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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
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☆ 私見:韓国・朝鮮論(8) ―――――――――――― 2004/08/20
―― 朝鮮人は強制連行されたのか?
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┃●┃ 読後感アンケート結果。
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◇ このとおりだと思う --------------------------------- 36人 (64%)
◇ そうではないと思う --------------------------------- 7人 (13%)
◇ どちらともいえない --------------------------------- 5人 ( 9%)
◇ 知らなかった。そうだったのか〜 --------------------- 8人 (14%)
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┃●┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「ミカの赤い服さん」
gosakuさん、こんにちは。
今回の内容は、全く知りませんでした。
数字で示されると、説得力がありますね。
----知らなかったので、ロクなコメントが出来ず、すみません。
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┌──────────「gosakuさんから」
いつもコメント有り難う御座います。
強烈な反論を期待していましたが?
先だっての、サッカーアジア・カップで見せた中国人サポターの反日的な行動
などで、日本には嫌中国感が広がりをみせています。それらが、逆に自虐史観
の見直しに役立っているのか?とも思えます。
中国当局が「愛国教育」を行うのは勝手ですが、中国と仲良くしようと努力し
ている厚い層が戦後の日本に存在する事実を中国指導部は説くべきです。
└──────────
┌──────────「lonsome car-boyさん」
そのとおりだと思うに投じました。
戦争直前から終戦までは日本側の都合で来日したものでしょうが、それ以前は
自分の意思で渡ってきた人が殆どのようですね。
アーカイブスで戦前の新聞を読むと、朝鮮半島からの「集団密航者」の記事が
頻繁に報じられています。当時は朝鮮人の来日は厳しく規制され取り締まられ
ていたようです。それでも集団での密航者は後を絶たず、官憲は相当に手を焼
いていたようです。
各紙とも、少し扇情的な書き方をしているのが印象的ですが(あ、某紙は今で
もそうですね)少なくとも事実としての記録なので「強制連行」を鵜呑みにし
ている人たちには是非読んで貰いたいです。
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┌──────────「gosakuさんから」
1917年在日朝鮮人人口は一万四千五百二人にすぎなかったのですが、19
20年には十二万九千八百七十人に達し、付近住民との絶え間ないトラブルが
増加し、日本政府は「朝鮮人内地渡航制限」を実施します。
1944年の「制限撤廃」により爆発的な増加となり、終戦時には在日朝鮮人
は二百三十六万人余となります。
そして現在の在日は五十二万余とされますが、なお密入国者は絶えません。
└──────────
┌──────────「権兵衛さん」
gosukeさんには常々敬服しております。
今までの文章から判断して相当のご高齢と思いますが、これからもいっそうの
情報を提供くださるようお願いします。
私は戦争中に生まれたものであり、15年近く前に香港に駐在したことがあり
ます。香港がたまたまアジア全域をカバーする立場にあったことから、アジア
全域に深く興味をもってみてきました。
当然歴史を勉強してもきましたが、gosukeさんには、その造詣の深く、資料を
十分読まれていることに常々深く感動しておりました。このサイトで一番先に
読むのはgosukeさんとhajimeさんの文章であり、この2本ほど心を揺さぶられ
るものはありません。
ーーますますのご健筆を祈念しております。
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┌──────────「gosakuさんから」
おっしゃるとおり「ご高齢」です!(笑い)
OJIN さんにおだてられ、唆(そそのか)されて、老骨に鞭打って皆様のご批判
の種を作っています。
「権兵衛さん」のような読者が一人でも増えると嬉しいですね。
僕もそろそろ幕引きの準備をしています。
後はよろしく「権兵衛さん」にお願いします。
戦中生まれ&歴史を勉強していらっしゃるという事ですから、頼もしい後任者
が出てきたと喜んでおります。
└──────────
┌──────────「hideおじさん」
gosakuさん毎回の大作本当にご苦労さまです。
さて、私の祖父の話で恐縮ですが、戦前の朝鮮人の渡航は厳しく規制されてい
たにも関らず、密入国まがいで渡って来る者が多かったそうです。彼らは日本
に仕事を求め、自分の意思で来た訳ですから、「強制連行」とは明かに別次元
のものだと思います。
ただ、終戦間際になると周りが、日本に働きに行かないのは「非国民」だとい
う雰囲気もあり、事実尻込みする人を「行け」と半強制したこともあったそう
です。
└──────────
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OJIN の「?」
既に合邦してひとつの国になっていたのですから、密入国という言葉は適当で
はないような気がしますが?
