☆ 日本美女が上海で活躍するまで ――――――――― 2008/05/14
by 東京の老上海さん
1978年京都生まれ、両親ともに京都出身。3人兄弟の末っ子(兄、姉、私)
祖父母と共に暮らす7人家族で育つ。
高校まで京都の学校。大学の専攻として英文科と心理学とで迷い、決めかねて
米国の大学へ、心理学専攻での入学を決める。
授業料の安いテキサス州の州立大学に入学。ーーーダラスから北へ3時間とい
う田舎でありながら、日本の海外留学斡旋会社と提携していたため、毎年20
人前後の日本人留学生を受け入れている状態で、100%大学内の寮住まい。
すでに日本人コミュニティーができていた。
そんな中、頑張って英語を学ぶことのできる人もいるが、ほとんどが日本人環
境に甘えてしまい、英語に進歩がみえない人が多かった――――。自分もつい
つい環境に流され甘えてしまうと思ったので、転入手続きをとる。留学開始半
年でマサチューセッツ州の大学に転入する。
マサチューセッツ州立大学にて、専攻をグラフィックデザインに変更。心理学
はマイナー専攻。大学内の寮には住まず、アパートシェアをし、車での通学。
ベビーシッターや、大学内の図書館でのアルバイトをしながら、学生生活を送
る。卒業制作は、デザインと心理学要素を取り入れた作品を展示した。
卒業後ニューヨークに引っ越し、就職。出版社のレイアウトデザイン、女性誌
のエディトリアデザインを中心とするデザイン職。
日本での就職経験が無かったので経験してみたいと思い、また、日本のデザイ
ンが世界でも認められており、日本人なのに日本でもデザインを経験しないの
はもったいないと大学の講師にもよく言われていたのが引っかかってはいたが
米国滞在7年となり、帰るきっかけが無ければまだ居るつもりでいたが、親族
の不幸が重なったことがきっかけとなり帰国を決める。
帰国後、大阪のデザイン事務所へ弟子入り。実家京都から通う。日本の上下関
係に、特に弟子入りという形の個人事務所であったので、なおさらアメリカで
の職場環境とのギャップに驚く。
日本帰国後1年が経ち、上海滞在3年目になるNYでの元同僚の女性が、独立
するので手伝って欲しいので上海へ来ないかと誘われる。ちょうど1年の日本
滞在で、そろそろ海外に出たいという思いもあり、どこへ行こうかと考えてい
たところ。
上海、中国は全く頭になかった。誘いがなければ特に興味も無いし、旅行にす
らその当時は行きたいとも思わなかった国。誘われなければ行くこともないか
も、これもきっかけだと思いオファーを受けた。
ーーー中国語も全く分からず上海生活が始まる。
とりあえず元同僚の女性の家で、彼女の犬と2人と1匹の共同生活。オフィス
もまだ決まっていなかったので、自宅で2人で準備をしていく。
古北でオフィスが決まるが何も無い。机もない、ペンすらも無い。カルフール
でとりあえず筆記用具や揃えられるものを購入し、机を入れ、コンピューター
を入れ、少しオフィスらしく見えてきた数日後、
ーーー反日デモ勃発。数日自宅待機となる。
2〜3週間が経ち、スタッフが3人増え5人となり、また6人増え11人とな
り、オフィスを引っ越し、また8人増えオフィス拠点が増え、、、。
会社の立ち上げから参加し、1年半は怒濤のように過ぎていった。
最初の半年は残業、徹夜、休日返上が当たり前のような生活で、元同僚=会社
の女社長)の家から引っ越し、一人暮らしを始めたはいいが、家には寝に帰る
か、シャワーを浴びに帰るぐらいで、生活用品も揃っていないような暮らしで
突っ走ってきた。
そんな生活の時はなぜかイヤに元気で、夜中からでも明け方まで飲み仲間と集
まっては飲んだくれたりもしていた――――。
上海中国はアジアであり、日本からたった3時間。とても近いけど、生活スタ
イル、常識、とても遠い国だと感じ、またアメリカのほうがずいぶんと暮らし
やすいと思った。
上海人の性格、性分にも圧倒された。買物先での見知らぬ人でもそうだが、会
社の部下に対しても、彼らの自信過剰な部分、プライドの高さ、悪びれない態
度などにギャップを感じた。
後に蘇州へ行くが、蘇州のスタッフは素直な性格である印象を受け、やっぱり
上海人は違うんだなぁと感じる。
その時点での中国語は、タクシーや、買物先での日常会話程度しか身に付いて
おらず、上海オフィスの中国人のほとんどが日本語堪能なので、仕事上は日本
語での会話となり、ほとんど中国語を使わず生活していた。
蘇州オフィスの立ち上げの時、3ヶ月の期間ホテル住まいとなり蘇州に滞在。
上海の日本語のできるスタッフと違い、まったく日本語のできないスタッフが
多く、通訳を付けてのコミュニケーションでの指示となるが、そこにやはり、
距離であったり壁を感じ中国語の必要性を感じ大学の語学学校に通い始める。
立ち上げから1年半にしてそれなりにやれる事はやったという達成感もあり、
上海に来るきっかけとなった元同僚=会社の女社長)が香港へと移ると同時に
私も次へと進もうと転職する。
せっかく上海中国にいるのだから、日系ではなく、中国の会社に入ってみよう
と思った。ーーー日系、日本の会社や、アメリカとどう違うのかと。
結局入社したのは、世界各国にブランチがあるシンガポール系の会社ではあっ
たが、中国国内に6〜7ブランチあり、中国国内ブランチのスタッフは90%
中国人という会社。ーーーアートディレクターとして上海ブランチに入る。
外資系会社で、中国、特に上海で進出してきている会社がクライアントとして
