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祖父の朝鮮・満州懐旧談録 ――――― by hideおじさん

☆ 朝鮮編(1) ――――――――――――――――――― 2005/03/04
以前にも述べましたが、感情的な反日・反華・反韓は私の意のするところでは
ありません。また、日本の過去の行いの全てを肯定するつもりもありませんし
中・韓の言い分をそのまま鵜呑みするつもりもありません。――私が幼い頃、
祖父より聞いたことを、そのままお話しさせて頂き、そこから、当時の日本人
がどう生きてきたのか、読者の皆様にご判断頂きたいと思います。

私達の祖父・祖母、父母、そして先輩らが経験したことを伺うことは、きっと
教科書や偉い先生が書かれた書物より重みがあるものと信じています。

私の話は、連載記事を出されている諸先輩のように、いろいろな書籍で確認し
た訳でもなく、勉強をした訳でもありません。 確実性には乏しいとか、史実
と違うとか、時間系列が違ういうご批判を頂くことは重々承知しておりますが
あくまで私の祖父から伝え聞いたことを、「思い出すままに書き溜めたもの」
とご理解ください。

文中「日本人」「朝鮮人」とありますが、祖父は半島人=朝鮮人)、内地人=
日本人)と言っていたものを私が勝手に変更したものです。

―― 私は、昭和32年、北海道のど田舎で生まれました。

家族は、父と母、そして母方の祖父母と一緒に暮らしておりました。所謂「じ
いちゃん子」だった私は、何時も祖父に手を繋がれて散歩をしていた記憶があ
ります。その頃の楽しみというと、夕方、公園でテレビを見ること。たくさん
の人が公園に集まってきて、食い入るようにテレビを見ていました。

そんな私が生まれた町には、当時、樺太や満州からの引揚者がたくさん住んで
いて、彼らは、一般の住民とは隔離されたような形で「引揚住宅」と呼ばれた
所に住んでいました。そこには、樺太や満州へ移住していた日本人、朝鮮人、
中国人などが混在していました。

その「住宅」とは名ばかりのバラックのような住居は、子供の私の目でも奇異
に映ったことを覚えています。近所の人から「あそこに行ってはいけません」
ときつく言われ、彼らに「赤痢」や「疫痢」の患者が出ると、それみたことか
と軽蔑の目が向けられていました。近所で盗難事件があったり、問題が起きる
と、「引揚者じゃないか」とか「やつらに間違いない」とかの風評が立ってい
ました。
学校に行っても「やぁーい!引揚者」とか「臭い、臭い!」と馬鹿にする言葉
を投げつけることも多々あったように記憶しています。冬、だるまストーブの
暖かさに誘われたのか、前の席にいる引揚者の子供の背中を虱[しらみ]が這っ
ているのを見て、授業も聞かず飽きもせずに眺めていたことを覚えています。

今から考えると、同じ日本人である彼ら、また日本人であった彼ら半島人や台
湾人が、何故このような差別を受けていたのか不思議でなりません。子供だっ
たとはいえ、自分でもずいぶん酷いことをしたものだと後悔しています。

当時は、引揚者の子供だけではなく、何日も風呂に入っていないような子供も
たくさんおり、先生が時々、T字型の噴霧器でDDTを頭に蒔いていました。
私もDDTの洗礼を受けましたが、あの何ともいえないDDTの臭いは、今で
も忘れられません。

そんな中に、引揚者であった先生がおられ、DDTの後、虱取りの櫛で児童の
ひとりひとりの頭を丁寧に梳いてくれたことを覚えています。その時の先生の
何かを噛み締めるような寂しげな表情が忘れられません。

子供の私達は、取れた虱を「プチッ、プチッ」と潰すのがまた楽しく、虱取り
の時間を待ち遠しく思ったものです。東京にお住まいの方は、到底信じられな
いとお思いでしょうが、北海道の田舎では、昭和30年代中頃までこのような
風景は珍しくはありませんでした。

当時、まだ木炭バスが走っていましたので、その田舎具合というのが想像出来
るかと思います。文化水準というか、時間というか、東京とは10年は違って
いたのではないでしょうか。

―― そんな引揚者の中に、

今でいうところの“強制連行”されたと思われる朝鮮人や中国人も多く住んで
いました。私の祖父は、周りの注意などに耳をかさず、私を連れては引揚者、
特に朝鮮人のところへ行っていました。何故かは分りませんが、祖父はそんな
彼らと親交をあたためていたように思い出されます。

