┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
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┃ 満州青春録 :―――――――――――――――― by 松本進さん

☆ 石ごたつ・帰国命令 ―――――――――――――――― 2004/01/23

―――― 石ごたつ

私は一生懸命に働いた。

数日して、負傷兵が増えたため収容しきれなくなり、もっと奥地(塑州)へ移動
することになった。私たちはその移動先では宿舎がないので、学校の先生をし
ている朝鮮人の家に泊めてもらって、そこから薪運など雑役の仕事に通った。

その時、ふとしたことで肩に怪我をした。

山下君が薬をつけてくれたが、付け過ぎたのと薬が合わなかったため、顔まで
腫れ上がってしまった。熱も出てうなされるありさまだ。食事もできず寝たき
りで、みんな仕事に出かけてしまうと水さえも自分で飲むことができない。

本当にこのまま死んでしまうと思った程私は衰弱していた。

その家の奥さんは、たまたま子どもを出産した後で家にいたが、言葉が全く通
じない。私は何も食べられなかったが、このとき漬け物が食べたくて奥さんに
頼んだ。しかし言葉がわからず、手振り身振りで説明しても他の物を持ってく
る。
諦めて目をつむっていたら母の顔が浮んできた。

しばらくして奥さんが「これ?」というふうに、キムチ(白菜)の大きいままを
見せた。私はうなずいて涙がこぼれた。・・おいしかった。

それを食べてから力が付いたのかだんだん治ってきた。病気が治るとその家か
ら山手の方にある病院に移ることになった。小高いところで眺めは良かった。

電気のないところだったので、毎日電柱を建てるための穴を掘った。ちようど
寒い時で土が凍っている。土の下1メートルは凍っているので、氷を解かすた
めたき火をしながら少しずつしか掘れない。

みんなで、一日かかって電柱一本を建てるのがやっとであった。ここでは病人
がよく逃げ出した。てんかんの発作が起きるのだ。水てんかんといって、発作
がおこると水を求めて走り出す。

濡れるとズボンの裾も凍るような水の中にでも構わず飛び込むのだ。水の中に
入ったきり出てこないので、私も仕方なく水の中に入り連れ出すのである。
私は足が速いのでよく追いかけた。とにかく寒かった。部屋の中も寒さは厳し
い。
外でたき火をして身体を温めて部屋に入り、そのまま毛布にくるまり、みんな
が身体を寄せ合い眠った。

ある時、私はたまたまた焚火の後に石が熱くなっているのに気が付いた。

それを布で巻いて毛布に入れると、ポカポカと温かい。早速みんなに教えると
大評判で、看護婦さんたちも、中国人達までが真似をするようになった。これ
が石ごたつだ。この石ごたつを思いつくニ、三日前、夢の中に父が出てきた。

父が火を燃やしているのだ。焚き物をどんどん入れて、それを父が燃やしてい
る。火の中に石のようなものを入れ、それを棒でつついている。父は私に向い
て「おまえもこってへ来てあぶれや」と言った。そんな夢だった。

石ごたつを思い付いたのは偶然かもしれないが、私はその時、父のお陰である
ような気がしてならなった。

この病院に負傷兵がどんどん入ってくる。私はその中にリーさんがいないかと
ても気になった。リーさんはあの日から突然に姿を見せなくなっていた。

その訳もわからないまま、あの時脱走した七名に帰国命令が出された。時間の
猶予もない中、大急ぎで私はリーさんに手紙を書いた。

「いろいろお世話になりました。ありがとうございます。突然帰ることになり
ました。戦争が終わって平和になったら、また会いましょう。さようなら」

リーさんは以前、私はいずれは日本に帰るであろうが、平和になればまだ会い
ましょうと約束して指切りをしたことがあった。リーさんが来たら渡してほし
いと頼んだが、その手紙がリーさんに届いたのかは今でも分からない。

―――― 帰国命令

捕虜として加わっていた八人のうち、脱走を企てた七人に帰国命令が出た。

脱走を企てたことにより、真の協力者ではないとみなされたための処置であろ
う。この後朝鮮戦争が起ったことを考えると、真の協力者でない者を軍の内部
に抱えておけなかったのではないかと思う。

