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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
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☆ このままではダメだ!日本の教育 ―――――――― 2004/10/15
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┃●┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「やんちゃさん」
最近の学校の運動会では、徒競走をしても等別の差を設けないらしい。1等も
6等も同じ評価、同じ賞品。
「皆同じは、一番不平等」。私が小中学校を過ごした昭和20年代から30年
代は、普段勉強ができない子も運動会では足が速く鼻を高くしていたものだ。
運動から自信をもち、勉強もできるようになることは経験上からも言える。
「ゆとり教育」も反対だ。「育て教える」のが「教育」ならば「ゆとり」があ
ることに不思議を感じないのだろうか。勉強が好きな子はいるかもしれないが
「イヤイヤ」するのが本音ではないだろうか。ある歳までは「飴と鞭」で教え
育てることは必要だと考える。
└──────────
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┌──────────「gosakuさんから」
「やんちゃさん」もそう思いますか!
徒歩競争で思い出しましたが、エッセイストの大宅映子さんが、小学校の運動
会の百メートル競争のことを書いていました。ーー子供たちは、最後のゴール
まで競争しません。
70メートルぐらいのところで、速い人は足踏みして遅れた子供たちを待ち、
みんなで手をつないでゴール・インするというのです。それを見て、親や先生
方が「麗しい(うるわしい)」と拍手するのだそうですが、これは異様な光景で
はないでしょうか。
そのような徒競走を「麗しい」とする教育は、努力というものを全く無視した
教育だといわざるを得ません。上のレベルに合わせるには相当な努力が必要で
すが、下のレベルに合わせるのはいたっては簡単なことです。
――「ゆとり」教育とはなにか。
それは、学校生活に対するゆとりです。一つのことにじっくり取り組むための
時間的ゆとりといえるでしょう。そのため、週2時間削減され(完全週5日制
になり)、学習内容も3割削減されているのです。基礎基本と関わって、ゆっ
くりだけが求められているのではなく、学習内容の着実な定着が求められてい
る点です。
ーー「ゆとりをもって100%習得させなさい」なのです。
└──────────
┌──────────「HAJIMEさん」
gosakuさん、私も、毎日毎日こう思っております。
そして毎日毎日、中国のスモッグの下で一人焦っております。まったくこの通
りだと思います。日本で、なんとなく生きてる人たちには分からんのでしょう
が、今の中国で生きていると、まず、いっと最初に痛感するのがこれです。
わたしのような、学者でも政治家でも博士でも大学出でもない虫けらが一人で
やきもきしてもまったく意味がないのが辛いです。「中国の台頭」という文字
が、やっと近頃新聞にあらわれるようになってきました。遅過ぎです。
私は開発区に初めて来た97年にすぐ「このままでは日本はヤバイ」と痛感し
ました。でも、日本のバッジをつけた偉い先生方は、私なんかより頭もいいし
何でも知ってるはずなのに、何か対策をこうじた気配がないまま今に至ってお
ります。
社会主義のはずの中国の方が、日本より競争むき出しでハングリーで不平等で
す。が、経済の電圧は高いです。
日本沈没を救う救世主は現れるのか?私は、結婚もしてない非国民なので言う
権利がありませんが、今の日本の親やってる大人のほとんどがダメだと思いま
す。先生も全部ダメです。政治家もです。再見!!
└──────────
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┌──────────「gosakuさんから」
えっ!虫けら?!
こんな楽しいレポートを毎週届けてくださる「HAJIMEさん」が、まさか!
とっ、と、と、とんでもない!
大学教授がなんだっていうのですか!バッジがどれほどのもんじゃい!
大学出なんかくそくらえ!ですよ。
彼らだって事情が許せば、貴女のように生きたい!と思っているのですよ。
HAJIMEさんは、僕たちの羨望・希望・夜明けの明星です。
僕も、今世は道を間違え、いろいろ世間のしがらみに縛られて、日本の田舎町
で“ちまちま”と果てますが、来世こそ!貴女のように自由奔放に海外で生き
てゆきたいと今から来世の夢をみています。
と!と!、また話が横道に逸れてしまいました。スミマセン!
ーー「HAJIMEさん」の(HAJIMEの近況通信)毎週楽しみにしております。
以下、例によって独断偏見による私見です。
これまでの教育は、規格大量生産に役立つ人材、即ち「忍耐強く、協調性があ
り、共有の知識と技能を持ち、個性と独創性のない」人材育成に努めてきた。
しかし子供たちは、こうした「画一化教育」が将来の社会では役立たないこと
が直感的に判ってきています。「学級崩壊」や「不登校」は「小さな消費者」
たちの教育サービス不買運動なのでしょう。
ところが文部科学省は、「心の教育」と称して、道徳教育の読本を与えたり、
奉仕活動を義務付けたりと、あくまで協調性重視の規格大量生産型教育を押し
売りしようとしています。
あまつさえ「ゆとり教育」の現在では、算数が得意でも円周率は3と教え、天
文に興味があっても星座は二つしか教えない。「知価社会」に向けて、子供の
好きなもの、得意なものを伸ばすのではなく、逆に学習を制限しています。
教育官僚には、規格大量生産社会のための「画一化教育」しか思いつかないの
でしょうか....。「ゆとり教育」とは、画一化教育のまま内容を空疎にして、
教師にゆとりを与えるだけのものではないはずです。
ーーとかく官僚には、前例主義と自己保身ばかりが目立ちます。
またまた長くなりそうですので、続きはまたの機会にします。再見!
