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PUBLICITY(パブリシティー) より転載 by 竹山徹朗氏
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☆ 中国の問題の問題 ―――――――――――― 転載 2004/08/16
――「PUBLICITY(パブリシティー)」No.989 2004/08/12
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▼987号で取り上げたサッカーアジアカップ、日本対中国の決勝戦(日本が
勝利)だが、総合的にちょっと補足を。
▼987号では、
『「君が代」演奏の時に立たないってのは別にいいと思うけどね。日本の選手
もろくに歌ってない時もあるし』
と書いたが、中国人客は、日本対イラン戦では君が代演奏を「ブーイングでか
き消した」んだね。ーー知らなかった..そりゃ、やり過ぎだわ。
あと、ヨルダン戦では、応援席に「釣魚島=尖閣諸島)を返せ」と書いた横断
幕を掲げた客もいたそうで、気持ちは分かるし、個人的には違和感ないのだが
スポーツに政治を持ち込む点でよくないだろう。
▼さっきインターネットで検索したら、
ジーコ日本代表監督が、重慶で7月30日、
「国歌の時にブーイングをするのはどうしても納得がいかない。試合開始の笛
が鳴ったらいくらしてもいいが」
「政治的なことはスポーツにまったく関係ないし、われわれはサッカーができ
る精神状態を保つことが大切だ」
と、異例といえる発言を行った。選手を守るために当然の発言である。さらに
言えば、「どうしても納得がいかない」というひと言に、おそらく日本代表監
督としての立場以前に、「白いペレ」と謳われた、一人のサッカーを愛する人
間として、それこそ「どうしても」抑えられなかったのであろうという思いを
感じた。
▼987号では「中国の選手が「小日本」と蔑称を使ったそうだが、ほんとな
ら、それはいただけないと感じた」と書いたが、これと同じ理由で、国歌演奏
時のブーイングは、よくない。
「小日本」と発言した選手は、「選手」である以上、その発言に社会的責任が
生じる公人たる存在である。ゆえにそんな蔑称を公言してはダメ。
サッカー開始前の互いの国歌演奏は、これからあいまみえる互いのチームへの
尊敬の念を自国の国歌演奏に仮託する「公」の行為であろう。集まった中国人
客たちは私人であっても、そうした公共的行為を踏みにじる行為を許されてい
るわけではない。
国歌演奏時のブーイングは、状況的に「君が代」へのブーイングではありえず
「互いへの尊敬の念を表明する儀式」へのブーイングであり、つまるところは
「サッカーへの愛」に対する冒涜に他ならない。
そんな行為が罷り通れば、「サッカーという行為」−−つまり文化的な営みそ
のものが成り立たなくなる。「これじゃあ、イングランドなどのフーリガンと
いっしょじゃないか。そんなやつらにサッカーを観る資格はない」−−そこま
で思ったかどうかは分からないが、とにかくこの一点に、神様ジーコは納得が
いかなかったのではないか。
「試合開始の笛が鳴ったらいくらしてもいいが」というジーコ監督のひと言が
問題の輪郭をいっそう鮮やかにしているように思う。そう、「プレー」に対し
てはどんなにひっでえブーイングだってアリなのだ。しかし「プレーの前提」
を否定するお門違いのヤツは、そもそも見に来るなよ。ってことだろう。
▼さて、如上の点をおさえたうえで。
日本のゲームを、中国のテレビが深夜に録画で放映した事実などについて、産
経新聞が「「反日」の広がりで国際的イメージが悪くなることを警戒した当局
側が中継を規制した可能性は否定できない」と天真爛漫なすり替えを行ってい
る。
この言い方には、「反日」だと国際的イメージが悪くなる、という認識が根底
