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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 私見:韓国・朝鮮論(3)創氏改名(補完編) ―――― 2004/07/02

私たち日本人は、「姓」と「氏」とを同じと考え勝ちですが、朝鮮では「姓」
は血統を表示する称号であり、我々日本人が使っている「家族」の表示として
の「氏」とは別ものです。朝鮮には血統を表示する「姓」だけがあり「家族」
の表示としての「氏」はありませんでした。

日本では、明治8年に、国民全部が「氏」を称するように定められました。
民法上の「家」には一つの「氏」があり、戸主及び家族はその「家」の「氏」
を称します。

朝鮮でも、法律上の「家」の問題について、「息子に嫁を貰ったが依然として
実家の姓を称し、自分の家族になった気分になれない。家族らしく感じられる
称号を称え得る途を拓いてほしい」との陳情があったと、当時の宮本法務局長
が、法学協会雑誌昭和15年4月号で述べています。

「氏」の創設が具体化する契機になったのは、戦時体制に入ってから強く推進
された「内鮮一体」、即ち朝鮮人の差別撤廃の具体策の一つとして、朝鮮人の
希望者に内地人と同じ「氏」を認める措置を進めるよう南次郎総督が指示した
ことでした。

そして昭和14年に、制令19号で朝鮮民事令が改正され、それまで朝鮮には
存在しなかった「氏」の創設が義務付けられました。=創氏

「朝鮮人戸主は、本令施行後6ヶ月以内に、新に氏を定め、これを府尹または
邑面長に届け出づることを要す。前項の届出を為さざるときは、本令施行の際
に於ける戸主の姓をもって氏となす」と定められました。

この制令の施行日、昭和15年2月11日から6ヶ月以内に「氏」を定めるこ
とが義務づけられたわけです。ーーしかしこれは、血統を表示する「姓」に代
えて「氏」を設けるというものではなく、従来からの血統の表示である「姓」
はそのまま残し、家族の表示としての「氏」を制度上加えるというものです。

もし届出をしなかった場合は、金さんならば「金」がそのまま氏になります。
戸籍上の表記を、朝鮮式の姓から日本式の氏に切り替える期間が6ヶ月という
ことで、その期間に届け出なかった人は、自動的にそれまでの姓がそのまま氏
になるわけです。

この場合、夫婦は同じ「氏」になりますので、前記の息子に嫁をもらった人の
要望には応えた形になりましたが、嫁の「姓」のほうは元のままなので、より
複雑になったともいえます。
ーー夫と妻の、氏は同じになりましたが、姓は違ったままなのです。

例えば、金さんが新たに「金山」の氏を持ったとしても、氏は金山ですが、姓
は金のままです。氏が金山になれば、その奥さんの氏も当然金山になります。
しかし、奥さんの姓は元のまま、という複雑なものでした。

―― 先日の「4.5sakuさん」への答復で

『さらに、創氏だけでなく改名もやった人もいました。内地人式の「和男」と
か「孝夫」とかいう名前に変えたわけです。
改名には手数料が要り、裁判所の許可をもらってから邑面長に届け出ねばなら
なかった。手数料は一人につき五十銭でした。』

と述べましたが、創氏は無料です。――改名にだけ手数料が必要でした。

「金山」とか「木村」とか創氏しても、名前が韓国式だと一見して韓国人だと
分かってしまいます。それでこの際徹底的に日本式に変えたいという人も現れ
たのです。それが「改名」で、正確な数字は分かりませんが、改名率は創氏し
た人の約半分で、改名した人々はインテリ層が多かったといわれています。

また、今回の鮎川さんのコメントの中に、
「創氏改名については、朝鮮人が自分たちで名前を考えたのではなく、つけら
れたのです。元の本名からつけられたので、自分が勝手に、佐藤にしますとか
鈴木にしますということは出来ませんでした。日本人とは違うと判断しやすい
名前をつけられたのですよ。」ーーという部分がありました。

僕の調べた範囲では、そのようなことが書かれた文献はありませんでした。

ーーこれは推測ですけれど、どんな氏にしたらいいのかよく分からない人々が
大勢いたので、姓が「金」ならば「金山」とか「金田」とか、「李」さんなら
「木村」がいいとかの指導をしたのではないでしょうか?

