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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 北朝鮮拉致と日本国憲法(1) ―――――――――― 2004/07/16

北朝鮮に残されていた拉致家族の帰国が実現し、曾我ひとみさんの家族がジャ
カルタで再会する事ができて、拉致問題の第一段階は解決しましたが、まだ、
死亡、或いは行方不明とされる拉致日本人が、北朝鮮に多く残されています。

この問題を棚上げして、援助外交を再開するのでしょうか?

これまで日本政府が、日朝交渉の再開と称して金正日政権に献上したコメは、
1995年から合計180万トン。金額にして1673億円にのぼります。

ーー拉致は、テロ以外のなにものでもありません。

「拉致問題の完全解決なくして、日朝国交正常化交渉など有り得ない」
今後も、日本人の民族としての強い怒りを北朝鮮に伝えない限り、我々の失わ
れた同胞は帰ってこないのです。

―――― 北朝鮮拉致と日本国憲法(1)

「北朝鮮は、どうして日本人を拉致する必要があったのか?」
多数の日本人の疑問です。これに対して先ず私見を述べてみます。

金日成・金正日政権にとって、唯一最大の目標は、大韓民国を自分たちの傘下
に統一することでした。時代によって、統一の手段をどうするかは違っていま
したが、日本人を拉致した1970年代後半の韓国は、軍事政権のパク・チョ
ンヒ(朴正煕)大統領の時代で、北朝鮮とは激しく対立していて、警戒が厳しく
工作員を送り込む事が非常に難しかった。

そこで考えついたのが、韓国に潜入させる工作員に、ソウルの言葉などを事前
に徹底教育する、或いは日本人がテロを実行したということにするため事前に
工作員に日本人化教育を行う、ということでした。

その指導をしたのが金正日国防委員長です。金正日国防委員長は、自らの権威
を確立するため、1976年2月、韓国を「赤化統一」する機関の入っている
3号庁舎を点検し、その結果、過去の活動を否定し、新たに「特に南朝鮮など
の資本主義社会に適応するよう(工作員の)技術・生活習慣・言語習慣などを教
えなければならない」という方針に変更したのです。

ーー拉致が始まるのはこのときからです。

1980年、大阪の中華料理店コックの拉致問題について、参議院予算委員会
で質問がなされましたが、その時、警察庁刑事局長は「コックを拉致したのは
不法入国した北朝鮮工作員だろうと考えています」と答えた後で、

「北朝鮮工作員キム・ギルオック(金吉旭)が、1978年に次のような指示を
上部から受けておるということを承知しています。すなわち、45歳から50
歳の独身日本人男性と、20歳の未婚の日本人女性を北朝鮮に連れてくるよう
にと指示を受けていたということでございます」と答弁しています。

日本人拉致は、あくまで韓国を金正日政権の支配下におくための手段のひとつ
でした。北朝鮮から韓国に亡命してきた工作員の証言によると、金正日政権は
「朝鮮人は、日本の過去の植民地支配で酷い目にあった。だから日本人を拉致
しても当然である」という教育を行っているといいます。

したがって関係工作員たちは、日本人拉致に罪悪感など全く持っていません。
工作船で日本に来て、暴力をもって日本人を攫っていく。それが植民地支配の
報復だというのです。――これは近代国家の発想ではありません。
金正日という封建領主が支配する国だからこそ、こんな事ができるのです。

金正日政権に相応しい呼称は、まさに「人攫い」です。
こう考えるとこの政権の行動様式がよく理解できます。

そして、北朝鮮が、日本国内から本格的に日本人の拉致を開始するのは、77
年9月18日の久米裕さん事件と、11月15日の横田めぐみさん事件からで
す。
その後、翌年6月29日には田口八重子さんが拉致され、7月31日には地村
保志・浜本富貴恵さん、8月12日には蓮池薫・奥村祐木子さん、8月12日
には市川修一・増元るみ子さん、という3組のアベックが立て続けに拉致され
ています。
また、同じ12日には、曾我ひとみさんと母親のミヨシさんが拉致されていま
す。

