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┃ 満州青春録 :―――――――――――――――― by 松本進さん
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☆ 部隊でのくらし ―――――――――――――――――― 2003/10/17
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部隊でのはじめの三、四ヶ月は、軍の規律の中での生活の基本を学ぶことに費
やされた。午前中は学科、午後は訓練、または午前が訓練だと午後は学科とい
う毎日の繰り返しである。将校が講師になり、三百五十名くらいが一緒に受け
る。そんなに大勢いても居眠りをしていればすぐに見つかってしまう。
食堂が教室になり、飛行機はなぜ飛ぶか....から授業は始まった。みんな真剣
に聞いている。それは度々試験があるからだ。たまに小学校でやったような授
業もあったが、分数の計算など「こんなものを習って何になる」と思っていた
が、ここでは飛行機の部品の計算に必要だった。
体操もいろいろやらされて、何に向いているかをみて部を決められる。水泳と
マラソンが得意だった私はサッカー部に入れられた。
また軍人勅諭はどうしても覚えなくてはならない。覚ていないと罰則が待って
いる。昼間は時間がなく、食事中も無駄にはできない。夜、消灯時間が過ぎて
から便所で覚えた。消灯後にも明りがあり、日直仕官の見回りに見つからない
のは便所ぐらいなものだった。何度も便所にいくふりをして、大変苦労して勉
強した。窓辺の月明りを利用したこともある。
「今日は天気がええのに月が出んが、どうしたんじゃろうか?」
学校で勉強ぎらいだったのが災いして、月の満ち欠けを知らなかったのだ。
しかしここでの私は勉強に一生懸命だった。
部隊では毎日厳しく鍛えられたが、楽しいこともあった。みんなで広い土地を
利用して野菜作りをした。百姓仕事ならお手のものだ。畑も野菜も一番の出来
であった。野菜作りや何かの行事の時、班付にはいつもの厳しさはなく、楽し
そうで優しかった。
班付の無邪気な笑い顔を見てからは、私も気持が楽になった。班付にしても、
私達と同じ年代の若者なのだから当然のことだったと今にして思う。
演芸大会も何度かあったが、橋本君はよく通る声で「向こう横丁のたばこ屋の
看板娘〜」などを上手に歌ってみんなを喜ばせた。橋本君はなかなかの芸達者
で人気者だった。明るい歌はみんなを楽しませたが、故郷を遠く離れているせ
いか暗い歌を歌う人も多かった。
また、運動会もあったようにかすかな記憶があるが、応援歌を歌ったことを覚
えている。
もしも三小隊が負けたなら
電信柱に花が咲く
もしも三小隊が負けたなら
石の地蔵さんがてくてく歩き出す
それぞれの班が大声で歌いながら応援をする。競技の記憶よりこちらの方が印
象深かった。
なかでも魚取り大会は思い出深い。部隊から一時間半ほど歩いたところに大き
な沼がいくつかあった。この沼が各班に一つずつ割り当てられ、魚取りを競う
のだ。優勝すれば羊羹、キャラメルなどの甘味品がもらえる。
「だれか詳しい者がおらんか?」と班付はみんなに尋ねた。日頃、魚取りの話
をしていたので「松本が詳しいです」と、誰かが言った。
「松本、できるか」
「現場に行ってみないとわからないです」
私は緊張しながら答えた。
いよいよその当日。
全員整列して軍歌を歌いながら沼に向かった。
大串養成隊長を先頭にトラックに乗り込んだ。
沼に着くと、それぞれ班ごとに立て札が立てられていた。班長と班付が私のと
ころに来て、「ここじゃが、どうだ?」と言った。私はじっと水を見てそれか
ら沼の中に入った。ゴボゴボッと泥の中に足が入る。足の裏で藻や木があるの
を確かめた。深いところで首ぐらい、浅いところで腰ぐらいあるだろう。
「取れます!」と、私は自信を持って言った。
「どうやって取るのぞ?」
「始め!の合図で沼の中にみんな入って、相撲とってもかまん、何をしてもか
まんから底の泥で水を濁してください。水が濁れば魚は全部取れます!」
班付は半信半疑という顔をしていたが、今は私の言うことを信じるしかない。
いよいよ合図が鳴り魚取りが始まった。静かに水の中に入り、ジワッと手で魚
を追いつかもうとしている班ばかりで、できるだけ魚を驚かせないようにして
いる。私の班だけが水をかけ合ったり、相撲を取ったり大暴れをしていた。
すると、
「あっ!足にくっついた」
「おお!わしにもかかったぞ!」
次々と声があがる。
「もっと濁してください!もっともっと濁したら、魚がジーッとくっついて動
かんようになります!」
水を濁すと水の中の酸素がきれて、魚が足に寄ってくるのだ。大きなナマズや
鮒が楽々と手づかみで取れだした。大漁だ!!
