☆ トルコとの友好関係を深めるべき ―――――――― 2008/03/19
by 藤岡知夫さん
―― エルトゥールル号回顧展を観て
トルコは日本にとって遠い国である。ヨーロッパ人は、自分勝手に世界を色づ
けし、黒海と地中海を繋ぐボスボラス海峡より東をアジアと呼んだ。
従って、ヨーロッパ人にとってトルコも日本も同じアジアであるが、日本人か
らみればトルコはヨーロッパである。南は地中海、北は黒海に面しているので
あるから、絶対にアジアとは呼べない。
トルコは回教の国であるが、アラビア諸国と違って宗教色は薄く、ヨーロッパ
の一員たらんとしEUへの加盟を熱望しているが、ヨーロッパ諸国は極めて冷
淡である。
この国は歴史上、中世の1500年代の初めから1600年代の終りにかけて
の約200年足らずの間、武力を以って勢力を広め、南はエジプトから、ナイ
ル川の中流域、及びアラビア半島の中程まで、北はハンガリーまでを勢力圏に
入れ、ハンガリーの首都ブタペストにはその時代の回教寺院が残っている。
ヨーロッパ東端の国トルコと日本が、過去に於て深い関係を持ったことがある
とは、私も全く知らなかったから、日本人の殆ども知らないのではないだろう
か。
明治18(1887)年、明治天皇の伯父にあたる小松宮殿下が、妃や陸軍のお供を
伴って、米国を皮切りに、フランス、ロシア、オーストリア、イタリアなどを
歴訪したが、その折トルコにも立ち寄って、スルタンに拝謁されたのである。
トルコではその返礼として、2年後、トルコ製の軍艦エルトゥールル号を日本
に派遣した。
この軍艦は、まず長崎に到着した後、6月には横浜に入港し、日本も最高の皇
室儀礼で厚遇し友好を深め、約600名の艦員は3ヶ月も滞在して、9月14
日に碇を上げたのである。
しかし、その時台風が接近しており、9月16日には紀伊半島先端の串本で、
沖合の暗礁に激突し、沈んでしまったのである。
暴風雨の中それを知った現地の遭難現場の、僅か60戸しかない河岸地区の人
達を中心に、嵐の中決死の救出作業を行ったが、救出できたのは僅かに69人
で、約500人の船員が船と共に海底に沈んでしまった。
誠に悲惨な事件であったが、日本政府は生存者69名を、事件から1ヶ月後の
10月、軍艦比叡及び金剛の二艦に乗せ神戸を出航、翌年の始めにはトルコに
送り届けた。
500人もが日本の串本沖で水没したにも関わらず、これは台風の接近を知り
ながら出航してしまった船長のミスで、69名の生存者を直ちに軍艦で送り返
して来たことに、トルコでは深く感謝し日本に大きな好意を持った。
丁度その頃、トルコはロシア国境での小競り合いを度々起こし、その都度ロシ
アに痛めつけられていたのであるが、日露戦争が没発し、日本がロシアに勝っ
たということで、大変日本を尊敬するようになり、日露戦争の直後、日本の英
雄東郷の名をそっくりもらい、トウゴウという名の男の子がトルコには大勢い
るらしい。
日本とトルコの関係はその後が大事である。
イランイラク戦争開始から5年後の1985年3月、サダムフセインがイラン
領空を通過する航空機は、民間機であっても撃墜すると言い出し、イラン在留
の外国人は即刻航空機で国外退去を開始したが、
日本人は日本航空機のイラン乗り入れがなかったため、外国航空会社の便で脱
出しようとしたが、全ての航空会社は自国民を優先し、日本人のイラン脱出が
非常に困難になってしまった。
そこで日本政府は日本航空の飛行機を飛ばせば良かったのであるが、その頃の
腰抜け中曽根首相は、自国機を危険にさらして何か言われるのが怖くて何もし
ないでいた。
そこで伊藤忠商事のイスタンブール事務所長が、トルコの首相と個人的に親し
かったこともあって、直談判をしたところトルコ航空機を日本人のために一機
イランに飛ばし、当時イランに在住していた215人をイスタンブールまで運
んでくれたのである。
イランにはトルコ人が500人ほどいて、その救出も勿論行っていたのである
が、自国人よりも日本人を優先して助けてくれたのである。
この事実は日本人として決して忘れてはならないことであるが、日本の小中学
校の教科書に載っている話も聞いたことはないし、日本人はその救出直後には
新聞で知ったかも知れないけれども、現在の私は記憶に全く残っていない。
その時日本人がトルコ人に感謝を表明したら、彼等は「古い盟友だろ」と言っ
てニコッと笑ったとのことである。現在でもトウゴウという名前の男が沢山い
て、日本政府が何もしないで手を拱いている中、自国より優先して日本人を助
け出してくれたトルコこそ、真の日本の友である。
トルコのEUへの参加を手助けするとか、何とか日本も彼等に対して恩返しを
する手だてはないものであろうか。私自身もヨーロッパには何十回と行っても
トルコに行ったことはなかったのであるが、旅行者としても大変面白い国であ
るらしいので、次回ヨーロッパ旅行の折には是非寄ってみたいと考えている。
日本の真の友といえる国は、トルコを除いて台湾とインドしかない。ーーー支
那などは初めから敵だと思ってかからないと、後で酷い目に遭うことになるで
あろう。
以上の事実は昨年テレビ番組で知ったのであるが、エルトゥールル号回顧展を
武蔵境にある中近東文化センター附属博物館で開催していたので、昨年11月
から行こうと思っていたのであるが、今年の2月17日までやっているので、
そのうちと思っているうちに最終日になってしまい、慌てて観に行ってきた。
エルトゥールル号の写真などを詳しく展示してあり、尚かつトルコの素晴らし
いタイルなどの陶磁器も沢山展示されていて、トルコという国の素晴らしさに
ついて目を見開かされた半日を過ごすことができた。
中近東文化センターには、メソポタミア時代からの古い陶器やガラス器などの
美しい発掘物が多数展示されており、私は初めて訪問したが、なかなか素晴ら
しい博物館である。
また、中近東文化センターの位置は、私にとっての蝶の古戦場である。
戦争中の昭和17.18年頃、この辺りに広大な屋敷を持った両親の知人がい
て、その家の庭に栗拾いに行ったり、また7月頃訪問したときには近くの雑木
林で、生まれて初めてウラナミアカシジミとクロシジミ♀(その当時はゴマシ
ジミだと思っていた)を採集した聖地でもある。
ーーー楽しい思いで半日を過ごすことができた。
= おわり =
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転載元:平河総研(奥山篤信氏主宰)発行「甦れ美しい日本」
藤岡知夫[ふじおかともお]:
昭和35年 慶應義塾大学工学部電気工学科卒
昭和40年 同大学院工学科博士課程終了工博
昭和54年 同大学教授に就任
平成 2年 東海大学開発技術研究所教授に就任
平成 6年 東海大学理学部物理学科教授に就任
平成12年 財団法人応用光学研究所理事長に就任
専攻:レーザー工学 レーザー物理学
著書:
「レ−ザ−がひらく21世紀」(三田出版会、1990年)
「光・量子エレクトロニクス」(オ−ム社、1991年)
「オプティカルパワ−」(裳華房、1994年)
趣味の蝶関係:
「日本産蝶類大図鑑」(講談社、1976年)
「蝶の紋」(河出書房新社、1973年)
「日本産蝶類及び世界近縁種大図鑑」(出版芸術社、1997年)など13冊。
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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