└──────────
┌──────────「指宿 吉國さん」
歴史教育は、確かに、年代や簡単な表現が出来るだけで、終わらせています。
司馬遼太郎の様な、その時代の人々の思いが伝わってこそ、そこに学ぶ事があ
ると思います。
└──────────
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┌──────────「gosakuさんから」
今朝の新聞(10月18日)に、日・中・韓共通編集の歴史教科書が、来年5月
にも発売されるというニュースがありました。
中国側は、「この教科書を通じて、特に日本の若い人たちに真実の歴史を認識
してもらいたい」といっています。
日韓中の共同編集ですから、当然日本の主張も十分に取り入れられているとは
思いますが、、、さて、どんな内容になっているのでしょうか。
日本人の中には、いまだに極東軍事裁判の歴史観をひきずって「日本人は残虐
非道で、世界で最も悪い民族だ。騙まし討ちによってこの戦争の戦端を開き、
南京では三十万人もの民間人を殺した」ということを信じ、
アメリカが「自分たち(=アメリカなど)はアジアを植民地にしてきて、最後の
土壇場で日本の反撃にあったので、ABCD包囲網を敷いた上で、兎に角日本
をやっつけた」というようなことは、一切信じようとしません。
戦勝国側の観点から戦後教育をうけてきた人々は、みんな学校で「反日教育」
をされてきたという事ができます。
日本の学校で、日本の子供たちが、日本人の先生から「反日教育」をされてき
たという異様な姿が、ここ半世紀にわたってずっと続き、今、共通編集の歴史
教科書では、我々多くの日本人が認識する真実の歴史観が、どの程度盛り込ま
れているのか..大変興味深いものがあります。
└──────────
┌──────────「村上水軍さん」
海外在住の日本人にとって、日本人であるというアイデンティティーを保持す
ることは大事なことだと思います。
それには自分の国に誇りを持つことができないとね。
本当の国際人って 「私は日本人です」っていろんな国の人の前で堂々と言え
ることじゃないでしょうか?ーーそんな教育が必要だと思います。
└──────────
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┌──────────「gosakuさんから」
「日本人に生まれて幸せですか?」という金美齢著の本を読みました。
中に、
「日本人が日本の悪口を言う場合、それは、日本を良くしたいがために言って
いるとは思えないことが多い。彼らは、自分の国のことを悪くいうことが即ち
自分を貶めているのだということに気づいていない」
という一節がありました。
自分は日本人じゃない、とでも思っているのでしょうか?
戦争の時、日本兵がいかに残虐であったかを延々と話す人がいます。
そんな人に、「あなたの親や親族に兵隊さんはいなかったのですか?」と聞く
と「ウチの父親は兵隊でしたが、そんな悪い事はしていませんでした」という
答えが出てきて、僕は思わず吹き出してしまいました。
日本人の悪口を言っていながら、自分と自分の家族だけは別だと主張している
からです。それは例えば、渋滞に遭ったときに「何でこんなに車が多いんだ!
だいたい、日本は狭い国なのに車が多過ぎるんだよ!」などと言って、自分も
その渋滞の原因を作っているいることに気がついていないのと同じです。
そういう輩に限って、アメリカかぶれ、或いは共産主義かぶれしていて、自分
の国のことを知らない。中途半端に彼の国のことを記した本を読んだぐらいで
その国のすべてを知ったつもりでいる。そして、得意げに出かけて行って恥を
かいて帰ってくる。
どんなに勉強をしてあちらのことがわかったつもりでいても、あちらの国の人
には敵わない。あちらの人が、自分の国のことを日本人に聞こうとするはずが
ない。むしろ、日本のことを聞きたがっているのです。
だから、自分の国のことをよく知りもしない日本人はバカにされるのです。
日本人として日本のことがわかっていなければ、国際社会に貢献することなど
もできません。ある高校生が留学して、赤っ恥をかいて帰ってきたと聞いたと
き、さもあらん、と思いました。
彼は、日本の高校で、ろくに日本の近代史を教えてもらった事がなかったから
向うで聞かれた日本の文化や歴史のことを何一つ答えるができなかった。彼は
帰ってくるなり、明治以降の近代史の勉強を始め「源氏物語」や「方丈記」な
ども手にとるようになったということです。
ともかく、日本人は、自国のことを知らないまま、日本の悪口を言う不思議な
人種です。世界中でも、自分の国をこれだけ悪く言う国はないでしょう。そし
て、日本人が日本の悪口を言うとき、日本を愛しているからではなく、むしろ
憎み、突き放しているかのように感じられます。
現在の日本人にとっては、国とは、空気のようなものなのではないのでしょう
か..。空気がなければ生きていけないのに、その存在に気づくことは稀でしょ
う。例えば、ある知人は小学生のころ、一酸化炭素中毒で死にかけたことがあ
るという。
冬の寒いときに、近くの河原で火を焚いて仲間と過ごした折、寒さを凌ぐため
にビニールで周囲を覆ったため、酸素不足になったそうです。そのような事故
に遭って、初めて空気がいかに大切なものかということに気づくのでしょう。
国もそれと同じです。空気だから、その存在もありがたみも感じない。
ーーすると、だんだん全てのことを感じなくなります。
自分が、こういう組織のお陰で日々の糧を得ていることも忘れ、求めるばかり
になります。周囲の者に対しても求めるばかりになります。家族に対しても、
その中で自分は何ができるかよりも、何をしてくれるのかということ許り考え
るようになります。
親の庇護の下で生きていることを忘れるから、親をナメたり、蔑ろにしたりす
ることが平気でできるようになります。国家と国民、親と子供、教師と生徒、
あらゆる関係は、そういう意味でいえば全く同じ構造だといえるでしょう。
私たちは、空気に有り難う、と感謝する習慣がありません。だから、平気でそ
の空気を汚すような行為をします。ダイオキシンの発生にも無頓着で、ゴミを
大量に出す生活をしています。排気ガスを排出しながら車を乗り回す。
ーーそうした果てに、
汚れきって、生活に支障をきたすようにでもならなければ、そのありがたさに
気がつくことはないのでしょうか....。
└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」
gosakuさん、こんにちは。 全くこの通りだと思います。
◆自分の国や文化をよく知らないと、人間としては半人前だと思います。
日本では幼児教育として英語塾もありますが、「日本人なら、まずは日本語」
と思います。
◆学校の歴史の授業は、年号と出来事だけを教えるものだったので、全然、全
く、これっぽちも、面白くなかったですよ。やはり、背景や当時の人の思いが
分からないとダメでしょうね。……高専に入ってやっとそんな先生と出逢いま
した。
◆悪平等教育は、良くないですね。
私は短距離走や球技が苦手です。でも、別のことでがんばろうとバネにしてい
ました。「みんな仲良くゴール」では、バネができないですし、ちょっと違う
