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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 私見:韓国・朝鮮論(5) ―――――――――――― 2004/07/09

―― 併合と植民統治:違いの検証

ーー以前、朝鮮の併合(合邦)と台湾の植民統治の違いを簡単に述べましたが、
もう少し詳しくその違いを検証してみました。

台湾と朝鮮とでは、統治のスタート時点から状況が異なっていました。

ご存知の通り、台湾は日清戦争の結果、国際条約である下関条約によって日本
に「割譲」されたものです。交換条約に基づく樺太や千島列島と似ています。

しかし朝鮮半島は、日鮮双方の合意に基づいて「合邦」さたものなのです。

これには、当事国間の合意以外に、列強の合意もありました。合法的「割譲」
によって領有された地域と、合意に基づく「合邦」という違いがあったからこ
そ、統治後の処遇や境遇もおのずと異なってきます。
ーーー中国がチベットと十七ヶ条の条約を結んでおきながら、「農奴解放」を
口実にラサに進駐したのとは全然わけが違います。

朝鮮では、朝鮮の皇族、貴族は、日本の華族と同等の処遇をされました。日本
の朝鮮統治下で、朝鮮人道知事も総数42人おり、日韓併合後、侯爵が7人、
伯爵4人、子爵20人、男爵36人、総数69人の貴族が認められました。
しかし、台湾では1人の男爵すら出ていません。もちろん知事なども1人もお
りませんでした。

軍事力が国家の命運を左右した列強時代は、当然軍人教育が重視されました。
朝鮮人は、1896年にはすでに、11人もの士官が日本陸軍士官学校に入り
ました。以後、終戦まで、朝鮮人は日本人と同じように軍事教育を受け、中将
にまでなった人物もおりました。

しかし台湾人は、日本統治の51年間に、東大などの国立大学に入る者はあっ
ても、陸軍士官学校に入学が許された者は1人もいませんでした。
これは統治を受けた地域同士の待遇の良し悪しを比較する話ではありません。

要するに、当時の日本にとって、韓国人は異母兄弟か従兄弟のようなもので、
台湾人は南方の他人扱いだったわけです。

イギリスの連合王国で例えれば、日本と朝鮮はイングランドとスコットランド
のような関係であり、台湾はアイルランドのようなものでしょう。同じ日本の
統治地といっても、このような統治の違いを分析すれば、「強者が弱者を無理
矢理支配する侵略」というような単純な状況ではないことがハッキリと分かる
のです。

日本が朝鮮を統治した三十六年間を、今日の韓国では「日帝三十六年」と呼び
慣わし、戦後の殆どの学者たちは、台湾、満州を含めて朝鮮半島を日本帝国の
植民地の一つとして「植民地研究」のテーマとしています。また一般でも朝鮮
半島を植民地としてみることが常識のようになっています。

しかし戦前は、朝鮮を植民地としてみる見方はほとんどなかったようで、特に
明治の人は耳にしたことがないと言っている人が多い。朝鮮を「併合国家」ま
たは「合邦国家」とし、植民地ではないとする考え方は、論拠がないことでは
ありません。当時掲げられていた「内鮮一体」「一視同仁」というスローガン
は正に政策であり、それこそ本音だったと言う人が多いのです。

連合国家、合邦国家は、古代から中世にいたるまであったもので、近代国家の
中でも少なくありません。先に述べたイングランド、スコットランド、ウェー
ルズの大英連合王国はもちろん、かつてのチェコスロバキアやオーストリア・
ハンガリー帝国もそうでした。六十年代にはエジブトとシリア、イラクとヨル
ダンが、一時期連合国家を形成していました。

十七世紀の東アジアでは、モンゴル人の北元と、満州人の後金国が連合した国
家をつくり、長城を越えて明を滅ぼし中国を征服しました。それが清朝です。
満州、モンゴルの征服者と、漢人の被征服者の関係は、清朝の公式文書などに
も表れています。ーーアヘン戦争の後の南京条約以前には、清朝の対外的条約
公文書には漢字が使われず、満州語とモンゴル語が併記されていました。

