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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
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☆ 日韓併合前夜〜そのとき世界は ――――――――― 2005/03/28
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┃●┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「おやじさん」
日清戦争以降の我が国の施策を、私はアジアに対する侵略史として教育されま
した。支那や朝鮮の視点からは、そのように映るかもしれません。それは彼ら
の視点です。
私たちは、曾祖父の時代に世界の有色人種に希望を与えたことは、未来の世代
に声を大きくして伝えるべき事と考えます。このことを評価してくれる国は、
現在でもたくさんあると思います。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
日本は1945年に、戦争で徹底的に敗れるという体験をしました。
それは痛烈な体験でした。忠勇なる陸海軍将士、約百六十万、その他の国民、
約百四十万が戦没したと言われます。しかも、日清、日露の将士が血を流した
ところをすべて失い、犯罪国家の汚名まで甘受しなければなりませんでした。
ーーその傷は未だ癒えていません。
しかし、日露戦争以来変り始めていた歴史の流れが、この敗戦によって「人種
差別の撤廃」という方向が決定的になってゆきます。―――戦前の白人社会で
は、「素朴進化論」的人種観が浸透していて、人種にも発達段階があり、白人
→黄色人→褐色人→黒人とい序列でランクが下がり、その下にオラウータンの
ような類人猿がいるというものでした。
アメリカという国に対するイメージは、昭和の前期と後期では百八十度違いま
す。ーー戦前の日本人にとってのアメリカとは、「日本人を侮蔑する人種差別
の国」であり、いってみれば、少し前の南アフリカ共和国のようなイメージで
した。詳細は後述しますが、日米開戦の前夜は、今の日米蜜月が全く嘘のよう
な雰囲気だったのです。
└──────────
┌──────────「大原敬一さん」
私共は、其の為日本は強い国である、と常に吹き込まれました。
それがアメリカとの無謀な戦争にまで突入させたと思ってます。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
第二次世界大戦に関しては、私たちは詳細な情報をもっています。
参戦国の、政策決定に関する内部文書、当時の政権担当者たちの詳細な日記、
新聞、雑誌の記事、さらには戦争で死んでいった兵士たちの遺書までが出版さ
れ、容易に入手することができます。そのような精密な記録の一部を読まれた
方も多いでしょう。
もちろん、そういった記録を読めば、あの戦争がいかに日本にとって勝ち目の
ないものであったかは誰の目にもよく分ります。また、その勝ち目のない戦争
を指導していた当時の軍部や政府が、いかに無能な集団であったかもよく分り
ます。ーー同じ日本人として、一種、歯がゆいぐらいの思いがするほど、よく
分るのです。
だが、記録を読めば読むほど、「なぜ日本人全体が、あのような勝ち目のない
戦争に平気で突入していったのか?」という疑問ばかり湧いてきます。
??どうしてでしょうか??そして、この疑問に答えてくれる専門家は、なぜ
少ないのでしょうか??
もりろん「あの当時の日本人はバカの寄せ集めだったから、無謀な戦争を始め
たのだ」と単純に決め付けて満足したいた人が多いのは、よく知っています。
また、そういう決め付けに終始するが如き“歴史書”もたくさんあります。
しかし、そのような単純な結論では、何の問題解決にもならないことは、誰に
も分ることです。第一、そんな「バカな日本人」なら、どうして戦後僅か数十
年で、経済や技術など重要な面で、世界のトップに立つような奇跡を成し遂げ
られるのか....それとも..終戦を境に..日本人はまったく別の民族になってし
まったのでしょうか?
ーーこの問題に関しては、少なくとも明治維新前後から現代に至るまでの日本
史と世界史を俯瞰し、全体像としての歴史を見てみる必要がありそうです。
└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」
gosakuさん、こんにちは。「このとおりだと思う」に投票しました。
◆日露戦争に日本が勝ったことについての歴史的な意義について、この通りだ
と思います。北欧のフィンランドは、ロシアの圧迫に長年悩まされ続けていた
ので、日露戦争の日本海海戦を指揮した東郷平八郎さんの肖像がラベルになっ
たビールを今でも愛飲しているそうです。
◆本題の日韓併合については、この原稿だけでは日露戦争とのつながりがよく
分からなかったです。
◆またgosakuさんの記事を楽しみにお待ちしています。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
ミカの赤い服さん、毎々コメントありがとう御座います!
