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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 甦れ!日本外交、頑張れ!外務省(1) ―――――― 2004/11/12

「外務省はいつからオカシクなったのか?」といえば、ではどこまでは順調に
推移していたかということになります。大雑把にいって、完敗した大東亜戦争
以降を振り返ってみると、1989年の昭和天皇の御大喪が戦後の一つの区切
りのような気がします。

御大葬では、世界の164ヶ国が、多数の元首・首相クラスを含む弔問使節を
送ってくるという、世界最大の葬儀でした。それが日本という国に対する各国
の敬意や尊敬の念の表れだったことには間違いありません。

ちょうどその後、日本経済はバルブ景気のピークを迎えおかしくなりました。

1年後の1990年には湾岸危機が起り、翌91年は湾岸戦争です。その間に
日本は、湾岸戦争で合計一兆五千億円という多国籍軍参加国中最高額の戦費を
負担したのにも関わらず、クウェート国がワシントンポスト紙に掲載した湾岸
戦争参加国への感謝の広告の中に、日本の名前が掲載されないという屈辱的な
目に遭って茫然自失しました。

それ以降は、日本経済もバブルがはじけて、国全体が一種の失速状態となり、
今、やっと回復基調にあるとはいえまだまだ油断のできない状態が続いていま
す。
その間も外交は途切れることは許されませんから、90年代も、様々な事態に
それなりに対応してきてはいますが、日本外交全体の軌跡を描いてみると90
〜91年までは総じて低迷飛行といってもいいのではないでしょうか。
日本丸は明確な目標に向かって飛んでいない。どうも、日本の外交らしい外交
が少ないという感じがします。

その理由として先ずあげられるのは、国際的には冷戦が終わったことがありま
す。米ソ対立がなくなった後、世界がどのように動くのか、その中で日本はど
ういう位置を占めるべきかという議論が十分なされうちに、湾岸戦争で恥をか
き、また経済は深刻な不況へと入って行きました。

―― 国内政治では、

竹下登内閣が退陣したのは89年です。その後は、短命な宇野宗佑内閣、海部
俊樹内閣と、竹下派に支えられて自民党政権が続きましたが、宮沢喜一内閣で
自民党は政権の座から降りてしまいました。

その後、さらに混迷の度は深まって、細川内閣、羽田内閣、村山内閣と、猫の
目のように短期間で総理大臣が代わります。政権と共に、外務大臣もコロコロ
代わることになりますから、国の一貫性を示す確りした外交ができなくなって
今日まで至ってしまったといえるのではないでしょうか。

小泉純一郎内閣になって、国民の人気に迎合するように、田中真紀子氏という
外相の資質など全くない人が外務大臣になりました。これは小泉首相が外交と
は何かということを十分に理解していなかったからです。

これに公金流用事件、鈴木宗男事件なども加わって、また、瀋陽の亡命者連行
事件まで起こり、国民一般からは外務省のモラルが問われ、多くの省員のプラ
イドや自信もなくなり、省全体が惨めな状態となっていきます。

巨視的に見れば、日本外交の転機は1989年〜〜91年の冷戦終了後、国際
情勢が大きく変った時ですが、もっと前から日本外交がおかしくなったという
意見もあります。

―― 外交の失速という観点から、

アジア外交で日本が大きく譲歩したと思うのは、82年の宮沢喜一官房長官に
よる近隣諸国条項です。これは、教科書検定でのマスコミの誤報が素になって
以後、教科書検定の基準に「近隣諸国への記述に配慮する」という一項目が追
加されたことです。

これは大変重くて、あらゆるものに影響を及ぼしています。ーー日本の教科書
が「侵略」を「進出」に変えたと誤報され、その誤報に基づいて中国が文句を
つけてきたのに頭を下げた国辱的な事件でした。

宮沢氏は「わが国としては、アジアの近隣諸国との友好親善を進めるうえで、
これらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任により是正する」という官房長官
談話を発表しました。これが、現在に至るまで首相の靖国神社参拝から教科書
検定まで、あらゆる問題に悪影響を及ぼしているわけです。

官房長官は外務省とは別だという見方もあるでしょうが、国家の主権に関わる
中枢に位置しているという点では同じです。これが諸悪の根源ではなかったか
と思われます。

―― その次は85年夏の靖国問題です。

中曽根康弘首相は、8月15日に、竹下蔵相、安倍外務大臣と公式参拝をして
います。ところが、朝日新聞が「今、なぜ?」というキャンペーンを張りまし
た。社会党と、総評傘下の労働組合が当時非常に強かったのです。

キリスト教関係の団体も騒いだため、85年8月22日、中国国営通信社の新
華社が日本叩きを始めました。おりしも9月18日は「柳条溝事件」の記念日
で、これを機に中国国内に権力闘争が起りました。