以後の生活に差し障りが少ないように、元の姓に基づいて、分かりやすい氏を
考えてあげたのだろうと思います。

―― 朝鮮には元々、朝鮮読みの少し長い名前があったようです。

その後、新羅時代にシナの支配を受けるようになり、功績があった家はシナの
皇帝からシナ式の姓を賜りました。これは大変な名誉でした。その家が「金」
という姓を賜った場合、代々、その呼称を誇りにしました。

やがて、これらの姓をシナの皇帝が与える以外に、朝鮮の王も、それを真似て
手柄のあった人物の家にシナ式の姓を与えるようになりました。

朝鮮には階級制度があり、最初の頃、そうした姓というものをもって誇りにし
ていたのは、主に両班(ヤンパン)だったと思われます。そしてその下の階級も
はじめは遠慮していましたが、やがて真似るようになりました。

以前は日本でも「氏素性が分からない人」という言葉がありましたが、朝鮮で
も、姓を極めて大事にし、誇りに思う人たちと、それほど大事に考えない人々
がいました。日本が朝鮮を併合してから、四民平等ということで、下層階級の
それまで姓がなかった人々にも姓をつけさせましたが、そういう人々は自分の
姓をそんなに大事とは考えません。

ーー何百年も続いた由緒ある家とは、姓に対する感覚が違うからです。

日本には名字が三十万ぐらいあると言われていますが、明治維新以後につけら
れた名字が非常に多い。昔は、源氏、平氏とか、藤原氏、橘氏など、由緒ある
姓がありましたが、姓にたいする感覚は時代と共に希薄になってきました。

朝鮮には封建時代がなく、日本の平安時代のような社会が、日本に併合される
まで残っていたといえます。両班という特殊な階級も残っており、彼らにとっ
て、男の血統を表す姓は冒すべからざるものでした。姓の違うところから養子
を貰うことなども許されないことでした。

そこへ、姓のことをあまり考えない日本人がやってきて、姓以外に日本式の氏
というものを持ち込み、我々の貴い姓を否定しようとしたのは実にけしからん
という感情はあったと思います。両班などの特権階級が特に、創氏改名に反対
した背景には、このような事情もありました。
姓というものは、男系の血統の証明であって、非常に大事なもので、何百年も
続いてきたんだと。

併合前か併合後かは分かりませんが、朝鮮では族譜を作って売る商売が出てき
ます。朝鮮人の姓にたいする意識は、われわれが想像する以上に深く、日本人
のそれとは非常に違っていたわけです。
そこへ創氏改名の制度を導入し、日本と同じにするというのでは、相当な社会
的反発があったことは否定できないでしょう。

日本の朝鮮統治政策は、同化主義に近いものでした。朝鮮人と日本人を差別せ
ず、朝鮮人を日本人と同じく処遇する方向に持ってゆく、これが基本方針でし
た。斎藤実総督以降の宇垣一成総督、南次郎総督、小磯国昭総督らは、みんな
朝鮮人の地位を上げていこうという目標を掲げていました。

けれど、朝鮮人を差別せず、日本人と同等に扱うということは、半面、朝鮮の
古来の伝統を捨てさせることにもつながりますので、いろいろと批判はあるで
しょうが、日本はとにかく同化主義を採り、それがいいと思ってやってきたの
です。

戦前よりも戦時中のほうが、朝鮮の一般大衆は親日的でした。日本人と同じよ
うになるんだという意識が高まったからだろうと考えられます。
戦後の反日教育を受けた世代はともかくとして、いま70代、80代の、日本
統治時代に育った朝鮮の古老の中には、日本統治時代を懐かしむ人も多くいま
すが、戦後すぐ韓国の大統領になった李承晩は、徹底した反日政策を実施しま
した。

わざわざ、日本に協力した者を処罰する法律を作り検挙し裁判にかけました。
それで、日本統治時代の実情を知る古老の人たちも、親日的なことが言えなく
なってしまいました。日本を一方的に非難する声に対し、「いや、そんなこと
はない」と反論できない雰囲気になってしまったのです。

                          =この稿つづく=
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