人を排除する「いじめの温床」になると思います。
└──────────
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┌──────────「gosakuさんから」
「ミカの赤い服さん」いつもアリガトウ御座います。
――またテレビでのことになりますが、
若い夫婦が「私たちは友だち家族です」と言っているのを見ました。
戦後、昔の封権的な家族関係がいけないということになって、親も子供も平等
がいいということになったのでしょう。しかし、人間がみな平等ということは
親と子供が同じ位置に立つということでなありません。
親には許されていることでも、子供には許されていないことがたくさんありま
す。ーーそれを「立場をわきまえる」といいますね。
大人というのは、子供を庇護する側に立ち、子供は保護される立場にたってい
ます。だから両者が同じでいいわけはありません。庇護する立場にあるという
ことは、大人に大きな責任が課せられているということです。
子供には、大人には敵わないなと思わせておかなければならないし、また、そ
ういう大人でなければなりません。最終的には自分の判断が正しいということ
を自分が信じていなくて、どうして子供を庇護することなどできるでしょう。
人間としては平等かもしれませんが、子供と大人とでは役割が違うということ
をワキマエナイ人間が増えてきたことが昨今の混乱を生じているのです。大人
には、子供を躾、保護し、教育する立場にあるということを忘れてはいけませ
ん。
そういう意味では、親子の関係は、上下の関係にあるといってもいいのではな
いでしょうか。かつては、親が上に立つというのは常識でした。もちろん、そ
れがよかった、昔に戻れと一概にはいえません。大人がみんな立派な親だった
わけではないからです。
そのための弊害も、たくさんありました。ひどい親もいたということを考えれ
ば、形だけで親が威張ってもいいということは不合理です。尊敬できない親を
尊敬しろというのも非常識です。だから、昔のとおりがいいとは思いません、
思いませんが、庇護する側と、庇護されるが側という立場があるということは
疑う余地がありません。
ーー僕が「友だち家族はおかしい」と言うのは、そういう厳然たる事実を無視
していると思うからです。なにがしかの強制をして、いう事を聞かせるという
ことができなければ、教育などできません。そのためには親に、基本的に権威
がなければ、教育はできないということになります。
母親を「くそババァ」と言い、先生を「セン公」などと言うことをゆるしてい
たのでは、親も教師も、教育などできないと思います。大人に対する尊敬の念
をどう持たせるかを考え、それを子供にも植付ける役割は、まず最初に親にあ
ります。
ーー「大人はあなたたちよりも偉いものだ」ということを刷り込むわけです。
そのためには、親自身が、それだけの権威と覚悟を持たなければなりません。
その覚悟がない人間には..親になる資格はないと思います。
またまた偉そうに..説教垂れてしまいました!お許しください。
└──────────
┌──────────「布施院 了さん」
教育が大切であることは確かであるが、そうかといって、現在の教育のあり方
が間違っているとは思えない。平等主義がいけないというであれば、昔のよう
な英才教育がいいという誤ったものになる危険性があり、民主教育の良い点が
否定されてしまう。
教育の機会均等という考え方が、戦後の教育では大きな役割を果たしてきたの
である。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
教育の機会均等:
すべて国民は、等しく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなけれ
ばならないものであって、人種・信条・性別・社会的身分・経済的地位または
門地によって教育上差別されない。
国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学
困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。
△△ 今更言うまでもなく、教育基本法第三条です。
しかし、▽▽このような声も聞かれます。
「教育機会の均等は、生徒・学生の個性や能力を無視した教育内容の均質化を
招いた」という見方です。
基本的人権における平等というのは大切な理念ですが、この世の中での平等に
ついては、お釈迦様もイエス様も約束できませんでした。基本的人権以外のと
ころで平等にしようとすれば、必ず悪平等になります。これが真理なのです。
努力した者にハンディをつけて、怠けた者に合わせるようにする平等主義では
日本の教育水準は低下するばかりです。「間違った平等主義は捨てなければな
らない」と思いますが....??
└──────────
┌──────────「lonesome carboyさん」
まったくそのとおりですね。教育は国を興すことも衰退させることも出来ると
思います。
日本と日本人を貶めたい勢力の人たちは、皆が歴史教科書に目が行っている隙
に、最近では英語の教科書や漫画などでその偏向教育を布教できる分野を拡げ
る動きを見せています。
例えば、○省堂の英語教科書での韓国に関する記述、休載になった○英社のコ
ミックなど。若年層を標的に、またさり気ない記述でマニピュレートしようと
する動き、非常に卑劣で悪質だと思います。
愛国心、というとアレルギーのある人が多いみたいですが、少なくとも日本人
から自信と誇りを奪うような教育だけは避けてもらいたいものです。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
民族の歴史から誇りを抹殺するということは、東京裁判(極東軍事裁判)の最も
憎むべき点でしょう。ーーこれが、日本人をどのぐらい屈辱的にさせたか判り
ません。
スマイルズは、国家の品格というのは歴史に対する誇りからしか生じないとい
うことを言っています。
この観点からみるならば、国の偉業を全部否定し抹殺しようとした当時のマッ
カーサーの日本に対する悪意には驚くべきものがあります。しかしそのマッカ
サーも、朝鮮戦争後は、明治以来の日本の行動に対する見方をすっかり変え、
前次の大戦についても、日本にとっては自衛戦であったと認めるに至っていま
す。
それについては、帰国後、公式の場で述べられているにも関わらず、日本のマ
スコミや教育界の主流は、東京裁判史観を持ち続けているという状況です。
東京裁判では、日本民族が為してきたことは、すべて悪とされました。
日本が負けたことは無念と思いますが、それは戦争なのだから仕方がないこと
です。だから、そのことでアメリカを恨む理由はありませんが、極東軍事裁判
を行ったことは許されるべきことではありません。
その後、公職追放が行われ、それまで公職に就いていた人々が一掃され、その
後は、東京裁判に肯定的な考えを持った人々が多数公職に就くことになりまし
た。特に大学やジャ−ナリズムには、左翼(的な考え方を持つ)の人々が流れ込
んでいきました。彼らの精神的な祖国は、ソ連であり、革命共産党でした。
