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寄稿転載記事 ――――――――――― by 岡崎溪子さん
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☆ マンジュとチベット ―――――――――――――― 2004/10/04
清朝の始祖であるヌルハチは、チベット仏教の熱心な信者であったので、後金
国を建国した時、自分たちを「文殊菩薩[マンジュシュリー]の民」という意味
で、同音の「マンジュ=満洲」と改名した。
チベット仏教はモンゴル帝国のフビライが信仰して、1260年、サキャ派の
座主であるパスパ(八思巴)を招請し、元朝の初代帝師に任命した。パスパは、
1269年にチベット文字をベースにしたモンゴル新字を制定し、文化面では
大活躍する。
これによって、モンゴル人のチベット仏教信仰者が急増した。
元代に満州地区に住んでいた女直族が、新しい支配者の宗教に感化されたのは
当然である。それに、遊牧民族はもともと自然崇拝のシャーマニズムを信仰し
ていたので、密教の要素の濃いチベット仏教は違和感なく受け入れることがで
きた。
モンゴル帝国としては、チベットを攻めて支配下においたのではあるが、皇帝
が自分の師と仰ぐ僧を支援するのであるから、その関係は布施をする後援者的
な存在でもあった。そして、後の皇帝たちも自然とチベット仏教を信仰してい
る。
私は、敦煌の莫高窟で元代の巨大な歓喜仏のレリーフを見たとき大変驚いた。
それまでの静的な思索から、仏の概念を変えるほどの強烈な印象であった。し
かし、日本の真言密教でも現に『理趣経』には性欲肯定が説かれているのだか
ら、それを絵画にするとこうなるのか、と改めて納得もしたのである。
明の永楽帝はチベット仏教を信仰し、多くの寺を建てて寄進をしている。モン
ゴル人の妻の影響であろう。しかし基本的に漢民族国家としては儒教を治世の
中心に置いていたので、他の皇帝はチベット仏教を信仰することはなかった。
しかも明は、チベットをその支配下におく軍事行動を取る余力はなかったので
ある。数名の漢民族の官吏を、偵察にチベットへ送り込んで、その動静を注視
し、北元との関係を把握する程度のものであった。
1720年、清朝がチベットに派兵した。しかしこのチベット派兵は「侵攻」
というよりも、青海ホショト軍とのダライラマ7世決定についての内紛の鎮圧
といった意味合いが強い。
以後のトラブルを避けるため、清朝はラサに一人の大臣を常駐させてチベット
でおきる出来事を報告させた。これが駐蔵大臣のおこりである。
祭政一致のチベットでは政治のトップはすなわち仏教の「転輪聖王」である。
仏教世界から委託されて政治を任せられているのが現清朝の皇帝たちであるか
ら、それに従うのは仏教徒としては当然であり、チベットやモンゴル人は清朝
に従順であった。
チベット仏教は、チベット・モンゴル・満州という強大な教圏をえて勢力を大
きく伸ばすこととなる。今でもインドのラダック地方、シッキム地方、ヒマラ
ヤ地方、ブータンもチベット仏教を信奉している。
しかし、人口では圧倒的多数の漢民族を掌握するためには儒教も認めるし、天
山周辺のウイグル族を平定して新疆省を設置してみると、ウイグルはイスラム
教徒である。これもまた否定したのでは民衆の反抗をうながすようなものであ
る。したがってイスラム教も容認する。
乾隆帝の「俗によりて以って治む」という言葉が表しているように、清朝の対
民族政策は、その民族の習俗に従うことが原則であった。清が大帝国となりえ
たのは、モンゴル帝国と同じく、
宗教には寛容の精神であったので、支配下におかれた異民族の抵抗も少なく、
無駄な軍事力を使わなくてもよいので、清末までは外国の脅威としてはロシア
の進出に対して注意を払うだけで事足りた。
乾隆帝は、河北省承徳の熱河離宮周辺に多数のチベット仏教寺院を建立し、さ
らにパンチェンラマを招いて自分と対等の地位を与えたのである。朝鮮からの
使節に対しても、パンチェンラマに拝礼せよと命じた。朱子学を国学とする朝
鮮使節らは憤慨し、「我らは死ぬ」と号泣したという。
北京城内には雍和宮[ようわきゅう]があり、1725年に雍正帝が即位する前
の邸宅をチベット仏教の寺院に寄進した。皇帝にしか許されない黄金色の屋根
瓦で、城内の北面東側の安定門の傍にあり、清代の皇帝の軍隊はこの門から出
征したのである。
このほか、北京にはチベット仏教の寺院が多い。
なお、北京城は元代の遺構の上に明の永楽帝が建てたのであるが、北門の位置
を3キロほど南に下げた。そして内城を囲んで外城を作る予定であったが、南
部の外城をつくったものの財政が続かず、そのまま計画は頓挫した。
モンゴルを恐れてのことである。
現在の中国は、チベットを中国の領土であるというのだが、漢民族がチベット
を支配したことは一度もない。「宗教は毒だ」と宣言した毛沢東の指令により
1950年、仏教王国チベットに共産党軍が侵攻して、6千の寺院を破壊し、
僧侶を含む120万人を殺戮し、現在も圧政を続けている。
標高4千〜6千メートルで暮らす人間と、中国で農業をしてきた人間とが同じ
思想になれるわけがない。
ましてや、共産党をバックにチベットに移住して宗教を否定し、森林破壊を行
うマオニスト(毛沢東の毛をマオと呼ぶので中国共産党のシンパ)がネパールや
ブータンのような弱小国をも共産化しようと暴れまわっている。
私は以前、インドのザンスカール山脈のタングラギラ(標高5360m)の峠を
越えて、ラダック地方のレーに旅したことがある。
聖地巡礼に家族を連れ、なべ釜さげて『五体投地』で少しずつ祈りながら仏教
聖地を目指すチベット人家族を見ると、チベット仏教の教義はともあれ、『信
仰』の原点の姿を見た思いがした。
人が心に思うことを暴力で押さえつけることはできない。
= おわり =
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岡崎 けい子 okazaki88@mocha.ocn.ne.jp
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