北朝鮮が拉致を計画的に行ったのは、なにも日本国内からだけではなく、80
年(昭和55年)には、松本薫さんがマドリードから、石岡篤亨さんがウィーン
から、83年には有本恵子さんがコペンハーゲンから拉致されています。

その後も、日朝交渉を進めていた90年代まで、北朝鮮は日本人を合計10人
から150人も拉致し続けていたのです。

池村保志・浜本富貴恵さんらが拉致されたのと同じ頃、レバノン人女性も、北
朝鮮によって拉致されています。だが、レバノンの対応は日本と全く異なるも
のでした。1978年8月、レバノン女性4人が「日本の大手電気メーカーが
秘書を募集している」という話に騙され、ベイルートから平壌に連れてゆかれ
ます。

レバノンでは、娘と何ヶ月も連絡が取れないため、家族が騒ぎ出しました。
そこで、79年4月、北朝鮮は4人のうち2人を、わざわざ北朝鮮の友好国で
あったユーゴースラビアに連れて行き、首都ベオグラードのホテルから家族に
対して「私は日本で働いている。元気でやっているから心配しないで」という
電話を掛けさせます。ユーゴースラビアから電話をさせたのは、そうしないと
すぐに、娘が日本ではなく北朝鮮にいることがバレてしまうからです。

拉致されてから1年後、再び2人はベオグラードに連れてゆかれ、電話を掛け
させられましたが、電話をかけた後、隙をみて逃げ出してクウェート大使館に
駆け込み、レバノンに帰国しました。

レバノン政府は、2人から、自国の女性4人が北朝鮮によって拉致された事実
を知るや、この事件について調査するとともに、残る2人の女性の解放を厳し
く北朝鮮に対して求めました。また、左翼武装組織も解放に向けて尽力し、パ
レスチナ解放機構(PLO)傘下の左派組織が「このままでは友党関係が壊れる
が、それでもいいのか」と北朝鮮に対して迫り、その甲斐あって、79年11
月、残る2人も解放されました。(産経新聞1998年4月28日付「北朝鮮
のレバノン人拉致事件、被害者の証言」参照)

―― 4人が解放された要因は3点あります。

第一に、家族が立ち上がったこと。
第二に、政府が北朝鮮に対して厳しい態度で臨んだこと。
第三に、レバノンの左翼が北朝鮮に対して厳しい態度で迫ったこと。
という三点です。

ーーこれに比べて日本の場合はどうでしたでしょうか?

第一に、情報が伝えられなかったため、家族はなかなか声を上げて立ち上がる
ことができませんでした。それでも、平成九年の家族会結成以来の活動には、
目覚しいものがあります。なんとか政府の重い腰を動かしてきたのが、レバノ
ンの場合と同じく、家族の熱意であることは疑いのない事実です。だが、、

第二に、レバノン政府と異なり、日本政府は北朝鮮に対して厳しい態度を全く
示してこなかった。

第三に、社会党、共産党、新左翼といった日本の左翼は、レバノン左翼とは正
反対に、北朝鮮による日本人拉致に加担していくことになります。日本政府も
日本の左翼も、ともかく「奇怪至極」です。

―― 拉致事件を根本的に解決する機会は、宇出津事件の時にありました。

宇出津事件では、日本の警察は、能登半島の宇出津海岸で久米さんを北朝鮮の
工作員に引き渡した在日朝鮮人を、外国人登録法違反で逮捕しています。しか
も、逮捕された被疑者から工作員に引き渡したという証言を得ています。

だが捜査当局は、国外移送目的誘拐罪での起訴を考え、久米さんが見つからな
いから公判維持ができないと判断して被疑者を起訴せず釈放してしまいます。

そうして、事実上、宇出津事件はなかたことにされてしまうのです。

宇出津事件が起きた時、日本国はこの事件を重要な人権侵害、日本の国家主権
侵害として捉えるべきでした。また、被疑者を起訴しなかったのはよいとして
も、日本政府は、広く世間に向けて、拉致という北朝鮮の非道を訴えるべきで
した。ーーだが、日本政府は拉致被害者を見捨ててきたのです。