貴方のような方がおられるので、また書こうかという意欲が湧いてきます。
「そもそも、韓国のことなど放っておけばよかったのでは」という意見もある
でしょう。ーーだが、それは戦後の平和な状況に狎れた人の誤解でしょう。
当時、日本にとっては、朝鮮半島の安定こそが生命線であり、この半島に日本
に敵対する勢力が存在するようになることは、即ち「日本の危機」を意味して
いました。日清戦争も日露戦争も、正にその為に起ったのです。
マッカサーは、朝鮮戦争を体験して、そのことを骨身に染みて味わった人間で
す。―――1950年6月25日未明、38度戦を越えた北朝鮮軍はアメリカ
軍に対して圧倒的な勢いを示していました。それは、ソ連と中国の援助があっ
たからです。この結果アメリカ軍は、半島南端の釜山まで追い詰められるとい
う窮地に陥ることになりました。
マッカーサーはそれでも、仁川上陸作戦を決行してソウルを奪還し、とうとう
半島の付け根の鴨緑江まで共産軍を追い返すところまで持ち直しました。
しかし、ここまでやっても朝鮮戦争は終わりませんでした。なぜなら、共産軍
の勢力は依然として大陸にあり、しかも彼らはソ連や中国内陸部から、大量の
人員と兵器をいくらでも補充できたからです。
そこでマッカーサーはトルーマン大統領に、「昔の"満州"を空爆し、敵の本拠
地を完全に粉砕せねばならない。また、東シナ海の港湾を封鎖し、場合によっ
ては原爆も投下しなければならない」と進言したのです。
だが、彼の意見はトルーマンに反対され、マッカーサー自身も解任されること
になりました。その結果、共産軍の反攻が始まり、アメリカ軍は再び南へと押
し戻されて、とうとう38度戦で休戦、ということになったのはご存知の通り
です。
それはさておき、
朝鮮戦争を体験することで、マッカーサーは、戦前の日本がやったことの意味
が痛いほど分ったのです。―――北から、強大な勢力が朝鮮半島に下りてきた
場合、日本を守ろうと思えば、先ず朝鮮半島を守らねばならない。そしてもし
朝鮮半島から敵の勢力を完全に追い払おうと思ったら満州にまで出て行くしか
ないーーー日本にとって朝鮮半島がいかに重要な土地だったのかを、マッカー
サーは、朝鮮戦争を通じて完璧に理解したのです。
└──────────
┌──────────「hideおじさん」
gosakuさん 歴史の流れとしてはこの通りだと思います。
日露戦争から100年経ちますが、いろいろな意味で、この戦争がターニング
ポイントになったと思います。世界の列強に上っていったことは事実ですが、
反対に「驕り」も生れたのではないかと思います。
その後の流れを見ると「もっと他に方法はなかったのか」と思うこともありま
すが、だからといって当時の日本人を悪人にしてよいとは思いません。
日本では感じることは殆ど無いかもしれませんが、日露戦争が世界中に与えた
影響は非常に大きなものです。私が中東諸国とか、北欧・バルト諸国へ行った
際には、必ずといって良いほど「日露戦争」の話が出てきました。
ーーーー「ジェネラル東郷」は今でも有名人なのです。
ちなみに「日本海海戦の検証」は世界の海軍の必須科目になっています。
中近東諸国が比較的親日であるのは、この日露戦争の影響が大きいのです。
そのことを理解している日本人は少ないのではないでしょうか?ーーーなにも
日本製品が優秀だから親日なのではないのです。白人のケツをひっぱたいてく
れた日本だからこそ日本製品を信じてくれるのです。
ーー仕事を通じて強くそのことを感じました。マイナス面はあったとしても、
誇るべきことは胸を張って誇ることが、何故、批判されるのでしょう?
└──────────
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┌──────────「gosakuさんから」
繰り返しますが、もし日露戦争がなかったり、日露戦争で日本が勝たなかった
なら、白人にとってこの世はすべて泰平だったことでしょう。
ーー争い事は、自分たち白人の間だけのことだったでしょう。
!!ところがあろうことか、日本が勝ってしまった!!
