯す中国人が目立ちますが、だからといって中国人
の全てが犯罪人ではないのと同様なのでしょう。
ただ、祖父は、終戦後満州に残された日本人・朝鮮人に対しては贖罪の気持ち
を強く抱いていたようです。自由に中国と行き来できるようになったら、また
満州へ行きたいと言っていましたが、その時期が来た頃には、体力的に難しい
状態になっていたので非常に残念に思っています。
―― 終戦間際、
祖父はハルピンにおり、「ソ連侵攻近し!」の情報が入ると、いち早く家族を
日本(内地)へ帰し、自分も逃げる算段を整えているところにソ連が進入。それ
からは自分のことで精一杯だったそうです。
逃げる汽車に、追い縋って乗せてくれと懇願する開拓民の人達、それを幾度も
無視して、自分が助かりたいが為にどれだけの同胞を見棄ててきたことか、と
涙を浮かべていたこともありました。
それでも、祖父が逃げ出した頃はまだましなほうで、ソ連軍が進入してからは
筆舌に尽くし難い状況だったそうです。よく、ドラマで当時のことを描いたも
のがありますが、「ふん、こんなこっちゃなかった」とドラマに毒づいていま
した。
大学生になった私は、そんな祖父を見て「食えねぇ爺さんだな」とも思ってい
ました。しかし、社会人となり、当時体験された方々から直接お話しを聞くよ
うになるにつれて、何故こうした事実が今もって多くを語られないのか不思議
でなりません。
「進歩的文化人」の方々は、中国・韓国の被害を暴くことには殊更ご執心です
が、このような悲惨な目に遭った日本人について取り上げないのは、どうして
なのでしょうか。――外国に誠意(?)を尽くす前に、このような、歴史の中で
無視され、筆舌に尽くし難い辛酸を舐めた人達にこそ「私たち」は詫びるべき
であり、誠意を尽くすべきなのではないでしょうか。
祖父は、懇意にしていた満州人、朝鮮人の人々の助けもあり、なんとか日本に
帰ってこれましたけれど、「下関についたときは、持ち物といったら一升瓶の
水だけだった」と笑っておりました。それこそ褌[ふんどし]1枚で帰国した人
も珍しくなかったと話していました。
ただ、敗戦となった途端に、満州人・朝鮮人・中国人、入り混じっての暴行・
略奪は凄まじかったそうです。対日本人だけでなく、彼ら同士の暴行・略奪も
あり、自分を含め、人間の醜さを嫌というほど見せられたと言っていました。
勿論、全ての満州人、朝鮮人が悪かったのではなく、戦争の混乱がもたらした
ものなのでしょう。祖父は「金や財産が無くなることにはなんの未練もなかっ
たが、苦労して造り上げて来た『国』というシステムが、一夜にして瓦解して
いくのがやりきれなかった」ーーーーそう語っていました。
京城(ソウル、以下ソウルとします)まで避難してきたときには、ホッとしたそ
うで、日本に戻ってきたという感じがしたそうです。朝鮮北部と南部ではだい
ぶ雰囲気が異なっていたと言っていました。
ソウルは、満州へ赴く前に20年余りも住んでいたところだったせいもあるの
でしょうが----ボロ布のような有様となった満州開拓民が溢れていた他は----
全く普通の生活が営まれていたそうです。「朝鮮万歳」という声は聞こえてい
たものの、険悪な雰囲気もなく、逆に朝鮮の人々に助けられたことが多かった
と言っていました。
また、帰りの釜山では、一緒に連れて行ってくれと懇願する朝鮮人も多かった
そうです。
―――― 朝鮮における祖父
祖父は、朝鮮総督府の役人として大正半ばに赴任しました。多分中級官吏だっ
たのではないかと思いますが、詳しくは分りません。「教育」が専門だったと
言っておりましたが、有名な国会議員や、国政に係る有名人を呼び捨てにした
り、「あのお茶汲み小僧が」とせせら笑っていたところをみると、それなりの
ポジションにいた人だったのかもしれません。
なんでも特別の「恩給」が貰える立場だったらしいのですが、頑なに拒否して
いたようで、祖母などから「家計が苦しいのに」と愚痴られていました。
「わしは金を貰う為に仕事していたわけではない」と気丈に振舞っていました
が、酒好きの祖父が甘酒で我慢していたのを見ると、素直になったらいいのに
