┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
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┃ 満州青春録 :―――――――――――――――― by 松本進さん

☆ 安東の収容所 ――――――――――――――――――― 2003/11/14

安東に着くニ、三日前から朝鮮には渡れなくなっていた。鴨緑江(中国と朝鮮
との国境に流れる川)を渡れるのはいつのことになるのか分からない。とりあ
えず民間人は小学校や寺へ、軍関係者はカブト山の向うの工場へ落ち着いた。

ここは収容所とはいえ柵などの囲いはなく、他に逃げるところもなかった。
いずれ朝鮮に向けて汽車が出るようになれば、日本に帰れるだろうと思ってい
た。

安東には日本から接収した軍の物資がたくさんあった。トラックに何百台とい
う量だった。酒、缶詰、武器などを山積みしてシートをかけていた。満州各地
から引き揚げて来た人がいたが、ここで十日あまり、汽車に武器などの物資を
積み込む作業をさせられた。

拳銃や小銃を積み込む時、うっかり引き金を引いて弾が出たことがあった。
人には当たらず無事であったが冷や汗をかいた。そのころ私をかわいがってく
れていた酒好きの人が、ある夜「まっちゃん、あのシートの下に羊羹や缶詰や
お菓子や酒がイッパイあるぜ。わしが全部調べてみとんのよ。おまえ持ってく
れよ」と誘った。

私と彼は用心深くシートの山に登り物色した。私は菓子が目的だったが、その
人は酒ばかりを袋に詰めこんだ。私の目的の菓子は見つからず、酒ばかりだ。

パーン!と銃の音がした!

「しまった!見つかった!」

私は下へ飛び降り、一目散に逃げ帰った。
しかしその人が帰ってこない。困った。弾に当たったに違いない。

そう思っていると、背中に酒をいっぱい背負って帰ってきた。

「まっちゃん、逃げるのが早かったのう」

「うん、恐ろしかったさかい」

「慌てて逃げなくても、シートの下に潜り込めば奴らだって簡単に見つけられ
 はしない」

その人はシートの下に隠れていたそうだ。シートはかなり大きくたくさんある
ので捜しようもなかったらしい。彼は安全を確認するまでシートの下で酒を飲
みながら寝ていたという。自慢話のように私に聞かせると、勝ち誇ったような
高笑いをした。


しばらく日本に手紙も出せなくなっている。
そのせいか故郷の思いはますます大きくなっていった。

「今頃みんな何をしているだろうか。裏の畑ではナスビがたくさんできている
だろう。母ちゃんのナスビと油揚げを煮たのはおいしかったな。ご飯と食べた
いなあ」そんなことを思ったのは私ばかりではなかった。

数人でお米とナスビを買って、中国人に頼んで料理してもらおうということに
なり、ある中国人のところに行くと快く引き受けてくれた。おいしかった。
懐かしい味であった。腹いっぱい食べた。"もう死んでもいい"そんな気になる
ほど満足だった。

収容所では外出は自由であった。使役で使われているときは自由がきかないが
収容所に帰れば夜の外出も制限されることはなかった。みんなは自分の持ち物
を売っては小遣いを作っていたが、私はお金にはあまり困ることはなく、以前
シートの下から盗ってきた缶詰などを仲間に分けてあげたりしていた。

もともと大酒を飲むこともなく、遊びもしないし、奉天で古タイヤを売った時
に得たお金をまだ持っていたが、そのことは誰にも言わなかった。しばらくし
て新しい宿舎に移った。
前にそこにいた人たちは、ソ連軍と一緒にどこかへ行ってしまった。シベリア
かも知れなかった。

やがてだんだん食料も少なくなった。干し大根を保存してあるところに雨が当
たり、中がムレて蛆(ウジ)がわいた。その蛆がさらに乾いて、やがて味噌汁の
具に大根と一緒に浮んでくるようになった。

最初は気持てが悪く、蛆を取り除いて食べていたが、そのうちに取り除くのも
面倒なくらいたくさん入っているので全部食べてしまうようになった。何しろ
千切り大根より蛆の数のほうが多いのだから、人間慣れというのはすごいもの
である。