戦前の日本の偉業を全て否定してかかった彼らが、教育の現場、教員の組合を
制し、日の丸を掲げるな、国歌を歌うな、と言い続けたのです。これが日本人
をどのぐらい屈辱的にさせたでしょうか。
日本人は戦争をし、負けた。
悪いこともした、しかし良い事もしたはずです。是々非々があってこそ歴史な
のです。ーーすべて否定することから、果たして何が産まれるのでしょうか。
└──────────
┌──────────「PACKMANさん」
その通り!!今必要なのは教育改革です。
成果が出るのに20年から50年掛かる問題です。
国会で、本気で討議すべきは教育問題で、個人攻撃や批判ばかりの国会は無駄
です。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
僕が痛感するのは、教育改革をするには、先ず「教員改革」を断行しなくては
ならない、ということが良く理解されていないという点です。
先生は、崇め、尊敬する存在でなけらばならないのに、子供は、先生のことを
「○○君がねー」といった感じで家庭でも話します。先生方も先生方で、何十
年か前に日教祖などは、「自分たちは聖職者ではなくて労働者だ」と宣言しま
した。ーーーーあの時から教育は崩壊したのです。
労働者なら、そこらへんの何処にだっています。でも、先生というのは、本来
そういうものではないはずです。人を育てるのですから、聖職に決まっていま
す。それを、自ら労働者と規定するのは、自尊心、自負心が無さ過ぎます。
「教師は、改めて徳と知識の双方を有して欲しい。そのためには、教師自身が
絶えることなく勉強を続けることが望まれます。生徒と保護者は、その結果と
して、教師に人格的権威を自然に感じるようになるのが理想です」
しかし昔ならいざしらず、今やそんな人格的権威を持った教師は皆無に近いよ
うな状況です。「教育とは何か」「子供を教え育てるにはどうしたらいいか」
といった、根源的な心構えを学ばないままで教職に就いた先生が多いのが原因
でしょう。
知識だけでなく、子供たちが悩み苦しむ過程でどんな助言をすれば立派な大人
になれるかをサポートするのも教師の仕事ですから、教育改革というならば、
先ず、素人のような先生でなく、本当の意味のプロの教師を養成するのが肝要
です。
教師が子供から尊敬され、信頼されるようになり、教師も子供に愛情を持ち、
「敬・愛・信」の教育を施していくべきです。
└──────────
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┃●┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
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┌──────────「野太郎さん」
gosakuさんの記事「このままではダメだ!日本の教育 2004/10/15」を拝見し
ました。日本の教育が危機的状況にある事は私も聞き及んでいますが、何点か
指摘すべき点があると感じ、筆を取らせていただきます。
○:日本の文化を継ぐという事は、日本の文化の善さを感じているという事と
同義です。それを感じられなければ、継ぐも継がないもありません。
日本の文化の中でも、生活や趣味に密着した部分は、廃れるどころか「唯一」
ここだけにある事を感じることもなく、拡大して発展しています。コンテンツ
産業の基になる作家群の質量は、様々な意味で圧倒的です。
しかし、実際に受け継がれ発展している文化は、特に援助や指導や規制を必要
としません。政府がカネを出し、ついでに口出しして文化を発展させる事がで
きるのか。そのような企ては過去にも少なからずありましたが、死屍累々とい
うべき有様でした。
○:日本バンザイ、というのは言おうといえば言えます。
しかし大日本帝国には、現人神としての天皇陛下があらせられましたが「今」
の日本国で「何の」安泰を願うのでしょうか。
天皇の「人間宣言」が戦後の急性アノミー(無連帯状態)の原因になっている、
と小室直樹氏は指摘されました。
日本の建国の正当性は、神話に連なる天皇の血統によるものであり、その土台
には、日本神話と神道(随神)が流れています。「政教分離」の最大の狙いは、
このような建国神話と国民との連続性を断ち切る事にあり、これを掲げた上で
の「愛国心」奨励は副作用を伴うと考えられます。
過去との連続性を断たれたままでは、「自分たちが現在属している」から忠誠
を誓う形にしかなりません。それは公共心にはなりにくく、単なる自己愛の増
幅装置として機能しかねません。
○:技術大国としての日本を維持する、維持しないという話に繋がっています
が、本当の問題は「少子化」による競争率の激減にあると思います。教育方針
や教育内容の与える影響より、人生の成功モデルとしての高学歴至上主義の崩
壊の方が、学習意欲や学習を促進する意欲の低下に直結しています。
○:三十代以上の人間なら、昭和の懐かしさというより「暑苦しい狭さ」を覚
えている筈です。大企業や高級官僚へ到達し、そこで減点主義の生き残りレー
スに勝ち残って、退職金も年金もゴッソリ貰う事が学歴の目的でした。
しかし、大企業はリストラ、省庁は再編され、市町村合併で公務員の首が斬ら
れまくっています。ペーパーテストで得られるものは、薄っぺらい地位です。
ですが、それに対する憧れそのものが失われているのに、誰がそのために労苦
を煩うでしょうか。
コンビニが乱立する前、洋酒は異様に高く、代わりに飲屋街は繁盛していまし
た。超高税率の累進課税のため、実質的に最もオイシイのは大手企業の高位高
官になって「接待」を仕掛けたり受けたりする事でした。会社の「交際費」を
流用し、「会社のため」に酒を飲む事が、結果としては横行し、憧れられてい
ました。このような慣例と商習慣の多くは、多くのスキャンダルと共に非難に
晒され、平成の現在では影を潜めています。
また、天職という言葉がありましたが、転職という言葉は痛い意味を持ってい
ました。「終身雇用」という言葉の後ろに、当時は「制度」という語尾が付き
ました。今なら「神話」という語尾が続きます。
会社は、入ったら辞められないし、会社も入れた人をクビにすることもできな
い。終身雇用というのは、多数の従業員を確保したかった高度成長期の企業が
暗黙の了解として被雇用者にチラつかせていたものです。
が、ライバル企業との競争の過程で、先にリストラ(出血)したほうがより弱い
企業体だと思われるため、意地でも雇用を確保して従業員(と地域社会)に優し
い企業だというイメージを演出するのに大手企業は躍起になっていました。
手厚い手当と報酬を与えない現在の企業に、健康を蝕む勢いで忠誠を捧げるの
は、効率的な稼ぎ方とは言えません。しかし、かつてはそれが出世の早道であ
り、王道であり、避けられない選択肢だった時期があるのです。
まずケータイがありませんでした。だから連絡が取れません。
何処で何をしてようと、家族には「仕事してたんだ」で済みましたし。
○:累進税率を下げようという意見は、何度か聞いています。
しかし、確かに最高80%という所得税率は無茶苦茶でしたが、その縛りが、
結果として大企業への憧れを生み、その憧れが学歴社会を構築し、その学歴社