また日常においても、満州人とモンゴル人は通婚できるが、漢人と婚姻を結ぶ
ことは禁止されていました。即ち満蒙人からみれば、漢人は「家内の奴隷」と
いう立場になるわけです。

清国と朝鮮の関係について専門家は、宗主国と属国でありながら「名目的」だ
とか「ゆるやかな」関係だったとしていますが、それは事実誤認です。
ーー清国の朝鮮に対する扱いは奴隷以下だった。

たとえば朝鮮国王は、宗主国(清朝)から承認を受けねばならず、国内の事件の
詳細について報告や、毎年の朝貢などは義務であり、国王の地位は清国朝廷の
廷臣以下でした。李鴻章や袁世凱の朝鮮への政治外交指導は、その一端に過ぎ
ないものです。

これと比較すれば、日本と朝鮮の関係は明らかに国と国との関係であり、日韓
併合は大英連合王国にも似た連合国家の形成とみることが出来ます。ーー連合
となれば誰かがリーダーシップをとらなくてはなりません。
こうした場合、大きなほう、強いほうが元首となるのは常識です。

ーー血筋や伝統などは全く関係がありません。

たとえば満州人とモンゴル人がつくった清王朝でも、血筋からいえばモンゴル
人の北元は、ジンスカンの直系であり、満州部落出身のアイシンカクラ(愛親
覚羅)ヌルハチ一族に比べると兄貴分にあたり、上席に座るべきです。しかし
新興ヌルハチ一族が連合国家のリーダーとなっています。それが政治です。

二十世紀初頭の朝鮮半島の情勢、列強が世界のほとんどを制覇した国際環境を
考えれば、日韓両民族が生きてゆくには連合国家を創る必要があったのです。
百万の会員を持つと自称した一進会の李容九らの憂国の志士が「日韓併合」の
推進役を買って出たのも自然ななりゆきでした。

日韓併合後10年間、全国民的反対運動が起こらなかったのも、一般の人々に
拒否反応がなかったためだと考えられます。

ただし、日本の東亜合邦論や東亜経略論など、幕末維新以来のアジア論や大ア
ジア主義は、美しい理想に過ぎないといえます。「アジアは一つ」という理想
は、相手との合意があってのみ可能な論理であって、日韓関係でさえ百年以上
も揉め続け、いまだに恨みつらみが晴れない現状をみれば、これが幻想に過ぎ
ないということが分かります。

アジアの連帯、提携ですらままならないようでは、夢のまた夢に過ぎないもの
でしょう。

                          =この稿つづく=
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
↓
│「私見:韓国・朝鮮論」を著すに際しての参考文献は如下。
│
│・小室直樹−「韓国の悲劇(誰も書かなかった真実)」
│・鈴木英夫−「歴史に見る日本と韓国」
│・呉 善花−「韓国併合への道」
│     −「反日」を捨てる韓国」
│     −「これでは困る韓国(ニューカマー韓国人の対話)」
│     −「恋愛交差点」
│・中村八洋−「歴史を偽造する韓国」
│・朴 泰赫−「醜い韓国人」(われわれは「日帝支配」を叫びすぎる)
│・西尾幹二−「わたしの昭和史1」
│・菅野朋子−「好きになってはいけない国(韓国J−POP世代が見た日本)」
│・黄 文雄−「韓国は日本人がつくった(朝鮮総督府の隠された真実)」
│     −「台湾・朝鮮・満州日本の植民地の真実」
│・伊藤亜人−「もっと知りたい韓国」
│・黒田勝弘−「ソウル烈々(韓国を見つづける珠玉のコラム集)」
│・岩槻泰雄−「韓国・朝鮮と日本人」
│     (韓国・朝鮮人の嫌いな日本人、日本人の嫌いな韓国・朝鮮人)
│・土佐昌樹−「韓国の反日について」
│・秦 郁彦−「慰安婦と戦場の性」
│・金 英作−「韓末ナショナリズムの研究」
│・筒井真樹子「韓国の教科書のなかの日本人」
│・山辺健太郎「日本統治下の朝鮮」
│・金達壽ほか「教科書に書かれた朝鮮」
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┃┃ 読後感アンケート結果。
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◇ このとおりだと思う --------------------------------- 30人  (59%)
◇ そうではないと思う ---------------------------------  6人  (12%)
◇ どちらともいえない ---------------------------------  6人  (12%)
◇ 知らなかった。そうだったのか〜 ---------------------  9人  (18%)

