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寄稿転載記事 ――――――――――― by 岡崎溪子さん
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☆ 徐 振鋒さんへの手紙 ――――――――――――― 2004/09/08
┌--------「徐 振鋒さん」2004/08/11
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│――「それにつけても重慶市民の観戦マナーの悪さ」に対して
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│重慶市民の気持ちは理解できるが。二戦(日中戦争)のとき空爆されたから!
│
│日本の広島、長崎の人々が米国に対して、どういう気持ち?
│
└--------
浜松の岡崎溪子です。
歴史を問題にするのであれば、サッカー場ではなく、こういうメルマガ上でも
討論の場はありますから、民間レベルでもっと本音を語り合いましょう。
確かに日中戦争は、日本の軍部(特に関東軍)暴走による大義なき戦争でした。
けれど、日本国民の全部が中国と戦争することに賛成したのではありません。
明治時代から、宮崎滔天のように自分の身を粉にして孫文を助け、彼の日本で
の亡命生活のすべてを面倒見たのは有名な話です。日本人が中国人を命がけで
守った例はこれ以外にもたくさんあります。
周恩来が、1972年、日中国交正常化を実現させたとき、
「日本の国民も我が国の人民と同じく一部の日本軍国主義者の犠牲者である。
賠償を求めれば、同じ被害者である日本国民を苦しめることになる」
と語ったのも、周恩来自身が日本に留学経験を持つ人であったので、日本人の
本当の姿を知っていたからです。
それでも日本政府は、日・中国交回復時から、毎年莫大な金額をODAとして
中国に与えていますね。でも中国人民の大部分はその事実を知りません。北京
空港も、3分の1は日本の援助によってできました。
もしも戦時賠償のことを持ち出すなら、現(中国)東北部(旧満州)や中国各地に
日本人が残してきた財産はすべて中国に接収されましたが、莫大なものです。
たとえば、南満州鉄道(満鉄)が造った鉄路は、当時、難工事といわれる地形に
日本の技術と情熱を注ぎ込んで造りました。
満州の鉄道は、ロシアが東清鉄道をハルピン―大連、満州里―綏芬河(すいふ
んが)と十文字に結び、満州を我が物とすることをロシアの大蔵大臣ウイッテ
と李鴻章の間で密約が出来上がっていました。李鴻章にしてみれば、満州は満
州族の土地であり、自分は漢民族であるから、ロシアに渡しても構わないとい
う論法です。
清朝末期には「反清」運動が拡大していましたから、李鴻章のみならず、満州
は中国ではないという意識のほうが強かったのです。
しかし、ロシアが満州を得れば日本は目の前です。ロシアの歴史は絶え間ない
領土強奪の繰り返しでした。さらに南下して日本を狙うのは明らかである、と
大日本帝国は国力のすべてを賭けて日露戦争を戦ったのです。
そして、満州の治安維持は旧清朝の残存勢力では維持できないとして関東軍を
つくりました。ーーここまでは私は、日本防衛、ひいてはアジアを守るために
必要であったと思っています。
しかし、満州の用心棒としての立場で関東軍が駐屯していればよかったのに、
昭和6年に満州事変を起こし、「満州国」という傀儡政権をつくりあげ、日本
人を開拓民として送り込み満州族の土地を奪ったことから、満州人の反感をか
いました。
そして万里の長城を越え中国本土に侵攻したことは、すでに日本の敗戦が決定
的になったことを意味していました。戦線の拡大により補給線が伸びきってし
まい、維持できなくなるからです。
さらに日本は、アメリカとの戦争にまではまり込み、原爆を落とされて終戦に
なったのですが、他の日本人はともかく広島生まれの私は、放射能の恐ろしさ
を幼い時から身近に見ており、「降伏」が時間の問題であった日本に、原爆の
人体実験をしたアメリカを憎いと思っています。
18歳の時に沖縄に行ったとき、コザ市(現沖縄市)に、ホワイトロード・イエ
ローロード・ブラックロードの道の区別があり、ベトナムで共に戦う黒人兵士
にさえ、ホワイトロードを通れば射殺しても罪にならないという法律がありま
した。ーーまさに白人至上主義がまかり通っていました。
いまでも、イラクの理不尽な戦争に憤りを感じています。
しかし現在では、アメリカでも約半数の人たちがイラク戦争に反対しています
し、その点では私と同意見です。悪いのはブッシュ政権と武器商人なのですか
ら、アメリカ国民全部を憎むことはありません。
ましてや、アメリカの野球やゴルフなど、スポーツ選手を憎んで、日本に試合
に来た選手を虐める(いじめる)ことなんてできません。彼らはお客様です。
ーー大切にもてなすのが礼儀です。
シルクロードのタクラマカン砂漠の周辺に点在するオアシス国家は、現在では
新疆ウイグル自治区として中国領とされていますが、歴史から見ると中国領に
なったのは唐代の一時期と、清朝の乾隆帝以降の一時期だけです。ここを中国
領土とする根拠は極めて希薄です。
もしもモンゴルが「俺たちの領土だ」といったとしたら、そのほうが長年にわ
たって「元」の領土でしたからまだ理屈が通ります。チベットもしかりです。
「反清復明」をスローガンにして新中国を作ったのであれば、旧清朝の領土は
漢民族のものではありませんから、これを武力で奪ったことは、日本の軍部が
やったことと変わらない侵略行為です。
砂漠の民はお客さんを大切にします。
それは、遠来の客が多くあるほど自分たちが栄えることを先祖から教わってき
たからです。私も3度カシュガルに行きましたが、とてもウイグルの人たちは
親切でした。
中国には20回以上行きましたが、いつもテレビで日本人が悪人で「東洋鬼」
とされているのを見て、南通市に住もうかと考えたこともありましたが止めま
した。ーートラブルを起こしたら南通の友人に迷惑がかかりますから。
アテネのオリンピックを見ましたか?