会が教育産業を発展させて、現在の日本へ繋がっているのです。
累進税率が下げられ、企業交際費が排撃され、高級官僚の接待が排撃され、大
手銀行が再編されるに及んで、過去の日本の高給モデルは崩れ去りました。
ーーかくして、コンビニの前でたむろする現在の私たちがあるわけです。
○:ちなみに現在の日本では、球界再編問題で揺れていますが、赤字だという
割にはどの球団も、本来明かされるべき収支決算の数字を出していません。
これは、厳密にいえば親企業の「黒字減らし」のための機構だったという事の
証左で、のっとあからさまにいえば脱税(節税)の手口です。
税金は、企業の売り上げではなく、利益に対してかけられます。
「
福祉事業を大々的に展開している」という言葉だけ聞くと、米国の「成功者」
たちのやっている事はいかにも模範的な印象を受けますが、その目的が「税金
対策」でないという保証はありません。
美術館でも養育施設でも、スイートルームを構築して来賓に使わせる事はある
でしょう。まして、出資した寄贈者がそこを利用する場合、誰も文句は言いま
せん。
米国では、階層が大きく分かれている事を利用し、日本が国外にODAを行っ
ているような事を、国内に対して行っているのではないかと思います。
――(引用開始)
努力して、さらに運も手伝って、ついにアメリカンドリームを達成して大金持
になった人たちの多くは福祉事業を大々的に展開しています。
そうして、自分が得たものを社会に還元しているのです。
税金で強制的に取り上げて、役所がバラ撒くよりも効率的です。
――(引用終了)
●:私、野太郎が思うに、所得税率の低減と社会の暑苦しさの低減には明確な
相関関係があります。学校で何を言おうと言うまいと、塾や家庭教師で知識を
埋めていく努力は、若年人口の増大期には拡大して発展していました。
思うに、成功(=高給)モデルの提示に成功しない限り、暑苦しい雰囲気とギス
ギスした競争は若年層に定着しません。
「同情するならカネをくれ」という台詞は名台詞だと思います。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
「野太郎さん」のコメントは難解です。
長いのはかまいませんが、僕のアタマではなかなか理解できません。
ーー答復には少し時間を下さい。
└──────────
▼
┌──────────「mugaikojiさん」
gosukeさんの教育論についての野太郎さんのご意見は、残念ながら頭が悪く、
3回読み返してみましたが意味が理解できません。
それぞれの項目についておかしいと思うのですが、それを指摘し理解してもら
うにはいささか誌面が必要でしょう。ーー要するに支離滅裂です。
これが理解できる人は、そういないでしょうね。現社会に対する不満をピック
アップしぶちまき、且つあまり意味の無い事象を分離し独立させて、自己批判
を裏づけしようと援用法をだらだらと書いているに過ぎないと思います。
敗残者の論理を肯定して正当化し、恰も教育の大局的見地を述べている錯覚に
陥っているように感じられます。こんな分裂論理は理解困難と思いませんか?
政治や社会が悪いのは、自分もその一翼を担っている筈で、どうあるべきかの
展望に欠けた結果が、今日の日本の基底にあるのだと思います。
次に、布施院さんの教育概念にも驚きました。
教育の機会均等とは、個人の能力・人権に対応した受容概念であり、そのため
の社会制度があるべきでしょう。念仏のように唱えるあなたの概念には、民主
教育=自由教育=放縦教育という構図を垣間見たのは私ばかりでないと思いま
す。
例えば、生来の不具を背負った人達に、普通の教育生活を押し付けるのは人権
侵害です。100m競争で、わざと遅れた級友を待つのは、それぞれの能力に
対する冒涜です。
機会均等は、あくまでも個人の能力を引き出し伸張するものであるべきです。
日教組の教育論理には、人間性を無視した平等が罷り通った結果、その真意を
理解できなかったサラリーマン先生が、今日の反社会的人間ををつくったので
はありませんか?
国の教育を構成する最小単位である家庭で、少なからず存在する教育崩壊は、
あなたのような観念が作り出しているとしか思えません。
ーー優性・劣性は世の倣いではありませんか?
└──────────
▼
┌──────────「野太郎さん」男性@会社員@三十代@愛媛県
――「このままではダメだ!日本の教育 2004/10/15」
ーーに対する「mugaikoji さん」のご意見、及び、gosakuさんの論に対して。
‥‥支離滅裂ですか‥‥。
私は、gosakuさんの記事に対してコメントさせて頂きました。
私にとって「支離滅裂」なのはgosakuさんの記事なのですが、私のコメントこ
そが支離滅裂であると申されるならば、長文になると思いますが、何点か補足
させて頂きます。
―― 1.教育の話が、なぜ「(所得税)減税」の話に変わるのだ。
この点が、私が感じるgosakuさんの記事の「支離滅裂」さの最たるものです。
私は、この問題を論じるために、私の感じていた昭和と平成の違いを申し上げ
ましたが、ご理解いただけないのは私の修行不足です。
私の主張としては
「過去の所得税減税(と、様々なスキャンダル)によって、高給(成功)モデルが
破壊された結果、日本人の教育(競争)意欲も破壊されたのだ」
という事になります。
gosakuさんは、米国に倣って所得税減税を行い、成功者が寄付を行う形で敗残
者を「救済」するべきだと主張されていますが、それは一般的な節税の手段で
もあります。米国は、そもそも「王様に税金を払わない自由」を求めて建国し
た修羅の地です。
----原住民たちを迫害し、撃滅して今日に至っている事を彼らが「誇る」のは
勝手ですが、私は感動しません。
高い所得税率が高給(成功)モデルを構築し、結果として受験競争を助長したと
いう過去の経緯を振り返れば、「減税と競争」には直接の関係がない事はご理
解いただけるものと思います。
―― 2.祭りを支えるのは洗脳(教育)ではなく熱気(憧れ)だ。
日本の心、日本文化といいますが、現実に栄えている「日本文化」は、外国が
存在しようとしまいと栄え続けます。ゲームソフト・マンガ・アニメなどのコ
ンテンツ産業は、他ならぬ「日本文化」です。
浮世絵に対して、江戸時代の日本人がどれほど「誇り」を持って取り組んでい
たでしょうか。現在のコンテンツ産業と同じく蔑視し迫害する事はあっても、
それを飾りに思ったりはしていません。
祭りを支えるのは、熱気(憧れ)なのです。
学校で、教育で行えるものは洗脳の一種にしかすぎません。
また、「正解」が分かっていなければなりません。
教育で与えられるものはあくまでも「知識」であって、「頭の良さ」には関わ
れないのです。
行政が日本文化を「振興」しようとしても、簡単にはいきません。
―― 3.「誇り」の向き先
というのも、「誇り」を抱くことは必要ですが、それを表明する事と抱く事と
は無関係だからです。誇りを内面に保持している人だけが表明し、表明しない
人が内面に保持していないならば、話は簡単なのですが。
面接的知識として「得だから」表明する人の内面には、肝心要の本質が保持さ
れていません。また、保持している人に限って、普段は表明しないという事例
も少なくありません。