と子供ながらおかしく思えました。
そんな祖父ですが、
「大志」を抱いて赴任した当時のソウルは、良くなったとはいえ驚くほど不潔
で、上下水道もまだ不十分な有様に、「これはえらいところに来てしまった」
というのが最初の印象だったそうです。郊外へ行くにも満足な道はほとんど無
く、インフラと呼ばれるものは皆無に等しい状態だったそうです。
当時の大韓帝国の首都がこのような状況ですから、地方となると容易に想像が
つくと思います。ですから、伊藤博文が最初言っていた「朝鮮半島に手を染め
るな」という意味が良く理解出来たそうです。
ーーその、日韓併合に反対していた伊藤博文が初代の朝鮮総監なったのは皮肉
かもしれません。(伊藤博文は、併合ではなく保護国化を唱えていました)
しかし、日韓併合は、当時世界中から好意的に受けとめられていたので、今更
「止めた」というわけにもいかず、日本の面目に掛けても独り立ちが出来るよ
うにしなければ、というのが当時の日本政府の考え方だったようです。
ーー日韓併合は、ロシアの南下を防ぐという、当時の米国や英国ら欧米列国の
利益にも適っていましたから、彼らからのクレームがなかったのでしょうか?
地政学的に見ると「朝鮮半島」を日本に押さえられたら、欧米列強は勿論のこ
と、中国、ロシアが受けるであろう影響は無視出来ないはずです。しかし当時
この日韓併合について、国際的に表立っての非難の声は揚っておりません。
当時の中国は、日清戦争もあり、朝鮮まで手が回らないという状況であったの
かもしれません。ロシアも、とり敢えず満州は押さえてあるので、無理をせず
ともという意識があったのかもしれません。
にしても、朝鮮半島を日本の支配化に置くということは、大陸に橋頭堡を築か
せるということであり、「侵略」を容易にさせるということは常識的に考えら
れるのに、何故欧米列国も非難しなかったのか不思議でなりません。戦略的に
も、実力行使してでも阻止すべき地域であったはずです。
まして米国は、日清戦争後の日本に対して、「独り占めするなよ!」とクギを
差すことも度々でしたし、欧州諸国と日本に対して「門戸開放」「機会均等」
「領土・行政の保全」など三原則を掲げて「俺にも分け前くれよ」と牽制して
いました。
ーーしかし、日韓併合そのものについては、何のクレームもつけていません。
貧困のどん底にあった朝鮮半島を、わざわざ身銭を切ってテコ入れなどせずに
誰かに任せ、その後で頂戴するという思惑が中国・ロシアをはじめ欧米列国に
はあったのかもしれません。
ーーこれは私の想像にしか過ぎませんが、いつも不思議に思うところです。
= この稿つづく =
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◇ このとおりだったのだろう ---------------------------- 60人 (79%)
◇ こうじゃなかったのでは? ---------------------------- 5人 ( 7%)
◇ 今後の展開を見ないとまだ ---------------------------- 5人 ( 7%)
◇ 知らなかった。そうだったのか〜 ---------------------- 6人 ( 8%)
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┃ ┃ アンケートコメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「ミカの赤い服さん」
hideおじさん、こんにちは。「このとおりだったのだろう」に投票しました。
◆当時私はまだ影も形も無かったので、本を読んだり人から聞いた話しか知り
ません。私が知っている限りでは、hideおじさんのお祖父さまのおっしゃった
通りなのだろうと思います。
◆お祖父さまが恩給を断られたお話は、今の日本人に無い潔さや誇りを感じま
す。人間的に尊敬しますけど、私個人はお祖母さまの肩を持ちたくなります。
(*^_^*)
◆私の母方の一族は、戦争が激しくなる前に満州から引き上げたそうです。