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┃┃ コメントボードに頂きました感想。
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┌──────────「さらさん」

自由な選択があったら併合を選ぶだろうか?
1926年京城で上映した映画「アリラン」から燻っていたのが燃えはじめ、
1896年、台湾総督府の拝賀式で暴動で死者が。
ーー併合も地獄、殖民統治も地獄。

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┌──────────「gosakuさんから」

李氏朝鮮では、開化派=独立党とも呼ぶ)と保守派=事大党とも呼ぶ)の権力
争いが続いたが、日清戦争で清国が宗主権を放棄させられると、日本とロシア
がこの両派と結びついて朝鮮での影響力を競い合いました。ついには日露戦争
となり、勝利した日本は1910年に韓国を併合した。
――事実だけを簡単に列挙すると △ このようになります。

当時の韓国は、併合も地獄、殖民統治も地獄。もう一つ、そのままいてもなお
地獄。ーーこのような悲劇的な選択肢の中で選ばれたのが併合だったのです。

「さらさん」がもし、餓死寸前まで追い込まれ、「俺の家来になれば食わして
やるが」と言われ、また「俺の養子になれ!俺も貧しいが協力してやれば何と
かなるから」と言われた場合、さてどんな選択をするでしょうか?

一部、権益を取り上げられる特権階級や民族主義者は餓死の道を絶叫して併合
に抵抗しました。しかし、大勢は「今より最低の生活は有り得ないだろう、死
ぬのは嫌だ!」と養子の道を選んだのです。
異母異父兄弟=日本人)の中には横暴な人もいて、当然養子さんは肩身の狭い
思いをしました。が、基本的には一つの家族になったのです。

――韓国人は、日本が李王朝を滅ぼし、国王と国を奪ったと非難しています。

だが、李王朝は腐敗が蔓延り、権力闘争も絶えることがありませんでした。
国民に対する悪政が続き、内部崩壊が決定的となっていたのです。そこに日本
が現れ、瓦解寸前の李王朝に取って代わったのです。

近代中国思想界の巨人と言われる梁啓超は、「朝鮮亡国史略」「朝鮮滅亡の原
因」のなかで、「朝鮮亡国の原因は日本ではなく、朝鮮人自身によるものであ
る」と言っています。朝鮮は、滅ぼされたのではなく、自ら滅びたのだと。

そしてその理由を、李朝宮廷、政治、社会の三点から詳しく解説しています。

李王朝衰亡の主因は、よく「三政紊乱」といわれます。この「三政」とは何か
というと、「田政(地税)」「軍政(兵役)」「還税(還穀)」の三つで、農民に対
する収奪制度でした。この三つが乱れた事から、李朝は衰亡したといわれてい
ます。

この三政紊乱を詳しく述べると、また非常に長くなりますのでまたの機会にし
ますが、とにかく、農民は徹底的な収奪に苦しめられていました。腐敗と悪政
に苦しめられた農民は、団結して官庁を打ち壊し、両班の家を襲い、獄門を開
いて囚人を解き放つ行動にでました。
また、租税、軍布、還穀の帳簿を燃やして逃散するという一揆が続きました。
「東学党の叛乱」が、この一揆を象徴しています。

もし日清戦争に日本が負けていたならば、半島は清国の郡県に再編され、その
まま6族協和の体制か、或いは清によって立憲君主国へと換骨剥胎されて存続
し続けたことでしょう。それが歴史の流れというものです。

