by м.мさん@男性@六十代@自営@東京
☆ 昔、私が垣間見た中国 ――――――――――――― 2003/10/01
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中国での結婚ということで、昔、私が垣間見た中国での新婚生活を思い出しま
した。物心ついてから就学前のことですので、何歳の時だったかと言うような
時系列については心許ないのですがそういうこともあったということで..。

父と一緒に働いていた中国人に〔ワン シートン〕という人がいました。
ワシントンではありませんで。(笑)
たしか、そういう風に発音していたと覚えています。

その頃の北支=中国華北)では、男は股引のような服装が主でしたが(子供は
そのお尻の部分がパカッと取れてしまうオシメのようなものをつけている)そ
の中でもワン シートンさんは背広を着たモダンなエリートと子供心にも思っ
ていました。

その人が結婚したのですが、結婚式自体が賑やかというだけでそれ以外は覚え
ていません。子供が結婚式に色々興味があることの方が問題ですが、新婚間も
なくの頃、その新居に連れて行かれたことを覚えております。

新婚住まいは、私の親たちの話では旧城内といわれた地区のようで、日本人が
行くような所ではありません。日本人(ドイツ、イタリア人もいました)の居住
地は新市街と呼ばれていましたが、上海の租界といわれる処とは違い中国人も
一緒に住んでいました。

家は中国式の中庭のある四合院の一角でした。綺麗なベットが置いてあったの
を思い出します。というのは、普通の独身男子(働いている人たち)の寝床は、
たしか布団を三つに畳み、下の方を折ってその中に寝袋のようにもぐり込んで
雑魚寝という形ばかりを見ていたので、とても珍しかったのです。

中国人の物見高さというのもよく判ります。ことある毎に黒山のように集まっ
て飽きもせず眺めている。

日本人などめったに行かない旧市街に、"日本人の子供"が行ったのですから、
これはもう、絶好の見物対象。
新居は台所もベットも一緒に置いてあったと覚えています。そのベットに座ら
されるのですから、窓からは舞台に上がった役者のようによく見える。

今ならばアイドルとかなんとかで舞い上がってしまうのでしょうが、もう恥ず
かしくてナニをご馳走して貰ったか覚えておりません。
でも、何回か遊びに行っているうちに他の子達とも遊んだような気がします。
何をして遊んだか迄は覚えておりません。しかし、珍しいことが起きるとワイ
ワイと見物に行ったことは良く覚えています。

隣国では〔公開処刑〕なんてものがまだあるそうですが、私の見たものは公開
引き回しの刑。

銅鑼をジャ〜ンと鳴らしながら数珠繋ぎになった人達が後から柳の枝をもった
警官に街なかを追い立てられていくのです。
モタモタしていると束ねた(かどうかうろ憶えです)柳の枝でひっぱたくわけで
これはたびたび見ました。

それから、これは今思いますと自分がよくそこまで残酷なことをやったなぁと
慚愧に堪えないのですが、身障者を眺める。というヤツです。もちろん、見物
させてお金を貰うという専門職と割り切っているのが大多数だったと思います
が(お金を集めていた)、記憶にあるのは顔に穴があいていた女の人です。

今思うと多分、梅毒かなにかの病気が進んだ結果と思いますが、この人を他の
遊び仲間と前にしゃがんで飽きもせず眺める。
向こうでも毛色の変わった子が来たと興味を持ったのだと思います。袋の中か
らなにやら出して私に渡そうとすると、他の仲間はパッと逃げ散ります。

私の方は人にくっついて何処へでも行ってしまう人なつこさ(大人の話)だった
ので、受け取ろうとしたときに他の大人に抱えられて連れ戻され、気安く人か
らモノを貰うなという意味のことを怒られたのが身に染みました。

親はどうしていたかって?
もちろん、連れて行ってくれた大人はそんなことは話さないでしょうし、子供
だった私もいちいち報告した憶えはありません。

それから何十年か経って父が昔話をするようになり、それを聞きながら私の思
い出を話し、つなぎ合わせて、ああ、そういうことだったのか、と納得するわ
けです。

                           = おわり =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
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