周りからは「あそこの爺さんはアカ=共産主義者)だ」と言われながらも平然
としていた祖父を「カッコいいな!」と少し誇らしく感じたものでした。

祖父は、乏しい懐の中から、彼らの生活の面倒をみたり、一般住民との交流を
深められるようにと努力していました。子供の私は何も理解出来ず、ただ祖父
にくっついていただけですけれど、流暢な韓国語や中国語(だと思います)を話
す祖父は私の憧れでもありました。

今でも強烈に覚えているのは----所謂「帰国事業」がピークを迎えていた頃で
はなかったかと思うのですが----祖父は、引揚社宅に住んでいた朝鮮の人々が
北朝鮮に帰るのを必死で止めていたことです。

「北朝鮮に戻っても苦労するだけだ!」
「ソ連からどれだけ酷い目にあったかを忘れたのかッ!」

という祖父の、ーー怒りともつかない言葉が忘れられません。

帰国を勧める人がやってくると「帰れ!また同じ目に遭わせるというのか!」
と怒鳴り散らしていました。勿論私は、何の事を言っているのかさっぱり理解
出来ませんでしたが、その強い意思だけは伝わってきました。
――最後には役場の人間から、「国の決定だから」と言われ、悔しさを滲ませ
ておりましたが、変人・奇人と思われながらも何故そこまでするのか、

今思うと、祖父が満州から逃げ帰って来たときのソ連軍の残虐さを目の当たり
にしてきた体験から、社会主義を唱えている北朝鮮が、祖父からすれば「同じ
穴の狢[むじな]」と思っていたのではないかと想像しています。

「帰国事業」といっても、今ひとつピンと来ない方もいらっしゃるかと思いま
すが、これはまた別途にお話ししたいと思います。――ここでは簡単に、戦前
戦中から日本に居住している朝鮮半島出身者を、「人道的見地から故郷へ帰し
ましょう」とした政策、とご理解下さい。

それでも祖父のところには、祖父が亡くなるまで毎年のように、在日になった
人々や、韓国から訪ねてきた人が訪れいました。 みんなとても流暢な日本語
で話しをしていて、「あの頃は良かった」的な話題で盛り上がっていたことを
覚えています。――その時の祖父らの顔は生き生きとしており、一所懸命国造
りに携わった者の威厳というか輝きを感じたものです。

中国出身の人は彼らなりに、朝鮮の人も彼らなりに「(当時の日本)国」を愛し
て、日本(本土・内地)に負けないような「(朝鮮)半島・満州」を作っていこう
と努力していたことは、事実として記憶されなければならないと思います。

先にも述べましたが、その韓国人・中国人の人々から「無理矢理連れてこられ
た」とか「騙された」という言葉は、ついぞ聞いた覚えがありません。特に、
「金さん」という人は私を可愛がってくれましたが、引揚住宅の住民みんなに
遊んでもらったことが忘れられません。

一般の住民らとの軋轢はあったのでしょうが、貧しいながらもみんな明るく過
ごしていたように思えます。ですから、私としては今の韓国における反日感情
というものが、いまひとつピンと来ないのです。

それが今の彼らにすれば、「反省していない」ということになるのかもしれま
せんが、幼かった私には、今のような反日感情みたいなものを彼らから感じる
ことがなかったのは確かです。反日であれば、日本人の、ましてや朝鮮総督府
の役人だった祖父のところに、あれだけたくさんの韓国の人が来るはずがあり
ません。ーーやはり何かがあると考えるのが自然なのではないでしょうか?

私は、日本の「正しい歴史認識」を韓国・中国に押し付けるつもりはありませ
ん。我々が100点満点正しいと思うことでも、相手の受け取り方では零点に
なるなどということは、普段の生活の中でもよくあることです。

「良かれ」と思ってやったことが「ありがた迷惑」だったり「余計なお世話」
だったりすることもあります。ですから、私は単純にあの時代の日本の行動を
正当化して、それが「真実」だと無理強いしても仕方ないと思っています。
ーー勿論、韓国や中国が主張することも、無理強いされるものでもないと思っ
ています。
歴史は「事実」の積み重ねであり、そこから自然に導かれるものを直視するこ
とが大事だと思うのです。――まぁ現実は綺麗事ではいきませんけれども――
 