└──────────
┌──────────「ミカの赤い服さん」

gosakuさん、こんにちは。
私の知識の範囲内では、「このとおりだと思う」です。

20年近く前に、私も小室直樹さんの『韓国の悲劇』は読んでいました。
ですから、今回の記事は納得できました。

うろ覚えですが、日本は国際連盟で奴隷制の廃止を訴えたことがあると聞き
ました。賛同してくれた国は多かったそうですが、列強国により否決されたそ
うですね。そんなことを真剣に考えていたのならば、日韓併合のスローガンの
「内鮮一体」「一視同仁」も本気だったと思います。

昔の日本人が考えていた「大アジア主義」は、東南アジアのアセアン機構の
思想的な礎になったと信じています。

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┌──────────「gosakuさんから」

19世紀から20世紀前半は、白人優越主義が全地球上に蔓延していました。
その白人優越主義からの脱却しえる事を有色人種に意識させ、植民地としての
屈辱からの解放を決定的にしたのが、日露戦争における日本の勝利でした。
反面、白人の日本に対する警戒心と反感を呼び起こした事は、その後の歴史が
証明しています。

特に、他の欧州先進国に比べ、対アジア進出に遅れをとっていた米国は、大陸
における日本との利害も関連して、わが国に対する敵対心を強め、遂には大東
亜戦争への突入にいたったことはご存知の通りです。

大東亜戦争に敗れた後、「東京裁判史観」によって、戦後の歪んだ単細胞的、
一方的な歴史教育を、現在日本を担っているほとんどの人が受けてきました。
そこでは、日本が有色人種の中で唯一、近代国家を作ることに成功したが、そ
の必要条件として、欧米の先進国同様植民地を開拓し、レーニンもいったよう
に、植民地搾取の上にヨーロッパ諸帝国の繁栄があったように、大日本帝国の
繁栄もそこにあったという括り方がなされています。

しかし、日本の「統治地」は朝鮮半島と台湾ですが、台湾以上に、朝鮮半島を
支配するにあたって日本は、周辺の大国である英米などの了承を得るといった
合理的な手続きを踏んでいます。
かつて朝鮮半島の人々にとっても、ロシアに従属するか、清国に従属するか、
それとも日本と合邦するかという三つの選択肢の中から、日本という「セコン
ド・ベスト」を採ったのです。

「親日派のための弁明」を書いたキム・ワンソブ氏も、「日本の行った植民地
統治が一番人間的であった」と、アメリカの大学教授に言われて、初めてその
事実に気づいたといっています。

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┌──────────「気分は情報無限さん」

政府の方針としては、精一杯対等に扱おうとしたのでしょうが、現実は非常に
厳しかったと云う事なのでしょうね。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

同胞として迎えた朝鮮人ですが、当時世界の一等国を自認していた日本人の中
には横暴な人も多くいて、肩身の狭い思いをした朝鮮人も数多くいた事でしょ
う。老年の方には、今でもそんな人種差別的な認識を示す人もいますが、ごく
少数派です。

「民族優越思想」は、なにも日本に限ったことではなく、いずれの国にもあり
ます。大東亜戦争の発端も、この「白人優越主義」による人種差別だったとい
うことに思いをいたす必要があります。

└──────────
┌──────────「銭無し芳一さん」

歴史の真実を体得できるのは、韓国人・中国人と長く付き合ってみると良く分
かる。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

残念ながら僕には、歴史の真実を体得できるほど親密に付き合った韓国人や中
国人の友人はおりません。歴史の真実が解るほどというと一人や二人の友人で
は不可能です。それは、どうしても考え方に偏りがありますから、「木を見て
森を語る」結果になるからです。
大事なのは「韓国を解かる」ことではなく「韓国を解かろう」とする事ではな
いでしょうか。

