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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ なぜ日本は戦わなければならなかったのか ―――― 2004/10/29

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┃┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「PACKMANさん」

歴史の事実は、見る立場によって違う面が見えるものですが、日本人として私
はこの通りだと思います。日本から見た日本の歴史をしっかりと後世に伝える
ことが重要と思います。
中国から見た中国の歴史、韓国から見た韓国の歴史、それぞれの正当性はある
と思いますが、日本から見た日本の歴史が日本人の歴史認識にかけていると思
います。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

仰るとおり、見る角度によって多少違って見えるものですが、真実はひとつの
はずです。それぞれ自国に都合の良い部分だけをピックアップして、国民向け
プロパガンダに利用しているうちはいいのですが史料の捏造はいけませんね。
歴史の捏造は犯罪です。
またそれを、他国民の押し付けるのはもってのほかです。

――ちょっと話が横道に逸れますが、

かつて、1987年、文部省が翌年から使用する高校用新教科書の全面改定を
終えた直後に、日本の左翼系新聞が、教科書検定のあり方を激しく非難しまし
た。
・教科書、さらに「戦前」復権へ「侵略」表現薄める――(朝日新聞一面)
・教科書統制、一段と強化――(朝日新聞一面)
・中国「侵略」を「進出」に――(毎日新聞社会面)
というようなタイトルが紙面におどり、もともとは「華北への侵略」「中国へ
の全面侵略」と表現されていたものが、文部省の検定によって「進出」と書き
直されたと激しく非難されたわけです。

その日本の新聞による文部省検定の非難に、アジア各国は素早く反応し、外交
問題にまで発展してしまいました。中国外務省が、日本大使館を通じて、歴史
教科書検定で「侵略」を書き換えさせたことは、中日共同声明に反するとして
正式に抗議し、同年8月4日には、韓国議員連盟が、記述是正を要求、さらに
長期的には日韓の専門家による教科書是正共同委員会を設置、教科書の是正を
図ることまでが要求されました。

ところが、です。

教科書検定において「侵略」を「進出」に変更させたという事実はなかったの
です。文部省記者クラブの些細な不注意により、歴史的な大誤報が6月26日
の、日本を代表する朝日・毎日新聞の紙面に載ったことの経緯を「歴史的大誤
報から教科書騒動は始まった」と題された記事によって幕を閉じました。

この記事によって、中国政府は抗議を取り下げ、韓国もそれまでの抗議を引っ
込めました。ことほど左様に、中韓両国は日本の歴史教科書には敏感に反応し
ますが、では、自国の歴史教科書は如何でしょうか。中国の場合、架空の南京
大虐殺を堂々と教科書で反日のプロパガンダに利用しています。

今度は南京大虐殺博物館を作り、世界遺産に登録を申請したときいています。
この南京大虐殺を話し始めると非常に長くなります。ご要望があれば、日を改
めて詳細にお話しましょう。

└──────────
┌──────────「lonesome carboyさん」

ご子息と同年代である42歳の私ですが、「ABCD包囲網」は知ってます。
しかしながら、ここに書かれてあるような、マクロ的な時代背景や状況などは
一切教わった覚えはありません。
----日本が悪い、の一点張りの教育だったような気がします。

マッカーサー元帥が米議会で「日本は主に自衛の為の戦争であった」と証言し
たとされる記録や、東京裁判の不当性を挙げる欧米識者の声などが、あまり世
に流布されていない事が悔しいです。
自らの偽善や不当性を認める立場になる側が世界の趨勢だから仕方がない事で
しょうが。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

「知らぬは日本人ばかりなり。戦後、日本は東京裁判史観で教育されてきた」
と、以前「私見:東京裁判の検証」でも述べましたが、東京裁判の法的根拠と
なった裁判所条例は事後法です。
事後法で裁くのは、人権宣言以前への逆戻りであり、リベラル・デモクラシー
の成果をことごとく否定するものです。

国際法には、国家が行った「侵略戦争」の責任を個人に取らせて、個人に刑罰
を加える規定などどこにもありません。

彼等が無理矢理でっち上げたのが「平和に対する罪」と「人道に対する罪」で
したが、判事の一人であるインドのパル判事は「侵略戦争を準備し、またこれ
を遂行するという事は、第二次大戦当時、犯罪ではなかった」ことを証明し、
「あれは、法律にも正義いも基づかない裁判であり、法律的外観はまとっては
いるが、本質的には、執念深い報復の追跡である」と結論づけています。

このような大切なことを、自国民に教えていない政府がどこにありますか!?