個人の内面において、自ら(と、自分の属するもの)に誇りを抱いていなければ
過去の知識に異を唱える事はできません。新機軸や改良や個性化は、この個人
の内面における自信が必要条件となっています。
ですが、外面的に「我が国は素晴らしい」とかいう事はできますし、学校教育
の中でそれを言わせる事もできますが、それ自体が何かを与える訳ではありま
せん。むしろ、政教分離によって国民と神話との連帯を失っている現在、その
「誇り」を外の世界へ表明しようとする事は、要らぬ対立を煽る事になりかね
ません。ーーその時点で、諸外国との比較を行わなくてはならないからです。
自らを良しとするならば、他は悪しとせざるを得ません。
その結果、現在の中国は日本との関係改善に対して負わなくてもよい負い目を
背負っています。----日本と中国の反目を望んでいるのは、両国の台頭を快く
思わない勢力です。要するに欧米とロシアです。
―― 4.少子化と競争のゆくえ
私が思うに、学力低下の主因は「学校教育の平等化」ではなく、「競争率の低
下」にあります。進学校同士の競争はありますが、その中心は私立校で、公立
校の多くは「競争」を失っています。競争率を上げ、人々の心に教育意欲を取
り戻すには、「模範になる成功への道筋」が必要です。
ーー所得税減税は「競争」を取り戻すよすがにはなりません。
むしろ、現在の会社で真面目に働いている人間にとっては勤労意欲を失わせる
方向に働く法改正だと思います。
この数年、特に増えたのは、老人保健施設とスロットマシンの店です。
私は、肩叩きとリストラの嵐が社会を享楽的な方向へ押し流している現状にお
いては、さらなる法改正は日本経済にとって危険だと考えています。
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┌──────────「気分は情報無限さん」
コメントボードや投稿欄に、様々な意見が収載されていますね。
ところでgosakuさんは「アメリカ人はバカなのか(小林至著 幻冬舎文庫)」を
読まれた事がありますか?私がこの本を読んで思い知らされたのは、「教育」
や「税金」の分野で日本がアメリカを見習う点は全くないという事でした。
現状ではよくないとは思うものの、決定的な解決策は見付からないですね。
但し、安易に「スパルタ教育」に走るのだけは避けたほうがいいと思います。
└──────────
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┌──────────「gosakuさんから」
気分は情報無限さんの読まれた「アメリカ人はバカなのか(小林至著:幻冬舎
文庫)」を読んでみます。有り難うございます。
しかし、一方的な見地からアメリカを見ると危険ではないでしょうか?
「可愛い子には旅をさせろ」が僕の信念です。
└──────────
┌──────────「mitskoさん」―――――――――― 2004/12/13
「祖父母の時代の人々がしたことの償いを、その時にまだ生まれていなかった
私達が負う義務・責任は無い」ーーと思っている戦後生まれの読者です。
嘘には3種類あるといいます。
一つは、何も根拠のない嘘、つまり作り話をする嘘。
二つ目は、言わない嘘、つまり知らんふりをする嘘。
三つ目は、一部だけ本当のことを言う嘘、つまり我田引水的な嘘。
一つ目の嘘(作り話)は、想像力豊かな子供の夢とかのように、悪意のない場合
もありますが、一般的には「嘘」とすぐに分かります。
二つ目の嘘(知らんふり)は、本人が嘘をついているとは思っていないこともあ
ります。しかし、尋ねられたことを、知っているのに「知らない」と答えるの
は明らかに嘘です。政治家がよく使う手法ですね。悪意よりも、保身が目的の
場合があります。
三つ目の嘘(我田引水)は、悪意ではなく、当人の思い込みである場合があり、
証拠などが示されるだけに、本人も周囲の人も嘘とは気づかないことがありま
す。ほとんどの歴史記録もこれに含まれるでしょう。もちろん、意図的にこの
ような嘘がつかれることも政治の世界ではよくあることでしょう。
イラクやパレスチナでは、石を投げるデモ隊を「武装勢力」、「攻撃された」
と評して、米軍やイスラエル軍がミサイルや機銃を使って反撃しています。
--このような情景は、以前はニュースでも流れていましたが最近は見ません。
gosakuさんが、歴史についていろいろ熱心に研究されていることには読者とし
て敬意を感じ、内容について共感する点も多々ありますが、教育について書か
れたものに、私はこの三つ目の嘘を感じました。gosakuさんは、日教組に対し
てトラウマがあるのかしら?と思うこともあります。ーーgosakuさんは何人の
教師を知っているのかな?−−よほどひどい教師だったのかな?・・・と。
教育の荒廃は、組織や時代の影響を無視できないとは思いますが、教師の資質
の有無のほうが大きいのではないでしょうか?
小学校の時、戦前から教師をしている人の何人かに習いました。嫌な教師がい
ましたよ。PTA役員をしている親の前ではペコペコ子供を褒めるのですが、
教室では子供に嫌味ばかリ言っていた教師。
ーーまた、素晴らしい教師もいました。
障害を持った子供について、「その人の責任でどうにもできないことを、とや
かく言ってはいけない」と言われた言葉は今でも忘れません。
これらの教師達が日教組に入っていたかどうかは知りません。また、私は一応
大学まで行きましたが、生徒が友達のような口の利き方をするのを許す教師に
は出会いませんでした。
日本の今の教育が、戦前の日本の長所を伝えていないとしたら、その原因の主
なものは、有能な伝え手を戦争によって死なせて(戦死、自決を含む)しまった
こと、TVのアメリカ製ドラマの影響、消費生活のアメリカ化、教員採用制度
の不備などによるものでしょう。
教員採用試験は、結果を名簿に登載するだけで合否判定はないと聞きました。
だから、校長や教育委員や議員の恣意で、(実力の無い)教員が採用されること
もあります。
教員志望だった友人は、出身県の議員に「試験を受けたら就職させてやる」と
言われて「いやらしいから」と試験を受けませんでした。
もう一人は、「この人が教員になって大丈夫なの」と周りの人々にも思われる
ような出来の人でなかなか採用が決まりませんしたが、与党の議員に頼み込ん
で、直後に近くの小学校に採用されました。
ーー教員採用試験制度の公正さにも嘘の部分があるということですね。
このようなことを身近に経験していますので、「教育をだめにしたのは日教組
だ」といわれてもピンときません。教員組織とか教師個人というよりも、権力
に阿(おもね)る教育委員や議員の口出しなど、政治的な力によるものが強いと
思うのです。
以上。
なお、「嘘」についての意見は、決してgosakuさん個人を批判しているもので
はありませんので、念のために書き添えておきます。
└──────────
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┌──────────「gosakuさんから」
お説の通り、戦後生まれの「mitskoさん」に戦争責任は全くありません。
しかし、責任はなくても、祖父の時代にあった事実は確り認識しておく必要が
あるのではないでしょうか!