大騒ぎしている私達のところに、みんなが集まってきた。すぐに大串中尉の耳
にも入り、褒めてもらった。三小隊五班が優勝したことはいうまでもない。
みんなに「今度は松本が栄誉じゃのう」と言われ、良い気分だった。
勉強もせず、遊びに夢中の子供時代がこんなところで役に立ったのだ。
また、ウサギ捕りも楽しかった。
冬のある日、全員で歌いながら草原へ出かける。そこは1メートルほどの丈の
草が見渡す限り広がっている。五十メートルぐらいの網を仕掛けて、そこへウ
サギを追い込むのだ。
みんなで、木の枝であたりを叩きながら少しずつ輪を狭めて網の方へ追いつめ
ていくと、あちこちでウサギがピョンピョン跳ねている。そうして追いつめた
ウサギを棒で叩き、足を結わえて棒に通し担いで帰ると、炊事の者が調理して
くれた。
そのうさぎ捕りに出掛ける途中のこと、山の上に一本の松の木を見つけた。
故郷の松の木を思い出し、懐かしくてしばらく見つめたことを今でも覚えてい
る。
魚取り大会も終わり、入隊して三、四ヶ月経ち、部隊での生活の基本が身に付
いた頃、私たちはそれぞれ専門教科に分かれて教育を受けることになった。
飛行機・自動車・通信・板金・旋盤・縫製などの教科があり、自分のやりたい
仕事の希望を書かされたが、訓練の成績も考慮され、希望通りになるとは限ら
ない。私は飛行機を希望したが運良くその通りになった。
飛行機の勉強の初日に「お前たちは一番いい教科に選抜されたのだから、お国
の為に一生懸命やれ」と訓示があった。そして、まず修理に使う数多い道具の
名前を覚えることから始めった。
大きなハンマーでタガネを叩く練習では、誤まって手を打ってしまうことが何
度もあった。激しい痛みにハンマーを投げ出し、泣きながら手を押さえうずく
まっていると上官に蹴られる。手を大きく腫らし、血を流しながらハンマーの
コツをつかんでゆくのだ。こうして、短期間で部品の修理や、バラバラな部品
から飛行機を組み立てられるまでに訓練されるのである。
専門に分かれて勉強するようになると、それまで私達と一緒に行動していた班
付は、昼間は自分自身の作業に戻った。昼間の監視はなくなったが、夜の罰則
は一段と厳しくなった。
ある日実習作業班の班長に呼ばれた。
「お前、この時は何しよったんぞ。○○の試験で30点と20点じゃが」
「一生懸命やりました。20点30点は私だけでしょうか?」
「他の者は全部そんな点じゃからかまん。おまえは他のは満点かそれに近い点
を採っておいて、これだけが何でこんな点ぞ!わしをなめとるのか!試験の
時何をしていたのか!何を考えていたのか!」
そう言われてどつかれた。
全部悪ければ殴られることもなかったのだ。
なぜ難しい問題で点が良くて簡単な問題で悪かったのか。私はここへ来てから
殴られるのが嫌で必死で勉強したのだ。だからここへ来てから勉強したことは
良い点が採れた。反対に子供の頃から勉強嫌いで遊んでばかりいたから、その
ころ習ったことが試験に出るとできなかったのである。
小学校の時、宮内先生という怖い先生が担任になると、成績が急に良くなった
のと同じことなのである。
班付は厳しかった。厳しい時は一貫して厳しく、しかし、よその班で聞くよう
なえこ贔屓はなかった。特に時間には厳格だったが、そのかわりどんなに叱ら
れていても消灯時間になると止めてみんなを寝かせた。
ある時班付の腕章が盗まれた。誰が盗ったのか追求されたが名乗る者はなく、
全員気合いを入れられた。私は心当たりがあり、「おまえが盗ったのなら正直
に言わないと、いつまでも気合をいれられ、みんなの迷惑になるぞ。正直に謝
れ」と話した。
彼は自分がやったと名乗り出て班付にひどく殴られたが、それが後を引くよう
なことはなかった。盗ったほうにしても反抗心からしたことではなく、格好良
い腕章に憧れて、つい出来心でしてしまったことであった。
厳しい部隊での生活も、だんだんそれなりに慣れていった。
いつのころからか、人からも信頼をしてもらえるようになってきた。
ある日班長が、口の達者な者に「明日、外出を許可するからこれを売ってきて
くてないか」と言っている。見ると靴下や手袋、石鹸など、軍から支給された
日用品である。言われた者は「自分は駄目です」と断った。他の者も尻ごみし
ている。
班長は私には何も言わず通り過ぎようとした。おとなしい私には始めから無理
だと思っていたに違いない。諦めて帰りかけて、ヒョイと振り返り
「松本、駄目じゃろうな?」と言った。
「はい`自分が行ってきます」
「みんな断ったのに、おまえ本当に売ってこられるのか?」
「はい、大丈夫です」
翌日、外出して「さて、、どこで売ろうか」と考えた。中国語はわからない。
金を持っていそうな人をさがし目星をつけると身振り手振りで交渉してみた。
相手は案外早く理解してくれて、靴下1足1円50銭、手袋70銭で売れた。
持ってきた物を全部売るのに五分とかからなかった。
五時までに帰ればいいことになっていたので、それから一人で歩き回った。
帰ってお金を渡すと、班長はとても驚いたようすだったが、それからは度々同
じ用件で外出をするようになった。次には倍の値段で売った。相手はご馳走し
てくれたり、「○日」と日を指定してくるが、その日に外出できるかどうかわ
からないと伝えた。私が売る品は満人の欲しい物だったのだろう。
班長が話したらしく、他の班からも頼まれるようになった。
靴下1足1円で売って50銭は私の手間賃となったので、小遣いにも不自由し
なかった。品物はたくさんあった。中には横流しの物もあったかもしれない。
上の人に分かると、大変なことになっていたのではなかろうか?
= つづく =
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。

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