└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」

gosakuさん、こんにちは。私の知っている限りではこの通りだと思います。

◆私は42歳です。学校では日本の近代史は教えてもらえませんでした。

◆米国がハルノートを日本に提示した原因の1つに「日中戦争中の蒋介石氏が
米国に対して日米開戦するように要請したから」もあると去年ぐらいのNHK
テレビの特集番組で機密外交文書を基に紹介していました。
石油がなくなることの恐怖は、70年代の『オイルショック』以上だったので
しょうね。 

◆不思議なのは、どうしてタイ王国はあの時代に独立を保てたのでしょうか?
「強力な軍隊を持っていた」と聞いたことはありませんので、外交努力が原因
なのでしょうか?

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

タイ王国が、欧米からの侵略から免れ得た理由を簡単に言いますと、反共政策
を貫き、また、巧みな外交政策で時の列強間を泳いできた結果でしょう。

――経緯を説明しますと。

ラーマ5世(在位1868〜1910、別名チュラロンコン大王)は文明開化と
中央集権の統治機構近代化を進めた、タイの明治天皇といわれています。
国王は、外国人政府顧問の指導助言により、近代的官僚制度・軍隊・学校教育
制度を文明開化し、またメナム河下流域に運河網を開さくして輸出米増産体制
を整えました。

欧米のアジア植民地のなかで、タイ王国だけが独立国として生き残った理由は
1896年の英仏協定で、タイを両勢力の緩衝地帯とし、植民地向け米倉とし
て扱うという合意によるもので、その代償としてタイは、国境領土を1904
年フランスヘ、1909年イギリスヘ譲りました。

20世紀に入ると、タイは第一次世界大戦で連合国側に参戦し、戦後には国際
連盟に加盟し、国際社会へ参加するようになりました。また民族産業を育成す
るために華僑の経済支配を抑制し、そのタイ国民への同化を促しました。

1940年には、インドシナ国境領土の返還を果たし、日本軍が駐屯していた
太平洋戦争期には、特別円借款による軍需物資を調達、1942年米・英両国
へ宣戦布告し、1943年、英領ビルマ−マレー国境領土の奪還を果たしまし
た。1944〜45年になると、抗日自由タイ勢力がピブンに代わって政権を
握り、米印軍進駐下の戦後タイの復興に努めました。

政界へ返り咲いたピブンの戦後政権(在任1948〜57)は反共親米政策を掲
げ、1954年東南アジア条約機構(SEATO)に参加し、ヴェトナム戦争の
米軍基地を提供、米国の軍事・経済援助のもとで経済開発をはかりました。

1960年代になると、ビプン元帥失脚の後を受けたサリット元帥の政権(在
任1958〜63)が民間外資導入による産業奨励政策を唱えて工業化への途
を開拓するとともに、東北地方の農村社会開発に力を注いでいます。

└──────────
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┃┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
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┌──────────「野太郎さん」男性@三十代@会社員@愛媛県

読ませていただきました。私が思うに、1906年の日本と、1926年の日
本には、圧倒的な勢力の違いがあります。前者は海賊の子分で、後者は大海賊
です。日清・日露戦争当時、日本自体が英国の勢力圏下にあったという現実を
直視していない議論に思われます。

日本は、一次大戦を契機に列強として振舞う時間帯を得ました。長門は世界初
の16インチ砲戦艦です。この後、第二次大戦に至るまで、世界最強戦艦の一
つとして君臨し続けます。

日米対立に関して、人種問題が遠因、石油禁輸が近因だったという分析には同
意します。しかし、米国の戦争(開始のための)努力はすさまじく、日本は真珠
湾攻撃を仕掛けるように仕組まれます。実際、米国と日本が深刻な対立を始め
た昭和14(1939)年には、ドイツが戦争を開始していました。

真因は、米国の英国に対する覇権争いであり、世界を「民主化」しようという
狂気がその源泉にあると思います。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

何時もながら「野太郎さん」のコメントは「天才のひらめき」文で、僕なんか
の石頭ではなかなか理解できません。
┌--------
私が思うに、1906年の日本と、1926年の日本には、圧倒的な勢力の違
いがあります。前者は海賊の子分で、後者は大海賊です。
└--------
1906年の日本は誰の子分でしたでしょうか?