また、我々の親に会いたいという気持を汲んでくれたのかもしれないが、定か
ではない。

誰と別れを惜しむ間もなくトラックに乗せられ、半日かかって新義州に着いた
。途中、日本の工場の技術者も帰されることになり、家族とともにトラックに
乗り込んできた。

新義洲で汽車を待つ間、中国のほうへ連れていかれるのではないか?とみんな
不安だった。汽車が動き始めて、北を向いて走っていないか心配だったが、誰
かが大声で「南だ!南に向かっている!」と叫んだので嬉しかった。

技術者の家族は荷物もたくさんあり、子どももいるので汽車の乗り降りを手助
けし、座席も座れるように気を配った。

平壌駅からさらに汽車でニ日かかって、興南という港町に着いた。

技術者の家族からお礼だといってお金たくさん貫った。そこで船を待つ間、学
校の教室のような部屋を割り当てられた。そこにはソ連兵がたくだんいて、そ
の監視のもとニ週間ほどそこで船を待った。

収容所では演芸大会などもあったが、帰れると思ってからの2週間は胸も高鳴
り、とても長く感じられた。

食料はコーリャンが主食で、大根や白菜を炊いたものがほとんどであった。
たまに地元の魚師の獲ったカニを一人一匹ずつ配られ、それは本当においしか
った。待っているあいだに「歌を習いに行こう」と誘われて行くと、そこでは
「異国の丘」の歌と踊りがみんなに教えられていた。

踊りはすぐ忘れてしまったのだが、歌は歌詞が我々の心境にまさしくぴったり
で、すぐに覚えられた。

後年「異国の丘」が日本で流行した。その歌には聞き覚えがあった。作曲家の
吉田正先生が戦後まもなくソ連のほうで作って、興南まで引き揚げて来てみん
なにこの歌を教えたらしい。大勢の日本の捕虜達に歌われたことを聞き、私も
現地で習ったのだと感慨深かった。

また、ソ連軍による社会主義の勉強する集まりが外の広場や講堂で時たま開か
れた。ここでは戦後社会主義の勉強をした日本人が、ニ千人以上の人の前で、
自分の信念を熱っぽく語るのを見て、それがとても魅力的に見えた。

話の内容も、労農学校の井手から聞いていたことや、八路軍で勉強したことも
あって、私には何もかもよく理解できた。戦争に負けて、今までの日本に多少
なりと疑問を持っていた。

八路軍では捕虜である私にも、共に働くからといって給料をくれた。しかし、
日本軍の捕虜の扱いはどうであったか。まるで虫けらのごとき扱いであった。
そんな経験から私自身、何が正しいのかを自分の目で判断するようになってい
た。

船が港に着く数日前にはそのことが告げられ、私達は故郷を思って興奮して眠
れなかった。――そしていよいよ明日、船が出ることが決まった。

故郷の懐かしい人達の顔が胸に広がった。

                     = 満州青春録:つづく =
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┃┃ お便りで頂きました感想。
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┏━━━━━━━━━━「大原敬一さん」男性@八十代@自営業@北海道

私の親友は昭和十九年陸軍士官学校を卒業直ちに旧満州吉林省へ。
そこで航空士官の基礎訓練中に敗戦。――其の後が凄い。

とある駅で機関車を見つけ、それを自ら運転し朝鮮国境を越えて釜山まで来て
乗り捨て、命からがら日本に戻って来たという。
其のとき、彼は私と同じ十九歳です。

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┏━━━━━━━━━━「気分は情報無限さん」

――満州青春録☆石ごたつ・帰国命令2004/01/23を読んで

第二次世界大戦中のヨーロッパ東部戦線で冬将軍に襲われたドイツ軍兵士が、
まともな防寒装備が無いので止むを得ず焼いた煉瓦をボロ布に包んで、それを
持って暖を取りながら夜間の歩哨に立ったという話を聞いた事があります。