先日、ある韓国人女性から抗議のメールを戴きました。

それは、僕の書いた
ーーーー
とくに女性の場合は外見での差別が厳しいのです。不美人となると大変です。
なにか言ってケンカになると「このブスが何を言っているのか!」とか平気で
言いますし、「あなたのような不美人は、結婚なんかできないよ」という言い
方もよく飛び出します。最近はとくに、結婚していないと..だいたい不美人だ
からと見なされます。

こんなことを日本で言ったらもう、差別だ!ということで大変なことになって
しまうと思います。
ーーーー
を読んで、「全くデタラメだ」韓国と韓国人を知らない日本人がウソを書くの
は許せない、と。「韓国には美容整形をするような女性は一人もいない。日本
女性と一緒にしないで下さい!」ーーと、凄いケンマク。

そして、その根拠というのが
「自分の友人に、一人もそういう女性がいないから」
でした。ーーまさに、瞎子模象。木をみて森を語っているのです。

「自分の友達に整形した女性がいない」ということは、そのまま「韓国女性は
整形しない」ということになってしまうのでしょうか?
ーーことほど左様に真実とは難しいものです。

└──────────
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┃┃ お便りで頂きましたご意見・感想。
┗━┛
┌──────────「たろおじさん」

今回も含めて、だんだんと格調が高くなってきましたね。
まったくそうだと思われるようになっただけ、私も年を食ったのかな?と思う
このごろです。

ただ、日本人として思うことの一つに、(なんでも責任を転嫁したがる癖?も
ある)
フセイン後のイラクやアフガニスタンを見ていると、日本だけがマッカーサー
の指令や、占領軍の言論統制に、あたかも自主的に無条件に精神的にも自発的
に?みえるように心の武装を解除し従ったのはなぜなんだろう?という問題が
残ります。

そういうの(日本)が隣におれば、付け込みたくなる輩も当然出てくるでしょう
し・・・おまけに、石油や天然ガスや漁業資源問題が絡んでくると、ないネタ
もひねり出したく(お互い様?)なってきますね。
ーーだんだんとやっかいな状況に追い込まれそうです。

こんな中で、中西輝政氏の「国民の文明史」を、久しぶりに感動しながら読ん
でいます。

└──────────
 
┌──────────「gosakuさんから」

イラクの混乱を見ていると、アメリカの横暴さもさることながら「あそこまで
やらなくても」というほど毎日自爆テロが続いています。自爆は圧倒的な武力
差の米軍に対抗するには他に方法がないこともありますが、彼らは自国民を巻
き添えにして無差別と思えるほどの攻撃を繰り返しています。

日本も、戦争中はカミカゼで米軍を震いあがらせましたが、一般大衆を巻き込
む自爆は行いませんでした。そして、あれだけ激しく戦った日本人が、敗戦と
同時に、見違えるように米軍に従順になり、日本の各地で組織立った抵抗がな
かったのは、一つに天皇陛下の終戦聖断がよく行き届いていたからでしょう。

そして米国人が作った憲法を、いまだに後生大事に守り続けています。
ーー国民性とはいいながら、イラク人とは何という違いでしょう。

米国は、旧フセイン政権の圧政からの「解放者」だといっています。また戦争
の大義として「テロの脅威」「大量破壊兵器の存在」「中東の民主化」など、
ありとあらゆるレトリックを駆使して自らを正当化しています。

しかし大半のイラク人は、米国の狙いが、親米政権をつくり、イラクの石油資
源をコントロールすることだと知っています。経済を支配下に置いて、米国系
の銀行や企業が莫大な利益を奪ってゆくと。
統治権はイラク人政府に委譲しましたが、「傀儡政権」下で、住民の反米感情
が治まらないのは当然です。

現在、東シナ海200海里の日本経済水域近くで、中国は天然ガスの試掘を始
めました。資源がらみのキナ臭いニオイが漂ってきますね。

中西輝政氏の「国民の文明史」は、早速探して出して読ませていただきます。
有り難うございました。

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┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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