日清戦争当時、世界各国は「眠れる獅子を起こした日本は手痛い目に遭うだろ
う」と、日本の無謀さをあざ笑っていました。
南下政策を続行するロシアと利害が対立する英国は、日本と日英同盟を結んで
ロシアを牽制します。「野太郎さん」のおっしゃる、1906年当時の日本の
親分とは英国でしょうか?

そして、突然戦艦長門が出てきますが、日米対立との関係は?いまいち理解で
きません!そして、真珠湾攻撃ですが、これはアメリカが仕組んだ罠であった
というのは判りますが、
┌--------
真因は、米国の英国に対する覇権争いであり、世界を「民主化」しようという
狂気がその源泉にあると思います。
└--------
というくだりがまたよく理解できませんね!「野太郎さん」に言わせると現在
のイラク戦争もまた、アメリカが、自己流民主主義をイラクの押し付けようと
した狂気なのでしょうか?

└──────────
 
┌──────────「野太郎さん」

―― gosakuさんの論の疑問点についてお伺いいたします。

「なぜ日本は戦わなければならなかったのか」に対する
野太郎のコメントに対するGOSAKUさんの答復、に対して

――○ 日清戦争についての評価

日清戦争は、日本にとって「白人との戦争」ではありません。清は白人国家で
はありません。このため、日清戦争で日本が勝利したにも関わらず、「白人の
植民地支配への抵抗」は特に盛り上がることはありませんでした。
日清戦争後「欧米帝国主義の利権漁りがいっそう激化」したとgosakuさん自身
が述べておられます。

しかるにgosakuさんは、「日本の防衛、白人の世界支配への抵抗運動としての
日清・日露という側面を抜きに、これらの戦争の本質は語れません」と述べら
れています。日清戦争は「白人の世界支配への抵抗運動」としては何も成功し
ていません。
その上でgosakuさんは、日露戦争と日清戦争を同列に置いておられます。
これは矛盾ではないでしょうか。ーー日清戦争は、朝鮮半島の支配権をめぐる
両国の勢力争いが表面化したものだと思います。

――○ 日露戦争についての評価

日露戦争は、確かに日本にとって「白人との戦争」です。しかし、戦費は欧米
財閥に捻出してもらい、戦艦は英国に発注していました。そして、この戦争の
結果、中国の植民地化はさらに進んだ訳です。

日本が、明治期に英国の影響下になかったというご意見は却下します。建国の
段階から薩長藩閥は英国閥そのものでした。1906年(明治末期)当時の日本
は、大海賊たる英国の子分です。
日英同盟は存在していましたが、日本の危機を英国が艦隊を差し向けて助ける
事は可能でも、その逆は不可能でした。

(三笠程度の戦艦ですが)戦艦8隻の小艦隊を、英国は8隊持っていました。
ーー日本には、1隊分の戦艦しかありません。
当時の日本は、明確に英国の子分でしかなかった訳です。

英国の世界戦略上、日本がロシアに喧嘩を売りに行ったのであって、その逆で
はありません。日英同盟を(成文化しようと)持ちかけてきたのは英国側です。

また、日本はロシアとの領土紛争を交渉で解決しようとしていた時期もありま
した。しかし、日露戦争当時の日本にとっても、ロシアと手を組むことによっ
て(世界一の海軍力を有する)英国と対決する選択肢は採りがたかったのです。
日本にとって最大の脅威は、親分たる英国だったのですが、何故か意識されて
いません。