にあり、つまり「ニュートラル」ないし「親日」だと国際的イメージが悪くな
らない、ということだと思われる。んなアホな。軍事的・政治的に「アメリカ
にへいこらついてく日本」に対する反抗的な態度は、国際的イメージの高揚に
こそなれ、低下につながるなんてこたぁねえだろ。
また、「この「日本嫌い」の背景には、低下する共産党の求心力を高める手段
として江沢民前政権下で顕著になった愛国主義の強調がある」ともいう。たし
かにそれもあるんだろうけどさ、それだけじゃなかろうよ。
事実、同じ記事で「重慶市は第二次世界大戦で旧日本軍が爆撃した都市でもあ
り」と、強い反日感情の「理由」が書いてあるのだが、書いてる記者自身はこ
れが理由だとは考えていないみたい。
半世紀以上前の行為を正式に謝罪してない・つまり現在も続いている驚くべき
振る舞いゆえに今回の「反日」行動がある、つまり「反日」の原因は「日本」
にある、という当然のすじみちが欠落しているように思えるのだが。「そんな
昔のことを。もっと大人になれ」とでもいうのだろうか。
こういう論調は、産経に典型的にあらわれているが、なにかニッポンのマスメ
ディア全般にそこはかとなく漂っている空気のようにも感じる。
もちろん、日本政府が正式に謝罪していたとしても、今回の反日行動が起こっ
ていた可能性(どの国にもある偏狭な排外主義)もあるだろうが、(んなことは
歴史の「もしも」であり、結局わかんない)幹と枝葉でいえば、それはやっぱ
枝葉の問題でしょう。お祭り騒ぎは万国共通だし。あとで書くが、敵愾心煽っ
てるヒマあったら、自国民の排外主義を心配しろっちゅうー話だよ。
▼
アタマのなかが散漫にならないうちに「中国の問題の問題」という表題を絵解
きしておこう。
要するに、今回騒動になった「中国の問題」とは、ほんとのところ何だったの
か。いや、むしろこう問うべきだろう、「中国の何を問題とすべきか」。
ーーこの視点で今回の騒動をみたとき、ニッポン人にとってのほんとうの問題
は、中国で起きたことではなくて、中国で起きたことの報じかたにあらわれた
「ニッポンのマスメディアの問題」=つまり中国の問題の問題)である。
まあ、ひと言で言やあ、「敵愾心煽りで金儲けするな」「そんな無責任な報道
は、ブーメランのように戻ってきて自分の首を絞めるよ」ということであり、
「公共性を求める姿勢を貫徹する自己責任を持て」ということだ。
▼
いくつかのメディアが既に取り上げているが、体験的な好例として、
二宮寿朗「中国“足球”日記」というなかなか軽妙なweb日記がある。
二宮記者は、中国人客のブーイングに
「ボクもさすがに異様な雰囲気に恐怖を覚えました」
「ブーイングが胃に響くというか」
と記している。相当なものだったのだろう。
しかしいっぽうで初戦のオマーン戦では、
「中村選手の先制点は見事でした。これには中国のファンも惜しみない拍手を
送っていました」
との記述もある。まあ、それが自然なもんだろう、と思う。
中国人客の態度は、ブーイング一辺倒ではなかったわけだ。
また、オマーン戦でのブーイングの理由について、
「川淵キャプテンが言っておりましたが、「なんで中田がいないんだ!」との
意味が込められてのものだそうです」と。
なるほどなー。それもそうだな。こういうことは、細かいようだが重要だ。
▼ここからが、ぼくが思うほんとうの中国の問題。
二宮記者は、「テレビの人間」と称する中国人から名刺をくれと言われて名刺
を渡すが、そのおかげで「成都商報」という新聞に無茶苦茶な捏造コメントを
掲載され、スポーツニッポンの記者(いうならば「体育日本」)なのに、肩書き
を「日刊体育」(それじゃあ「日刊スポーツ」じゃん)にされる。
また他の新聞では「取材もされていないのに」「日本代表の批評をしている」
二宮記者が登場し、さすがに激しく怒っている。ーー当然だわな。
▼また、2008年北京五輪の会場候補地になっているスタジアムが「とにか
