┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
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┃ 満州青春録 :―――――――――――――――― by 松本進さん

☆ 昭和18年4月2日・父との別れ ―――――――――― 2003/09/12
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四月二日、出発前日になった。
先生にお別れに行ったが留守だった。会えなくて残念だったが先生の奥さんに
挨拶をした。

家にはみんなが集まってくれた。

清子姉さんは余程心配だったのか「向こうに着いたら必ず手紙を書くんよ。漢
字知らんかったら平仮名でええんよ。寒いところやけん風邪ひかんようにする
のよ。寒いところじゃけん薄着で寝てはいかんよ。腸が弱いんじゃけん、食べ
物には気をつけんといかんよ。薬はここ、石鹸はここ、針と糸も入れてあるけ
んね」と、何度も何度もくどいぐらい繰り返した。

母は、一生懸命弁当作りをしている。例年であればお花見弁当のはずであった
が、旅立つ私への弁当を念入りに作っている。

座敷で父が「コホン、コホン」と咳をする。我が子の出発の準備をする様子を
襖越しに聞いているのだろう。母に「進、お父さんに夕飯持ってお行き」と言
われ、食事を父のところに運んだ。

「支度しよるんか」
「うん、もうできたよ。早よ食べんと冷めるよ」

そう言って襖を閉めた。父はどんなにか辛かったに違いない。何も言わず私の
顔をジッと見つめていた。泣いているようだった。
これが父との最後の食事となった。私はそれから今日まで、あの時、夜にでも
襖を開けて最後の別れをするんだったとずっと悔やみ続けている。

弟も、「明日は行くん?」と寂しそうな顔をした。そんな弟を見るとたまらな
くなって「おまえも家のことようやれよ。1年経てば帰ってくるけんのー」と
言った。姉が私に言い聞かせるように、

「そうよ、みんな心配するけんね、1年経てばなんとかしてお帰りよ。お父さ
んも病気じゃけんな。忘れずに手紙書くんよ」
「うん、心配せんでもええよ」

「そんならええけど、すーやんも1年経って帰ってきたら変っておるかなあ」

姉の言葉にみんな黙ってしまった。泣いたり笑ったりケンカしたり遊んだり、
共に今日まで暮らしてきた兄弟たちにとっては、遠く離ればなれになることは
とても辛いことだった。

「そんなに変るもんか、一緒よ」
「そりゃー変わらい」

兄が答えた。母はいつものように私が食べるのをジッと見ていた。姉が「すー
やん、立派になって帰らい。武よりまじめなんじゃけん。がんばりよ」と言っ
た。母がそれを聞いて静かに笑った。

「ああ、おいしかった」
「よう、食べとうきな」
「うん、食べた」

母はお茶を入れながら「向こうに行ったら水を一気に飲んではいかんよ。何事
も無理をしてはいかんよ。どんな時も隙なく動くこと」と、知らない土地で水
の変るのを心配して言った。

「今夜は風呂に入って、早よ寝たほうがいいぜ」

母に勧められて風呂に入り、寝る前に襖をソッと開けて父の寝顔を見た。小さ
い鼾をかいていた。“行ってくるけん、1年経ったら帰ってくるけん、それま
で元気でいてよ”心の中でつぶやいた。父の止めるのも聞かずワガママを通し
たことを詫びて静かに襖を閉めた。

四月三日はいつもの時間に目が覚めた。

その時、身長164.5cm、体重60kg、体調もすこぶる良好であった。
台所では母が昨夜作った巻き寿司を弁当に入れていた。朝ご飯を食べていると
姉がそばで「着いたら手紙を書くんよ」と、また同じことを話す。