                        = この稿つづく =
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┌──────────「ミカの赤い服さん」

hideおじさん、こんにちは。「期待しています!」に投票しました。

◆易しい言葉で、とても読みやすかったです。また、ご自分の目でご覧になっ
たことを書かれていたので、多くの読者さんから共感を得やすいだろうと思い
ます。 

◆私の母方の親戚は、戦中の満州からの引揚者ですが、当時の事を誰も話して
くれませんでした。ですから、いろんな方からお話を聞けて、勉強になってい
ます。 

◆私は1962(昭和37)年に九州の博多で生まれました。5年の違いがあり
ますが、引揚者や在日外国人の方が固まって暮らしていたという記憶はありま
せん。でも、母が「どこどこの子と遊んじゃダメ」とか言っていたので、私が
全く気にしなかっただけで、実はあったのかもしれませんね。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

ミカの赤い服さん いつも暖かいコメントありがとうございます。

おっしゃるように、不思議と満州からの引揚者の方々は多くを語らないように
思います。寡黙の中にこそ..引揚者の方々の労苦が秘められているのではない
でしょうか。
私の祖父も、満州時代については多くを語りたがりませんでしたが、少しでも
あの時代を生きた人たちの気持ちを伝えられるよう、これからも筆を進めて行
きたいと思っています。

└──────────
┌──────────「あ〜さん」

私とほぼ同じ年齢なので、時代感覚も同じようです。ただ立場が、私は在日と
いう事で視点が違うかもしれませんが、楽しみにしています。

多分、日本全国で同じようなバラック住まいの人達は近寄るなと言われていた
と思います。子供の頃は随分悔しい思いをしましたが、そんな感覚を覚えてい
てくれるだけでも親近感が生まれますね。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

あ〜さん コメントありがとうございました。自分の意見はなるべく押さえ、
祖父が語ったことをそのままお話しさせて頂きたいと思っています。その中で
あ〜さんのご意見とは違うものが出てくるかもしれませんが、それはそれとし
てお読み頂ければありがたいと思っています。

日本人だろうが在日であろうが、同じ時代、同じ場所で生きたことには何の変
わりはありません。 必ず、お互い理解し合える部分があるはずです。それを
見つけることこそ、我々の世代の人間が子供たちに伝えていかなければならな
いことではないのでしょうか。

└──────────
┌──────────「桃源さん」

HIdeおじさんに大いに期待します。同じ「匂い」を感じます。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

桃源さん、応援ありがとうございます。
このような記事を書くのは初めての経験なものですから、幼稚な表現などある
かもしれませんが、最後まで読んで頂けると有り難く思います。

└──────────
┌──────────「はげさん」

とても期待しています。なかなかこのような話は聞くチャンスがありませんか
ら・・。
僕は、帰国事業が盛んであったころ学生でした。当時の僕は左翼学生で、デモ
などにも参加したり、帰国事業は悪くないと思っていました。後に千里馬なん
ていう北朝鮮の宣伝映画を見て凄いと単純に思っていました。

当時は、従軍慰安婦とか強制連行などという言葉は知りませんでしたが(当た
り前ですよね、そんな言葉はもっと後に出来たようですから)、一方的に日本
は悪いことをしたと、報道などによって社会教育されてきた世代でした。

でも全く不思議に思っていたことは、日本が「植民地」としていた地域(朝鮮
・台湾)が、圧倒的に他のアジア諸国より進んでいるように見えたのはなぜだ
ろうということでした。
今は、新聞などの一方的報道ではなく、インターネットの普及で多少の勉強を
させていただいたり、埋もれていた記事が読めるようになってきましたので、
多少は分かるようになってきました。

hideおじさんのような正直な証言は(だから今後とも脚色はしないでください)
よいことも悪いことも含めて、とても興味があります。がんばってください。
本当に期待しております。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

はげさん、私が大学生の頃は、学生運動も下火になってましたが、私はどちら
かというと左寄りの考え方を持っていました。それで随分祖父とぶつかりまし
たが、なんとか大学の先生より、祖父の話のほうが矛盾がないんですね。
ーーそれが自分の考えを見直すきっかけとなりました。

自分なりの意見もありますが、極力私感を含まず、祖父から聞いたままをお話
して行きたいと思っています。帰国事業につきましては、祖父の話と私が大学
で調べたことを踏まえてお話したいと思っております。 