それから和食の「懐石料理」は、断食をしている僧が飢えをしのぐ為に焼いて
暖めた石を腹に抱いた事から始まったそうです。

まさか満州で実践された方が居られるとは存じませんでした。

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┏━━━━━━━━━━「坊主2」男性@六十代@山形

松本進様 本当にご苦労様でした。

松本様のような方があるから、今日のわれわれが生きておられるのだと思って
います。
今日、自分ひとりの努力で今を築いてきたような人がいますが、どこにいても
人間らしさを失わないで知恵を出して生きてきた人がいるから、今があるんで
すね。

松本様の文を読むたび、生きていくにはちえがいるんだな、と思います。
小賢しいものではなく、学歴用の学力でもない生きていく知恵を身に着けるこ
とですね。

今回、御著書<佳き日を生きて>を送ってもらい、恐縮しております。楽しみに
して読んでおります。でも、この青春録もまた読んでしまいます。
文が読みやすくなってますね。

だんだん上手になっていくのが感じられて私も励まされます。
ありがとうございます。

一緒に中国に行きたいです。中国生まれの連れ合いも行きたがっているのです
が、その母が91歳で、フラフラしてるので海外に行けなくてイライラしてま
す。
私は少し英会話が出来るので、中国語が出来る松本様と組んでアジアへ行きた
いです。
また。お元気で!

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(^^) OJIN です(^^)

松本さんの自分史「佳き日を生きて」は、その後も希望される方が続き、残っ
ていた分は終了しましたという連絡を頂きました。
尚希望される方がおられるようであれば増刷を考えますが、今度は本の原価と
送料だけはお願いしたいということでした。
=国内(送料込み)3000円 海外の場合は送料を別途に計算。

ご希望の方は、郵便番号・住所・姓名・電話番号と「佳き日を生きて」希望と
書いてメールにてお送りください。 asiadesu@hotmail.com

  「佳き日を生きて」表表紙      「佳き日を生きて」裏表紙



















「佳き日を生きて」目次
第一章
 1.母の背中(幼児期の思い出)
 2.兄弟げんか
 3.魚とり
 4.先生の思い出
 5.仕事好きの子ども
 6.遊び
 7.村の祭り
 8.すいか作り
 9.麦・米
10.新築
11.薪集め
12.大人のけんか
13.遠足
14.兄弟のこと
15.赤紙の兵隊さん
16.山火事
17.博打
18.山の木出し
19.物売り
20.父の商売
21.小作争議
22.卒業式
23.父との別れ
第二章
24.旅立ち
25.岐阜での暮らし
26.満州へ(堤中尉の涙)
27.七五一部隊
28.11期生の涙
29.初めての外出
30.部隊でのくらし
31.竜宮城の乙姫様
32.二三七部隊
33.熊岳城
34.終戦
35.安東の収容所
36.土橋さんの家
37.社会主義との出会い
38.八路軍に参加
39.815記念日
40.北朝鮮に渡る
41.トロッコ
42.脱走
43.石ごたつ
44.帰国命令
45.興安丸
46.日本が見える
47.懐かしの我が家
48.自分の墓
第三章
49.青年芝居
50.災害
51.引揚者援護協会
52.私の新宅
53.山林と牛
54.三人の男兄弟
55.腹違いの兄
56.結婚
57.農業委員
58.たばこ耕作者の争議
59.みかん作り
60.母の死
61.妻の入院
第四章
62.不動産業を始める
63.古家買い
64.一富士商事設立
65.福増力夫氏との出会い
66.スナック・バー通い
67.二度目の新築
68.庭造り
69.成人病センター
70.土地改良区の理事
71.茶道を習う
72.金貸しの二年
73.中野町の土地の売買
74.相撲茶屋
75.女優、片山由香との出会い
76.まつちかに店を出す
77.白鳥を飼う
78.証券株
79.農協理事になる
第五章
80.娘の結婚・息子の結婚
81.西野町総代
82.中国語の勉強
83.宅建協会理事となる
84.優しかった義母
85.兄の死
86.交通事故
87.こどもの城
88.お墓のこと
89.人捜しの旅
90.支えられて
91.戦友会
92.感謝をこめて(あとがき)
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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