あり、クライアントの割合の半分以上が日系であり、デザインも「日本的セン
ス」を求められるので、日本人デザイナーというのは重宝され、
また、日系デザイン会社と違い、ローカル会社に近い体制での運営なのでコス
トも押さえられる点でよりポイントが高かった。
中国語も、来た当初に比べるとそれなりに上達した気でいたが、中国人環境の
オフィスではまだまだ私の中国語レベルは甘過ぎた。ーーー週1で各部署責任
者での会議があったが、もちろん基本は中国語。
初めの頃は、何を言っているのか分からない事もあり、私と欧米人の男性の2
人は英語で報告をしており、その時だけ会議は全員英語になっていた。
回数を重ねていくにつれ、中国語混じりで報告するようになり、簡単な言葉に
なるが中国語のみで報告できるようになり会議の内容も把握できるようになっ
ていった。
この会社に入りだんだん慣れてきた頃、残業がほとんどなく、今迄経験してき
た会社に比べると仕事量が少なく拘束時間も短かかったので、「アフター5に
何をしようか?」と戸惑ってしまった。
暇な時間が多くなり、余裕ができるとお酒を飲みに行く回数が逆に減り、ジム
に通い始め、個人でデザインの仕事も少し取るようになったが、それでも時間
がまだある。
そんな時、上海での元同僚であった女性がオープンしたショットバーに、仕事
関係の方と2〜3度飲みに行った。元同僚である彼女は、日本に行った事がな
いのにも関わらず日本語が堪能で、説明の難しい日本語でさえも理解し使いこ
なしていた。
カウンター越しに元同僚であった彼女と話をしていると、そこは90%日本人
客でありながら、日本人の従業員がおらず、元同僚である彼女が接客をしてい
るが、なかなか全員のお客様の対応にまわるのが厳しいという事を話をしてい
た。
何度かそんな話を聞く事があり、一緒に飲みに行っていた方も、お酒の入った
頭で半分冗談か本気か分からないような状態で、私に向かって、「時間を持て
余してるならちょっと手伝ってあげれば」と言った。
元同僚であった彼女も「是非是非、来てくれたら助かる、よかったら・・・」
という方向へ話が進んでいった。
時間を持て余していたのも事実だし、NYでバーテンダースクールへ通ってミ
クソロジストのライセンスも取得しているし、経験した事のない接客業にも少
し興味もあるし、デザイナー職とは正反対の環境を知るのも面白いかなぁと思
い、
これも又きっかけという事で、週3で一日4時間という短い時間で決まった。
朝8時半から5時半の昼間の仕事と、夜8時から0時までのアルバイトの生活
が始まった。
残業になりそうな分の仕事は、アルバイトの無い日にできるだけつめてやるよ
うになった。
バーに来られる駐在員男性が、「日本人女性とここ数ヶ月一度も話をした事が
ないから新鮮!」などと言われてビックリしたし、駐在員の奥様グループが飲
みにきて話を聞いていると、同じ日本人女性でも立場が全く違い、違う世界の
生活なんだなぁとビックリした。
上海に住んでいる日本人とはいえ、いろんな環境の人がいるんだなと思った。
アルバイト料は安いし、忙しい時には2時3時までバーでの残業があったりも
したが、バーのバイトは、昼間の仕事関係の付き合いだと、やはり同じような
環境の人としか知り合わない事が多いので、絶対お会いすることのないような
人と出会えたり、話が聞けたりして刺激的でもあり、気分転換にもなりプラス
面も沢山あった。
個人で取っていたデザインの仕事が増えてきた事もあり、半年前に会社を辞め
フリーランスデザイナーになる。印刷会社と提携し、自宅で仕事をする自由気
ままなフリーランス生活を始める。
バーの仕事も来月5月で1年になる。
3月には数人の顔なじみの常連さんが帰国されてお別れがあり、4月には数人
の顔馴染の常連さんが、新しく赴任された方を連れてこられて出会いがあり、
こうやってぐるぐる回っていくんだなぁと思う。
私には会社からの移動の通達もなく、「きっかけ」を見つけては自分で新しい
刺激や環境を求めて動いてるので、「そろそろ次へ、、、」なんてなんとなく
考えてはいるものの、
庭に新しい木や花をまた植えて、池にも新しい金魚を放し、
「居心地がいいのでもう暫くいるかなぁ」とも考える今日このごろ――――。
= おわり =
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東京の老上海さん
この前一緒に行ったショットバーの彼女です。4月で辞めるそうですが、英語
もできる素晴らしい美人。
私との馴れ初めというか、未だ日は浅いのですが、上海で頑張っている姿を見
て、それも、最初から酒場女であればそこまで感動しなかったかも知れません
が、一目惚れして、自分勝手に応援団長になろう、それにはこのメルマガにて
紹介し、
上海で一人頑張っている旨を皆さんに感動してもらい、彼女の仕事が少しでも
増えるようにと考えた次第。
彼女の仕事は出版物のレイアウトデザイン、女性誌のエディトリアデザインを
中心とするデザイナーです。仕事を依頼したいとお考えの方は「アジアの街角
から」宛に ▼ お願いいたします。
asiadesu@hotmail.com
http://form1.fc2.com/form/?id=273573
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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