コロンブスの新大陸発見以降、世界の主流にのし上がった白人は、デカルトや
ニュートンといった思想家を生み、産業革命を起こし、フランス革命を起こし
ナポレオンやネルソンといった名将を生み、新天地アメリカを創り上げ、世界
中の非白人居住地域を植民地にしました。
特に、19世紀になってからの白人の力は正に圧倒的であって、これに対抗で
きる有色人種などはどこにもいなくなってしまったのです。誇張した言い方を
すれば、白人と有色人種との間には深淵があって、その深さは、類人猿と有色
人種とを分かつ深淵と同じような超え難きものがあると信じられていました。
この「白人」と有色人種との間の深淵は、越えられるものであるということを
示したのが日本人でした。「白人」の科学文明や近代的制度が、非白人へも拡
がり得るものであることを実証したのです。
―― 繰り返しになりますが、
ロシアに勝利したことによって、極東の島国の日本と、敢えて争おうと考える
ヨーロッパの国はなくなりました。ーーこれで日本もまた平穏、、なはずでし
た。
ところが、
太平洋の向こう側のアメリカだけは、そうした状況を容認しませんでした。
膨れ上がっていくアメリカの対日憎悪の芽は、確実に発芽成長していきます。
――日露戦争までは日本に対して好意的であったアメリカは、日露戦争以後、
日本を仮想敵国と想定して、着々と太平洋の海軍を増強していくのです。
シュペングラーの論理を適用すれば、アメリカこそ西欧のファウスト的精神、
無限空間に対する憧れと、その征服慾を最も明確な形で発揮した国家でした。
アメリカに移住したヨーロッパ人にとって幸いだったのは、アメリカの先住民
が、極めて人口密度が低く、しかも、多くの民族に分かれバラバラでまとまり
のないインディアン達であったということでしょう。こうした幸運によって、
無限の空間を征服するが如く、遮られることなくフロンティア・スピリットの
おもむくまま、西へ西へと驀進できたのです。
―― 19世紀の後半になって、
ヨーロッパからアメリカ大陸に、大量の白人が渡ってきました。その多くは、
ヨーロッパの中でも、最も貧困や迫害に苦しんだ人々でした。例えば東欧で、
ロシアのために住むところを奪われた人々、或いはイギリスに収奪し尽された
アイルランド人などです。
とくにアイルランド人の場合は、19世紀の中葉、人口900万の島で250
万人もの人口減になったといわれる大飢饉が発生しました。この250万人の
うち、約半数は餓死し、約半数は移民したのです。ほうほうの体で難民同然に
アメリカへ渡って来た者は100万を超えていたと推定されます。
もちろんこういった移民たちは、ようやく大西洋を渡っても東海岸に住むこと
は出来ません。東海岸には既に2百数十年前から、先に来た白人が居住してい
たからです。そこで彼らは、未開の地、西部へと、大平原を横切って拡がって
いきました。ーーところが西海岸の近くまで到達してみると、すでにシナ人た
ちが相当な生活を営んでいました。
彼らはシナ大陸から、チャイニーズ・クーリーズ(苦力)として、鉄道建設のた
めにアメリカへと渡ってきた奴隷的労働者たちでした。アフリカの黒人奴隷は
鉄道建設のような労働には適さず、アメリカインディアンも騎馬民族的気質の
ため奴隷的労働を拒否したので、大量かつ安価、勤勉なシナ人移民が使われて
いました。
ところがチャイニーズ・クーリーたちは、白人以上の知能と勤勉の習慣を身に
つけており、低賃金で働きながらも貯金をし、それによって土地を買ったり、
店を開いたり、ついには金鉱の採掘権まで買う成功者まで出るようになったの
です。それはもう、白人をも凌ぐ勢いでした。
こうした事態を目のあたりにした時の貧乏な白人移民たちの失望、落胆、怒り
はいかばかりであったか..現代の言葉でいうならばフラストレーションです。
こうして、シナ人殺しや、シナ人居住地区への襲撃が始まりました。そのリー
ダーの多くはアイルランド移民でした。―――その行動を動かしていたのは、
シナ人の一つの村を皆殺しにすれば、村全体の土地が自分のものになるという
簡単な理屈であり、かつてのインディアン虐殺とまったく同じ考え方です。
一例をあげれば、ワイオミング州のあるシナ人の村では、16人が撲殺され、
さらに50〜60人以上が焼け跡から見つかりましたが、その他にも発掘でき
ない死体が無数にあったといわれています。―――かくして、生き残ったシナ