く汚い。記者席はほこりまみれで、清掃されていない」トイレの「異臭がすご
くて、とても入れませんでした」
▼そして、山東省スポーツセンタースタジアムでの話。臨場感があるのでその
まま紹介させていただく。
┌──────────
試合後に、記者は選手を通路で取材することができます。「ミックスゾーン」
と呼ばれている一部分だけで、我々はそこで選手を呼び止めて話を聞きます。
さて、その場所に入って取材場所を確保すると、いきなり公安が入ってきて
「出ていけ!」と言われてしまいました。みんな、わけがわからずに無視して
いると、体を押されて排除されそうになりました。
ーーここでほとんどの人がブチ切れました。
猛烈な抗議も理解してくれず、騒然となりました。中国のテレビ局は面白がっ
て我々を撮っていましたけど。
ま、何とか、取材エリアが狭くなっても確保したのですが、今度は遅れて入っ
てきた記者がそのゾーンの前で警官に止められて入れない。中にいたわれわれ
も助太刀に向かったのですが、説明しても首を横に振るばかり。ま、これも何
とか突破して、取材は何とかできたのですが、疲れました。
あくまで自分の考えですが、4年後の五輪開催地がこれでは…
…と正直思いました。
スタッフと警察の打ち合わせが、まったくいい加減なものだと感じずにはいら
れません。セキュリティー、メディアの対応を一つとっても相当な意識改革が
必要です。中国が嫌いなわけではないんですよ。
いい人はたくさんいるし、親切な人もいっぱいいます。アジア杯の課題をきち
んと検証して、課題として生かしてほしいです。
はあっ、ホントに疲れましたよ。
└──────────
▼ここに示された、運営側と警察側との連携の甚だしい悪さに、スポーツ開催
における「中国の問題」の本質が凝縮されていると思う。ぶちきれた報道関係
者の態度こそ正しいだろう。二宮記者は冷静で、その感想は率直だ。
今回、アジアカップで試合が行われた都市の中では、街中を平気で全裸で歩い
ている人がたくさんいた、という記事もあった。でっかい中国なんだから、そ
ういうもんだろう。今回の反日行動を恥ずかしく思う北京市民の声も読んだ。
要するに都会と田舎、「近代化の徹底」の話なのではないか。部分的に「普遍
的なルール」が確立しておらず、それでも五輪を開催することになったのだか
ら、五輪運営に携わる人々が「開催の前提となる社会的ルール」がある、とい
うことを弁え、ひとつのかたちを目指して、スムースに運営・報道がなされる
よう、意識改革してインフラを整備すればいい。
“反日報道をしたがる熱”に冷や水を浴びせたいから敢えて短絡的に言うが、
【今回指摘する必要のあった中国の問題なるものはこれだけ】であり、【中国
が勝手に努力すればいい】問題に過ぎない。そして実はこの「近代化」の問題
こそ、冒頭の中国人客の無法行為の要因の一つでもあるのではないか。
しかしあくまでも、問題の「主」は「前提の欠如」であって、「反日感情」は
「従」に過ぎない。
▼
翻って今回、的外れな「反日ブーイング」報道によって受けを狙った報道は、
そのままオーディエンスの「反・中国」感情を煽る報道であったことを言って
おかないと。
なぜなら、そうした的外れなメディアの態度は、その報道によって煽られた我
がニッポン国民が、何かの拍子で排外的・情緒的な行動・暴力を中国人に対し
て振るった場合、間違いなく対応不能になるだろうからだ。
これが、今回は幸いにして顕在化しなかったが、厳然と伏在している「中国の
問題(を報じたニッポンのメディア)の問題」だったと考える。
そんなメディアは、自らの不明を恥じもせず、日本人の排外的な行動を正当化
しかねない。そのような「ルール無視」「公共性ゼロ」の開き直りこそ、国際
的イメージの低下に直結するじゃんねえ。
= この稿おわり =
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