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┌──────────「gosakuさんから」
「密入国」ではなく、正しくは「密航者」でしょうね。かつて中国大都市で、
外地からの移入を制限していたのと同じようなものです。もちろん、制限で、
禁止ではありませんから年々在日朝鮮人は増加していました。
終戦時の在日人口は約二百万人であり、占領軍の命令によって日本政府が引き
揚げ船を準備し、運賃無料、持ち帰り荷物制限二百三十キロまでという条件で
帰国させました。昭和21年末までに約百四十万人が朝鮮に戻っていき、自分
の意志で残留を希望した約六十万人が日本にとどまったとされています。
戦時中、労働力不足が激しかった内地に向かい、朝鮮人は自分の意志で大量に
渡航していたのです。三十二万人が終戦時における戦時動員労働者です。残り
二十五万人は「官斡旋(あっせん)」「徴用」で渡日した後、現場を逃走し条件
のよい飯場などで働く「自由労働者」(当時の用語)となった者です。
昭和二十年の内地における朝鮮人土建労働者を見ると、計画による動員労働者
一に対して、自由労働者七の割合でした。日本政府は移送計画実施期間中も、
内地に密航した朝鮮人を取り締まり、朝鮮に送り返していました。
ーーこちらこそが本当の強制連行です。
「官斡旋」「徴用」は、出稼ぎで建設現場などで働こうとしていた朝鮮人労働
者の働き先を、炭鉱、金属鉱山など軍事産業に転換させるというものであり、
それは、全渡日者のうち四分の一だけしか対象にできず、ほぼ失敗した政策で
した。
戦前から継続して日本に在留しつづけている在日韓国・朝鮮人(子孫含む)で、
いまだに外国籍を維持したままの者は七十万人ではなく約五十二万です。日本
政府は、彼らに「特別永住」という、他の外国人にはない特別に優遇した法的
地位を与えています。社会保障制度も日本人と同じ扱いがされ、その地位は子
孫代々まで保障されています。
この五十二万人以外の在日韓国・朝鮮人は、いわゆる戦後入国者です。
外国人地方参政権付与は、基本的事実関係すら知らない与党幹部によって推進
されています。事実に基づかない安易な贖(しょく)罪意識は、百害あって一利
もないものだと思います。
参政権が欲しければ、帰化手続きにより日本国籍をとればよい。
すでに二十三万人以上の韓国・朝鮮人がそれを選択しています。
在日朝鮮人の参政権問題は後日改めて述べさせていただきます。
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┃●┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
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┌──────────「mon さん」男性@二十代@会社員@神奈川
初めまして。山下奉文で検索していたら、たどり着きました。
私自身、日本人として誇りを持ちたい!との一心で、色々勉強しています。
今まで受けてきた教育や情報では、どうにも誇りが持てなかったのです。
しかし、最近勉強していくにつれ、今日日本という国を残してもらっているの
は、ひとえに先人達の偉業であるとの念を強く持ちました。A級戦犯と戦勝国
から決め付けられた東条英機の遺書を見たのですが、そこには私心など全くな
く、日本の為に身命を投げ打った一人の日本人であると思えてなりません。
これからも、もっと日本のことを学んで、胸を張って日本人であると言えるよ
うになりたいです。
└──────────
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┌──────────「gosakuさんから」
なぜ大東亜(太平洋)戦争になったか?ここでもう一度要約すると、
