┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
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┃ 満州青春録 :―――――――――――――――― by 松本進さん

☆ 北朝鮮に渡る ――――――――――――――――――― 2003/12/19

国民党がすぐそばまで来ていることが分かり、自分たちが建てた野戦病院を捨
てて北朝鮮に全員で移ることになった。鴨緑江を渡り、汽車でダムの上、ニ百
メートルぐらい先の、もと日本軍警備の三角宿舎まで行かなければならない。

河をひとつ隔てているだけであるが、国民党も隣国の北朝鮮にいる八路軍には
手が出せない。逃げるには絶好の場所なのだ。

日本人(医者・看護婦・付添婦・私達雑役)約三十人、中国人(兵隊・負傷兵)何
百人もの大移動である。

初めに負傷兵を運び、それから物資を運び出す。荷物を船で渡し、それを汽車
の線路まで担ぎ上げ、汽車に積み込んで運ぶ。看護婦さんたちも負傷兵の世話
だけでなく、医療道具や薬などを懸命に運んでいた。

食料(粟・とうきび・コウリャン・小麦粉・小豆・米など)の入った六十キロぐ
らいの麻袋を毎日運んだ。日本人は肩で担ぐが、中国人は腰に乗せる。真似を
してやってみると早さは担ぐ方が早いが、身体にはこの方が楽である。

後に内地に帰ってから、米の供出のとき中国流の担ぎ方をしたら兄が驚いてい
た。

―― 運搬が一番大変だったのは牛であった。

この牛は乳牛で、食堂のおじいさんが乳を搾り病人に飲ませていた。誰も牛の
扱える者がいなかったので私が渡すことになった。

私は「ハセ(左)!ヘセ(右)!」と言って綱を引いたが、言うことを聞かない。
誰かが「おまえ日本語で言ってもいかんぜ。ここは中国だから、牛にも中国語
で話さないといかんね」と言った。

やっとの思いで河の浅瀬から水の中に入れた。少し行くと河の中ほどで急に深
くなり、牛が浮いて流されはじめた!

私は泳ぎながら、このまま流されていくと洞窟の中に流されてしまう。あそこ
に入ったらもう助からないと思い、死にものぐるいで引っ張った。やっと牛の
足が届くところまで引っ張っていき、七、八十メートル歩いて向こう岸に着い
た。

ホッとして、大の字になってその場に倒れた。

夜、鴨緑江をのぼりながら、誰かが「利根のお月さん」を歌った。
聞いているうちに望郷の思いがこみあげてきて涙を流した。

食料やその他の物資を運ぶのにニ、三日かかった。

―― 私たちが休んでいると、先に渡っていたリーさんが馬でやってきた。

「大丈夫?よく頑張ったわね」

そう言ってカリントのようなお菓子を持ってきてくれた。みんなりーさんが私
に何を言ったのか知りたがった。
私はお菓子をみんなに配った。当時私は満十八歳だったが、実際より老けて見
られていたこともあってリーダー的存在だった。

食料を運び終えて、やっと宿舎に入った。

―― 私達の仕事は、主に薪運び、水汲みだった。

ダムから四斗桶に水を汲み、担ぎ棒を通してニ人で担いで朝晩運ぶ。ダムの上
から眺めると、この夏みんなで作った病院に、今では国民党が入っているのが
見えた。

複雑な心境だったが、私達がいるのが北朝鮮だということもあって攻撃を受け
ることはなく安心感があった。

ここでの私たちの身分は捕虜だったけれど、給料が支給された。どの捕虜にも
同じように支給されていた。日本人の捕虜のいるところには労農学校の人たち
がついていて、夜になると政治的なことや、人間として何が尊重されるべきか
を勉強した。

看護婦や付添婦も教育された。人の命の尊さや、戦争の罪悪とか、政治常識を
学び、それは私の戦後の生き方に少なからぬ影響を与えた。

ここへ来るきっかけとなった労農学校の井出君とは、北朝鮮に渡ってからは会
うことはなかった。

―― 部隊に物資を納入している中国人のおじさんと親しくなった。

ある日「松本さん」と呼ばれ「あんた、朝鮮にずっと居る気はないか?」と言
われた。私は「ない」と答えたが、翌日の買い出しに誘われた。
帰りに町を見物すると言われたもので、できるだけこざっぱりとした服装をし
ていった。