人も、経済基盤をほとんど喪失し、白人のカンに触れないようにしてのみ生存
できるという哀れな立場に陥らされてしまいました。
このようなシナ人排斥運動は、ワシントンの連邦政府をも動かし、1902年
には、シナ人移民を完全に禁止する法律を生みだすところまでいったのです。
大西洋に向かってはニューヨークに自由の女神を建て、「悩める者よ来たれ」
とする一方で、太平洋の門戸は完全に閉ざすというアメリカの方針。ーー東か
ら入ってくる白人は歓迎するが、西からの有色人種は許さないという態度が、
この法律によって明確になったのです。
―― こうして壊滅状態になったシナ人に替わって、
太平洋を越えてやってきたのが日本人移民でした。しかもその多くは日清戦争
の後で、つまり、アメリカ人たちが開拓すべきフロンティアの消滅を認識した
1890年頃から移住したのですから、日本人に対する白人の敵意はより強烈
なものがありました。
日本人移民は、シナ人に劣らず勤勉であり、総体としては教育レベルも高く、
しかも「日露戦争に勝ったのだから白人に負けるわけなどない」といった自負
も持っていました。ーーこれらの要因から、西海岸の良好な農地の多くが日本
人移民により開拓され、そして所有するところとなっていったのは当然の成り
行きです。
しかし、これに対する白人の怒りや嫉妬は、真に凄まじいものがありました。
アイルランド人の「十字軍」の復活です。しかし、シナ人移民のように日本人
を殺すわけにはいきません。なぜならば、―――シナ人の場合は、清朝政府は
元来、鎖国時代の徳川幕府のように国民の海外渡航を規制しており、許可無く
して国を出た者は清国民に非ずという政策を採っており、また海外の移民には
関心を持っていませんでした。
なので、こうしたいわば“棄民”であるシナ人を、いくら殺しても清国政府か
ら文句がくるという心配はありませんでしたが、しかし、日本人の場合はそう
はいきません。日本人をシナ人のように虐殺すれば、日本政府から強い抗議が
きて、国際問題になるのは明らかです。
しかも日本は、太平洋に、日露戦争で大勝した連合艦隊という強大な艦隊を持
しており、殊に西海岸のアメリカ人は、心の底に日本の連合艦隊に対する恐怖
心を持っていました。
―― そこで彼らは、法律を変えることで日本人に対抗しようとしました。
つまり、各州毎に次から次へと排日移民法を成立させ、日本人移民を締め出す
という手段をとったのです。―――現代のアメリカをみていても分るように、
この国は、感情的ともいえる法律を平気で作ってしまう「民主的風土」を持っ
ています。もちろん日本政府は、事態を解決すべく外交努力を重ね続けます。
20世紀の最初の四半世紀の日本の対米交渉のほとんどは、日本人排斥問題に
費やされたといってもいいぐらいです。ところが、交渉は好転の兆しがなく、
一歩後退、二歩後退、三歩後退と、後退し続けるばかりでした。
ついには、1908年「日米紳士協定」が成立し、日本は移民をアメリカ合衆
国に出さない、というところまで日本は後退したのです。ーーそして日本政府
は協定を忠実に守りました。なぜなら、すでに移住している日本人移民が更な
る迫害を受けることを心底から恐れたからです。
ーーそして、日本からの移民は、実質的に完全に止まってしまいました。
しかし、そんな日本の態度も、アメリカ人の心を和らげる役にはたちませんで
した。すでに日本移民は美田を持ち、成功を収めていたからです。いくら日本
人移民が禁止されようとも、アメリカ人が日本人を憎み、日本人の土地を欲す
るという構造は変わりませんでした。
日本人移民の、特に立小便の習慣が嫌われたなどといいますけれども、それは
コジツケ的理由でしょう。当時の白人が、いかに土地を欲しがったかは、スタ
イベックの小説「怒りの葡萄」を読まれるか、その映画をご覧になれば実感で
きます。
この小説は、アメリカ中南部で食い詰めた主人公たちが、耕地を求めて西部に
向かうという内容です。日本人の土地を奪うシーンこそありませんが、どんな
苦難を受けようとも土地を求めてやまない彼らが、「約束の地」はすでに有色
人種のものになっている事を知ったとき、それを獲り上げたいという強い衝動
に駆られたであろうことは容易に推察できます。
―― 第一次世界大戦後の
1919年に国際連盟の結成が決まったのですが、この規約作成の場で、日本
の牧野伸顕全権大使が注目すべき提案を行いました。
「連盟に参加している国家は、人間の皮膚の色によって差別をしない」という
