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┃ 満州青春録 :―――――――――――――――― by 松本進さん
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☆ 815記念日 ――――――――――――――――――― 2003/12/12
―――― 昭和二十一年八月十五日、
この日は日本にとっては一回目の終戦記念日である。終戦というより敗戦とい
うべきであろうが、この日は中国にとってみれば、祝勝記念日ということにな
る。豚、鶏、野菜などで十八種類の御馳走が並んだ。
当時私は炊事の手伝いをしていたが、捕虜も一緒に酒や御馳走を食べて祝う。
私たちも負けたなどとは考えないで、その祝勝会で踊りを披露をするため練習
に精を出した。日本人の付添婦や看護婦さんたちによる「貫一お宮」などを見
た記憶がある。ここでは捕虜とはいえ同志でもあるわけだ。
婦人将校のりーさんは大歓声に迎えられて登場し、歌を唄った。
誰もが振り返って見るような美しい容姿ばかりでなく、まるで笛の音色のよう
な澄みきった声に、みんなシーンと聞き入っている。歌い終わるとすごい拍手
がわき起こった。
りーさんは、よく料理を持ってきてくれては日本の地図を出し、私にいろいろ
と日本のことを聞いてきた。日本に関心があるようだった。年齢も近く、気が
合ったというか、私もりーさんも片言の日本語と中国語でよく話をした。
―――― 休みの日、河へ游ぎにいくことになった。
というもの、これもまたりーさんという男の班長が、「この中で泳げる者はい
ないか?」と聞くので、私が「日本人はみんな泳げる」と答えると、魚を取る
ために連れて行かれたのだ。
ここにいる中国人は泳げる人がいなかったのかもしれない。手榴弾を河へ投げ
込み、それが沈んだ頃ザパーと白い波が立ち水しぶきが上がる。すると魚が
ボコッと浮いてくる。それを泳いで取ってくるのである。
まるで猟犬の役目だ。
この魚が臭くなく旨いのである。本当は手硫弾をこんなことに使ってはいけな
いと思うのだが、何度も交替で出かけた。
ある日山下さんと相談し、ちょっとしたいたずらを思い付いた。潜水の得意の
私が飛び込んだまましばらく沈んでおいて、少し離れたところで浮き上がり、
気を失って流された振りをしたのだ。
りー班長は、驚いて顔色も真っ青になり、みんなで大騒ぎして私の救出にあた
った。私は河岸に引上げると、山下さんが打ち合わせどおり仰向けに寝かせ、
腹を押さえた。私は口に含んでおいた水をジワリと出して、ゆっくり目を開け
「ここ何処?」と言ったのだ。
りー班長の魚取りはそれからは二度となかったが、取った魚は病人にも焼いて
食べさせていたということを、私は後になって知ったのだった。
八路軍に参加して戦いの中にいても、ここには食料の心配もなく、また日本軍
の中にいるような厳しい制裁や規律もなく、私には居心地がよかった。ここで
の食べ物の記憶は、豚と鹿である。
豚は足を結わえて連れてきているものを料理するのだ。豚の調理を見ていると
肉ばかりでなく、皮も内蔵も骨も全て食べられ、捨てるころと言えば爪だけで
ある。鹿は大雨の後、川上で死んで死んでいるのを見つけたもの。
大きな鹿なので急いで知らせに戻り、中国人二、三人で担いで帰った。
なかなかおいしい肉だった。大量のウナギに出くわしたこともあった。
ダムに泳ぎに行った時、ダムの放流のためにできた河の中の洞穴に、不気味な
黒いものがウナギだということで、改めてつかまえに行った。黒い陰のかたま
りを棒でつつくと、その黒い陰はみるみる私の方へ寄ってくるので、怖くて急
いで逃げた。網でつかまえて食べてみたが全然おいしくなかった。
日を追うにつれ、国民党がだんだん近くになってきて、攻撃を受けることも何
度もあった。夜山越えて食料を運んでの帰り道、ダムで泳ごうと言うことにな
り、泳いでいると弾がダダダ......飛んできた。
大慌てて小さい島に泳ぎ着きじっとしていた。すると援軍がきてくて、島の反
対側から泳いで帰った。もた負傷兵を迎えに担架を持って、谷を通り山の上に
上がった。
この辺りかと畝を歩いていたら、いきなり照明灯に照らされ攻撃を受けた。私
はまっすぐ走って下へ駆け降りた。下へ降りてからいくら待っても誰も降りて
こない。みんなやられたのか、それならばもう一度登って確認しなければと立
ち上がた時、カサカサと音がしてみんな山を後ろ向きになって降りてきた。
「おまえら何をしていたのか?遅いじゃないか」
「おう松本さんこそ早いじゃないか」
「早いてて、おれは相当前からここに居るよ。後ろ向きに降りるから時間がか
かるんよ」
「ようそんなこと、下を向いてなんか下りらん」
子どもの頃、山を自由に駆けめぐって遊んだことが役に立っているのだ。一度
帰って翌朝早く改めて負傷兵を迎えに行った。しかし時はすでに遅く、みんな
死亡してしまった。
演芸大会、仮装行列といった行事もみんなで準備から楽しいんだ。私が土橋さ
んから貫って持っていた戦闘帽を、パイという将校が貸してくれと言う。
パイさんは日本の軍隊の服装をするのだ。私は中国式の竹馬を足につけ、それ
が隠れような足の長いズボンをはくと、三メートルの高さになる。
そして高足踊りをした。音楽にあわせジグザグに踊ると、みんな喜んだ。
特に中国人の子どもたちがびっくりして、大喜びだった。
= 満州青春録:つづく =
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