食糧事情が悪くなると喧華が多くなった。日本に帰れる目途が立たないことも
イライラを募らせた原因だっただろう。戦争に負けてから、ここでは軍の規律
など通用しない。以前シートの下の食料品を一緒に盗りに行った私と同じ部屋
の酒好きの人が、何かにつけ喧華を売っていた。

毎日酒を飲んでは、他の部屋を棒を持って歩き回る。とうとう誰かにひどくや
られてしまって、私達はお湯で体を温めて心臓マッサージをしたけれど、とう
とう生き返らなかった。

何人もの日本人が死んでいった。戦争は終わったが私達の命の戦いは続いてい
た。当時風呂などなくドラム缶で代用していたが、そのドラム缶の風呂に入っ
ていて、十一期の私と仲の良かった阿南が流れ弾に当たって怪我をした。

彼の身体を抜けた弾は、そばにいたもう一人の男の身体に当たった。

阿南はニ日後に「時計をお母さんに渡して......」と言い残し、死んでしまっ
た。もう一人の男もまもなく死んだ。

また、浦野君という同期も病気になった。病気になると川向こうの小屋に入れ
られる。

「芋が食いたい!」

「絶食中じゃろうが」

「食いとうて、食いとうて、たまらん!」

「よし、買うてきてやる」

「ピーナッツも買うてきて......」

「それはいかんぞ!」

小屋に運び込んでニ、三日して浦野君は死んだ。私達が担架で運んだ時はもう
かなり弱っていた。どうせ死んでしまう運命であったのなら、好きな物を食べ
させてやればよかったと思った。

もうひとつ悔いの残ることがある。秋も終わりが近付いた頃、ひなたぼっこを
していると小屋の戸がスッと開いた。見ると中に見知らぬ日本人が寝ていた。

彼は言葉も出ないほど衰弱しており、一生懸命に頭を上げようとしていた。
その時の私は、静かに休ませなくてはと思い、そっと戸を閉めた。しかし後に
なって考えれば、水を飲ましてくれと言おうとしたのか、それとも親に何か伝
えたいことがあったのではないかと気になった。
彼の想いを聞いてやればよかったのにと、今でも思い出しては後悔している。

ある日、山の尾根を、鉄砲をかつぎゲートルを巻き帽子を被って、何百人とい
う中国兵が一列に並んで歩いてくる。リュックサックの上には巻いた毛布を紐
で縛り付けてあった。まさにこの兵が八路軍であった。

ソ連兵と握手を交わし、二、三人の兵が私たちの部屋にやってきた。中国兵は
私達に荷物を全部出すように命令し、私達はそれに従った。そのとき私の持っ
ていた写真も取り上げられそうになったが私は必死に頼んで許してもらった。

これからますます大変な状況になるのではと予感した。

それからしばらくして、水が水源地から来なくなった。モーターが盗まれたの
だ。盗んだ中国人を捕まえて、誰かがどついて怪我をさせた。そこへ中国兵が
来て訳を迅ねた。

「私達の飲料水を汲み上げているモーターを盗んだ。水が止まれば約二千人程
の我々が生きてはいけない。以前にも盗まれたことがあり、また盗まれたので
殴った。」と説明した。

私達は捕虜の身でありながら中国人に怪我をさせたのだから処罰されると思っ
たが、中国兵は「それは泥棒が悪い。後は軍隊の規律によって我々が対処する
」と泥棒を連れていった。

このように、中国兵が来てから秩序が保たれることもあったが、食料は益々厳
しくなった。コーリャンのお粥や蛆虫入りの味噌汁もあと十日しかもたないと
言われ、二千人の日本兵がいっぺんに職探しをしなくてはならなくなった。

安東市内にも職探しの日本の兵隊があふれていた。ある者は八路軍に志願し、
またある者は農家の手伝いに行ったりしたが、簡単に職は見つからなかった。

                           = つづく =
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