これは中曽根氏の回想録にもありますが、結局、中曽根氏が譲ってしまいまし
た。自分が靖国神社に行くと、胡燿邦が保守派に攻撃されて失脚するのではな
いかと考えたのです。中国の内紛に影響された中曽根氏は、9月30日の秋の
例大祭を欠席しました。ーーこれも後々波紋をおこします。

その後、藤尾正行文部大臣が、月刊「文藝春秋」に日韓併合に関する歴史観を
書きました。これを藤田公郎・アジア局長が、文藝春秋にゲラの段階で「見せ
ろ」と言ったとか否とかで大騒ぎになりました。その後87年、柳谷謙介外務
次官が記者懇談会で、小平氏を「雲の上の人」と評したことが外交問題にま
で発展して、柳谷次官は辞任しました。これは結果的に、外国による人事介入
を許したことになるわけです。

―― 87年には光華寮問題が起ります。

光華寮は、本来、中華民国(台湾)の寮ですが、北京側が「二つの中国を認める
な」と、中国への移管を主張しました。(清朝政府が京都に建てた中国人留学
生向けの寮「光華寮」を巡る所有権問題で、中国側は高裁で敗訴しましたが、
これを「日本政府による『2つの中国』を作る陰謀だ」と非難したものです)

翌88年には、奥野誠亮国土庁長官の、近代史や靖国参拝に関する発言があっ
て奥野氏は辞任しました。この一連の発言と日本側の対処を検証してみれば、
日本外交の戦後が明らかになると思います。

―――― 不毛な謝罪外交からの脱却

日本政府が「過去の戦争の問題について、21世紀に入ったので決着済みとす
る」という明確な意志を表明することは絶対必要です。どこかの時点でこれを
しなければ、永遠にトラブルを引きずることになります。たとえそれが一部の
外国から受け入れられないとしても、日本政府としての意志表明は必要です。

アメリカでは、米軍統合参謀本部議長、つまり三軍と海兵隊を入れて四軍司令
官のトップになったジョン・シャリカシュビリという陸軍の将軍がいます。
彼が議長に任命されたときに、彼の父親がウクライナ人で、第二次大戦中ナチ
スの特別部隊SSの将校だったという事実が指摘されました。

シャリカシュビリは、4・5歳のころ父親に連れられ、ヨーロッパからアメリ
カに移民してきたわけです。ちょうどコーリン・パウエルと同じように。
そのためにアメリカの一部では「ナチスの子供が米軍のトップになる」という
論評がでました。

しかし、すぐにシャリカシュビリ将軍の立場をとったコラムニストが「人間は
自分ではなく父親のした事で処罰を受ける理由はない」と書いて、それで議論
は終わりになりました。

日本の戦争行動を、まったく同じ次元でスパッと切り捨ててよいのかどうかの
議論の余地はあるかもしれませんが、少なくとも、自分たちは直接なんの関係
もなかったことに対し、いつまでもいつまでも非難を受けるべき理由はない、
ーーという事例です。

遠い過去の出来事が、時代の背景から切り離され、政府対政府、あるいは国民
対国民の問題として外交の武器に使われている。その結果、贖罪外交が日本外
交の一部分を占め、非常に強く機能さえするわけです。そのへんは決着をつけ
ないといけません。

―― 典型的なのは、1995年の村山談話です。

村山談話は「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤まり、戦争への道を
歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、と
りわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました。私は、未来
に過ちなからしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受
け止め、ここに改めて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明
します」というものです。

この談話は、日本の対外行動全てを「植民地支配と侵略」と規定しています。
しかし、当時日本軍が進軍していった国々(地域)は、既に別の国によって植民
地とされていました。日本は、アジア諸地域を植民地にしている欧米列強に対
して戦いを挑んでいったのです。ベトナムやインドシナにしても、彼等が平穏
に自立しているところへ進出して植民地支配したというのとは全く違います。

それを、何の思慮もなく「植民地支配をして申し訳ない」と謝罪して、さらに
悲しい事にはその謝罪なるものが、中国側からはまったく謝罪として認められ
ていないという、この悲喜劇です。
やはり日本政府として、キチンとした意思表示をすべきでしょう。

世界の歴史をみると、一定の時期が来れば、すべての事象は過去の事になると
いうことで人類はきたわけです。これはひとつの知恵だったのではないかと思
います。21世紀に入っても尚、中国が同じ手法を続けるということは、日本
と中国の関係を悪くするだけで何のプラスをも齎し(もたらし)はしません。