内容の条文を規約に盛りこうもうというものでした。
ーーつまり、国家による人種差別は廃止すべきだと訴えたものです。
これは、何十年も時代を先取りした優れた提案で、有識者の多くが日本の提案
に賛意を示しました。しかも日本の提案は、各国の事情を斟酌して、人種差別
の即時撤廃を要求したものではありませんでした。しかし、当時は人種差別に
よって経済が成り立っている先進国が多く、日本の主張は採択されませんでし
た。
つまり、世界で最初にできた国際的な国家連合機関は、「人種差別は今後も続
ける」という判決を下しも同然であり、また日本に対しては「日露戦争の勝利
者ではあっても、先進国の仲間に入ることは許されない」と宣言したものでし
た。
けれどこの連盟の決定は、日本にとってそれほど実害はありませんでした。
―― ところが、
3年後の1922年、アメリカの最高裁判所は「白人と、アフリカ土着人及び
アフリカ人の子孫」だけがアメリカに帰化できるという判定をし、すでに帰化
申請を許可され、アメリカ市民として過ごしている日本人すら帰化権を剥奪さ
れてしまいました。
この中には、第一次世界大戦でアメリカ兵として従軍し、アメリカ市民権を得
た日系人たちもいました。そして翌1923年には、移民に関する憲法修正案
が上院に提出されました。内容は、日本移民の子供には絶対にアメリカ国籍を
与えない、というものでした。
それまでの憲法上の規定は、アメリカで生まれた者には無条件でアメリカ国籍
を与えるということになっていました。いわゆる国籍の属地主義ですが、この
時の修正条項はこれを覆し、しかも、過去に遡って適用するという空前絶後の
暴法でした。
既にカリフォルニアなどの州法によって、日本移民がアメリカの土地を取得す
る道は塞がれていましたから、移民たちはアメリカ市民である子供たちの名義
で土地を買っていました。この時の憲法修正案は、その抜け道すらも閉ざして
しまおうというものですから、アメリカ人の排日感情がいかに激しかったが分
ります。
これは例えば、現代の日本で、在日コリア人や、立派に日本国籍を持っている
その子孫たちに対して、土地の所有を禁じ、現在持っている土地も直ちに売っ
て手放すようにという憲法修正案が議会に上程されたのに等しいものです。
ーーそれと同じことが1923年のアメリカで起こったのです。
ーー日本がアメリカに何をしたというのでしょうか?
このような反日的雰囲気の下に、1924年5月「帰化に不適格なる外人」に
関する移民法にクーリッジ大統領が署名します。これが「帰化不能外国人移民
法」といわれるものです。これによって以前の日米紳士協定は一方的に破棄さ
れ、日本人移民は実質上禁止された事になりました。
―― こうして、
日系人の地位は、1882年以降のシナ人と似たものになってしまいました。
日露戦争に勝っても、黄色人種の日本人は、アイルランド人に比べても下等人
種と見なされたのです。日本は、アイルランドを支配しているイギリスと対等
の同盟国なのに、アメリカでは下等民族扱いされました。
それまでは、日本人の大部分は親米的でした。しかしこれ以後、日本における
対米感情は反米に変わっていきます。それは当然の成り行きであり、アメリカ
大使館の前で割腹する人さえ現れました。―――この法律が生まれたことは、
日本のみならず、アメリカにとっても不幸なことでした。
日本政府自体はアメリカとの協調外交を継続しようという意志を持ち続けてい
たにも関わらず、この法律以降は世論が許さなくなってしまったからです。
なぜアメリカの言うことを聞いて妥協ばかりするのか、と議会で言い出されれ
ば、いかなる政治家、どんな外交官でも答弁に窮するのです。
―― かくして、
もうこの時期、すでにアメリカ政府中枢部の腹の中には、十数年後の日本叩き
日米開戦のプランが出来上がっていたと思われる節があります。――アメリカ
国内ではマスコミを総動員し、「絶対的排日移民法」が成立しなければ、程も
なくアメリカ国土は日本人に乗っ取られるという恐怖心を煽り、これを連邦法
として成立させ、
また、シナ大陸に「抗日・侮日」を焚きつけて経済的封鎖を目論み始めます。
その後アメリカは、日英同盟を解消させ、さらに開戦前にはABCD包囲網を
作って日本を経済封鎖し、鉄鉱石の一塊、石油の一滴さえ入れないようにしま
した。いうまでもありませんが、国内に資源のない日本にとって、石油や鉄が