「オスマントルコ」時代には、支配されてとても苦しんでいたギリシャなのに
トルコの選手団に拍手を送っていましたね。第2次世界大戦の時に占領された
ドイツに対しても拍手です。
ヨーロッパの国々はほとんど、過去にお互いが戦争をした経験があります。
しかし、それらを乗り越えていまヨーロッパは一つにまとまりました。(EU)
「ユーロ」の価値もどんどん上がっていくでしょう。
ーー『仲良くしたもの勝ち』がこれからの世紀です。
アジアも、仲良くしなければ世界から相手にされなくなりますよ。アセアンで
もっと腹を割って話し合いましょう。アジアが組めば、アメリカの独断暴走に
ストップをかけることもできます。
日本の若者に八つ当たりしている映像を世界中の人々がニュースで見て、中国
に失望しています。「北京オリンピック」が史上最低のオリンピックだと笑わ
れないように、もっと世界の真実の歴史を勉強してくださいね。
そして何より、自分の国を訪れたお客様を大切にすることです。
観光は儲かるでしょう?今度のことで喜んでいるのは、韓国や台湾、ベトナム
などですよ。ーー中国へ行く日本人観光客が減って自分たちの国に来る日本人
が増えるだろうと喜んでいます。
「シベリア決死行」/岡崎溪子 出版:アルファポリス
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http://www12.ocn.ne.jp/~okazaki8/
岡崎 けい子 okazaki88@mocha.ocn.ne.jp
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= この稿おわり =
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┃ ┃ この記事にお便りを頂きました。
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┌──────────「まるはげさん」男性@六十代@会社員@神奈川
岡崎さんの文章を読んで、本当にそうだと思いました。
私が、カシュガルなどの西域に行ったのは、もう15年ほども前です。おなじ
ころにチベットを訪問したこともあります。当時と今では大分変わっているこ
とでしょうが、中国の人は、自分たちは覇権主義(懐かしい言葉ですね)に反対
だと称して大国に文句をいっていました。
しかし、私には、ウイグル族やチベット族のいるところでは、中国の覇権主義
・膨張主義がハッキリと感じられ、なんだ中国は、自分では格好のいいことを
いいながら、実は現代版中華思想の亡者じゃないかと思ったものでした。
チベットでも西域でも、妙に多いと感じたのは、解放軍の軍服を着た人々であ
り、ラサなどには、なぜか解放軍の軍服をきた「観光客」(当然、無言の圧力
をチベット人にかけていることは、外国人の目にも明らかでした)が多数いる
ことに不快感を感じました。
それに、唐蕃会盟碑(吐蕃が唐王朝を圧倒したころの碑文だったと記憶してい
ますが)を見たいと思ったら、なぜか高い塀に囲まれてしまっており、隙間か
らさえもろくに見ることができませんでした。
(臭いものには蓋だったのでしょうか?)
