┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━┓
┃
┃ 満州青春録 :―――――――――――――――― by 松本進さん
┃
☆ 社会主義との出会い ―――――――――――――――― 2003/11/28
大工の仕事をしているときに黒い服を着て帽子を被っている人達を見かけた。
彼らは労農学校へ行っている日本人で、労農学校とは野坂参三や中国共産党が
作った政治、常識の教育をするところであった。ご飯を食べさせてくれて勉強
もできるということで、多くの日本人が参加していた。
その人達は勉強が進んでくると、日本人が捕虜となっているところに配属され
て、自分たちの思想を日本人に話すのだった。
ある時、休憩している労農学校の人の中に見たことのある顔を見つけた。
井手君という男で、戦時中に作業場は違っていたが飛行機を修理していた同じ
二三七部隊の人だった。
この再会はちょっと驚いた。互いに挨拶や近況を語った後、彼は私に話しだし
た。
「日本は神の国じゃ言うたけど戦争に負けた。信用はできん。松本、戦争は何
のためにしたのか知っとるか?」
「中国人が悪いけんよ」
「それは違う!中国がいつ日本に攻めてきた?日本が中国の国民党と共産党が
が対立しよるのを今じゃと思うて攻めて、朝鮮も攻めて、それを日本は正義の
国じゃからと理由をつけているだけじゃ。日本は資本家と軍閥が繋がっとる。
軍閥が圧力をかけて、軍のいいなりの社会にしてしもうとる。
本当の政治は、選挙で選ばれた代議士が我々のために民主的な政治をすること
じゃ。今まで日本の労働者はええことがあったか? 労働者は日本の95%、
金持ちは5%、その5%の資本家が軍閥と手をつないで国民に日本は神の国と
信じさせて学校で教えた。
そして国のためにいつでも死んでいける体制を作った。それは侵略が目的だっ
た。そして中国人や朝鮮人を日本人より下に見ることを思想的に植え付けた。
一部資本家の利益のためじゃ。
戦争は間違っとる。人間の命は何よりも尊い。命を大切にする社会じゃないと
いけない。また、農家では地主に作った米の七割を納めている。雪国では娘を
売ってこれに当てている。それは間違っている。みんなが食べられる社会じゃ
ないといけないと思わないか?」
「でも、今までそのために死んだ者はどうなる?」
「だから日本も変わらんといかん。いま中国は労働者が政権を取る戦争をして
いるから、わしらがそれに協力することは、ひいては日本が変わる撃がりがで
きる。だからわしはこの革命に命を捧げておる」
―― こんな会話がそれから何ヶ月も、毎日続いた。
井手君は熱心に私に話した。労農学校で勉強することも私に勧めた。しかしそ
の時は土橋さんを守らなくてはという思いがあり、また労農学校に行かなくて
も、もうすっかり感化されてしまっていた。
井手君のいうことは、考えれば考えるほどもっともなことに思えた。私は子供
であったとはいえ、小作争議を体験したことも影響した。他国の人にも家族が
あり、家庭を持ち、子供を産んで、育てて、幸せに暮らすことを願っているの
に、そこを占領し「万歳!万歳!」と祝った。
多くの人の血を流し、「万歳!」と国中で酔いしれていた。
何もかも間違いだった。信じていたことが音をたてて崩れていった。
私も八路軍に加わる決心をしていた。八路軍に加わるといっても、捕虜として
同行し、八路軍のために働くということであったが、それは日本の平和と民主
主義のためになるのだという思いだった。
父や母、そして故郷を思わない日は無かったのに、一日も早く帰国したいとい
う思いを、血気に走って一時忘れてしまったのだった。
井手君に出合った頃だった。病院に運ばれてくる病人を、中国兵と一緒に貨物
列車から降ろす手伝いに行った。この時に限って山の方から弾が飛んでくる。
中国兵は弾が怖くてだれも負傷兵を降ろそうとしない。私はそのころ井手君に
感化されて"兵は人民の兵隊"という考え方になっているので、そんな中国兵を
見ると、「情けないのう」と言いながら中国兵に代わって貨車の扉の蝶番を外
してまわった。
その時、やはり慌てていたのだろうか。
落ちてきた重い鉄の扉が足の踵に当たって踵の骨が潰れてしまった。私の身体
は、はずみで貨車から下に落ちた。みんなは、私が敵の弾に当たったと思った
らしい。何人かで私の手と足を持ち馬車に乗せ、病院に連れていってくれた。
その途中で私は意識を失った。
それはまるで水の中に沈んでいくような感じだった。
気がついたのは翌日の朝だった。すぐに足の怪我のことを思い出し、見るとこ
れが自分の足だろうかと思うように腫れ上がっていた。外科の医師が入ってき
た。私は足は切り取るのか聞いてみた。
「足の骨が潰れているけれど心配いらない。人間の骨の中で一番治りやすいと
ころです。あなたは運がいいですよ」
この病院で、私が仕事で作った松葉杖を自分が使うことになろうとは思っても
みなかった。看護婦さんたちもみんな良くしてくれた。米を持って家まで見舞
いに来てくれたり、何かと親切だった。
足のほうは医師の言ったとおり順調に回復していった。
やがて炭坑に働きに行っていた池本さんたちが帰ってきた。
それから四、五日して私は八路軍に参加するため安東を出ていくことになる。
= つづく =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。

|