――○ 空白の第一次大戦

gosakuさんの論の不思議なところは、世界史的な大事件である第一次世界大戦
とその影響について、一言半句も述べられていない事です。

この、第一次世界大戦の結果として英国は没落し、ロシアは革命が起き、諸々
の皇帝たちは立ち退かされました。英国の相対的没落は、彼らが開発した多く
の主砲塔を持つ戦艦、ドレッドノートを始点とする大艦巨砲主義において顕著
になっていきました。

一次大戦の被害を受けなかった日本と米国の艦隊整備計画に、英国は対抗でき
なくなっていました。
1926年(昭和元年)当時の日本は、英国の直接の影響は受けなくなっていま
した。この時の日本は、16インチ砲戦艦を持つ三大海軍国のひとつであり、
押しも押されもせぬ「大海賊」でした。
軍事史的には、「旧式の戦艦は意味をなさない」事で、英国の積み上げてきた
軍事的資産が不良品化したのが直接の原因です。

また、ユトランド沖で行われた軍事衝突の結果「大きい巡洋艦に戦艦用の大砲
を積んだもの」は懸念されていた以上に脆い事が判明し、その後の各国の艦隊
整備にその教訓が生かされる事になりました。

結果として、一次大戦後の日米の艦隊整備計画が実行に移されると、戦火で資
金(と人材)を失った英国は、残存艦隊があるにもかかわらず、その撃たれ強さ
に難点を抱え、その威を減じました。

「成金」という言葉がありますが、第一次世界大戦を含む大正年間が、日本の
興隆していた時期にあたるのです。当時、最高速で最大の主砲を搭載した戦艦
「長門」と日本の艦隊整備計画に対して、米英が採った対抗策が軍縮会議でし
た。
当時の米国で建造されていた「サラトガ」級(大きい巡洋艦に戦艦用の大砲を
積んだもの)は、撃たれ強さがない事が判明していました。これに対し、建造
中に関東大震災で被災し、解体される事となった日本の「天城」は、「サラト
ガ」と同じ(上記の)ものだとされていますが、戦訓を生かして装甲を設計に組
み込んでいました。

米国の軍事不良債権の処理に日本が付き合わされたのがワシントン軍縮会議の
内実なのです。
米英との戦争における日本の敗北は、この軍縮会議の結果として予定されてい
たものだと思います。

――○ 世界を「民主化」する

「民主化」の対義語は何でしょうか。私が思うに、それは「君主化」です。

実際に「君主化」されつつある地域を、今日見る事はできません。しかし明治
維新における日本の建国、あるいは満州国の建国は、その地域の正当性のある
君主を推し立てた事だったのに他なりません。

そして、その君主の持つ正当性は、血統によって保全され、次の時代へ続いて
いく訳です。
「君主のいない国」に住む人々にとって、世界の「君主化」は脅威でしょう。

しかも、大日本帝国が台頭する間、日本の領土拡大を通じて「世界の君主化」
は進行しつつあった訳です。古き盟約、いにしえの神話を苗床に、「君主制」
が世界各地に勃興する。
これは、君主国たる日本に住む人にとっては何の脅威にもなりません。
しかし、
原住民との盟約を踏みにじり、原住民の神話を冒涜してステーツ(states)を作
り上げた人々にとって、それは遺恨を晴らすために屍(しかばね)が蘇る音に聞
こえることでしょう。

そもそも、米国建国に際して茶法に反対した人々は、王に対して「税金を払わ
ない自由」を求めていたのであって、他の自由は求めていません。
「民主化」という言葉が実際に示しているものは、既にある王権を打倒する側
の決意であって、民意を神託として国政に採用する制度を構築する事ではない
のです。民意は、どこでも、選出された代表そのものによって踏みにじられて
いるのですから。

米国は、王室を戴く英国から独立しましたが、その力に、その海軍力に、長く
怯えさせられていました。米国は英国から生まれましたが、フランスの子供な
のです..ニューヨークに据えられた「自由の女神」が示しているように。

一次大戦、そして二次大戦を通じて、米国も英国も共に二度とも「戦勝国」に
名を連ねました。しかし、この二つの大戦の前にあった有力な君主国は、その
多くが瓦解し、勝ち残った英国も米軍の駐留する国、事実上の保護国となりま
した。ーー覇権国家が入れ替わったのです。
米国は、この二つの戦争によって成り上がったのです。