1.欧米の、東洋人に対する人種差別に日本が反発し、日本式の人種主義が形
成され、これが、十九世紀半ば以来の西洋の威嚇と脅迫に対抗するため形成さ
れた日本の軍国主義と組み合わされたこと、
2.この、半欧米の人種主義の組み合わせが、次第に日本の実権を握るように
なり、全体主義が日本を支配するようになったこと、
3.そして、西洋の意見と行動に極端なまで敏感であった日本人の心理は反転
され、欧米の言う事はすべて無視する態度になったこと、
ーーの、三つの理由が考えられます。
小説家の林房雄は、「大東亜戦争肯定論」のなかの一節で、
┌--------
│日本が実行した「大東亜百年戦争」は、この植民主義、征服主義から脱出す
│るための努力であり、奮闘であったということだけである。後世の歴史家は
│日本民族の百年の奮闘を「偉大な行為」として必ず賞賛するであろう。
│ーー日本人は「百年戦争」によく耐え得た誇りを人類将来の歴史のために、
│心の中に秘めておいていいのである。
└--------
と説きました。
つまり林房雄は、十九世紀半ば以来の、東洋における西洋の植民主義を取り上
げ、この西洋の侵略に対して東洋が反発して戦争になったとし、それが日本の
敗戦まで約百年続いたので東亜百年戦争という表現を使っています。
大東亜戦争は、孤立した戦争ではなく、アヘン戦争などとともに、西洋の侵略
に対する東洋の反撃である、と解釈しています。したがって大東亜戦争は侵略
戦争ではなく、西洋の植民主義を東洋から撃退しようとした戦争であり、その
意味で日本の行動は正当なものであった、としています。
文学者の長谷川四迷が、日露戦争中に「勝つ勝たぬは第二の問題として、まず
もって万止やむを得ぬから始めた戦争だ」と発言した、と林は論じ、また海軍
大将であった近衛文麿の前の首相であった米内光政は閣議上、海軍大臣として
「対米英海戦に勝てる見込みはありません。大体日本海軍は、米、英を向うに
回して戦争するように建造されてはおりません」と断言した、としています。
また、連合艦隊司令長官の山本五十六は「終局の勝利がもし日本にあるとすれ
ば、それは天佑神助による他はない。言い換えるならば、最初から勝ち目のな
い戦争」との言葉を残している。
つまり林房雄によれば、日本は侵略者に対して受身の戦争をしてきたのです。
さらに林は、大東亜戦争はアメリカによって仕掛けられた戦争であったとし、
アメリカは、初めから日本がハル・ノートの要求を受け入れないことえを承知
の上でこれを手渡し、日本側の回答を待たずに秘密の戦争指令をだしていた、
と説いています。
確かに、これはアメリカでも「改定派」の見解として知られており、おそらく
いちばん広く知られているのは、ロバート・セオナルド著「真珠湾の審判」で
しょう。
そして林は、極東国際軍事裁判で起訴された被告たちの無罪を主張したインド
のパール判事の発言を引用し、日本の戦争は侵略戦争ではなく、西洋の植民と
征服に対する反撃であった、としています。
日本が、日清戦争から大東亜戦争の終結まで行ったことはすべて悪いことで、
日本は侵略戦争をし、大東亜戦争の全責任を負わなければならない、といった
歴史認識が一般化しています。そのような自虐史観から脱出するための努力を
惜しんではなりません。
極東国際軍事裁判で戦争犯罪人となった人々は、実際は犠牲者でありますが、
その戦争によって、国内外に多くの犠牲者がでたことにたいしての責任の一端
はありますが、真の責任は、植民主義をを推進して東洋を搾取の対象としてき
た欧米にあるということを肝に命じておく必要があります。
└──────────
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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