母は私が食べ終えると「もうええのかえ。ようお食べよ」と言った。毎日毎食
母は同じ言葉を言った。この言葉も当分は聞けないのだと思った。

紺の新しい服に着替えた。みんなも良い着物を着た。出発の用意が出来た。
母が「お父さんにもの言うといで」と言った。父の寝ている座敷の入り口で、
「いってくるけんな!」と元気よく声をかけた。
父は寝たまま「どうしても行くんか」とひと言、つぶやくように言った。

「うん、1年経ったら1度戻るけん!」

私は「じゃあ」と言って歩き出した。庭から道に出てふと振り返ると、父が障
子にすがり、中腰で私を見送ろうとしていた。私は思いっきり手を振った。父
もそれに応えるように手を振ろうとしたが、障子に両手ですがって体を支えて
いるのでできないようだった。私はもう1度手を振った。

ーーもう振り返るまい。

足を速めた。百メートルほど行ってみんなを待った。もう父の姿は見えない。
私には特に厳しい父だった。時には本当の父親だろうかと子供心に思うことす
らあった。でも私は父が大好きだった。父の肩叩きは私の専門だった。

もう1度肩叩きをしてあげればよかった。今日の父はとても寂しそうだった。
そんなことを考えながら歩いた。「どうしても行くのか」‥‥今でもその時の
父の声が胸に残る。それが父との永遠の別れになるとは知る由もなかった。


母や姉が行き交う人に丁寧に挨拶をしている。わたしは全てのものに“さよう
なら”を言った。わが家、百五十年前からある柿の木、桜の花、魚を釣り泳い
だ池、川、薪拾いをした山々、神社、田んぼ、ふるさとのひとつひとつに別れ
を告げ、心の中で“きっと帰ってくるけん”と誓った。

池の下まで来ると、家族ぐるみでお付き合いをしていた仲田のおばさんたちが
待っていてくれた。母と挨拶をしていたが「すーやん、行くの?こんな若い子
があんな遠いところまで行くなんて、かわいそうに‥‥、元気でな」とポロポ
ロ涙をこぼした。

私のために涙を流すおばさんに、私も胸が熱くなりそれまで我慢していた涙が
ポロッと落ちた。「元気で行ってくるけん!1年経てば帰ってくるけん!」
涙を拭いている私の肩に手を置いて、おばさんがもう1度「元気でな」と言っ
てくれた。

私は「はい!行ってきます!」と兵隊さんのように敬礼した。なんだか涙を流
したせいかスッキリして勇気が出た。おばさんも涙の光る目で笑ってくれた。

森松駅に着いた。友達も見送りに来てくれた。汽車の時間まで三十分ほどだっ
たが、みんなとお別れを言っていると本当に短く感じられた。

汽車には、国鉄の駅まで見送ってくれる姉と兄が一緒に乗り込んで、私は乗降
口に立った。汽車が動き出した。忘れもしない。菅静雄君が「バンザイ!」と
一番先に大声で叫んだ。それからみんな「バンザイ!バンザイ!」と叫んでく
れた。

私は大きく手を振った。母も一生懸命手を振っている。母の目が泣いているよ
うに見えた。母はそのとき59歳だった。ガチャン、ガチャン、汽車が加速し
ていく。弟の姿が見えた。母が手を振っている。

「1年経ったら帰ってくる」そうみんなに言ったのに、その母の顔もそれから
千四百六日も見ることができなかった。


国鉄駅に着くと案内者がいて一人一人名前を確認し、説明をしてくれた。
行き先は岐阜県であった。ホームに高松行きの列車が入ってくる。
私も名前の報告を終わり列車に乗り込んだ。

宇和島や八幡浜からも、一緒に行く人が乗ってきた。松山から集まった者も乗
り込む。姉と兄ともここでお別れだ。ふたりとも私のほうをジッと見ている。
「元気でな」と一生懸命手を振ってくれた。寂しそうな顔をしていた。

姉や兄と別れると、徐々に本当にひとりになったことが実感されだした。
なんともいえない気持ちで座席に座った。生まれて初めてのことだった。

                           = つづく =
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 

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