なければ、二十世紀の国家として存続し得ません。それを全く封じてしまおう
というのですから、これは日本に「死ね」と宣言しているに等しいことです。
実際、これによって日本は瀕死の状態に陥ります。
最初、海軍は対米戦争などやる気はありませんでした。が、禁輸によって石油
の備蓄を食い潰すしかないという昭和16年に至って、はじめて開戦を決断し
ます。ーーこの頃には、山本五十六ほどの人でさえ「海水から重油が採れる」
という詐欺師に騙されたほど追い込まれてしまっていたのです。
└──────────
▼
┌──────────「MNさん」男性@二十代@会社員@北海道
>「ジェネラル東郷」は今でも有名人なのです。
「アドミラル東郷」の間違いです。
こんな基本的なことを間違うようでは、
>私が中東諸国とか、北欧・バルト諸国へ行った際には、
>必ずといって良いほど「日露戦争」の話が出てきました。
という文章の信頼性が100%無くなります。
└──────────
▼
┌──────────「hideおじさんから」
MNさん、ご指摘ありがとうございます。これは全く私のケアレスミスです。
ジェネラルは陸軍大将ですから、海軍である東郷平八郎は「アドミラル東郷」
でなければなりません。軍事関係が専門でありながら、このようなミスを犯し
恥じ入るばかりです。
また、投稿した後、ミスに気がついたのですが、不精して訂正依頼をしなかっ
た私の責任でもございます。言い訳の余地はございません。申し訳なく、多少
気の緩みがあったのかもしれませんが、他の読者のみんさんへ誤解を与えるよ
うな記述をしたことを、ここでお詫び申し上げます。
余談ですが、現在、海軍(海上自衛隊)は「 Admiral」、陸軍(陸上自衛隊)と空
軍(航空自衛隊)は「 General」と、大将(海将、陸将、空将)の呼び名が異なっ
ています。
└──────────
┌─────────「元マレーシアの虎さん」男性@五十代@会社員@京都
gosaku様、“WEB 熱線”のメルマガをどこで知ったか忘れましたが、189号
から購読しております。その当時は、マレーシアの子会社へ責任者として出向
しておりました。
マレーシアへ出向する前、日本国内では、職制上は平の会社員でした。そのよ
うな者が責任者として赴任してしまい、経理・経営・リーダーシップというこ
との欠如していた者としては色々な情報を入手し勉強することも仕事の一部で
した。
04年9月の期末をもってその任を解かれ、12月に日本へ帰国しました。
そして、よく言われるように種々の事があり、この4月15日で退職いたしま
す。暫く、ぷーをしながらマレーシアへは勿論ですが、中国へも遊びにいこう
と考えております。
ーー自己紹介が長くなりましたが、
≪ WEB 熱線 第539号 2005/04/04_Mon―アジアの街角から―≫を読ませていた
だき、今まで疑問に思っていた“なぜ開戦をしたのか”ということが明白にな
りました。ーー「アメリカの陰謀で開戦させられた」ということまでしか知り
ませんでした。
ニュースや、敗戦特集などでもここまでの内容は無かったように思います。
私が読み、聴き、見た範囲では、そこまで触れていなかっただけかもしれませ
ん。そこまで触れると不都合なことがあったのかもしれません。
実は、“WEB 熱線”を毎号読んでいるわけではありません。なにしろ、内容が
重い。ちょっと気軽に読むという訳にはまいりません。削除せずにホルダーに
ためてあります。しかし、自己紹介に書きましたように、ちょっと自由な時間
が取れるようになったので、最近は読んでいます。
これからは、中国人、それにマレーシア国籍の中国人、日本人にもこの話をし
たいと考えております。どこまでgosaku様の話を正確に伝えられるかは心許な
いのですが・・・。
ありがとうございました。ーー今後は、gosaku様の文章を欠かさず読むように
致します。“自虐史観の枷を解く”のサイトも、時間はかかってしまうでしょ
うが、必ず読ませて頂きます。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
元マレーシアの虎さん、ご批判ありがとうございます。僕のレポートは重いと
いえば聞こえはいいのですが、小難しいでんすよね。ーー自分でも読み返すの
にいい加減ウンザリすることがあります。閑をみて又感想をお聞かせ下さい。
永い間、外地でご苦労さまでした!