日本の若者には、江沢民氏に好意を持っていない者が多い。

李登輝氏の訪日ビザ問題にしても、大多数の日本国民は「なぜ、こんなことに
までいちいち干渉してくるのか」と感じています。

教科書問題にしても、韓国の新聞が日本の贖罪を求め、学問的な事実検証に関
しても論点が分かれ、且つ教育的配慮の上からも問題のある事柄にまで日本の
教科書に書き込めという論調を続けるならば、韓国人同様、日本人にも自尊心
がありますから、特に若い世代は、せっかくワールドカップ共催や韓流ブーム
で仲良くなりかけているのに、反発して、そういうムードが壊れてしまう恐れ
もあります。

しかしその江沢民氏も権力の座から降りました。

この機会に、日本の総理大臣が新しい中国の指導者胡錦涛さんと会って
「この件は、我々は心の中の問題としてもちろん覚えている。しかし今の日本
人の世代にはもはや責任のないことなのだから、あなた方はもう言わないで下
さい。言えば言うほど、せっかくの日中関係は悪くなるだけです」
と、勇気をもってズバリ表明してほしいものです。

―――― 戦前の外交と戦後の外交の比較

陸奥宗光に代表される「戦前の外交はもっと強か(したたか)だった」という説
を唱える人がいます。ーー果たしてそうだったのでしょうか?
┌--------
│編集部注:陸奥宗光
│
│明治期の政治家で、特に外務大臣としての活躍が有名です。イギリスとの
│不平等条約の改正を担当した他、日清戦争や三国干渉を巡る日本外交の立役
│者でもあります。日清戦争の後には、持病の肺結核が悪化し、明治30年
│(1897年)に療養先のハワイで没しました。享年53歳。
└--------

昭和20年8月15日に日本が戦争に敗れた直後、アメリカの戦略爆撃調査団
が、砲艦アンコン号に乗り込み東京湾にやってきました。調査団の目的は、B
29による戦略爆撃が、日本の軍や政府などの戦争遂行意思にどのような影響
を与えたかを調べることにありました。米軍による空襲の被害で戦争をやめよ
うと思ったのか、あるいは影響があまりなかったのか、ということです。

そしてもう一つの調査目的は、日本がなぜ対米開戦に踏み切ったのかを調べる
ということでした。どう計算しても勝てるはずのない戦争になぜ踏み切ったの
か、或いは日本なりの勝算のシナリオがあったのか、を解明しようとしたわけ
です。

アメリカ側からすれば、当時の日本がいくら強くても、アメリカ・イギリス・
フランスなどを相手に長期の戦争に勝てるはずがない、引き分けで交渉に持ち
込むことさえ難しい、なのに一体なぜ全面戦争へと突き進んでいったのか。

ニッツェ氏の回想録によると「日本はなぜ対米戦争に踏み切ったか」と日本側
の軍民指導者すべての人たちに徹底して尋問した結果、その秘密を解くカギは
「ジリ貧」という言葉だったというのです。この言葉は、ニッツェ氏の知って
いる唯一つの日本語だとも書いています。

というのは、「なぜ戦争を?」という質問に対して、日本側のリーダーは口を
揃えて「もしアメリカ相手に開戦しなければ、日本はジリ貧になってしまうと
考えたからだ」と答えた、というのです。
近衛氏らは皆、「乾坤一擲、清水の舞台から飛び降りるつもりでも、やらなけ
れば日本はジリ貧になってしまう」と説明したそうです。

ニッツェ氏によると、日本側の指導者は、それ以上の戦略的な計算は何も持っ
てはいなかった。勝算もなく、どうやって引き分けに持ち込むか、和平工作を
するか、ということを考えた指導者は誰一人いなかった、というのです。

ただジリ貧を恐れるのみで日本のリーダーは戦争に突入していったとしか思え
ない、とニッツェ氏は述べています。彼は「信じられないほど無謀無策だ」と
も述懐しています。
もし、これが本当なら、外部の現実を直視しないのは戦前も戦後も同じ、とい
うことになります。

戦前は、とにかく軍事力の行使に走った。軍を出動させれば、紛争が解決でき
るという思い込みが強かったのです。しかし戦後は、国際紛争の解決手段とし
て戦争というものがあり、軍事力を行使する国が現実にいるということを認め
ない、認めようともしない。ーー国際的な現実を、好きでも嫌いでも先ず認め
た上で外交を展開するということさえ避けてしまうようになりました。

こうした戦後の日本外交の姿は、戦前、戦中の苦い体験から、あまりにも極端
に、あまりにも大きく、反対の方向に振り子が振れ過ぎてしまった..という感
が否めません。

                  = この稿つづく:次の記事へ =
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◇ 知らなかった。そうだったのか〜 ---------------------  2人  ( 3%)

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