┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
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┃ 満州青春録 :―――――――――――――――― by 松本進さん

☆ 八路軍に参加 ――――――――――――――――――― 2003/12/05

―――― 八路軍に参加するため安東を出ることを
     お世話になった人達に話した。

みんな驚いたようだった。誰もが一日も早く日本に帰りたいと思っていたから
だ。しかし、八路軍に参加するという使命感でいっぱいになってしまっていた
私には、日本や日本で待っている人のことを考える余裕はなくなっていた。

いよいよ旅立ちの当日、汽車に乗り込んで出るのを待っていると、風呂敷包み
を持った千代子さんがやってきた。

「さようなら」

そして千代子さんが何か言いかけたが、出発前の喧騒で聴き取れない。

汽車が動き始めた。千代子さんは慌てて汽車につかまった。風呂敷包みを渡そ
うとしていたようだったが「危ない!」と思った時にはバランスを崩して土手
をコロコロと転がていった。

顔をあげてじっとこちらを見ている。

私は「さようなら!さようなら〜〜!」と手を振ったが、それにはもう応えな
かった。風呂敷包みは清水さんのおばさんからの弁当だったのかもしれない。
折角の好意を無駄にしたのかもしれなかった。怪我はしなかっただろうか。

後味の悪い別れとなった。
安東での千代子さんとの思い出は楽しいことばかりだった。

戦後、世話になったお礼やらお詫びも言いたいと、千代子さんの消息を捜した
が、とうとうわからなかった。

―――― 汽車は港に着いた。

港では帆かけ船八、九隻に物資を積み込んで、病院にいた負傷兵、医師、看護
婦、付添婦、そして私達日本人雑役も八名乗船し、鴨緑江を上った。

安東から半日は、河の水もたくさんあり、帆かけ船の帆だけでどんどん進んで
いたが、やがて水も少なくなると竹の棒で突っ張って押したり、さらに船から
長いロープを投げ、私達が陸から引っ張ったりした。

女性はいるし、船旅も楽しかったが、途中パンパンと銃の音がして、河岸の上
のほうから攻撃を受けた。上からねらい打ちされたのではやられてしまう。

私は攻撃してくるのは日本人だと判断したので、河に飛び込み、岸に向かって
大声で「オーイ、おれたちは日本人だぞ。撃つな!」と叫んだ。するとパッと
手が上がり攻撃が止んだ。そして「」グズグズしていると撃ち殺すぞ!という
声がして立ち去った。

怪我人もなく事なきを得てみんな喜んでくれた。夜は河の中州に船を止めて過
ごし、一週間以上かかって水豊ダムに着いた。
昭和ニ十一年五月のことだった。

―――― 来る途中でワン班長が、

船が着いた時は、病人、医者、看護婦、兵隊、最後に私達雑役が上陸する、と
その時の手順を話していた。
船が着くと、陸では先に着いていた病院の部隊長が真ん中に立ち、ズラッと並
んで我々を迎えてくれた。

部隊長は大男で、私は密かにマンモス隊長とあだ名つけていた。出迎えの中の
日本人は、共産党の指導をする人が一人いただけだった。私達の班長であるワ
ンさんに部隊長が声をかけた。するとワン班長は私の腕をつかんで何か言って
いる。

すると周りにいた百二、三十人の人達が、パチパチパチと一斉に拍手をした。
ワケがわからなかった。それからワン班長と並んで歩き、一番先に上陸した。
拍手はさらに大きくなった。

そしてやっと、ここへ来る途中で攻撃されたのを止めさせたことを、みんなが
評価してくれているのではないか!?と気付いた。伝令がそのことを先回りし
てマンモス隊長に伝えたのだろう。

このとき、リーという若い婦人将校と出合った。

稀にみる美人で、チョーカー=長靴)を履いて拳銃をさげていた。りーさんは
わずかな日本語を知っているだけだったが、私達日本人雑役八名の案内役をし
てくれたのだった。

「ここがあなた方の部屋ですよ。何か困ったことがあれば言ってください」

そう言ってくれたが、それからも何かと親切にしてくれた。

―――― ここでの一番の仕事は野戦病院を建てることだった。

看護婦達もみんな総出で手伝った。たくさんの人がいて、知り合いになり楽し
い充実した時だった。
私は大工として作業し、回りの中国人からは三年でモノになると言われた。

壁土を足で練るのはそれは楽しい作業で、土に水をかけ、ズボンをまくって足
で土を練るのだが、看護婦さんたちも大はしゃぎだ。

そこへりー将校が「私もする!」と入ってきた。童心に還りみんなで肩を組ん
で一生懸命に土を練った。ここで暮らす同志たちと連帯感が生まれたひととき
であった。

昼間は、賑やかな時間を追われるようんい忙しく過していても、夜になると別
れてきた子どもを想い泣いている姿を見ると、私も家族を想わずにはいられな
かった。

故郷で生活していた頃の自分や、私が帰った時に両親や兄弟達がどんな風に迎
えてくれるだろうかと、いつもあれこれと想像していた。

奉天で、父の病気が重いことを聞いていたので、もしかしたら....とも思った
が、私のことも心配しているに違いない。

こうして生きていることを知らせたかった。

                     = 満州青春録:つづく =
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