でも、満州で得たものは全部諦めて、身一つで帰ってきたそうです。そのこと
だけでも、終戦後の引き上げは本当に大変だったと想像できます。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
ミカの赤い服さん 毎々のコメント非常に心強く思います。
祖父が見た部分が当時の朝鮮・満州の全てを表しているとはいえないでしょう
が、祖父のように感じた日本人がいたことも事実です。 本当に頑固な爺さん
でしたが、お金にだけは綺麗だったと自慢できます。「借金が無いのが唯一の
財産だ」と笑っていましたが、孫からすれば「少しぐらい残しておいてよ」と
言いたくなります。
祖父は、日本に帰ってから、海軍へ入った長男の戦死を知らされました。私に
とっては叔父にあたる人ですが、昭和20年5月に海軍特別攻撃隊に参加して
亡くなりました。帰国後、叔父に与えられた「金鵄勲章」を手に取り泣き崩れ
たそうです。
しばらくは、その叔父の軍人恩給によって生計を立てていたそうですが、戦後
は「軍人恩給」を貰っている人は、周りから戦犯のような目で見られるのが辛
かったようです。ですから、祖父は自分に与えられる恩給は断ることで、自分
なりのけじめをつけていたのではないかと思っています。
私が子供の頃の北海道というのは、地理的に樺太からの引揚者が多かったよう
に思います。――小学校のときに、学校で必ずといって良いほど聞かされたの
は「9人の電話交換手」の話しです。
北海道最北端の稚内にある「氷雪の門」といったら思い出す方も多いかと思い
ますが、毎年終戦記念日には、この話しを聞かされ戦争の悲惨さを勉強させら
れた記憶があります。
満州においても、「青葉慈蔵尊」で有名な日赤看護婦の悲劇等、読むのも辛い
物語が多いです。----青葉慈蔵尊は、インターネット検索してもらえれば要約
を読むことが出来ます----
昭和20年8月15日は、終戦というより一般民間人の本当の闘いが始まった
日でもあることを忘れてはならないでしょう。
きっとミカの赤い服さんのご親類も、非常に大変な思いをされてきたと思いま
す。
今回は私見が入ってしまいましたが、次回からは具体的な祖父の体験をお話し
ていきたいと思っています。
└──────────
┌──────────「gosakuさん」
「hideおじさん」ご苦労様です。
泣く子は余計に餅をもらえるか 〜韓国の恥ずかしい民族性〜
1965年に決着した謝罪・賠償問題を韓国大統領はまた蒸し返しました。
3月1日、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は韓国復権60周年を記念して「歴史
見直し政策の一環として日本政府に改めて謝罪と賠償を要求する」声明を発表
しました。
これに対して、日本外務省の高島スポークスマンは、直ちに、謝罪は既に村山
談話で済んでいる、補償請求は日韓条約締結で放棄されている、ことを挙げて
反論しています。
盧政権は、日本の統治時代や軍事政権時代の検証など、国内外の歴史清算に取
り組んでいます。対日分野では1月、「戦後補償責任は韓国政府にある」との
政府見解を示す日韓条約関連文書の一部を公開し、戦後補償の補完を検討する
韓国政府の姿勢を示し、
これを受け、与党・開かれたウリ党が強制連行被害者や慰安婦の生活支援など
を盛り込んだ法案を国会に提出し、一気に2月臨時国会で可決、政権の実績に
するシナリオが模索されています。
ところが、被害者数や救済の範囲、政府の支援事業か企業参加型の基金かの救
済方針が決まらず動きは鈍化。大統領は「賠償」という刺激的な表現を使い、
日本側に自発的な対応を求めることで歴史問題で高まる世論の不満に対処しよ
うとした可能性があります。
国内向けのポーズでもありましょうが、何を今更という感がします。竹島問題
を巡る動きや、首相の靖国神社参拝問題など、日本側の対応をけん制したとみ
られます。
「hideおじさん」が「祖父の懐旧談録:朝鮮編(2)」の中でもお話されている
ように、日本統治時代の悪い部分だけが強調され、「悪いことだけではなかっ