チベットについては、中国は今でも歴史的に中国の一部だと主張しているよう
ですが、本当に一部になったのは、たぶん戦後の中国によるチベット占領から
だと私は理解しております。
一方では、瀋陽(?)にある「傀儡博物館」(という名称だったように思うので
すが良くは覚えておりません。要するに満州の日本軍部による傀儡政権時代の
悪行----良かったかもしれないことは、一切展示も説明もされていませんでし
た----の数々を展示した博物館でしたが)や、
私は若いころは金融関係にいましたが、取引先には、南京虐殺と称せられる頃
に兵卒として南京郊外に駐屯していた人もいました。その人によると、
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あのような事件が本当にあったとはまったく信じられない。30万人も殺せる
わけがない。私は当時、南京のすぐ傍の郊外にいたが、毎日行軍演習ばかりで
ヘトヘトにさせられていたが、ほんの数時間の行軍で行ける南京に、行けとの
命令もなく、30万人も殺さなければならないのなら、自分たちの部隊も必ず
南京城内に送られたはずなのに送られなかった。
第一、30万の虐殺があったなら、平素から地元村民とも多少の交流があった
ので、その噂が流れてこないはずはないのにそんなことも全くなかった。
当時は鉄砲の弾だって少なくて、演習でもほんの僅かしか実弾は使えず、では
日本刀では、人を2、3人も切ればもう使いものにはならない。
----戦中に日本刀を製造していた企業から聞いた話では、戦中の一般の日本刀
などは、プレス加工でポンポン作ったものだから、今の包丁よりも悪いぐらい
のシロモノだったということでした----
30万も殺さなければならないなら、大量の兵隊が長期に渡っていかなければ
出来っこないが、そんな動員がかけられたという話も聞かなかった。人を切っ
たり、実際の戦闘をするのは、演習よりもはるかにきついのだから、大量動員
もかけずにそんなことが出来たというのはなんとも不思議な話だ。
戦後に復員して、初めて30万人南京虐殺という言葉を聞いたときには、当時
自分がいた部隊の状況から判断して、到底ありえないとびっくりした。
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と言っていました。
等々を喧伝し、歴史の検証を十分に行おうとしないのは疑問に感じます。
当時の生き証人はどんどん減少していることと思いますが、一方の主張だけを
ことさらに取り上げ、他方の意見や記憶を一方的に抹消するのは、真実を見誤
る危険な行動でしょう。
30万人の南京虐殺を真実とし、或いは歴史を歪めている(かもしれない)中国
の今の姿には、同情すべき点があるのは事実ですが、疑問を感じないわけには
いきません。
―― 実は、
私の母も広島出身であり、私自身も終戦当時、広島から汽車で1時間ほどの母
の出身地に疎開していました。母の出身校(広島県女)は原爆で消滅してしまい
ましたし、私の親族のなかのあるサラリーマン一家は、爆心地の近隣にたまた
ま原爆の1年ぐらい前に転勤で仙台からやってきたため完全消滅し、骨すらわ
からなくなってしまいました。
其の限りでは、敗戦が明確な時点での原爆投下を行い、有色人種を実験材料に
した当時の米国はけしからんとは思いますが、だからといって、米国を憎むと
いう気持ちはありません。
また、東京にあった家は米軍の空襲で焼失し近所の人は多数亡くなりました。
--私の両親と子供たちは運良く空襲前に疎開したため誰も死にませんでした--
当時の状況を考え、米国の歴史などに思いを致すときに、ある程度は理解でき
ないわけではありません。無論その蛮行は歴史的に検証されるべきですが、其
の一事をもって一方的に憎いとは思いません。
ましてやスポーツは戦争ではなく、健全な人間的競争心の発露であり、一定の
ルールに従って行われる平和な遊戯でしかありません。スポーツの闘いが終っ
て、お互いに相手のすばらしさを認め合い、称え合うのがスポーツの良い面で
す。私も高校時代に、試合をして相手のチームに負けましたが、すげえよなあ
あいつ、と相手チームの優れた選手を畏敬の念で眺め、チームメイトと言い合
ったことを覚えています。
スポーツとは本来、そうしたものだと思うのです。
今回の北京のサッカーで、政治的なスローガンを出したり、相手の国旗を焼い
たり、大使館の車を壊したりしたのはいかにもどうかと思われます。そうした
行為の延長線上では、狂信的な旧日本関東軍の行動やナチスなどのように言論
の一方交通だけを許すような社会が生まれる可能性が高いようにも思えます。
たしかに今の中国は、貧富の格差が異常に高まり、抑鬱されたエネルギーが見
えないところで高まっていることでしょうから、国民の目を海外にそらさせ、
たとえば南京虐殺を言い募り、一種の空気を作らざるをえないかもしれないこ
とは理解できます。
しかしながら、そうした空気の中で国民を教育して行くのは本当に正しいこと
でしょうか。スポーツの観戦にあっても、そうした空気の中で、国民の社会的
不満の捌け口をスポーツなどに向けさせ、それも本来あるべき姿ではなく、政
治的スローガンにいたるように実質的に仕向けていった(とも考えられるので
すが)中国の姿には疑問を感じざるを得ません。
無論、このことを「もって他山の石」とすべきであることは、私たち日本人に
もいえるとは思います。
私個人は、中国の文物や歴史が好きですし(ほかの国の文物や歴史も好きです
が)漢詩などは今も愛唱してやまないものが多数あります。しかし今回のサッ
カーを見る限り、中国に多少の幻滅を感じないわけにはいきません。
ーーこうした気持ちを持つのは私だけでしょうか?