途中、おじさんの知り合いの家に立ち寄った。一目で豪農の家だとわかる。

立派な塀で囲まれた庭で、洗い張りをしている娘がいた。こちらを見ている娘
と目が合い、「なかなか別嬪じゃ」と思った。

やがて正装した男の人が現れ、さっきの娘がお茶を運んできた。

挨拶の後、いろいろと質問され、これがどうもお見合いのような様子になって
きた。しばらく話した後、おいしい食事をごちそうになり、土産までもらって
帰った。

帰り道でおじさんに「あの娘さんはどうだったか?養子に入る気はないか?」
と聞かれた。その時はとりあえず「考えておく」と答えたが、日本への帰国を
諦める気にはなれなかった。

                     = 満州青春録:つづく =
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┃┃ お便りで頂きました感想。
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┏━━━━━━━━━━「十八子クサさん」男性@五十代@自営業@千葉

―― 満州青春録「北朝鮮に渡る」を読んで。

松本進様こんにちは、十八子クサというものです、初めまして。

――感動しました。

1.お母様の話:
 あの生き生きしている表現は私の心が打たれました。
 私も50歳半ばに入りましたが、亡き母の苦労はいつまでもいつまでも忘れ
 られません。

2.50年も日記を書き続くこと:
 どんな歴史の歩みの記録を残してくださるか、この価値は量れません。
 まだ全部読み終わっていないが何遍も何遍も読む積もりです。
 1冊本にして頂ければと期待しております。
 読んだ度にときどき感想を書かせてください。

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┏━━━━━━━━━━「松本進さんから」

本は、既に完成済みです。

御要望が御座いましたら、お送りをさせて頂きますので、ご住所、お名前等の
ご連絡先をお知らせ下さいませ。

┗━━━━━━━━━━
 
┏━━━━━━━━━━「(^^) OJIN です(^^)」

松本さんのこの記事は実は既に本になっているんです。

自分史「佳き日を生きて」と題して愛媛県の"木曜社"という出版社から刊行さ
れています。――非売品なんですけれども。
この記事は、この本の中の一部分、満州生活時代の部分を切取ったものです。

記事を掲載するにあたり、「もし本が欲しいという読者がいたらどうしますか
?」とお聞きしたところ、「今はもう贈呈して残りがほとんどないので、ある
程度まとまるならば増刷するようにしたい」という返事を頂いていました。

松本さんの"自分史"ではありますが、本の中には当時の貴重な写真も多数収載
されています。ご希望の方がございましたら取りまとめたいと思います。
メールでお寄せ下さい。→ ojindesu@hotmail.com

----希望数量によっては増刷せず、お届けできないこともありますので
  ご承知おき下さい----

┗━━━━━━━━━━

┏━━━━━━━━━━「爺さん」

―― 満州青春録「北朝鮮に渡る」を読んで。

毎号楽しく読ませてもらっています。
私も北支で終戦の詔勅を聞いていますので懐かしくもあります。

それにしても終戦当時の在満州日本人の歩みには、その後天地の差があります
ね。八路軍のお話も、私にとっては意外でした。

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┏━━━━━━━━━━「ユリさん」女性@四十代@主婦@東京

―― 満州青春録「北朝鮮に渡る」を読んで。

お恥ずかしいことに国民党、八路軍のことが分かりません。
ソ連・北朝鮮・韓国・日本の当時の状況と合わせてお教えください。

┗━━━━━━━━━━
 
┏━━━━━━━━━━「松本進さんから」

愛媛県松山市在住の松本進でござます。
ご質問を有難う御座います。早速ですがご質問にお答えをさせて頂きます。

*国民党と八路軍について

戦前より国民党と八路軍が中国、国内で戦っていました。八路軍は日本で言い
ますところの日本共産党の事です。国民党は、自民党の事です。どちらも政権
を取る為に戦ったのですが、国民党は台湾へ逃げます結果となりました。

*ソ連・北朝鮮・韓国・日本の当時の状況について

当時、日本が敗戦と同時にソ連が中国に侵入して来ました。本に記載してあり
ますが、日本人は引き上げに大変でした。
日本軍人は、中国やソ連の捕虜となりました。

北朝鮮や韓国に居ました日本人は、皆、引き揚げました。

その後、北朝鮮軍は共産党の支持の元、韓国は自民党支持の元、戦いました。
ご存知と思いますが朝鮮戦争です。その後、和平が結ばれ、その結果、現在の
北朝鮮と韓国に分断される事となりました。

以上、簡単にご説明をさせて頂きました。

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┏━━━━━━━━━━「気分は情報無限さん」男性@三十代@大阪

―― 満州青春録☆北朝鮮に渡る2003/12/19を読んで ――

何時も非常に興味深く拝見しております。

戦前や戦時中の日本に関する話を取り扱った本は沢山有りますが、終戦直後の
話を聞く機会は滅多に無いので大変勉強になります。

しかし何というか....昔の人は身体が頑健だったのですね。

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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 

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