た」といった発言をした政治家もいましたが、韓国の猛烈な抗議でその政治家
は辞職に追い込まれたことは、まだ記憶している人もいるでしょう。
現在の韓国繁栄の基礎は、すべてとはいいませんが日本による莫大なインフラ
投資によって築かれていた事実を無視するわけにはいかないでしょう。日本の
負の部分だけを選んで強調した、いうならば捻じ曲げられた歴史を信奉する日
本の「進歩的文化人」といわれる反日知識人は、未だ折にふれ反日的な言動を
繰り返しています。
今まで、日本人はすべての面で西洋に学んで「追いつき追い越せ」と励んでき
ました。日本人がイギリス人やアメリカ人の主張から学ぶということは、イギ
リスやアメリカの言い分をそのまま受け入れ、イギリス人やアメリカ人が日本
の歴史について言っている思想内容をそのまま鸚鵡返しにすることと同じでは
ありません。
イギリス人の、自分の悪をもどこ吹く風と受け流す飄々とした語り口を身につ
けることです。アメリカ人の、自己を主張するべきときは何の躊躇いも、けれ
んもなく胸を張って自己中心の世界像を描き出す物怖じしない態度を学ぶこと
です。
欧米に学んで百五十年になんなんとするというのに、知識を学んで知識を得る
方法、意見を学んで意見を述べ立てる態度だけはどうしても学ぶことができな
いでいるのが我が日本人であり、ことに日本の学者、教師、知識人です。
ーーいつになったらこの弊を根本的に改めることができるでしょうか?
西洋に学んだ知識人ほど、西洋の思想主張の形式を学ばないで、ただ向こうの
主張の内容を凹型で受け止め、へこみ型の態度で生きています。
今日本が置かれている立場は、日本と合邦以前の李氏朝鮮に驚くほど似ていま
す。―――朝鮮半島は、中国とモンゴルに支配されてきました。大半の時期は
中国が宗主国であり続けました。
朝鮮半島は、大陸中国に外交権と軍事力を依存するスタイルを取り続けてきま
した。だから李氏朝鮮は非武装国家で、西欧が進出してきたとき、兵隊は2千
人ぐらいしかいなかったといいます。それでも国内政治は安定していました。
武力的に大陸に依存していたからです。
そのまま永遠に安泰でいけるならそれも結構でしょう。だがその間にどんどん
国際社会から取り残され、自己保存能力を失っていったのです。そして、いざ
というときに全く動けなかった。
今日本が戦後五十年を経ている今日の状況は、当時の李氏朝鮮に似ていると思
いませんか?――当時の清朝と朝鮮の関係は、そっくりアメリカ合衆国と日本
の関係にあてはめることができます、日米安保条約で日本はすっかりアメリカ
に依存してしまっています。
外交権も軍事力も、統帥権まで外国に預けてしまっています。お陰でこれまで
日本の国内政治は安定してきました。李氏朝鮮のように!
これまで軍事力を駆使しないで経済大国を維持できた国は歴史上ひとつもあり
ません。――日本は軍事力を持たずに経済力を維持する実験国家なのだという
論調もあります。
しかし、危険度が極めて高いそんな実験をする必要はどこにもありません。
軍事・政治・外交・経済――国家というのはこの四輪がバランスをとることに
よって前に進むことができるのです。ところが日本は、経済の車輪ばかり大き
いために、進もうとするとつんのめってしまいます。
それを防ぐため、アメリカというジャッキが後ろから車を持ち上げていてくれ
る。ーーそれでどうにか前に進んでいる状態です。が、これは誰が見ても変な
状態です。後ろから手をパッと離されたら、たちまち引っ繰り返ってしましま
す。
こういうことが歴然としているのに、一向に四輪を揃えようとしません。
こういうことをおかしいと思わないのは、まともな神経とはいえません。
ーー軍事力というのは、使うために持つのではないのです。
それを持っていることによるバランスが、その国家が健康であるかどうかを決
めるのです。そのバランスを欠いている今の日本は病人です。その症状も現れ
ています。だが、本人が一向にその症状を自覚しようとしていません。
いま手を打てば回復が見込めるか、それとももう手遅れになっているのか?