189号からの読者とは(2002年12月)!僕の先輩ですよ!
僕は2003年に入ってから、満州回顧録を掲載させて戴きそれ以来。まぁ、
何とか続けていますが、最近は OJIN さんに「中国・韓国ばかりじゃ自虐史観
の枷を解くことは"できない"よ〜!」とお叱りを受けて、目下模索中です!
僕の史観が唯一正しいもので、今までのものはすべて歪曲だ!とは思いません
が、少なくとも別の立場から見た歴史的事実だったと信じています。
先日、中学校で使われる歴史教科書の検定結果が発表され、韓国などから「歪
曲がある、侵略を美化している」と批判が相次いでいます。――では、韓国・
中国の歴史教科書は「歪曲」はないのか?――自国に都合のいい解釈が全くな
いか?
日本側から見れば、明らかに歪曲だと思われる個所がかなり見受けられます。
逆に韓国や中国に厳重抗議してもいいのではないか!
ーー歴史の真実は一つでも、立場や見方によって、善であったり、悪であった
りする、ということです!
戦後生まれの方々は、戦勝国側からの歴史観を唯一全く正しいものという教育
の下で成長してきました。時々、政治家や大臣などが「本当はこうだった!」
と発言すると、間髪いれず「親中・親韓」のマスコミが中国や韓国にご注進に
及び、国際問題に発展し辞任に追いこまれる、というのが慣例のようになって
います。
さる1月12日、王毅駐日大使は早稲田大学で講演し、いわゆる「A級戦犯」
は「国際的に確立されたもの」との認識を語り、「日本は国際国家になりたけ
れば、国際的な常識、コンセンサスに従って振舞うべきで、それが日本にとっ
ての「利益になる」との考えを開陳したそうです。
首相の靖国参拝を批判し、、暗に日本の安保理常任理事国は今の状態では賛成
しかねるということを言ったものでしょう。しかし東京裁判が「世界の常識」
などとはとんでもありません。むしろ、この裁判は無効であるというのが世界
の常識でしょう。――歴史的に存在が難しいものだというのが、現在では世界
の研究者の間で広く共有されている認識になっています。
法的な成立根拠自体に大きな疑問があり、「不当な裁判」であるという点は、
従来から繰り返して指摘されてきました。おまけに、近年、たとえば旧ソ連の
機密文書などが新に公開されるにつれ、1938年の張鼓峰事件、1939年
のノモンハン事件など、ソ連の申し出で訴追案件に加えられた日本の「罪状」
が、完全な濡れ衣だったことが分ってきました。
ーーこれらはソ連側が仕掛けた戦闘であることが立証されたのです。
他にもそうした例が多数あり、年毎に増え続けています。こういう面からも、
東京裁判の正当性は、いまや完全に音を立てて崩れています。A級戦犯は世界
が認めたものであるとか、サンフランシスコ講和条約で日本はこの裁判を受け
入れたものとかいうのはもともと間違いです。
--また長くなりますので、この件に関しては稿を改めて述べさせて頂きます--
「日本の敵は日本人である」と言った人がいますが、昭和30年代、あるいは
せいぜい1970年代ごろまでの日本の歴史教育に根付いた自虐史観を信奉す
る政財界人やマスコミ人が中枢に多数いて、中国側の議論にた易く乗せられて
しまうのです。ーー彼らは民主主義国家における国益というものを、一体どう
理解しているのでしょうか?
「伝統や文化を放棄した日本は没落する。日本は、明治維新以来、他のアジア
諸国ができなかった偉業を成し遂げ、人類の歴史にも多大な貢献しました。そ
れが、たった一度戦争に負けたぐらいで、自分たちの歴史にプライドを持てな
くなっています」と、ある韓国人が嘆いています。
かつて日本人を尊敬していたアジアの国々からも、嘲笑と憐れみをもって見ら
れています。80年代、ASEAN諸国は「ルック・イースト」を合言葉に、
戦後の荒廃から立ち上がり経済大国として甦った日本に見習おう、と、日本の
やり方を懸命に学びました。
ーーASEAN諸国の指導者も、日本に尊敬と敬意をはらっていました。
それが、いつの間にか軽蔑の視線に変わっているのをご存知でしょうか?
ルック・シーストの提唱者、マレーシアのマハティール前首相も「今の日本は
衰退しているように感じる」と慨嘆されています。
└──────────
記事のページに戻る┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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