米国が、二次大戦に参戦するために日本を利用した事は、ある程度は解明され
ています。ただし、米国のダレス氏らが当時のドイツにどのように「肩入れ」
し、いかにして「英国の敵」を育て上げていたのか、私も修行不足で説明しき
るのは困難です。
米国は、世界を「民主化」する事によって、多くの王権を打倒することによっ
て、土着の正当性を一掃する機会を常に窺っています。日本にとって、本当に
危険なのは彼らの急進的な「歴史」と過激な「伝統」だと私は考えます。

――○ ABCD(アメリカ・ブリテン・チャイナ・ダッチ)包囲網

今回の記事におけるgosakuさんの論旨は、ABCD包囲網(アメリカ・ブリテ
ン・チャイナ・ダッチ)という言葉を通じて「なぜ日本が第二次世界大戦に踏
み込まなければならなかったか」という事に繋がるはずです。
gosakuさんとしては
『日本は「自衛」のために行動していたんだ。その当時の行動は、広義の「自
衛」に相当する。日本はその前からずっと欧米諸国に狙われ、脅かされていた
んだから』
と主張されているのだろうと私は思うのですが、それでは細部の要点に誤解を
招くと思い、先のコメントをさせて頂きました。

私の意見を言わせて頂ければ、日本を脅かせる国が19世紀には複数ありまし
たが、これは一次大戦を機に一国(=米国のみ)に減じております。
大恐慌後に日本軍が中国で戦っていたのは確かですが、安定した製品の輸出先
が別にあったとしたら、戦闘も政治工作も激化しなかったのではないかと私は
思います。

日本は、二次大戦に至るまでの大艦巨砲主義の中では大海賊であり、脅かせる
のはA(America )だけです。Bは既に他国(ドイツ)と戦争中ですし、CとDの
海軍力は論外です。しかし日本は、なぜかより弱いBCD包囲網を突破せず、
わざわざヴィンソン計画を実行中の米国を攻撃し、「5+5対3(より悪い)」
の勝負に打って出ました。

本国に占領されたフランスとオランダの植民地を、正々堂々と宣戦布告して奪
い取るだけで崩壊した「ABCD包囲網」を実効性あるものにしてしまったの
は、日本の戦略に問題があったからです。

現在の私は、二次大戦当時の日本には工作員が潜り込んでいて、「米国を攻撃
して開戦」するように仕組まれたと考えています。「戦わなければならなかっ
た」状況に日本は追いつめられていたのかもしれません。
しかし、
どうして英蘭のみに堂々と宣戦布告し(て米国の参戦を回避しようとし)なかっ
たのか、今では不思議に思えてならないのです。

1940年の選挙で、「参戦はしない」「米国人を戦争には送らない」と約束
して当選した大統領を、1944年の選挙まで放っておいても実害はなかった
はずなのに・・・。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

「野太郎さん」の見識には脱帽です、、僕は逃げ出したくなりました、、、。
僕の石頭はもうパニックで「野太郎さん」とは議論を闘わせていく資格がない
ように感じます。!ゴメンナサイ!

└──────────
 
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」

野太郎さんの見解は、以前と比べますと、だいぶ分かりやすくなってまいりま
した。(^^) 専門的になり過ぎないよう、知識のあるgosakuさんだけを対象と
して書かれるのではなく、普通の読者の方々も視野に入れられて書いて頂ける
と、より読み応えのあるものになるのではないでしょうか。

ーーこれからも、よろしくお願いいたします。

└──────────
┌─────────「ケイジャンさん」男性@六十代@埼玉 2005/08/19

gosakuさん、野太郎さん ありがとう。_(._.)_

私は昭和16年生まれですが、中・高の受験教育の影響で「近代史」は省略さ
れ、「なぜ、日本は太平洋戦争をはじめたのか?」を学ぶ機会はありませんで
した。

今まで、太平洋戦争に対する「左翼」「右翼」の感情的応酬を目や耳にする事
はありましたが、客観的分析に出会うことはありませんでした。

先日、05/08/13の朝日新聞中の「半島一利さんがつづる戦争」を読み
一つの見方を知りました。

そこで、ネットで「太平洋戦争 なぜ」で検索したところ、gosakuさん、野太
郎さんのご意見にお会いすることができました。ーーーおかげで第2、第3の
見方を知ることができました。