宇出津事件以来、拉致事件発生の構造は一貫しています。

日本は「日本国憲法」の平和主義に基づき、スパイ防止法を形成してこなかっ
た。そのため工作員さえも罰することができず、罰したとしても懲役1年程度
で出てきてしまう。さらに、日本国内に工作員が潜入することは驚くほど簡単
だったのです。

拉致事件が集中発生した1977年から78年にかけて、海上保安庁の巡視船
は、不審船追跡のため、年50回以上出動しましたが一度も拿捕できなかった
ということです。つまり日本は、スパイが自由に出入りし、自由に活動できる
「スパイ天国」だったのです。今現在も、状況はそれほど変わっていません。

もう一つ重要なのは、拉致を行う工作員に協力する在日朝鮮人の存在です。

彼らは、例外なく北朝鮮に住む家族を抱えており、家族の安全を慮って工作員
に協力していることです。宇出津事件における在日朝鮮人協力者も「お兄さん
が協力してくれないと、私がツライ目に会います」という北朝鮮に居る妹の声
を録音テープで聞かされて協力を決意した言っています。

協力者の北朝鮮に居る家族とは、帰還事業で北朝鮮に渡った元在日朝鮮人のこ
とです。1959年に始まった北朝鮮帰還事業は、朝鮮総連、共産党と社会党
が熱烈に推し進め、自民党も賛成し、朝日新聞や読売新聞などマスコミも後押
ししました。朝鮮総連は、北朝鮮は「地上の楽園」との大宣伝を行い、左翼系
または進歩的文化人も北朝鮮を大礼賛しました。

しかし、帰還者を待ち受けていたのは、日本よりも遥かに貧しい生活であり、
差別でした。「地上の楽園」とは全くの偽りだったわけですが、この嘘に騙さ
れた9万人以上の在日朝鮮人とその配偶者が北朝鮮に帰還しました。そして、
北朝鮮は帰還者を人質として、日本に残った家族に拉致行為に協力させたので
す。

それゆえ、帰還事業を推し進めた人々、特に左翼とマスコミは、日本人拉致発
生に間接的な責任を負っているといわなければなりません。しかもそれだけに
は止まりません。拉致事件発生後も左翼は、特に一部の人々は、恐らく自国民
が拉致されている事実を知りながら、拉致はデッチアゲだという態度をとり続
け、あまつさえ「よど号」事件の犯人らは北朝鮮の方針に従い、1980年代
前半には、有本恵子さんらをヨーロッパから拉致することさえ行っています。

北朝鮮労働党と友好党関係にあった日本社会党も、レバノンの左翼のように、
「このままでは友党関係が壊れるが、それでもいいのか!」と北朝鮮に対して
迫ることなど決してしていません。社会党がレバノンの左翼と同じ態度をとっ
ていれば、事態は全く違った展開になっていたかもしれません。

自国民を護ろうとするレバノン左翼と、自国民を見捨てる日本左翼の相違が、
現在でも支持されている状況と、零落した状況とに、端的に現れているのでは
ないでしょうか。

―― 85年になって、

北朝鮮の工作員の辛光洙が、80年6月に、原敕晃さんを宮崎県で拉致したと
供述しました。だが日本のマスコミ各社は、一度小さく報じただけで、続報を
しませんでした。88年1月、前年11月の大韓航空機爆破事件で逮捕された
金賢姫が記者会見を行い、拉致された日本人「李恩恵」について語りました。

「李恩恵」については、各社とも大きく報じましたが、拉致問題は決して社会
問題にはなりませんでした。金賢姫証言の2ヵ月後、88年3月、参議院予算
委員会で、梶山静六国家公安委員長が、アベック行方不明事件は北朝鮮による
拉致の疑いが濃厚であると言明しました。ーーしかし多くのマスコミは、一行
たりとも報じませんでした。

マスコミも、拉致について報道しなかったことで、被害者を見捨てる片棒を担
いできたともいえるでしょう。

                          =この稿つづく=
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