└──────────
┌──────────「toshirouさん」男性@七十代@福岡
岡崎渓子さま。
日頃私が考えている事柄など、すべて簡略に網羅されており、すっかり嬉しく
なりました。一人でも多くの中国人に読んでもらい、考えて頂きたいと思いま
す。
私は中国が大好きで、中国旅行を余生の楽しみにしております。
旅の都度、中国の到る所で、損得を抜きにした暖かい善意に触れてきました。
今年も3泊の現地ツアーに参加し、日本人はただ私一人でしたが、皆さんに快
く歓迎してもらい、親切に面倒をみてもらいました。その中の一老夫婦は特に
終始私に優しく接してくれました。
別れの挨拶をしたとき男性が「私の父は日本兵に殺された」と言いました。
驚き、返す言葉も無く頭を下げ謝る私に、肩を叩きながら「もう過ぎたことで
す、これからの友好が大切です」と却って慰めるような口調で言ってくれまし
た。感激しました。
帰国後サッカーの事件がありました。
これは、政府が進めざるを得なかった「愛国主義」の教育の為に、客観性を欠
き捏造され、誇張された情報であっても、より強く国民に反日思想を植えつけ
さえすれば良しとして続けられた累積が、一部の土台になっていることは確か
でしょう。
しかし、チベットやウイグル自治区に対する仕打ちを、彼らがどの程度理解し
真実を知っているのかは判りませんが、少なくとも天安門事件は、彼らの心の
中に、拭い去ることの出来ない深い傷痕を残し、今もその憤懣は根底にあると
思います。
沿岸部と内陸部の、益々拡大する経済格差、一向に後を絶たない幹部の汚職、
法輪功に対するような仮借なき弾圧等々、彼らに鬱積した憤懣が、教育されて
きた反日思想の熱心な信奉者を装うことにより、過激であっても政府にこれを
阻止する理由はない、反日運動が過激であればあるほど世界の顰蹙をかい、北
京オリンピック開催の適否にまで論議が及び、政府は苦境に立たされるであろ
う。
これらの計算のもとに、彼らは敢えてあの行動を起こし、付和雷同する群衆も
加えてあの常識を外れた過激な行動となったのではないかと思います。
8月末、CCTVで映画「清涼寺鐘声」日本題名「乳泉村の子」が放映された
そうです。日本の残留孤児を、老婆が苦難のなか育てあげる、国境を越えた美
しい人間愛の物語です。
過激な反日言動が飛び交うサイトの閉鎖が命じられた、とも聞きます。
歪んだ反日教育の路線修正の一端であることを願っております。そして今後、
日中双方がお互いに相手を理解しあい、改めるべきは改め、新しい日中友好の
道を築いてくれることを祈っております。
└──────────
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┌──────────「岡崎渓子さんから」
岡崎溪子です。「まるはげさん」「toshirouさん」
ご丁寧な感想をいただき、ありがとうございました。
└──────────
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┌─────────「南川さん」男性@五十代@自営業@中国 2001/09/22
―― 感想を寄せられた福岡の「toshirouさん」へ
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8月末、CCTVで映画「清涼寺鐘声」日本題名「乳泉村の子」が放映された
そうです。日本の残留孤児を、老婆が苦難のなか育てあげる、国境を越えた美
しい人間愛の物語です。
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偶然そのTVを見ました。例のサッカー試合の後でしたから、へエー、、の感
じで中国人妻と。ーーこの時期だからあえて放送したのかは存じません。
田舎でも「反日意識?」がありますね、住みにくい程ではありませんけれど。
ーー私が慈善事業(?)もしているせいかな?
昔は沢山言われました「日本鬼子」と、、私なんか戦後生れですのに。
今、まだ赤ん坊の我が子が「小日本」と呼ばれはじめました!!
----深い感情など勿論ないでしょうが、彼、彼女等の子は皆女児で、我が子だ
けが男児なのでヤッカミもあろうか、、。
靖国神社参拝問題は、殺された側(中国)からすれば譲れないのでしょう。
旧満州の毒ガス処理も大変ですし。(桂林でも使った毒ガス!)まだ戦争処理が
終わっていないから?
経済的にまだ貧しいし。中国の農民全員が豊かに為り得るのか?
石油、水資源などから不可能なのですがね、地球がもう1つ必要ですの。
今後も、この地で生涯を、子供と共に。
日中共同作業をし、日中のワダカマリ・感情の対立でなく、お互様の精神で。
過去の歴史を踏まえ、将来に向って共に歩む道造りを。
我が子は、日中文化交流の後継者になって欲しいのだが。
未来に向って、共に歩もうと。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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