「mitskoさん」の「三つの嘘」談義大変興味深く拝見させていただきました。
一つ目はともかくとして..「僕は絶対ウソは申しません」なんて嘘は言いませ
ん。(笑い)ーー正直言って僕も、二つ目と三つ目の嘘は、たぶん無意識、意識
的とを問わず今まで随分“コイテ”来たでしょうね。
――余談ですが、今日の夕刊に面白い話が出ていました。
ウソをついていると、脳が活性化してボケ防止になるそうです。だとすれば、
あの偉大な領将様の国の指導者はさぞかし脳の働きが活発であるに違いない。
一筋縄ではいかんのです。
それに対して日本の対北朝鮮外交は、あまりにも紳士的というか、同じ日本人
相手の交渉の仕方であったような気がしてなりません。人を見て法を説けとい
うではありませんか、、、こちらも、もっとしたたかにならねばね?
幸か不幸か日本は島国である上に、幕藩時代の鎖国政策もあって、異民族、異
文化との接触は限られていました。とはいえ開国以来百五十年、もうそろそろ
バカ正直の外交下手を卒業してもいい頃ではないでしょうか!
まず先にお断りしておきますが、以下の僕の意見には嘘はありません。
僕の信条です。
「教育改革をするには先ず“教員改革”を断行しなくてはならない」
「教師は、改めて徳と知識の双方を有して欲しい、その為に、教師自身が絶え
ず勉強を続けることが望まれる。生徒と保護者は、その結果として教師に人格
的権威を自然に感じるようになるのが理想です」
しかし、いまや人格的権威を持った教師は皆無に近い状態でしょう。
皆無というと誤解があります。----僕の知っている教師の範囲では----
何故そうなったか?
「戦前の教師が、すべて熱血教師で素晴らしかった」とは言いませんが、私が
子供だった時代は、僧侶と教師は地域の人たちから敬愛される存在でした。
――昔の教師はプロだった?昔なら、師範学校で教員になるための専門教育を
みっちりやっていました。
小学校の先生になるなら師範学校、中学校の先生になるなら高等師範学校に学
ぶのが普通でした。そこに行けば、学問だけでなく、子供に教育する聖職者と
しての心構えを学ぶことができました。
ところが戦後は、教育学部でなくとも、普通の学部でも教職課程を余分に取っ
て、2週間ちょっとの教育実習を済ませば、誰でも中学校等の教員免許を貰え
て教員になれます。でも、これでは知識は持っていても情熱を抱いて教職員に
なる人は出てきません。
「教育とは何か」「子供を教え育てるにはどうしたらいいのか」についての、
根源的な問い掛けをすることがないまま、素人に毛が生えた程度の人が教員に
なってしまっています。しかし、知識だけでなく、子供たちが悩み苦しむ過程
でどんな助言をすれば立派な大人になれるかをサポートするのも教師の仕事な
のです。
だから、教育改革というなら先ず昔のような師範学校を復活させ、素人でなく
プロの教師を養成するのが肝要だと思います。教師が子供から尊敬され、信頼
されるようになり、教師も子供に愛情を持ち「敬・愛・信」の教育を施して行
くべきです。
「可愛い子には旅させろ」という言葉を一度は聞いたことがあると思います。
ーー僕の教育のモットーは「子供には辛い体験をさせろ」です。
先日、武部自民党幹事長が、サマワ視察から帰ってきて都内で講演し、フリー
ターの増加や教育現場の荒廃など、青少年を取り巻く諸問題に関し
「暴論になるかもしれないが、自衛隊にでも入って、サマワみたいな所に行っ
てみてはどうか。食べる物が無い、服も無い、親が無い、といった、我々日本
人と比べて衣食住に恵まれない人々に、明るい光と希望を与えるために活動し
てみれば、三ヶ月ぐらいで瞬く間に変るのではないか」
「憲法や教育基本法を改正しても、日本は簡単には変わらない」
ーーと指摘していました。
もちろんこれを暴論だという人もいるでしょうが、僕は基本的には武部さんの
意見に賛成です。戦後生まれの「mitskoさん」のご意見は如何でしょうか?
└──────────
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┌──────────「hideおじさん」男性@四十代@会社員@神奈川
mitskoさん、初めまして。「三つの嘘」のお話し「うん・うん」と肯きながら
拝読させて頂きました。
その中で「教育」に関するお話しがあったので、私の思うところをお話しさせ
て頂ければと思い投稿させて頂きました。
ーー大前提として「私は日教組が大嫌い」です。
というのは、不幸(?)にも父が高校の校長だったせいもあり、日教組に入って
いる先生に幾度となく差別や嫌がらせを受けた経験があるからです。
じゃあ日教組(以下組合)に入っている先生が全て嫌いかというと、そうではあ
りません。子供を親身に思ってくれる先生もおりましたし、涙しながら叱って
くれた先生もおりました。
「組合が日本の教育を悪くした」と言われてますが、それは、ある意味我々の
責任逃れのようにも感じます。
最近の学校を見てみると、何でも学校の責任のような風潮がありますが、そう
でしょうか?----朝鮮総督府の役人だった祖父がこんなことを言ってました。
『社会的教育は学校でするもの、人間としての教育は家でするもの』
まさにその通りだと思ってます。 今、我々の家庭での教育こそ見直さなけれ
ばならないのではないでしょうか?
勿論、先生の「質」の問題もあると思います。
今では、コネが無ければ先生になれないというところも教育の欠陥として揚げ
られるのでしょう。
「ゆとり教育」だとか「ジェンダーフリー」には目の色を変えるのに、小学校
三年生の息子に、「大切だから」といって懇切丁寧な「性教育」をする先生。
ーー違和感を感じるのは私だけでしょうか?