戦争はお互い(国も個人も)がお互いの権益(特権)を守ろうとする「過剰防衛」
から始まったように感じています。
これからの日本が、戦争をしてまで守らなければならない権益を持たず、近隣
諸国の脅威とならず、安全保障を得られる道はどこにあるのでしょう。

└──────────
 
┌──────────「野太郎さん」男性@三十代@会社員@愛媛

ケイジャンさん、ご意見ありがとうございます。

「戦争をしてまで守らなければならない権益」を持たなければ、「近隣諸国の
脅威とならず」に済み、結果として安全保障を得られるのではないか、ーーー
とケイジャンさんはお考えになっておられるものと思います。

私としては、----申し上げにくいのですが----小国(小乗)路線も安全保障には
程遠いのではないかと考えています。

仏法を尊び、中道を邁進することが、個人としても国家としても望ましいので
しょうが、自らの欲望が満たされないことを悟り、欲望そのものを断ち切って
いくことを推奨する仏陀の教えは、家や家族や性愛を是とする俗人には過酷な
ものかもしれません。

また、「自分が殴らなければ、他人も殴ってはこない」という前提は、相手が
酒や自分に酔っていた場合は適用できません。―――権益を塀の中に持ってい
ても、その塀を崩して侵入を図る個人や国家もあります。
近隣諸国の脅威となった上で自らに厳しい戒めをかけることこそ、俗人と世俗
国家に囲まれた中での安全確保の方法ではないかーーーと私は考えています。

└──────────
┌──────────「通りすがりのブサヨさん」男性 2007/02/14

gosaku様、 OJIN 様、ちょっと失礼いたします。

野太郎様が、もっと普通の方に配慮するほうがよいというご意見のように思え
ますが、正直なところ、近現代史に絡むこのような話をされるのであれば、知
識というものは必須ではないでしょうか。ーーー野太郎様が、知識のない方に
対する配慮に欠けているのではないとおもいます。

歴史論を語ること(サイト主様のしてることはこちら)と、歴史を学ぶことは全
然別なことですが、歴史を学んでいないのなら、歴史論を語ることはできませ
ん。
しかし現実には、たとえば日本陸軍史、海軍史、或いはマスコミについて(大
きな図書館に行けば、当時の新聞の縮刷版や雑誌の復刻版ぐらいありますよ)
文献に当たることもなく、いっぱしの歴史通を気取る方が多過ぎるように思い
ます。

ーーーgosaku様は、たぶん私の父よりも年上でしょう。

私が子どもだった頃は、戦地から生きて帰ってきた方も結構存命で、腕を見せ
て「ここに弾丸が埋まったままなんだ」とか、錆びた「ゴボウ剣」を見せても
らったこともあります。何よりも、駅の地下道でアコーディオンを弾く「傷痍
軍人」の姿を私自身見たことがあります。

gosaku様は、私などよりよほど実体験としてご存じのはずです。私はそういっ
たgosaku様自身の「語り」を聞きたいと思います。

藤岡さんという偉い先生が書いた本の中で、広島慰霊碑の「安らかに眠ってく
ださい、過ちは繰り返しませんから」の碑文に言及し「過ち」を「日本による
侵略」ととらえていましたが、本当に「過ち」とはそういう意味なのでしょう
か。
私は「核兵器が使われること」が「過ち」だとしか読めないのですが、私の考
えは間違ってるのでしょうか?ーーーご教示いただければ幸いです

└──────────
 
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」

gosakuさんは昨年脳内出血で倒れられてから、元通りに回復するのはほぼ絶望
的というご子息からの連絡を頂いておりますので、gosakuさん自身の「語り」
は望めないと思いますが、現在連載中の大澄国一さんの「八路空軍従軍記」も
実体験の記録でございます。閲読をいただけますようお願いいたします。

└──────────
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┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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