そのタイミングについては何ともいえませんが、少なくとも早過ぎということ
は言えません。ギリギリ間に合うか、それとももう手遅れになってしまってい
るのか、ーーそのどちらかであることは確かです。
└──────────
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┌──────────「hideおじさんから」
盧武鉉大統領の60年記念式典での演説には「またぞろ」と思いました。まぁ
国内事情もあるのでしょうが、なんといっても、1965年の日韓基本条約の
一部を公開したのが裏目に出たのでしょう。親日を突き上げることを目的にし
たのが、「なんでそんな大事なことを勝手にやるんだ!」と非難されて、後に
引けなくなったのでしょう。
しかし、一国の大統領たるもの条約は条約として遵守しなければいけません。
それを無視するような言動はどうかと思います。――この日韓基本条約は秘密
協定が多いのが特徴です。今後、それらが明らかにされることで、当時何が決
められたのか分かるでしょう。
問題になっている条項というのは、日韓基本協定第2条です。
「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並び
に両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日に
サンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定された
ものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」
これは、日本人が韓国に残した財産の返却要請も破棄するということになって
います。「もともと、韓国の財産で残されたものだから当たり前」という意見
もありましたが、これを言い出すと、条約云々以前の問題で何事も始まりませ
ん。
「条約があるからといって、韓国が被った被害に対して何の責任も無いとは言
えない」と、暗に「条約とは別に保証も考えて欲しい」などの如き発言は言語
道断、国家間の取り決めを無視するのでは国際信義にももとると言わざるを得
ません。
まして、当時日本政府は韓国政府に対し「貴国が被った被害及び損失を具体的
に示して欲しい」と要求しましたが、韓国政府からは「具体的物証が揃えられ
ない」という回答で、紆余曲折があり、上記第2条に落ち着いたという経緯が
ありました。
これがあるので、外務省の高島さんのコメントは当然のことを言ったまでのこ
とで、何も非難されるべきものではありません。それを、「妄言」などという
言葉で非難するというのはどういう方向から考えても理解できません。
祖父は、朝鮮統治時代のことを「全て日本が正しかったとは言わないが、朝鮮
に残したものは大きかった」と言っておりました。幸いなことにこの事実を受
け止めようとする動きが韓国内部でも少しづつですが出てきております。お互
いに良かったこと悪かったことを素直に認めてこそ「友好」であるはずです。
ただ、韓国が一本筋が通っているのは「自分のことはさしおいて相手を非難す
る」、という点は日本も学ばなければなりません。「良識的日本人」の、相手
の意見を鵜呑みにして自国を非難する態度は、表面的には韓国でも好評でしょ
うが、腹の内では「日本人なのに何で自国を非難するのだろう?」と感じられ
ているのではないでしょうか?
アメリカ人からすれば「不思議な国日本」ということになります。
gosakuさんのコメントにありました「今の日本は、日本と合邦以前の李氏朝鮮
と驚くほど似ています」・・・というのは面白い視点ですね。言われてみれば
良く似ています。「情けないないゾ!日本!」と、ーーこんなことを言う自分
も、別な意味で自虐なのかもしれません。(苦笑)
しかし、かの国の動静に神経を使い右顧左眄している今の日本は、韓国に何か
言われても迫力が無いです。----ここらあたりの事は、別途、私の専門である
国際関係論からみた「私見軍事学」ということでお話し出来ればと思っていま
す。----今後ともコメント頂ければ幸いです。
gosakuさん、まだまだ寒い日が続いております。呉々もご自愛下さい。
└──────────
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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