組合員だった高校時代の先生に進路を相談したとき、
「会社員は、いわばモノを作る仕事だ。出来が悪ければ捨てればいいし作り直
せばいい。でも先生というはヒトを作る仕事だから、作り直しが出来ないんだ
よ」
と、ボソッと言われたことがありました。決して頭の良い先生ではありません
でしたが、こんな気持ちで生徒に接してくれていた先生に感謝しています。
確かに、日教組は日本の教育に大きな問題を起こしたと思っています。しかし
家庭で、また地域で、子供を教え育むことこそ大事なことだと思います。
└──────────
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┌──────────「mitskoさん」―――――――――― 2004/12/20
前回の投稿では、わたしの文が言葉足らずだったのかもしれませんが、gosaku
さんの返答が何かテーマがちょっとズレているみたいでスッキリしません。
ーー伝えるっていうのは難しいですね、、。
歴史の認識については、"証拠""記録"などと称されるものも、それらを残した
人々の「恣意」があり、それらを発見・発掘した人びとの「恣意」があり、そ
れを理解・利用して何かを目論む人々がいて、歴史が作られ(広められ)るので
は?・・・と思います。
ーー第三の嘘のところで書きたかったことです。真実は誰にも判らないのでは
ないかと思うことすらあります。だから、騙されたくないので、歴史に対する
判断はしないようにしています。
教育の質は、教師の資質と実力に左右されるという点では同感です。そして、
hideおじさんのおっしゃるとおり、家庭の影響も大きいと思います。
「教育とは何か」論についても、gosakuさんと殆ど同感です。日教組の有無に
関わらず、教える技術や実力の無い教師がいるということも知っています。
ーーただ、その質の評価・判定を誰が何のためにするかという問題が別にあり
ますね。
また、gosakuさんが書かれているように、戦前の教師が本当に、聖職者・教育
のプロとしての実力を持っていたのなら、たとえ戦争に負けたからといって、
日本の長所まで捨てて屈服してしまうような国民は育てていなかったのではな
いのかな?・・・とも思います。
ーー戦前の教育に関しての記述には、何か嘘っぽい感じがありますが、私には
判りようがありません。
「人間性」の定義が、時代により、ところにより違っているこの世界で、子供
に何をどのように教えるのが正解なのか、判断が困難です。教育は20年後の
社会を見通してやるべきだ..というようなことをどこかで読んだ記憶がありま
す。
ーー私もそう思うこともあります。しかし、20年後の社会を、誰が正確に見
通せるでしょうか?
「子供にはつらい体験(旅)をさせろ」は、共感と違和感を感じます。
ーー何がつらいかによって意味が違ってきます。同じことでもつらいと感じる
子供も、感じない子供もいるでしょう。外からは判らないつらさもいっぱいあ
ると思います。一概には言えません。
gosakuさんが「つらいと思う」こと..をさせろということなのでしょうか?
武部幹事長の発言は、徴兵制に向けての布石のような気もします。
武部さん自身が自衛隊に入って、サマワにいらしたらいかがでしょうか?
「戦争(ではないとの政府見解ですが)は、行かない人がやりたがる」って言い
ますね。――苦しんでいる人々は日本国内にもいるのですから、人として未熟
な状態の、感受性の強い時期の青少年には、日本の国内で、同胞である日本人
と、その生活や日本の郷土・文化を体験・学習しながら人々を助ける活動をし
てほしいですね。
自衛隊が「明るい光と希望を与えるために」イラクへ行ったのか、「アメリカ
政府の意図するところに従って政治的政策的に」行かされたのか、どうなんで
しょう。
また、「自衛隊のいるところが非戦闘地域」ならば、自衛隊での「つらさ」は
国内にいるのと変わらないのでは?(‥‥ちょっと皮肉です‥‥)
とにかく、私には判らない事が多過ぎてうまくまとめられません。
ーーごめんなさい。
└──────────
▼
┌──────────「gosakuさんから」
いいえ!決して言葉足らずではありません。僕がmitukoさんの真意を汲み取る
事が出来なかったのです。ーー申し訳けありませんでした。
今回もまたトンチンカンな答復かな?
歴史認識については、仰る通り、残した人の恣意・それを検証する人の恣意な
どを否定する事はできないでしょう。しかし明治以前の歴史書や、未だメディ
アが未成熟な昭和以前の近代史ならいざ知らず、多数のメディアが報道し、そ
れを複数の学者が勘案して作成する現代史では、個人の恣意が入り込む余地は
非常に少なくなっていると思います。
従って昭和史に限っていえば、かなり真実に近い歴史が世間に公表されている
という認識です。人それぞれですから、それを恣意的に解釈されるのはご自由
ですが。
日本という社会は、生温い恵まれた環境ばかり与え過ぎているので、今の子供
たちにとって、かえって残酷なのだと思います。今ではあまり言われなくなり
ましたが「獅子はわが子を千尋の谷に落す」とか、「若いときの苦労は買って
でもせよ」と昔はよく言われたものです。
先に「子供には辛い体験をさせろ」と申しましたが、今のお母さん方にはあま
り賛成を得られないようですね?ーーどうせ成人になれば、いやでも辛いこと
の多い世の中だから、せめて子供のうちだけでも「ノンビリ苦労なしに過ごさ
せてやりたい」というお方が多い。
なにも、無理に辛い体験をさせる必要はない、という意見です。
――私事で恐縮ですが、
子供が高校のとき、学校から、冬休みを利用してカンボジア・ラオス・ベトナ
ムへボランティア活動に行く機会があり、よいチャンスでしたので連れて行っ
てもらいました。――以下は帰って来てからの子供の話です。
┌--------
・食べるものがない、・自由がない、・服がない、・親がない、・祖国がない
・帰る国がない難民キャンプに援助物資を持っていくのです。パンツやシャツ
などは、日頃、学校周辺の人たちから供出して頂くべく、生徒がリヤカーを引
いて集めたものばかりでした。
現地では、難民たちに自作自演の演劇を見せたり、難民の子供を抱き上げ、彼
らと一緒に踊ったり、サッカーや野球をやったり、我々日本人と比べて衣食住
に恵まれない人々に、明るい光と希望を与えるためにどれだけのことがをでき
るのかを感得し、それによって、日本の高校生たちも自信と勇気を貰い、帰る
母国がある有難味が実感できた。
└--------
ーーというのです。
率直にいうと、難民たちは明日の食糧も満足にないのですから、希望や自由と
いわれてもピンとこないでしょうが、そういう体験をすることによって、実は
難民たちよりも日本人の高校生のほうが得しているのです。たくさんの財産を
もって帰って来た彼らの顔つきからして変わっていました。
当然のことですが、以後電車内でお年寄りが乗り込んでくればすぐ席を譲り、
街で道に迷っているいる人を見れば案内をし、スーパーで泣いている子供を見
ればすぐ係員に連絡し、人が変わるというのはまさしくこのことです。
今日の新聞で教員のノイローゼによる休職者の爆発的増加を報じていました。
チャンとした教育を受けずに教員になった人たちが大半でしょう。可哀想な話
です。
何十年か前に日教組が、「自分たちは聖職者ではなくて労働者だ」と宣言した
あの時から、日本の教育は崩壊したのです。私たちが子供時代の先生は、崇め
尊敬する存在でした。それが、そこらへんの何処にでもいる労働者と一緒とい
うのでは、子供たちも尊敬などできないでしょう。
└──────────
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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