└──────────
┌──────────「パトリ夫さん」

素晴らしいおじい様ですね。人間として尊敬します。

中国・韓国の、国を挙げての反日は、日本と日本人の実態を知らぬ若者に洗脳
にも似た反日教育を施してきた結果だということが良くわかりますね。実際、
日本に来て考えを改めた人も結構多いと聞きます。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

パトリ夫さん コメントありがとうございます。 私の友人である中国の方も
日本に来て、初めていろいろな書物に触れ考えることが多くなったと言ってお
りました。 日本は勿論、韓国の方も中国の方も、色眼鏡ではなく歴史を振り
返ることの出来るようになってもらいたいものです。

今回の話は、それに少しでも近づけたらと思っています。
今後とも、応援宜しくお願い致します。

└──────────
┌──────────「へいわアトムさん」

終戦時は、私が10歳のときです。昭和21年9月に満州より帰国しました。
当時、中国人の町(私達は満人といっていました)に住んでいました。当時を思
い出しながら読んでいます。今後の連載を楽しみに待っています。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

へいわアトムさん 昭和21年9月というと、祖父が帰国した時期と全く一緒
ですね。詳しい日時は分かりませんが、釜山を出て下関に着いたと言っており
ました。万が一、一緒の船だったとしたらこれも不思議な縁かもしれません。

ご期待に添えられるかどうか不安ですが、肩の力を抜いてお話しを進めて行き
たいと思っておりますので、今後とも宜しくお願い致します。

└──────────
┌──────────「中年不良探偵団さん」

国の政策レベルと庶民の生きかたが重複する時代は、結果からみれば「言いが
たき事」が多いのが「歴史」だと考えます。後知恵ではない「体験」したこと
を「語り継ぐ」大切なものを読ませていただきました。

「語り継ぐ」中での「重複部分」が、きっと「庶民の歴史」になり相互理解の
「教科書」になっていくのでしょう。同じ場所、同じ時間に見た風景も、時が
経つと異なった「言説」になることもありましょう。それでも「一級の素材」
として「語り継ぐ風景」は大切なものと考えます。

読むうちに、、め・だ・まが潤んだ、、のは「後知恵」が着かぬ事実だからと
信じます。更に書き残してください。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

中年不良探偵団さん 今、私が祖父に文句を言いたいのは、何故その経験を書
いた物で残してくれなかったのかということです。ーー酒好きで、面白い爺さ
んだっただけに、きっと笑いと涙の溢れる物語を残してくれたのではと思って
おります。

今更言っても詮無いことですが、孫として、祖父のような人間もいたことをみ
なさんに知ってもらいたいと思います。
朝鮮、満州に行った内地の人間は、韓国、中国から言われるようなことではな
く、それぞれ一生懸命生きてきたことを分かってもらいたいと思います。

└──────────
┌──────────「爺さん」

今後もお話を楽しみにしています。

大阪の下町に住んでいた昭和10年頃..hideおじさんのお話より20年余り前
近くにそういう人達が沢山住んでいました。違和感無く仲良くしていました。

貧しい人も、豊かに暮らしている人も居ましたし、強制連行だとか反日だとか
全く感じませんでした。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

爺さん コメントありがとうございました。

既に会社をリタイアした上司の話しですと、自分が国民学校の児童だった頃、
級長は在日の子供だったと言っておりました。これは決して珍しいことではな
かったとも言っておりましたが、子供の頃は国境がないのに、大人になるにつ
れて心に国境が出来てしまうことは....何か空しいものを感じてしまいます。

└──────────
┌──────────「タニアキラさん」

興味深いです。これからどんどん読ませてください。楽しみに待ってます。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

タニアキラさん ご期待に添えるよう頑張りますね。
今回は、とにかく右左関係なく祖父から聞いたことをそのままお話しするとい
う趣旨で書き進めます。

└──────────
┌──────────「gosakuさん」

心に沁みこむような懐旧談ですね、不景気だといって不平を言っている人たち
には想像もつかないでしょうが、あの頃は衣食住すべて貧しかったですね。
続編を期待しています。

└──────────
 
┌──────────「hideおじさんから」

gosakuさん わざわざコメントを頂戴し恐縮です。若輩の私がこのように寄稿
するようになったのも、gosakuさんの寄稿を読ませて頂いて「私も何かしなけ
れば」という気持ちになったからに他なりません。
ーー今後とも、先輩としてコメントを頂戴出来ますれば幸いです。

└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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